学位論文要旨



No 123219
著者(漢字) 丸,直人
著者(英字)
著者(カナ) マル,ナオト
標題(和) 生体高分子の認識能を利用したベシクルの選択的集合化および胚性幹細胞との複合体形成
標題(洋) Vesicular Self-Aggregation and Complexation with Embryonic Stem Cell on the Basis of Recognition of Biomolecules
報告番号 123219
報告番号 甲23219
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第818号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 教授 尾中,篤
 東京大学 教授 陶山,明
 東京大学 准教授 村田,滋
 東京大学 准教授 佐藤,健
内容要旨 要旨を表示する

I. 研究の背景と目的

両親媒性分子は分子内に極性の高い親水部と極性の低い疎水部を併せ持ち,そのため,主に水中において疎水相互作用を駆動力として,様々な分子集合体を形成する。ベシクルはその一つであり,二本鎖型両親媒性分子が水中において形成する球状中空状構造体である(図1)。その大きさは幅広く,数十ナノメートルから数十マイクロメートルのものまである。ベシクルの魅力は,二分子膜を境界として"外"と"内"が隔てられた構造にあり,この構造を利用した研究が数多くなされている。

本論文において目指すものは,ベシクルとベシクル及びベシクルと胚性幹細胞(ES細胞)を結びつけ,集合化させることである。その目的は以下の通りである

(1) ベシクル集合化のミクロな理解のために,その集合化過程や形状を調べる。

(2) ベシクルが接触した状態からさらに融合を導き,ベシクル輸送体への応用の基礎とする。

(3) ベシクルの特性を利用した胚性幹細胞の新しい培養方法を確立する

ベシクルとベシクルもしくはES細胞を結びつける手段として,本論文では,生体高分子の認識能を利用することにした。これによって,生体適合性の高いベシクルの特性を失うことなく,新たな機能を付加することができる。

II. DNA二重鎖の架橋によるベシクルの集合化

1. DNA担持ベシクルの作製

ベシクルの接着・集合化は,ベシクル間の相互作用の足掛かりとして,また,形成される集合体の示すマクロスコピックな物性の発現プロセスとして,注目を集めている。本論文は,ベシクル表面にDNAを導入して「DNA担持ベシクル」を作製し,DNAの二重鎖形成によってベシクルを接着,集合化させることを目指した。DNA担持ベシクルを作製するために「DNA-コレステロール複合分子」(図2)を設計・合成した。この分子は,二分子膜への親和性が高いコレステロール,スペーサーであるテトラエチレングリコール,DNAの三つの部位から成っている。

3. 相補的DNA担持ベシクルの集合化

合成されたDNA-コレステロール複合分子とリン脂質である1-palmitoyl-2-oleoyl-sn -3- phosphocholine (POPC)の溶液を混合し,脂質薄膜を形成させた後に,リン酸緩衝液を加えることにより「I型DNA担持ベシクル」を作製した。これを用いて,以下のベシクル集合化に関する実験を行った。

はじめに,DNA担持ベシクルを混合した試料溶液に対して,動的光散乱型粒度分布測定を行って,相補的DNA担持ベシクルの接着能,及びその結果できる接着体のおおよそのサイズを検証し,DNA担持ベシクルがその塩基配列特異的に接着し合うことを確認した。続いて,凍結割断法を用いてDNA担持ベシクル集合体を透過型電子顕微鏡で観察し,互いに相補的なDNAを担持したベシクルの集合化が直接的に観察された(図3a)。さらに,位相差顕微鏡にて相補的DNA担持ベシクルの集合体を観察し,内部に多くのすき間を持つような巨大な網目状構造体が形成されていることを明らかにした(図3b)。

DNA担持ベシクル集合体の形状に関するここまでの結果をまとめると以下のようになる。

(1) DNA担持ベシクルは,ミクロスコピックにはベシクルが密に詰まったクラスタ状集合体集合化する。

(2) マクロスコピックにはすき間の多い三次元的網目状構造を持ち,1mm以上にわたって切れ目のない構造を持つ。

さらに,T字型にDNAとコレステロールを連結した「T型DNA担持ベシクル」を作製し,「I型DNA担持ベシクル」との比較により,ベシクル集合化の微視的描像を得た。

3. 網目状構造体形成過程の考察

DNA担持ベシクルの集合体が巨大なクラスタ状にならずに,網目状構造体を形成する理由を「クラスタ凝集モデル」を参考にして考察した。まず,いくつかのDNA担持ベシクルが,ブラウン運動を行いながら接着して非球状のクラスタを形成する。形成された非球状クラスタは,さらにブラウン運動を行いながら接着して,より大きな集合体を形成する。クラスタの接合の際に内部の溝まで接近できないので,クラスタ間にすき間ができる。このようなクラスタのクラスタリング(clustering of clusters)を経て,枝分かれ構造が発達し,網目状構造が形成されていくと推論した。

以上の考察は,DNA担持ベシクルの実験条件に合わせて行った簡潔な二次元シミュレーション及びDNA担持ベシクルの集合化過程を共焦点レーザー顕微鏡によって追跡した実験結果と矛盾しないものである(図4)。

II. 集合化したDNA担持ベシクルの界面活性剤存在下における融合

ベシクルの融合とは,複数のベシクルの二分子膜が合わさっていくのに伴い内水相も混合され,一つのベシクルが形成される現象である。接着したベシクルの間に融合を誘起できれば,ベシクル間の物質のやり取りも可能となろう。そこで,集合化したDNA担持ベシクル融合させることを目指し,界面活性剤であるTriton X-100を作用させ,二分子膜を不安定化させることを試みた。

DNA担持ベシクルを集合化させ,様々な濃度でTriton X-100を加えたところ,Triton X-100の濃度が0.6-1.2 mMの場合に,ジャイアントベシクルの形成が確認された。特に1.2 mMの試料では,ほとんどのDNA担持ベシクル集合体が,ジャイアントベシクルに変化していることが分かった(図5)。

同様の実験を,集合化していないDNA担持ベシクルを用いて行ったが,ジャイアントベシクルの形成は見られず,粒度分布測定から,DNA担持ベシクルはミセル化していることが分かった。

さらに,DNA担持ベシクルがTriton X-100によってジャイアントベシクルに融合していく様子を詳しく調べるために,溶液混合用観察チャンバーを用いて,顕微鏡リアルタイム観察を行った。リアルタイム観察の結果から,集合化したDNA担持ベシクルからジャイアントベシクルへの融合は,一度融合したベシクル同士がさらに段階的に融合していくという「ベシクルの連続的融合過程」により進行することが分かった(図6)。

以上の実験から,集合化したDNA担持ベシクルに生じるTriton X-100の存在下での融合現象は「Triton X-100存在下におけるベシクルのミセル化という変化の方向が,集合化によって融合へと切り換わる」と表現することができる(図7a)。

III. 細胞外基質タンパクの仲介によるベシクルと胚性幹細胞の複合体形成

1. 胚性幹細胞の新しい培養法の提唱

ES細胞とは,様々な種類の細胞に分化する能力を持った細胞であり,再生医療の観点などから注目を集めている。ES細胞の分化方向はES細胞が何を足場とし,いつ,どのような濃度の分化誘導因子にさらされているかといった「微小環境」によって決定される。そのため,いかに多様な微小環境をES細胞に提供できるかが,ES細胞の分化に関する研究において非常に重要である。

そこで,本論文では従来の培養方法の問題点を補完する新しい培養方法を提唱した。図8のように,ES細胞集合体の内部にベシクルが共存する「ベシクル-ES細胞複合体」を作製し,ここからES細胞を分化させるという方法である。そこで,いくつかの実験からES細胞への親和性が明らかになったラミニンを,ベシクルに共有結合を通じて導入した「ラミニン担持ベシクル」を作製し,そのES細胞との親和性を検証した。

2. ラミニン担持ベシクルによるベシクル-ES細胞複合体の形成

細胞外基質タンパクであり,分子量約90万と巨大な分子であるラミニンを,Derksenらによって報告された方法を用いて,チオール基とマレイミド基の結合を介してベシクルに担持させた。この際,Ellman法によってラミニンに導入されたチオール基の量が約80であることを確認し,Bradford法によって150 nmの大きさを持つベシクルの場合には約5のラミニンが担持されていることを確認した。また,別途,緑色蛍光染色したラミニンを同様の方法でベシクルに担持させ,それを蛍光顕微鏡によって確認した(図9)。

作製されたラミニン担持ベシクルとES細胞を培養液中で混合して,培養を行った。同時に,ラミニン担持ベシクルに,遊離ラミニン(緑色染色)を添加してからES細胞に加えた試料も作製した。培養開始から3日後,「ラミニン担持ベシクルとES細胞を混合した試料」においては,ES細胞集合体の内部にわずかではあるものの,ラミニン担持ベシクルの二分子膜に含ませた赤色蛍光が分布していることが認められた。さらに図10に示した,「ラミニン担持ベシクルと遊離ラミニン(緑色染色)を同時にES細胞と混合して培養した試料」においては培養後,ES細胞集合体内のより広い範囲に蛍光が分布していることが観察された。

これらの観察結果から,ラミニンを担持したベシクルはES細胞との親和性を示し,その集合体に取り込まれること,さらに遊離ラミニン分子が介在すると,ベシクルが取り込まれる量が増大することが分かった。この結果から,ベシクル表面でのラミニン担持ベシクルとES細胞の接着には,自由度があるラミニンの存在が重要であると結論付けた。以上の成果により,ベシクル-ES細胞複合体の形成に向けた研究は大きく進展したといえる。

IV. 研究のまとめと今後の展望

本論文においてベシクルは,DNAやラミニンという生体高分子を共有結合で連結した複合分子が組み込まれることで,選択的認識能が付加され,異種のベシクルもしくはES細胞と複合体を形成できることが示された。本結果は,多数の両親媒性分子が自己集合化したベシクルが,さらに複合化して,その階層構造をさらに高次化したということができる。これらの複合体形成は,ベシクルの新しい応用にも繋がることとなろう。

図1:ベシクルの構造

図2:DNA-コレステロール複合分子の合成

図3:(a) 凍結割断法によるDNA担持ベシクル集合体の透過型電子顕微鏡像。(b) DNA-担持ベシクル集合体の位相差顕微鏡像。

図4:(a) DNA担持ベシクルの集合過程を追跡した共焦点顕微鏡観察像。(b) クラスタ凝集モデルに基づくDNA担持ベシクル網目状構造体形成過程の考察。

図5:(a) Triton X-100を添加しなかったDNA担持ベシクル集合体。Triton X-100 (1.2 mM)の存在下,変化したDNA担持ベシクル集合体(b)。

図6:集合化したDNA担持ベシクルの連続的融合の時間追跡。

図7:(a) ベシクルはDNAに架橋されて集合化することで,Triton X-100の作用による変化がミセル化から融合に変わる。(b) DNAによって架橋されたベシクルがTrtion X-100によって融合する機構の考察。

図8:ベシクルとES細胞の複合体形成

図9:ラミニン担持ベシクル。(a) 位相差顕微鏡像(上)と蛍光顕微鏡像(下)。Ex: 460-490 nm,Em: > 515 nm。(b)ベシクルの大きさが100 nmの場合,4つのラミニンが担持されている。

図10:ラミニン担持ベシクル及びラミニンと混合して培養を行った結果形成されたベシクル-ES細胞複合体。(a) 位相差顕微鏡像。(b) 蛍光顕微鏡像によるベシクル分布の観察(Ex: 510-560 nm,Em: > 590 nm)。破線部内がES細胞集合体。

審査要旨 要旨を表示する

近年、両親媒性分子が水中で疎水相互作用により形成する内部に水相を有する袋状の構造体が、注目されている。ベシクル(小胞)と呼ばれるこの構造体は、その膜構造が生体細胞と類似していることから原始細胞モデルとして、また、薬物を体内に運ぶミクロなカプセルとして関心が集まっている。本論文は、ベシクルをさらに集合化し、ベシクル集合体という階層性が一段高い構造体を構築することで、新たな機能を発現させることを目指している。そのために「膜になじむ疎水部と選択的認識部位とをスペーサーで繋いだ連結分子」を新たに合成することで、サブミクロン(平均粒径0.2 マイクロメータ)のベシクルを選択的に集合化させることに成功した。さらに形成されたベシクルクラスターに、ある種の界面活性剤を添加することで、平均粒径3ミクロンのジャイアントベシクルへと融合させる条件を確立した。この方法論をもちいて、ベシクルを生体細胞に取り込ませると言う挑戦的課題を掲げ、試行錯誤の末、見事にその手法を確立した。以下、審査の結果の概要を記述する。

第1章では本研究の目的を述べている。水中での疎水相互作用による自己集合化により形成されるベシクルは、多くの場合、表面電荷を持つので、分散しており多価イオンを用いたコロイド凝集の手法などを用いないと、通常集合化することはない。よって、ベシクルの選択的集合化には、連結分子の設計と合成が不可欠であることを指摘している。

第2章の「DNA-コレステロール連結分子の合成」では、先に述べた「連結分子」の具体例として、選択的認識部位にDNAの15量体とその相補鎖を利用した「DNA-コレステロール連結分子」を設計し、さらに「I型」,「T型」という異なる形状を持つ二種の連結分子を合成している。特にT型は,DNA15量体の非末端部位に、膜に突き刺さる部位を組み込むことで、DNAをベシクル膜に平行に配置することを可能にした独自性の高い分子である。また、相補的なDNAの配列に関しても、オールT,オールAという一様な配列と、ランダムな相補的配列を、DNA固相合成を用いて、正確に作り分けている点は、高く評価された。

第3章では「DNA担持ベシクル」の集合化について記述している。合成した4種の「DNA-コレステロール連結分子」をベシクル二分子膜に導入した「DNA担持ベシクル」を調製し、相補鎖を持つベシクル同士を混合した場合にのみ、クラスタ状ベシクル集合体がさらに集合化したネットワーク状の構造体が室温で可逆的に形成されることを、動的光散乱型粒度分布計,透過型電子顕微鏡,位相差型顕微鏡などの測定機器を用いて確認している。特記すべきは、I型のDNAと同程度の融解温度をもつT型連結分子のランダム配列を用いた「DNA担持ベシクル」が、集合化しないことを見出し、この現象が、ベシクル表面に形成されている厚さ数nmの電気二重層間の静電反発と、多点水素結合による引力的相互作用の競合により引き起こされたとの解釈を与えている点である。自ら合成した構造の異なる連結分子により、初めて見出されたベシクルの集合化に関するこの結果と解析は、審査員より高い評価を得た。なお、第2,3章関連の研究は、Nucleic Acid Symposium Series 48, 2004に成果が掲載されており、現在、本論文を投稿準備中である。

第4章の「集合化したDNA 担持ベシクルの界面活性剤存在下における融合」においては,クラスタ状に集合化したDNA担持ベシクルの融合現象を扱っている。第3章で得られたDNA担持ベシクルのクラスタ状構造体に,界面活性剤であるTriton X-100を作用させると、約0.2 ?mの大きさを持つ多数のベシクル間に連続的な融合が起こり、結果として、約3 ?mのジャイアントベシクルが形成されることを見出した。さらに水溶性蛍光分子を封入したベシクルを利用することで、連続的融合の過程を経てもベシクル内包物の少なくとも一部が、融合したジャイアントベシクルへ受け渡されていることを明らかにした。まだ定量的なデータではないものの、選択的に集合化したベシクルを用いて、界面活性剤でスモールベシクルの融合を誘導できることを発見した点は、今後の応用も含め関連分野の進展に貢献する知見といえる。本研究成果は、Chemistry Letters 37, 2008に掲載予定である。

第5章「ベシクルと胚性幹細胞の複合体形成」においては、これまでの研究で確立した方法を用いて「ベシクル-ES複合体」の形成を目指している。試行錯誤を繰り返し,細胞外マトリクス蛋白質であるコラーゲンとラミニンにES細胞に対する親和性があることを見出したことは、申請者の多大な努力の賜物と認めることが出来る。これらの蛋白質のうち,ラミニンに着目し,ラミニンにチオール基を導入し、マレイミド基を介して膜分子の先端に結合させた連結分子を合成し、これを用いて「ラミニン担持ベシクル」を作製している。同時に、新たに合成した「膜親和性蛍光分子」でベシクルを染色することで、ラミニン担持ベシクルがES細胞に取り込まれることを、蛍光顕微鏡で検証することを可能にした。その結果ついに、目的としたベシクル-ES細胞複合体が形成されることを蛍光顕微鏡によって確認した。これらの成果は、ES細胞に対する分化誘導因子の添加方法の問題点に新たな解決法を提供するものであり、注目すべき成果といえよう。なお、ES細胞との複合体形成に関しては、ごく最近成果が出たところなので、現在論文投稿準備中である。

以上、本論文は、精緻な分子設計と分子論的な解析というアプローチで、生命科学との接点まで攻め上った意欲的な内容であり、審査委員会で専門分野の審査委員より高い評価を得た。また、審査会での質問への的確な応対を含め、申請者である丸君は、既にこの分野で独り立ちのできる研究者であるとの印象を得た。学術論文に関しては、いずれも共著であるが、申請者の寄与が大であることを確認した。また、参考論文がLangmuir 24, 2008に掲載予定である。

従って、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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