学位論文要旨



No 123222
著者(漢字) 新保,謙
著者(英字)
著者(カナ) シンボ,ケン
標題(和) 天体観測のためのNbTiN HEBミクサの開発研究
標題(洋) Developmental Study on an NbTiN HEB Mixer for Astronomical Applications
報告番号 123222
報告番号 甲23222
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5103号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 蓑輪,眞
 東京大学 教授 満田,和久
 東京大学 准教授 大橋,正健
 東京大学 准教授 小形,正男
 国立天文台 准教授 鵜澤,佳徳
内容要旨 要旨を表示する

1. はじめに

周波数300 GHzから3 THz(波長1 mmから0.1 mm)の電磁波はサブミリ波と呼ばれ、近年、宇宙観測において注目されている帯域である。なかでも、テラヘルツ帯(1 THz以上)は未開拓な領域として残されている。この領域には、星間雲の物理的、化学的な状態を調べる上で重要な役割が期待されるC+、C、O、N+などの微細構造遷移輝線や、CO分子の高励起回転スペクトル輝線などが存在する。また星形成領域近傍などの高密度領域の化学組成を調べる上で鍵となるCH、OH、H2D+、HD2+などの基本的な分子の放射が存在する。テラヘルツ帯の宇宙観測は、これまで漠然と捉えられてきた基本的星間現象の理解を大きく促進するものと考えられる。

しかし、テラヘルツ帯の宇宙観測はこれまで非常に限られている。その主な原因は、テラヘルツ帯における受信機技術が未成熟な点である。ミリ波帯、サブミリ波帯では、Nbを用いたSISミクサ受信機が広く使われているが、700 GHz以上の周波数ではNb自体の吸収による損失のため性能を発揮できない。従って、新しい原理に基づく受信機開発が不可欠であり、世界的競争が繰り広げられている。

超伝導ホットエレクトロン・ボロメータ(HEB)ミクサは、テラヘルツ帯でのヘテロダイン検出器として最も期待されているものである。HEBミクサは超伝導体による電磁波の吸収を利用してミクサ動作を行うもので、SISミクサと異なり動作可能な上限周波数が原理的に存在しない。本学位論文の目的は、テラヘルツ帯における宇宙観測に用いることができるHEBミクサ受信機を開発することである。

2. NbTiN を用いたHEBミクサの開発

超伝導HEBミクサは、数100 nmスケールの大きさの超伝導体薄膜細線を回路内部に含んだ構造を持っており、その製作にあたっては、1μm未満の微細構造の製作、高品質の超伝導薄膜の成膜などの要素技術の確立が不可欠である。そこで、まず、HEBミクサ素子製作に最適化した専用装置群(電子線描画装置、複合成膜装置、エッチング装置など)を導入し、その立ち上げと較正実験を行った。微細構造の製作はSEMを用いた電子線描画システムで行う。HEBミクサの製作では、微細構造を正確に重ね合わせることが必要となるが、そのために必要な重ね描画の技術を確立した。具体的には、下層のマーク図形を自動認識して、位置ずれを検出し、それを補正して上層の描画を行うシステムを開発した。これにより、200 nm程度の精度での重ね描画ができるようになった。

本研究では、超伝導体として高い超伝導転移温度(Tc > 15 K)をもつNbTiNに着目した。NbTiN薄膜はNbTiをターゲットとした反応性スパッタによって成膜する。その品質は、バッファガスに含まれるN2の量に敏感に依存することがわかった。このことは膜厚が薄い場合に顕著であり、成膜条件の最適化は薄膜について行う必要があった。最終的に、膜厚5 nmでTc = 9.8 Kを実現し、HEBミクサ製作に十分な質のNbTiN薄膜を得ることが可能となった。またこの過程で、NbTiN薄膜のR-T曲線が膜質によって顕著に異なることを見出した。これは薄膜の構造に関係していると見られ、抵抗測定という簡便な手法で薄膜の物性を評価しうる可能性を与えた。

これらの地道な実験を通して、NbTiNを用いたHEBミクサ素子の製作が可能になった。製作は、Au、Ti、NbTiNの三層一体成膜と、リフトオフ法-エッチング法を併用した構造形成からなる独自のプロセスで行った。

3. HEBミクサの評価

製作したHEBミクサ素子は液体ヘリウムによる冷却試験で良好なDC特性を示した。さらに、このミクサ素子を導波管ミクサブロックに搭載して機械式冷凍機を用いて4 Kまで冷却し、810 GHzにおいて性能評価を行った。この冷凍機は可搬型望遠鏡の受信機として設計されたものであり、液体ヘリウム冷却による性能評価と比べてより宇宙観測への応用に近い環境での測定である。

HEBミクサは機械式冷凍機による冷却でも良好な超伝導特性を示し、またこの特性は4回の冷却サイクルで再現性を示した。810 GHzの局部発振源(LO)を用いてY-factor法による雑音温度の測定を行ったところ、最高でY-factor 0.7 dB, 受信機雑音温度1200 K (DSB)を記録した。この値は800 GHz帯における既存の報告例と比べて最高ではないものの、諸条件を考えれば遜色は無く、観測への適用を見据えた環境での結果として特筆できるものである。

HEBミクサの動作範囲を詳しく調べるため、バイアス電圧、局部発振電力に対する依存性を測定した。同じ温度においてバイアス電圧、局部発振電力を幅広く変化させて測定した結果、受信機性能は局部発振電力の微小な変化に対して鋭敏に変動し、一方でバイアス電圧の変化には比較的鈍いことが明らかになった。このことから、局部発振電力の制御が安定な動作のために不可欠であることがわかった。

また冷凍機の温度を少しずつ上げてミクサ性能の温度依存性の測定を行った。その結果、4.0 Kから7.5 K程度までは、局部発振電力を調整してバイアス電流を最適化することにより、ほぼ一定の性能を与えることがわかった。一方、7.5 K 以上では、性能は急速に悪化する傾向が見られた。このことは、HEBミクサの性能は、4 K付近において、温度に極端に敏感ではないことを意味する。これは宇宙観測を考えたとき実用上、大きな利点と言える。性能の温度依存性は、古典的なHEBミクサ理論と矛盾しない。即ち、温度を上げる効果と局部発振電力を加える効果は超伝導の破壊という点で同等であり、ミクサ性能に同様に寄与することが示された。

今後、NbTiN薄膜の膜厚を薄くすること、HEBミクサの入力回路のインピーダンス整合を図ることなどによって、性能向上が期待される。

図1:製作したHEBミクサ素子のY-factorのI-V平面における分布

図2:製作したHEBミクサ素子の受信機雑音温度の冷却温度に対する依存性、および古典的モデルに基づくフィッティング(Tc = 10.0 Kと仮定)

審査要旨 要旨を表示する

この論文は、近年注目されているテラヘルツ帯電波の宇宙観測に有利な超伝導ホットエレクトロン・ボロメータ(HEB) ミクサの独自の製法にもとづく開発、およびその性能を古典的なHEB ミクサ理論と比較した結果について述べたものである。

論文は6 章からなり、第1 章はテラヘルツ帯電波の宇宙観測についての解説が、第2 章は超伝導HEB ミクサの概要が、第3 章では製作のための各種装置と独自の工夫について、第4 章では超伝導HEB 素子の製作法について、第5 章では試作した素子の性能について、そして第6 章で結論が述べらている。

周波数300 GHz から3 THz(波長1 mmから0.1 mm)の電磁波はサブミリ波と呼ばれ、近年、宇宙観測において注目されている帯域である。なかでも、テラヘルツ帯は未開拓な領域として残されている。この領域には、星間雲の物理的、化学的な状態を調べる上で重要な役割が期待されるC+、C、O、N+ などの微細構造遷移輝線や、CO分子の高励起回転スペクトル輝線などが存在する。また星形成領域近傍などの高密度領域の化学組成を調べる上で鍵となるCH、OH、H2D+、HD2+などの基本的な分子の放射が存在する。テラヘルツ帯の宇宙観測は、これまで漠然と捉えられてきた基本的星間現象の理解を大きく促進するものと考えられる。

しかし、テラヘルツ帯の宇宙観測はこれまで非常に限られている。その主な原因は、テラヘルツ帯における受信機技術が未成熟な点である。ミリ波帯、サブミリ波帯では、Nb を用いたSIS ミクサ受信機が広く使われているが、700 GHz 以上の周波数ではNb 自体の吸収による損失のため性能を発揮できない。従って、新しい原理に基づく受信機開発が不可欠であり、世界的競争が繰り広げられている。

超伝導HEB ミクサは、テラヘルツ帯でのヘテロダイン検出器の最重要要素として最も期待されているものである。HEB ミクサは超伝導体による電磁波の吸収を利用してミクサ動作を行うもので、SIS ミクサと異なり動作可能な上限周波数が原理的に存在しない。

このような背景の下に、論文提出者は、NbTiN を用いてテラヘルツ帯における宇宙観測に用いることができるHEB ミクサ受信機を開発した。

その製作にあたっては、1 μm未満の微細構造の製作、高品質の超伝導薄膜の成膜などの要素技術をまず開発し、Au、Ti、NbTiN の三層一体成膜と、リフトオフ法-エッチング法を併用した構造形成からなる独自のプロセスで行うという、独自の方法論を確立した。

また、製作したHEB ミクサ素子を導波管ミクサブロックに搭載して可搬型機械式冷凍機を用いて4 K まで冷却し、810 GHz において性能評価を行い、最高でY-factor 0.7 dB, 受信機雑音温度1200 K (両側ヘテロダイン) という良好な結果を得ている。

さらに、HEB ミクサのバイアス電圧、局部発振電力、および温度に対する依存性を測定した。その結果、温度を上げる効果と局部発振電力を加える効果は超伝導の破壊という点で同等であり、ミクサ性能に同様に寄与することが示された。これらの特性の詳細な測定は、古典的なHEB ミクサ理論と比較され、今後のHEBミクサの開発に明確な指針を提供することができた。

以上に述べたように、この論文は、超伝導ホットエレクトロン・ボロメータ素子の製作において新たな方法論を確立し、素子の運用条件に対する性能の依存性を把握し、古典的なHEB ミクサ理論と比較することにより、今後の素子の開発に大きく貢献しこれまで未開拓であった、テラヘルツ帯の宇宙観測の展望を開くものである。

この論文は、学問的に大変有用なものであり、また論文提出者の独創性も十分であると認められる。また、この論文は開発グループの他の共同研究者との共同研究に基づくものであるので、論文提出者がどのような主導的な寄与があったのか審査委員会において念入りに審査した。その結果、全般的に論文提出者が中心となり行なった研究であることから論文提出者の主導性が十分であると判断した。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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