学位論文要旨



No 123225
著者(漢字) 大平,賢司
著者(英字)
著者(カナ) オオヒラ,ケンジ
標題(和) 化学ゲルのゲル化過程の非平衡ダイナミックスと不均一構造
標題(洋) Non-equilibrium Dynamics of Chemical Gelation Process and Inhomogeneous Structure
報告番号 123225
報告番号 甲23225
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5106号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐野,雅己
 東京大学 教授 常行,真司
 東京大学 教授 土井,正男
 東京大学 教授 柴山,充弘
 東京大学 准教授 川島,直樹
内容要旨 要旨を表示する

化学ゲルのゲル化過程においては、分子間結合の不可逆性によって、ゲルネットワーク構造の凍結が生じる。この凍結された構造は、不均一構造としてゲル内に残存し、ゲルのマクロな性質に影響を及ぼす事が知られている。この不均一構造がゲル化の過程でどのように生じ、どのような分布を持って存在するかを明らかにすることは非常に重要な課題である。この不均一構造はゲル化過程において記憶された構造であり、この性質を明らかにするには、ゲル化のダイナミクスの研究が不可欠である。このダイナミクスは非平衡で複雑な不可逆凝集過程であり、数値計算を用いた研究が非常に有効である。

本研究では、化学ゲルの中でもモノマー架橋ゲルと呼ばれる、重合初期状態がモノマー溶液である系に注目し、その中でもクラスター内部の運動がゲル化に影響を及ぼす「柔らかいゲル化」の系について行った研究である。この系では、クラスターの凝集ダイナミクスがゲルの構造に非常に強く影響し、不均一構造が顕著に現れる系である。さらに、柔らかいゲル化と比較される「堅いゲル化」と呼ばれる系では、クラスターの並進拡散のみによって凝集を行う、拡散律速クラスター凝集(Diffusion-Limited Cluster Aggregation; DLCA)モデルが系をよく再現していることが知られている。このモデルとの比較を行い、クラスター内部の運動がゲル化に及ぼす影響について考える。また、柔らかいゲル化のダイナミクスによって、どのような性質をもつ不均一構造を形成するかなどを明らかにする。

まずは、柔らかいゲル化の数値計算モデルである「柔らかいゲル化モデル」の構築を行った。モデルの詳細は、以下の通りである。格子定数1の2 次元正方格子上に一辺の大きさ2 の正方形のモノマーをいくつかランダムに配置させる。それぞれのモノマーの進む方向は、上下左右の4 方向をランダムに選び、選ばれた方向に1格子分だけ動かす。これによって、それぞれのモノマーはランダムウォークし、拡散する。なお、モノマーは排除体積をもち、モノマー間で重なることはないものとする。さらに、2 つのモノマーが近づき、モノマー間距離laが、〓になったときにボンドを結び、合体・凝集し、それぞれのモノマーは反応基を4 つもつものとした。凝集後のクラスターに属するモノマー間にはボンドが形成される。ボンドは延びることのできる長さlbが決まっており、〓となるような可動範囲内で、ボンドに拘束されたモノマーはランダムウォークを繰り返す。これにより、クラスター間凝集とクラスターの並進拡散、ボンドに拘束されたモノマーの運動がモデル化できる。このモデルは、パラメータがモノマー濃度φ ただ一つであり、非常にシンプルなモデルとなっている。

この柔らかいゲル化モデルを用いて、2次元格子上で様々な濃度で数値計算を行い、さらにシステムサイズLを変化させて計算を行った。シミュレーションのスナップショットを図1に示す。さらに、様々な初期状態からシミュレーションを行い、ゲル化を判定することで、ゲル化確率P8(φ,t)を各時間tにおいて計算した。この結果から、各時間において有限サイズスケーリングを行うことで、ゲル化閾値の時間変化φc(t)を得ることができた。これにより、DLCA では存在しなかったゲル化臨界濃度φg=φc(t->∞)の存在を明らかにすることができた。一方で、各濃度において、ゲル化前に生成されるクラスターのフラクタル次元df(φ)を計算したところ、その振る舞いがDLCA のものと一致することが分かった。これらの結果から、柔らかいゲル化においては、初期凝集過程においてDLCA 凝集と等価なダイナミクスを示し、その後、後期凝集過程においてクラスター内部の運動によるクラスター内凝集が進むことで、ゲル化臨界濃度が発現されることがわかった。

一方で、ゲル化閾値付近での特性を調べることは、パーコレーション理論との比較において非常に興味深い。各濃度におけるゲル化時間tg(φ)近傍でクラスターサイズ分布を測定したところ、べき分布を示し、その指数の値が、2次元パーコレーションで得られる値と一致することがわかった。この結果は、実験結果を支持しており、凝集ダイナミクスモデルを用いてもパーコレーションを再現することが可能であることを示した。

最も興味深いのは、ゲル化後に生じる不均一構造の性質である。柔らかいゲル化においては、後期凝集過程でクラスター内凝集が支配的となる。これによって生じる不均一構造は、構造不均一性と呼ばれる網目密度が空間的に不均一な構造をとり、多孔質構造となることが分かった。そこで、空孔サイズ分布P(sp)を十分凝集の進んだt=1000において解析したところ、2つの特徴的なサイズスケールSpcとSp*の存在が明らかとなった。このサイズスケールによって、不均一構造に階層性があることが明らかとなり、SpSp*では均一な構造、のようになることがわかった。さらに、Sp*がゲル化閾値φcにおいて発散する様子が観測され、その指数は平均場パーコレーションに近い値をとることが分かった。最後に、ゲル化しない濃度φ<φgにおけるクラスターサイズ分布P(s)の解析を行い、その特性を調べた。φ<<φgにおいてはP(s)は対数正規分布をとり、φ=φgでは、大きいクラスターサイズへ広がった分布をとることがわかった。これは、実験結果を定性的に支持しており、柔らかいゲル化モデルの妥当性を示すことができた。

図1;ゲル化過程のスナップショット。モノマー濃度 (a)φ=0.1,(b)φ=0.3におけるボンド形成の時間変化を示している。黒線は形成されたボンドを示し、黒点はこの系における最大のクラスターに属するモノマーを示している。低濃度(a)では、十分凝集が進んだt=1000において、ゲル化することなく様々な大きさのglobular なクラスターが形成されることがわかる。高濃度(b)では、t=10でフラクタルなクラスターが系全体に広がり、ゲルを形成している。さらに、ゲル化後もクラスター内部で凝集が進み、不均一構造が形成されている(t=1000)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、化学ゲルの生成過程における非平衡ダイナミクスと空間構造に関する数値的研究をまとめたもので、全5章64頁からなる。第1章はイントロダクションであり、ソフトマターの一種であるゲルの性質やその形成過程の概要、ゲル化過程の分類について述べている。その中でも特に化学反応で形成される化学ゲルに着目し、その架橋過程の違いからモノマー架橋ゲルとポリマー架橋ゲルに分け、前者に焦点を当てている。モノマーから架橋を開始するモノマー架橋ゲルは、拡散律速クラスター凝集(Diffusion Limited Cluster Aggregation:DLCA)による凝集ダイナミクスが支配的になることから従来、ゲル化点付近ではパーコレーション理論との関係が議論されてきた歴史的背景について述べている。一方、高分子ゲルの形成プロセスにおける動的光散乱実験の結果から、モノマー架橋ゲルについては、架橋濃度の増大により構造の不均一性が顕著になることが知られており、著者はこの不均一性が現れる機構に着目している。その上で、著者はモノマー架橋ゲルを堅いゲルと柔らかいゲルの2種類に概念的に分類することを提案している。堅いゲルとは、コロイド溶液からのゲル化に見られるように、クラスターの凝集過程でクラスターの内部運動が殆どなく、並進運動のみでクラスターどうしの凝集が進みゲル化が起こるものを指す。一方、柔らかいゲルとは、クラスターの内部運動が存在し、クラスターの凝集過程でクラスターの変形が起こるものを指す。著者はゲルにおける不均一構造の形成が柔らかいゲルの性質であると予想し、柔らかいゲル化のダイナミクスを数値計算により明らかにすることをこの章で述べ、本研究の全体像を示している。

第2章では、従来のゲル化理論のモデルを紹介し、その歴史的背景と結果の概要を述べている。パーコレーション理論、Smoluchowski方程式、DLCAなどについて述べ、堅いゲルのモデルと考えられるDLCAモデルにおいては、クラスター凝集によりクラスターがフラクタル構造となるため、ゲル化点近傍ではモノマーの平均空間密度がゼロに漸近し、ゲル化が起こるモノマーの臨界濃度は理論的にゼロとなることを述べている。

第3章では、著者の考案による柔らかいゲルのモデルの紹介を行い、アルゴリズムの骨子と基本的な条件などについて述べている。モノマー粒子を2次元格子上で拡散させ、ある距離以内にある2つのモノマーはボンドで結合する。ボンドはある距離範囲で伸縮を許し、ランダムに選んだモノマーのランダムウォークを繰り返すことでモノマーとクラスターの凝集・拡散を実現するのが本論文で扱うモデルである。

第4章は、著者が提案した柔らかいゲル化モデルの数値計算の結果とその考察であり、本論文の主要な結果について述べている。準備としてゲル化を判定するため、クラスターがパーコレートしたことを識別する新しいアルゴリズムの提案を行っている。これは系が周期性境界条件を持つ場合に適用可能なグラフ理論を使った手法であり、新規性がある。その上で数値計算を実行し、システムサイズを変化させてゲル化を判定し、有限サイズスケーリングを行うことで、DLCAでは存在しなかったゲル化臨界濃度が存在することを始めて見出している。一方で、各初期濃度においてゲル化前に形成されるクラスターのフラクタル次元を測定し、それがDLCAのものと一致することを確認している。このことは、柔らかいゲルにおいては、初期凝集過程においてDLCA凝集と等価なダイナミクスを示し、その後、凝集後期過程においてクラスター内部の運動によるクラスター内部凝集が進むことでゲル化臨界濃度が生じることを示している。特筆すべきは、ゲル化後に生じる不均一構造の性質を明らかにしたことである。十分に凝集が進んだ時刻におけるクラスター内の空孔サイズ分布を調べたところ、2つの特徴的な長さのスケールが存在することを見出された。短いスケールでは均一構造が、中間的スケールではゲルネットワークにより作られた空孔が支配的となる多孔質構造が、大きなスケールでは均一な構造が存在した。これらの結果は、実験で観測されたゲルの不均一構造の原因が、柔らかいゲルの形成過程に一般的に現れる性質であることを示唆する結果であり、新しい知見である。第5章は、まとめと今後の展望である。

以上、本論文は柔らかい化学ゲルの形成過程の新しいモデルを提案し、従来の知見を超える成果を与えている。本論文の結果の一部はすでに論文として出版されており、指導教官の甲元眞人氏、佐藤昌利氏との共著であるが、論文提出者が主導してモデルを考案し解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって博士(理学)の学位を授与できると認める。

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