学位論文要旨



No 123214
著者(漢字) 武内,伴照
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,トモアキ
標題(和) 2次元陽電子消滅2光子角相関の低温そのまま測定による絶縁性結晶およびSi中の欠陥の研究
標題(洋)
報告番号 123214
報告番号 甲23214
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第813号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 東京大学 准教授 加藤,雄介
 東京大学 准教授 深津,晋
 東京大学 准教授 斎藤,晴雄
 東北大学 准教授 永井,康介
内容要旨 要旨を表示する

絶縁性結晶に陽電子を入射すると、多くの場合、電子との束縛状態であるポジトロニウム(Ps)を生成する。Psは、電子と正孔の束縛状態である励起子の正孔を陽電子で置き換えたものにあたり、いわば励起子の「同位体」である。Psは、陽電子消滅2光子角相関(Angular Correlation of positron Annihilation Radiation: ACAR)法を用いて、その運動量分布の測定が可能であり、波動関数の情報を直接得ることが出来る。このことは、エネルギーの情報が得られる励起子の研究と相補的な研究が可能であることを意味する。半導体物性や光学デバイスの特性を理解する上で重要な励起子の「同位体」にあたるPsの波動関数を調べることは、興味深い。

本研究では、絶縁結晶中のPsの振る舞いを2次元陽電子消滅2光子角相関(Two-Dimensional Angular Correlation of positron Annihilation Radiation: 2D-ACAR)装置を用いて研究を行った。2D-ACAR測定は、運動量分布を2次元マップとして得ることができるため、これまで一般的であった1次元角相関測定に比べて、より詳細な情報を得ることができる。

試料は氷(Ih)およびアルカリハライド(KCl、KI)を用いた。これらの絶縁結晶中において、低温下でPsは非局在状態になることが知られており、その波動関数について2D-ACAR法で調べた。非局在Psがウムクラップ散乱されることによって現れるピークの強度分布の測定結果を、ベーテ・サルペータ方程式にもとづく第一原理計算の結果と比較、検討をおこなった。氷(Ih)の測定については、試料の作成から測定までを十分に氷点以下に保つ必要があるため、低温を保つ工夫が必要であった。

KClとKIおよび氷(Ih)の低温での2D-ACARを測定し、非局在Psによる鋭いピークの強度を詳細に解析した。氷(Ih)に対して、初めて2D-ACARによるPsピークの定量的な解析を行った。KClとKIに対して、過去の2D-ACARでは観測できなかった、非常に弱い偶数指数のピークが観測できた。その結果、奇数指数のピークがほとんどないだけでなく、偶数指数のピークも、 以外は大変弱いこともわかった。このことは、KClおよびKI中のPsが、陽イオンと陰イオンをほとんど区別せず、波動関数が結晶中で高周波成分をほとんど持たないことを意味する。

これらの実験結果を再現する試みとして、ベーテ・サルペータ方程式にもとづく第一原理計算を行った。その結果、氷(Ih)に対して、本研究で用いた理論計算では実験結果が再現できなかった。これは、実際の氷(Ih)中の水素原子の位置が不確定であることが原因と考えられ、氷(Ih)中のPsに対しては、計算方法のさらなる工夫が必要なことが明らかとなった。KCl、KIに対しては過去の理論計算では再現できなかった実験結果の傾向を、非常に良く再現することが分かった(図1)。この結果から、アルカリハライド中の非局在Ps波動関数は、結晶運動量で特徴づけられた陽電子-電子ペア状態の重ね合わせの状態となっている可能性が示唆された。

本研究ではさらに、氷の2D-ACAR測定で用いた低温測定手法を応用し、さらに低い温度である液体窒素温度程度を保ったまま測定可能な装置の開発を行った。シリコンは半導体デバイスの基盤となる重要な材料であり、その最も基本的な欠陥である単空孔を調べることは非常に重要である。ところが、シリコン単空孔は、200K程度以下の低温でのみ安定に存在し、それ以上の温度では不安定となり、格子間原子と再結合したり互いに結合し複空孔となる。このため、シリコン単空孔は、その導入から測定までを常に低温に保つ必要があり、実験が難しく、これまで十分な研究が行われてこなかった。特に、ACAR装置を用いた、シリコン中の単空孔での電子運動量分布の測定はこれまで行われていなかった。そこで、液体窒素温度程度を保ったままで測定可能な装置の開発をし、シリコン単空孔について2D-ACARの測定を行った。

試料は、液体窒素中で低温電子線照射することにより単空孔を導入したシリコン単結晶を用いた。低温電子線照射後、試料温度を上げることなく低温そのままでの測定を行うために、低温そのまま測定装置を開発した。同装置を用いて、液体窒素温度電子線照射後のシリコン試料を低温そのままの状態で、陽電子寿命測定および同時計数ドップラー広がり(CDB)測定、電子スピン共鳴(ESR)測定を行った。

その結果、陽電子捕獲サイトの陽電子寿命τ2は10K-80Kの測定温度で約266psとなった。過去の報告にある、理論計算によるシリコン中の空孔クラスター内における陽電子寿命計算値や、低温電子線照射したシリコンの陽電子消滅実験の結果によれば、今回の低温電子線照射したシリコン中の主な陽電子捕獲サイトは単空孔であることが示唆された。また、CDB測定結果のS-W相関からは、陽電子捕獲サイトは少なくとも複空孔ではないことが示唆された。実験で用いたシリコンは浮遊帯域融解(Floating Zone; FZ)法により作製されており、不純物酸素量が少ないことから、空孔-不純物複合体は形成していないと考えられる。したがって、主な陽電子捕獲サイトは、単空孔であると結論づけた。同試料のESR測定を行ったところ、共鳴信号は検出されなかった。FZ法により作製されたシリコンのフェルミレベルはMid Gap付近にあると考えられることから、単空孔は負の2価に荷電しているとは考えにくく、荷電状態は中性であると同定された。すなわち、今回用いた試料の主な陽電子捕獲サイトは、荷電状態が中性のシリコン単空孔であることが結論づけられた。

同試料を2D-ACAR測定し、シリコン単空孔において初めて電子運動量分布を得た(図2)。

絶縁結晶中のPsについての研究結果は、2D-ACAR法を用いて、物質中の最も軽い束縛状態の波動関数に関する直接的な観測および第一原理による理論計算との比較を行い、その振る舞いの一旦を明らかにしたものである。この成果は、物質中の複合粒子の解明の一環として意味を持つものである。

Si中の空孔型欠陥の研究の結果は、陽電子消滅測定装置を低温そのままで測定可能に改良し、ESR測定と組み合わせることで、その荷電状態を把握しつつ、従来には報告例の無かったSi中の単原子空孔の電子運動量分布を得ることに成功したものであり、今後ますます集積化する半導体デバイスの開発や評価にとって重要なデータとなることが予想される。

図1. KClとKIのPsピーク強度比の比較( : ボーア半径)。

図2. Si単原子空孔の電子運動量分布

審査要旨 要旨を表示する

電子の反粒子である陽電子、及び陽電子と電子の束縛状態であるポジトロニウムは、それら自体が基礎的な物理学の研究の対象であると同時に、物質研究のユニークなプローブとして利用されている。論文提出者は、試料準備から測定までを低温のままでできる装置を開発して、絶縁性結晶中のポジトロニウムの波動関数に関する直接的な観測を行い、第一原理による理論計算と比較した。また、液体窒素温度で電子線照射したSiの低温そのまま測定によって、Si中の単原子空孔中の電子の運動量分布の観測を行った。

本論文は4章から成る。第1章で本研究の意義と背景となる事項の説明、および測定手段の解説がされた後、第2章で絶縁性結晶中の非局在ポジトロニウムに関する測定の詳細とデータの解析が述べられ、第3章で低温電子線照射したSi中の空孔型格子欠陥に関する測定の詳細とデータの解析が述べられた後、第4章に結論がまとめられている。

第1章では、本研究に用いられた実験手法である、2次元陽電子消滅2光子角相関法、陽電子消滅同時計測ドップラー広がり法、陽電子消滅寿命法、電子スピン共鳴法の基礎が、簡潔に述べられている。

第2章では、絶縁体結晶中の非局在ポジトロニウムについての従来の研究の解説に続いて、先ず、氷(Ih)の単結晶の作成から方位を決定して測定用試料を切り出し装置に取り付けて測定するまでの一連の作業を十分に氷点以下に保つ工夫をした「低温そのまま測定」の手法が述べられている。次に、室温で準備した試料を低温に冷却して行ったアルカリ・ハライド(KCl、KI)中の非局在ポジトロニウムの測定について述べられている。測定には、2次元陽電子消滅2光子角相関(2D-ACAR)法を用いて、運動量空間でのポジトロニウムの波動関数を調べた。物質中の軽い束縛状態の波動関数の情報を直接得られる例は他に無く、ポジトロニウムの物質中での波動関数を調べることは、非常に興味深い。これらの物質中では、波動関数が結晶の周期性を感じてブロッホ型になることに由来するサイド・ピークが現れる。論文提出者は、このサイド・ピークの強度を精密に測定し、さらに、ポジトロニウムの状態に対するベーテ・サルピータ方程式にもとづく第一原理計算で強度の理論値を求めた。その結果、氷(Ih)に対しては実験結果が再現できていない。これは、実際の氷(Ih)中の水素原子の位置が不確定であることが原因と考えられる。しかし、KClとKIに対しては、過去の理論計算では再現できなかった実験結果の傾向を、非常に良く再現する結果を得ている。

第3章では、氷の低温そのまま測定手法を応用し、さらに低い温度である液体窒素温度程度を保ったまま測定可能な装置を開発して行った、Si中の単空孔についての研究が述べられている。具体的には、試料のSi単結晶に、液体窒素中で低温電子線照射することにより単空孔を導入した。照射後、試料温度を上げることなく実験室に運搬し、新たに開発した低温そのまま測定装置を用いて、陽電子寿命測定、同時計数ドップラー広がり測定、電子スピン共鳴測定を行っている。Si単空孔は、200K以下の低温でのみ安定に存在し、温度が上昇すると拡散して消滅したり、互いに結合したりして、複空孔となる。このため、実験に際して、空孔導入から測定までを常に低温に保つ必要があり、これまで十分な研究が行われてこなかった。論文提出者は、陽電子寿命の低温そのまま測定によって捕獲サイトの陽電子寿命を求め、単空孔に捕獲された陽電子の寿命の理論値と一致することを示した。また、同試料のESR測定では不対電子の存在を示す共鳴信号は検出されなかった。これらの理由から、試料の主な陽電子捕獲サイトは、確かに、荷電状態が中性のSi単空孔であることが結論づけられた。その上で、同試料を2D-ACAR測定し、Si単空孔における電子運動量分布をはじめて観測した。

審査委員会は、本研究において、忍耐力を要する困難な測定と、注意深い解析が行われ、適切な考察がなされていると判断した。絶縁結晶中のポジトロニウムについての研究は、波動関数の運動量分布の直接的な観測と、第一原理による理論計算との比較を行ったものであり、物質中の束縛状態の波動関数の解明として意義がある。また、陽電子消滅測定装置の改良で可能になった、液体窒素温度で電子線照射したSiの低温そのまま測定の結果は、従来には報告例の無かったSi中の単原子空孔における電子運動量分布を得ることに成功したものである。Siは半導体デバイスの基盤となる重要な材料であり、その最も基本的な欠陥である単空孔に対していられた結果は、半導体デバイスの開発や評価にとって重要なデータとなるであろう。なお、本研究は、指導教員他との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験計画の立案、実験、解析を行ったもので、論文提出者の寄与は大であると判断される。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク