No | 123226 | |
著者(漢字) | 久保木,浩功 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | クボキ,ヒロノリ | |
標題(和) | 2H(d,pn) 反応での陽子-中性子スピン相関測定 : ベルの不等式の検証に向けて | |
標題(洋) | Measurement of proton-neutron spin correlation via 2H(d,pn) reaction : towards a test of Bell's inequality | |
報告番号 | 123226 | |
報告番号 | 甲23226 | |
学位授与日 | 2008.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5107号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 1935年、Einstein、Podolsky、Rosen(EPR)が"量子力学は不完全な理論である"として疑問を投げかけた話は有名である[1]。EPRの言う完全な理論とは以下の2つの性質を持つ。 ・全ての物理的実在要素は完全な理論の内に対応する物理量を持つ ・系の状態を乱すことなく、完全な理論によって確率1で、ある物理量を予言できるとすればその物理量に対応した物理的実在が存在する BohmはEPRの主張を再解釈し、2粒子系のスピンを例に出してEPRの言う量子力学の不完全さを説明している[2]。 2粒子をそれぞれ粒子1、粒子2とする。量子力学では、例えば粒子1のスピンのx成分を測定すれば、粒子2のスピンのx成分は粒子2の測定を行なわなくても決定する。同様の測定をx、y、z成分で行なえば、粒子2のスピンの全ての成分は確率1で予言できる、すなわち全てのスピン成分は実在である。しかし、量子力学では複数のスピンの成分は同時に決定できない、ゆえに量子力学は不完全な理論である、と結論づけている。 さらにClauser、Shimonyは、EPRの主張は次の性質を持つ局所実在論の上に成り立っている、と説明している[3]。 ・局所性:2つの系が空間的に十分離れていて、かつ2つの系の問で相互作用がないとき、片方の系で何が起ころうとも、もう片方の系には影響を及ぼさない ・実在性:系が乱されることがないとき、ある物理量が確率1で予言できるとすれば、その物理量に対応する物理的実在が存在する 多くの科学者が、量子力学の予言値を全て再現するような理論を、局所実在論で記述しようとした。物理的実在を記述する"隠れた変数"を導入することで、局所実在論は量子力学と一致した予言をすると期待された。 これに対しBellは、"2粒子のスピンの相関は、量子力学の予言の方がいかなる局所実在論の予言よりも強くなる場合がある"ことを示した。これがベルの不等式である。2つの偏極度計のスピン測定軸間の角度をΦとして、2粒子のスピンの符号の積の期待値をスピン相関関数0(Φ)として定義する.量子力学の予言値CQMは局所実在論による予言値CLRTが取り得る上限値よりも大きい値を取る場合がある、ということである。ベルの不等式の発見により、局所実在論の破れを実験的に検証することが可能になった。 これまでベルの不等式を検証する実験がいくつもなされており、そのほとんどが量子力学を支持するものである。検証実験は、スピンの向き(偏光)を測定することの容易さから、主に光子対を用いて行われており、ハドロンを用いた実験は例が少ない。さらに不等式の破れを検証するまでに至った実験は2例しかなく、双方とも2陽子対を用いた実験である。 我々はハドロンの異粒子の系でベルの不等式を検証するため、陽子一中性子対のスピン偏極相関測定実験を行った。(d,pn)反応を用いてスピン一重項1So状態の陽子一中性子対を生成し、それぞれの偏極を測定することでスピン相関関数Cexp(φ)を得た。中性子は電荷を持たないため、磁石により陽子と中性子の経路を分離する事ができる。したがって2つの偏極度計も空間的に離すことが可能になり、2つの偏極度計問でスピンの向きの情報伝達がない空間分離を実現した。実験は理化学研究所加速器施設で行った。270MeVの重陽子ビームを液体重水素標的に照射し、2H(d,pn)反応によって陽子一中性子対を生成した。測定角度は陽子、中性子共にθ1。Olab=0である。陽子は磁気スペクトロメータSMARTにより運動量分析され、第二焦点面に設置された陽子偏極度計EPOLにて偏極測定された。中性子は標的より下流18mに設置された中性子偏極度計SMART-NPOLによって偏極測定された。中性子のエネルギーは飛行時間測定法によって得られた。陽子偏極度計の有効偏極分解能.4誼の値は、本実験での陽子の典型的なエネルギーEp=133MeVにおいて、.Ap(eff)=0.183±0.003(sys)[4]、中性子偏極度計の有効偏極分解能はAn(eff)=0.26±O.01(stat)±O.03(sys)[5]である。陽子偏極度計と中性子偏極度計は6m離れて設置されており、各々のスピン偏極の情報が他方に伝わるには光速でも20nsecかかる。解析上で陽子検出と中性子検出の時間差が±9nsec以内の事象だけを選択しており、偏極度計問でスピンの向きの情報伝達がない状態を実現できた。1So状態の選定は、陽子と中性子の相対運動エネルギーE(rel)を選択することで行った。E(rel)<0.14MeVの領域を選択することにより、1so状態の純度は95±9%であった[6]。 実験で得られるスピン相関関数C(exp)(φ)は〓と表される。ここでLR等はEPOLで左散乱、NPOLで右散乱した事象数を示す。Ap(eff)は陽子エネルギーに強く依存するので、事象毎にAp(eff)の値を考慮してLR等の計数を導出しなければならない。Ap(eff)=AspとなったときのLR事象を全てのiで平均化するため、 LR(A)=LR事象についてAipという重みをつけて足し上げたもの、 LR(A2)=LR事象について(Aip)2という重みをつけて足し上げたもの、 という量を導入した。An(eff)エネルギー依存性は小さいので、An=An(eff)=const.である。得られたCexp(φ)は、ベルの不等式と量子力学の予言値の差が最大となるφ=45。でCexp(45。)=-0.81土0.57stat±0.14sysの値が得られた。スピン相関関数を導出する際に、1.偏極度計の偽非対称度、2.偶然同時事象の寄与、を補正した。偽非対称度〓(L、Rはそれぞれ左散乱、右散乱した事象数)は偏極度計の検出効率、立体角の非一様性に起因する検出器固有の非対称度である。陽子、中性子偏極度計の偽非対称度をそれぞれδp、δnとして、偶然同時事象を用いて各Φのビン毎に見積もった。δP=0.01~0.06、δn=-0.06~0.10であった。また、偶然同時事象の寄与は陽子検出と中性子検出の時間差情報から見積もることができる。真の事象数をNtrue、偶然同時事象数をNacc、Ntot=Ntrue+Naccとして、α=Nacc/Ntotを定義し、α=0.28±0.01と見積もられた。系統誤差は有効偏極分解能の統計誤差・系統誤差に起因する。 スピン相関関数Cexp(Φ)をベルの不等式(CHSH型)と比較するためSexp(Φ)=cosΦ-cos3Φ+cos(-Φ)+cosΦという量を導入した。不等式の上限値(SLRT)max=2との差が最も大きくなるΦ=45。においてSexp(45。)=3.47±1.80stat±0.43sysの値が得られた。実験値と不等式の上限値=2との差は統計誤差の0.8σに相当する。スピン相関関数を導出するのに用いた事象数は2.9×103である。 Φ=45。において局所実在論と量子力学のスピン相関関数C(45。)の差CLRT(45。)-CQM(45。)=O.21を1σで破れを検証するための統計量瓦。NtotはAp(eff)、An(eff)、αに依存する。文献[7]によればEp=200MeVのとき.Ap(eff)~0.5という値を取るので、系のエネルギーを200AMeVに上げることによる.Ap(eff)の値の向上が最も有効であるという結論が得られた。これにより、1σで破れを検証するのに必要な統計量が、本システムでは瓦。Ntot=2.3×104であるのに対し、200AMeVの系ではNtot=3.O×103となる(αが本測定と同程度だとする)。また、系のエネルギーを上げることで偏極度計のエネルギー分解能、立体角の条件が悪化する。本実験では中性子偏極度計が分解能、立体角を制限していたため、主に中性子偏極度計のジオメトリの再構成が必要になる。次段階としてAn(eff)の12%もの系統誤差を減少させることが課題となる。本測定で用いているAn(eff)の値は、(d,n)反応を用いて偏極度が既知の中性子ビームを生成して較正された。出射中性子のベクトル偏極Pnは重陽子のベクトル偏極Py、テンソル偏極Pyyを用いて以下のように書ける。 ここでKyyはそれぞれ偏極移行係数、テンソル偏極分解能である。Ed=270MeV、0。の測定ではKyy→2/3、Ayy→0となることを用いているAn(eff)の系統誤差0.03は主にKyyの5%の誤差によるものである。偏極移行量が2%以下で測定されている2H(p,n)反応[8]を用いて中性子偏極度計を較正することでAn(eff)の系統誤差を2%に減少させることができる。 統計誤差、系統誤差を小さくしていくと1soの純度の誤差が無視できなくなる。現在の手法は、純度が負になる、もしくは100%を越えるような非物理的状態も許容して純度を見積もっている。誤差分布を正しく評価することで純度の誤差を小さくできる。 | |
審査要旨 | 本論文は6 章からなり、その研究内容は、量子力学と局所実在論の予言の違いを示すベルの不等式の破れを、異なるハドロン対陽子と中性子のスピン相関測定により実験的に検証することを目指したものである。 第1 章(序章) では、EPR (Einstein, Podolsky, Rosen) パラドックスに始まる、量子力学と局所実在論の内容の概説、スピン相関によるベルの不等式の破れ検証のための実験条件、特にハドロンを用いたこれまでの実験結果に関する測定の紹介と評価、および本研究の目的、特徴および実験手法が論じられている。ハドロンのスピンを用いた不等式の破れの検証に成功した陽子対の実験では、2 つの陽子のスピンを同じ検出器(偏極度計) で測定しており、陽子間の情報交換の可能性を否定できなかった。論文提出者等は、陽子と中性子という異なるハドロンを、十分に距離を離した独立な偏極度計でそれぞれ測定すること(空間分離) でこの可能性の否定をはかった。陽子に対する偏極測定軸が実験室に固定されていることにより、測定軸をスピンの軸と無相関にできないという欠点をもつが、これまで、異なるハドロン系の測定も、空間分離の条件を満たした測定もなく、この研究の独創性は高く評価される。本研究では、スピンを0 に組んだ、1S0 陽子-中性子対を、入射エネルギー270 MeVの2H(d, pn) 反応によって生成した。陽子-中性子対の重心を並進させることにより、偏極測定の効率を高め、また、それらの相対エネルギーの小さい領域を使うことで、1S0 成分の純度を高めている。こうした実験手法は、これまで学位申請者等により開発されたもので、実験の信頼度の高さを裏付けるものとして評価される。 第2 章では、具体的な実験の内容が記述されている。実験は中間エネルギー重陽子ビームが得られる理化学研究所において行なわれた。サイクロトロンによって270MeV に加速された偏極重陽子ビームを重水素標的に照射し、生成された陽子のスピンは、高分解能磁気分析器SMART の焦点面に設置された陽子偏極度計(EPOL)で、中性子のスピンは、ビーム軸の延長線上18m 下流に設置された中性子偏極度計(NPOL) で測定された。これらのセットアップは、上記の空間分離の条件が満たされていることが特筆される。 第3 章で、得られた実験データの解析が述べられている。個々の検出器の較正に基づき、EPOL およびNPOL の有効偏極分解能の最適化が行われ、それぞれ、0.183 ± 0.003stat ± 0.003sys および0.26 ± 0.01stat ± 0.03sys と求められた。また、陽子と中性子の同時計測は、偏極度計間の情報交換に要する時間以下の±9 nsec 以内の事象が選択された。セットアップに起因するそれぞれの偽非対称度が約2%程度であると評価された。陽子、中性子の相対エネルギーが0.14 MeV 以下の事象をとることで、1S0 状態の純度95±9 % が得られた。学位申請者は、実験データからえられる結果の最適化のため、こうした解析を注意深くなしとげ、実験研究者としての能力を示している。 第3 章による解析にもとづいた結果が第4 章で述べられている。スピン相関関数Cexp(Φ) は、ベルの不等式と量子力学の予言値が最大となるΦ=45。で-0.81 ±0.57stat±0.14sys であった。CHSH型の不等式で用いられるS(Φ) =cosΦ-cos 3Φ+cos(-Φ) + cosΦが見積もられ、Φ = 45で、3.47±1.80stat ±0.43sys が得られた。 第5 章では、得られた結果に関する議論が記述されている。CHSH 型の不等式の上限値2 との差は、0.8 σ (統計誤差) に相当し、有意な破れを検証することはできなかった。学位申請者は、有意な破れの検証のため、(a) 核反応の入射エネルギーを400 MeV として、陽子の偏極分解能を2.5 倍にして統計精度を高め、(b) 系統誤差の主要因である、中性子の偏極分解能を系統誤差の小さい実験により較正する、という2 点の改善点を提案している。これらの具体的な提案は、本研究でえられた定量的データに裏付けられたものであるという点で評価されるべきものである。 上述の内容は、第6章にまとめられ、将来の展望が述べられている。 以上のように本研究は、陽子中性子対を用いたベルの不等式の検証実験を実際に遂行し、有意な不等式の破れの検証実験の実現可能性を定量的に評価したものであり、この分野の今後の研究に貢献するものである。 なお、本論文は共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 従って、博士(理学) の学位を授与できると認める。 | |
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