No | 123223 | |
著者(漢字) | 松尾,衛 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | マツオ,マモル | |
標題(和) | カイラル凝縮体と中間子励起の量子運動論 | |
標題(洋) | Quantum kinetic theory of the chiral condensate and meson excitations | |
報告番号 | 123223 | |
報告番号 | 甲23223 | |
学位授与日 | 2008.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5104号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本研究ではカイラル凝縮体と中間子励起の混在する非平衡系の時空発展を記述するための量子運動論を定式化し、平衡状態近傍におけるカイラル凝縮体と中間子励起の分散関係および南部・ゴールドストンモードの伝播速度の温度依存性を調べる。 宇宙開闢直後に実現されていたとされる物質の原始状態「クォーク・グルオンプラズマ」を生成し、宇宙の膨張と共にいかに変化したかを探ろうとする実験が、現在、アメリカのブルックヘブン国立研究所でRHIC と呼ばれる重イオン衝突型加速器によって行われている。クォーク物質の多様な物性に関する研究は、純理論的興味に留まることなく、実験と理論とが互いに刺激しあうことで、活気を帯びている。 クォークおよびグルーオンの動力学を記述する基礎理論は量子色力学である。量子色力学には結合定数が高エネルギーにおいて弱くなる、漸近的自由性がある。低エネルギーではクォークやグルーオンは強く結合しており、カラーの閉じこめられた状態にある。一方高エネルギーでは漸近的自由性により結合は弱まり、クォーク、グルオンがばらばらになったプラズマが生成され、カラーの非閉じこめ状態が実現される。このカラー閉じこめ・非閉じこめ相転移とほぼ同時にカイラル相転移が起こると考えられている。量子色力学の基底状態ではカイラル凝縮体が生じ、カイラル対称性は自発的に破れている。一方、超高温高密度下では、凝縮体は融解し、カイラル対称性は回復すると考えられる。高エネルギー重イオン衝突実験において、ほぼ光速にまで加速された原子核が衝突直後、超高温高密度状態のクォーク・グルオンプラズマを生成し、カイラル凝縮体は融解する。その後、系の膨張・冷却に伴いカイラル凝縮体が再び生成され、大量の中間子を含むハドロンガスが飛散する。重イオン衝突実験におけるこの終状態では、カイラル凝縮体生成に、実験で観測されるハドロンガスがどう影響するかを調べることが大切となる。 この研究の目的は、高エネルギー重イオン衝突実験における終状態の非平衡動力学をカイラル相転移と密接に関連させながら記述することである。 我々はカイラル相転移を次のような物理的描像でとらえている。高エネルギー重イオン衝突で一旦回復したカイラル対称性が、系の膨張・冷却によって再び自発的に破れ、カイラル凝縮体が生成される過程は、磁気的に捕獲されたアルカリ原子の希薄ガスがレーザー・蒸発冷却によってボース・アインシュタイン凝縮を起こす過程に非常によく似ていると考えられる。後者の場合の凝縮過程は、ボース凝縮体と非凝縮体の混在・相互作用する系における非平衡緩和過程として、その動力学を量子運動論の立場から論じた研究がなされている。このアナロジーとしてカイラル相転移をカイラル凝縮体(古典的平均場) と非凝縮体(量子揺らぎ) の混在・相互作用する系の非平衡過程と捉え、カイラル相転移の時空発展を量子論的な性質とともに記述するための、凝縮体の従う流体方程式と、非凝縮体の従う量子運動論の方程式を導出する。特に、量子色力学の低エネルギー有効理論として、中間子場に関する線形σ模型を用いて、凝縮体と非凝縮体がそれぞれ従う、流体方程式と量子運動論の方程式を導出する。 本論文では、まず1 成分実スカラーφ4 模型を用いて、我々の手法の概要を説明した後、量子中間子場に関するO(2) 対称性を持つ線形σ模型を用い、平衡状態におけるギャップ方程式の解の振る舞い、および系の集団運動の量子論的性質を調べる。カイラル凝縮体と中間子励起の量子運動論の方程式を導出するためには、量子中間子場を古典的な平均場(カイラル凝縮体) と量子ゆらぎ(中間子励起) に分離する。平均場の従う古典的な方程式は、量子中間子場のKlein-Gordon 方程式を平均場近似することによって得られる。量子ゆらぎに対しては、あらたに生成消滅演算子を導入し、生成消滅演算子の2 次形式の期待値であるWigner 関数を定義する。Wigner 関数は通常扱われるようなhayai だけではなく、haai の形の2 次形式もの含めて一般化してある。この一般化したWigner 関数から中間子励起に対するVlasov 方程式が導出される。 こうして得られたカイラル凝縮体に関する古典場の方程式と、中間子励起に対するVlasov 方程式は、平衡状態では、この方程式系は、Hartree近似の枠内でよく知られたギャップ方程式となる。1 成分実スカラーφ4 模型、O(2) 模型のいずれの場合もギャップ方程式の解からは我々の手法によればカイラル相転移は1 次相転移となることが示される。 一般に連続対称性が自発的に破れた系ではGoldstone の定理より質量ゼロのモードが現れる。しかし、ここで用いた平均場近似の枠内では、ギャップ方程式を解いて得られる中間子質量は、ゼロにはならないため、Goldstone の定理が破れたように見える。我々の手法では、この失われた南部・ゴールドストンモードは、系の集団運動の分散関係から音波モードとして回復できることが示される。 実際に分散関係を調べるために、上で導出した量子運動論の方程式系を、平衡状態からの微小な変位について線形化する。この線形化した方程式から得られる分散関係は同じA4 乗型の相互作用する実スカラー場を用いても、1 成分か多成分かで決定的な違いが現れることが分かった。1成分の場合、分散関係の解には集団励起として音波モードが存在しない。これは元々の模型に連続対称性がないため、Goldstone の定理の破れは問題とならない。一方、O(2) 模型では、本質的に2 種類の分散関係が得られる。 O(2) 模型の場合に得られる分散関係の一つはσモードに関する式であり、もう一方はπモードに関する式である。σモードの分散関係からは音波モードは現れず、長波長極限で質量ギャップをもつようなモードのみが現れる。一方πモードの分散関係からは音波モードが現れる。この音波モードこそが、ギャップ方程式の解からは得られなかった「失われた」南部・ゴールドストンモードに他ならない。この音波モードの速度を温度の関数として計算したところ、温度がゼロの極限では光速に一致し、相転移点近傍では速度がゼロに近づくことが分かった。 本研究で提示した手法の特徴は、カイラル相転移の平衡系と非平衡系を統一的に扱える点にある。これは、大変複雑な非平衡現象である高エネルギー重イオン衝突実験からカイラル相転移の性質を引き出すために重要な特徴であると考える。 | |
審査要旨 | 本論文は4章と補遺A、Bからなる。 第1章は、イントロダクションであり、研究の背景と目的について述べられている。宇宙初期に実現されていたとされるクォーク・グルオンプラズマを生成し、その性質を探ろうとする実験がアメリカブルックヘブン国立研究所のRHICと呼ばれる重イオン衝突型加速器を用いて行われている。強い相互作用の基礎理論である量子色力学(QCD)においては、低温では閉じこめ、カイラル対称性が自発的に破れた相が実現するが、高温では非閉じこめ、カイラル対称性が回復した相が実現すると考えられている。本研究の目的は、高エネルギー重イオン衝突実験における終状態の非平衡動力学を平衡状態におけるカイラル相転移との関係を明らかにしながら記述することにある。 第2章では、まず、1成分実スカラーφ4模型を用いて、論文提出者らの定式化の概要を説明した後に、平衡状態における相転移を調べている。論文提出者らは、量子中間子場を古典的な平均場(カイラル凝縮体)と量子ゆらぎ(中間子励起)に分離する。量子ゆらぎに対しては、生成消滅演算子を導入し、生成消滅演算子の2次形式の期待値で与えられるWigner関数を定義する。Wigner関数は、だけでなく 第3章では、論文提出者らの定式化を0(N)線形シグマ模型に拡張し、平衡状態における相転移及び系の集団運動の量子論的性質を調べている。定式化の拡張は、ほとんど自明であり、カイラル相転移の次数は、第2章における1成分スカラー模型の場合と同様に、1次となる。一般に連続対称性が自発的に破れた系ではGoldstoneの定理の帰結として質量ゼロのモードが現れる。しかし、本論文で用いられた平均場近似の枠内では、ギャップ方程式を解いて得られる中間子の質量はゼロにはならずGoldstoneの定理が破れているように見える。論文提出者らは、系の集団運動の分散関係から、ゴールドストーンモードが音波モードとして回復されることを示した。さらに論文提出者らは音波モードの速度を計算し、温度がゼロの極限では光速に一致し、相転移近傍ではゼロに近づくことを示した。 第4章では、これまでの内容のまとめと将来への展望が述べられている。現在の定式化を非平衡状態に適用することが重要な課題である。 補遺A、Bでは、煩雑になるのを避けるために本文中では省略した式の導出等を、それぞれ、1成分実スカラーφ4模型、0(N)線形シグマ模型の場合に陽に与えている。 論文提出者らによる定式化は、カイラル相転移の問題において、古典的な平均場とそのまわりの量子ゆらぎを平衡系においても非平衡系においても矛盾なく同時に記述することが可能な点で新しく、重イオン衝突実験における終状態の理論的理解のために重要であると思われる。この定式化を用いて本論文で論文提出者が示したことは、他の定式化を用いて既に知られていることではあるが、定式化の正しさをチェックするためには必要である。今後の非平衡状態への適用が重要な課題である なお、本論文第2章及び第3章は、松井哲男との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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