学位論文要旨



No 123236
著者(漢字) 五十嵐,悠一
著者(英字)
著者(カナ) イガラシ,ユウイチ
標題(和) 単一InAs自己形成量子ドットの電気的性質
標題(洋) Electronic properties of single InAs self-assembled quantum dots
報告番号 123236
報告番号 甲23236
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5117号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 教授 福山,寛
 NTT物性研 部長 都倉,康弘
 東京大学 准教授 岡本,徹
 慶應義塾大学 准教授 江藤,幹雄
内容要旨 要旨を表示する

電子を、その波長程度の微小領域に3次元的に閉じ込めると、電子の運動は完全に量子化される。この様な零次元電子系は量子ドットと呼ばれ、顕著な電子間の相互作用や量子閉じ込め効果を示すことから、理論実験両面から盛んに研究されている。量子ドットには、材料や構成によって様々な種類があり、その特徴に応じた研究が行われている。大きくは、リソグラフィーを駆使して作製されるトップダウン型と、結晶の歪みを種として自発的に形成されるボトムアップ型に分類される。前者では、半導体へテロ界面に生ずる2次元電子ガスが静電ポテンシャルによって面内に閉じ込められている。電気的性質の研究には、多くの場合この型のドットが用いられている。一方、後者のドットの電子は異種材料のヘテロ型のポテンシャルで閉じ込められている。構造的な問題からその電気的性質を調べるには工夫を要するが、閉じ込めの強さや材料的ユニークさから最近多大な関心を集めている。本論文で扱うInAsドットは自己形成ドットの典型例であり、GaAs基板上にウエット層と呼ばれる数モノレイヤー程度のInAsを積層することで作製される。InAsドットは、上記の特徴に加えて、スピン軌道相互作用の影響が強いことでも興味深い零次元系である。加えて、InAsドットは、他の材料に埋め込まれたものと表面に露出したものとで大きく性質が異なる。例えば後者で寸法的に数倍大きいものは、閉じ込めは弱いがスピン軌道相互作用の影響がその分強い、歪みの影響が小さい、また、形状が複数の結晶面から成り異方性が大きい、などの特徴を持つ。しかし、その電子状態は勿論のこと、埋め込み型との相違についてもほとんど知られていない。

InAsドットの電子状態は従来、光学的手法によって調べられてきた。この光励起には電子正孔対が関与するので、純粋な電子相関やスピン効果を観測するには電気的手法がより適する。しかしながら試料作成の難しさが災いして、その報告例は少ない。特に、単一のInAsドットを選択的にプローブするのは難しく、報告例は数えるほどしかない。

本研究では、InAsドットが基板表面に露出している表面露出型と、ドットがバルクのGaAsに埋め込まれている埋め込み型の2種類のデバイスを作製し、電気伝導測定を通して、両者の電子状態を比較した。特に、磁場中での電子状態遷移とゼーマン効果、近藤効果、Landeのg因子とその角度依存性、などの典型的なスピン効果に注目して研究を行った。

埋め込み型のデバイスとしては、InAsドットを内包した縦型の単電子トランジスタを用いた。ゲート電圧を負側に加えて電気伝導をピンチオフに近づけると、ドットの電子数は零個まで1個単位で制御することができる。表面露出型のデバイスとしては、比較的大きいInAsドットに一対の金属電極を数10nm離して取り付けたデバイスを用いた。このデバイスも、下部にあるn-GaAsをゲート電極として動作させると埋め込み型と同様な単電子トランジスタとして動作する。

埋め込み型のInAsドットの非線形コンダクタンス(クーロンダイヤモンド:dI/dVsd vs. Vsd-Vg)と線形コンダクタンス(クーロン振動:I vs. Vg)、及びクーロン振動の面直磁場依存性を測定した結果、スピン対、殻構造が存在すること、また、少なくともN=6電子までは2次元調和振動子型で固有状態が近似できることが分かった(図1)。

一方、表面露出型のInAsドットについても同様の測定を行った結果、クーロンダイヤモンドから見積もった閉じ込めエネルギーと静電エネルギーは、いずれも埋め込み型よりも小さかった。これは埋め込み型よりもドットサイズが大きいことを反映している。クーロン振動の面直磁場依存性(図2c)にはスピン対は見られず、むしろ強いゼーマン分離による状態遷移が起こるなど、埋め込み型とは全く異なった磁場依存性が観測された。ゼーマン効果の影響を調べるため、磁場を面内配置(軌道の影響が無視できる配置)にして測定した結果(図2b)、強いゼーマン効果のために、スピン対をなす2本のピークが分裂していく様子を確認できた。

寸法の大きい表面露出型のドットでは、金属電極とドットの接触面積を広く取ることにより、ドット-電極間のトンネル結合エネルギーΓの大きい試料を得ることができた。このようなΓの大きい量子ドットでは近藤効果の発現が期待される。InAsドットは、スピン軌道相互作用が強いために、近藤効果は見られないと言われていた。私たちは本試料での近藤効果の観測を狙って、まず零磁場でクーロン振動の温度依存性を測定した(図3a)。

その結果、偶数電子数のクーロン谷の伝導度が温度について一定であるのに対し、奇数電子数では温度が上昇するにつれて対数的に減少していく様子を観測した(図3b)。また、奇数電子数のクーロン谷で微分伝導度を測定し、鋭い零バイアスアノマリ(近藤状態密度に対応)を確認した。これらは量子ドットにおけるSU(2)近藤効果の典型的な特徴であり、InAsドットの系における初めての近藤効果の観測例である。なお、温度依存性から見積もられた近藤温度は比較的高く、約2 Kとなった。この高い近藤温度は、用いた試料の強いドット-電極間結合を反映している。

図2(b)で示した通り、表面露出型InAsドットではゼーマン効果の影響で状態遷移が起こる。図4(a)は図2(b)と同様に測定したクーロン振動の面直磁場依存性を示す。図中、▲点で示した磁場で、いくつもの明瞭な準位反交差が見られる。これは、高磁場領域においては下向きスピンの最低ランダウ状態が、複数の上向きスピンの多くのランダウ状態と次々に交差することに対応する(図4(b)参照)。これらの反交差点のうち、7.1 T付近の反交差点において伝導度が上昇していることに注目し、その磁場でクーロンダイヤモンドを測定した結果(図4b)、零磁場での近藤効果と同様にクーロンブロッケード内の零バイアス付近に近藤共鳴による伝導度ピークを見出した。この近藤効果は上下向きのスピンが関与する点で、零磁場で観測したSU(2)近藤効果に似ているが、異なるランダウ軌道が関与する点で異なる。なお、この伝導度の温度依存性から見積もられた近藤温度は、零磁場における近藤温度とほぼ一致した。

一般的に軌道縮重はスピン軌道相互作用で解けるので、その縮重点における近藤効果は抑制されると考えられている。実際に、7.1 Tより低磁場側の他の反交差点や、面内磁場における反交差点においては磁場下での近藤効果を観測することはできなかった。しかしながら、上記の高磁場近藤効果は、縮重に関与するランダウ状態の軌道角運動量の差が1よりはるかに大きいために、スピン軌道相互作用の影響は弱いと考えられ、従って、近藤効果が観測されるに至ったと考えている。また、ゲート電圧によって、トンネル結合Γが大きくなったと考えられる点も、近藤温度とスピン軌道相互作用の競合関係において有利に働いたと考えられる。

最後に、表面露出型試料について、励起スペクトルの磁場依存性、及び零バイアスアノマリーの磁場分裂(TK<EZeeman)と非弾性コトンネリングピークの磁場分裂(TK>EZeeman)の測定からg因子を評価した。これにより、面内磁場と面直磁場でg因子が倍程度異なることを観測した。これはg因子の異方性を示唆する。そこで、冷凍機中で試料回転機構を利用して、磁場方向をin-situで面直方向から面内方向に変えながらg因子の角度依存性を測ったところ、図5(a)のような結果を得た。この角度依存性は、ピラミッド型のInAsドット構造において歪みの影響を除いて理論計算した結果と定性的に一致している。なお、角度依存性の起源については、スピン軌道相互作用のDresselhaus項の影響だと考えられる。

図1:(a) 埋め込み型デバイスで測定したクーロンダイヤモンド構造。(b),(c) クーロン振動の面直磁場依存性(b)と、Fock-Darwin状態から計算された実験に対応する軌道遷移の様子(c)。

図2:(a) 表面露出型デバイスで測定したクーロンダイヤモンド構造。(b),(c) クーロン振動の面内磁場依存性(b)と面直磁場依存性(c)。

図3:(a) クーロン振動の温度依存性。偶数電子数のクーロン谷は温度について変化しないのに対して、奇数電子数のクーロン谷における伝導度は温度と共に減少していく様子が分かる。(b) N=3クーロン谷伝導度の対数的温度依存性。

図4:(a) クーロン振動面直磁場依存性。図2と同じ試料だが、熱サイクルのため特性は変化している。▲で示した反交差点において、異なるスピン状態の関与する軌道縮退が起こっている。(b) 表面露出型ドットの大きなg因子によるゼーマン分裂を取り入れたフォックダーウィン状態の計算。(c) 7.1 Tで観測したクーロンダイヤモンド構造。N=12の偶数電子数のクーロンブロッケードを破って近藤ピークが現れているのが分かる。

図5:(a) 見積もられたg因子の角度依存性。実線はg-tensorモデルを用いたフィッティング。(b),(c) 非弾性コトンネルピークが(b)面直磁場((c)面内磁場)と共に分裂していく様子が見られる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はInAs自己形成量子ドットの電子状態およびスピンに関連した伝導現象を実験的に調べたものである.本論文は5章からなる.第1章は序章であり本研究の動機と本論文の構成が述べられている.第2章では研究の背景と関連する理論,第3章では実験に用いられた試料の作製方法と測定手珠が述べられている.第4章が本論文の主要部分で実験結果とその解析が述べられている.第4章は4つの節からなり,それぞれ量子ドットの電子状態,近藤効果,g-因子,電荷読み出し実験,についての記述がある.第5章はまとめと将来の展望の記述に当てられている.

量子ドットとは電子系を微小空間に閉じこめたゼロ次元構造を指す.伝導現象の実験では量子ドットが電極とトンネル接合でつながった構造が用いられる.量子ドットの研究は従来その多くがGaAs系半導体の微細加工による系を用いるものであった.InAs系は狭いバンドギャップ,大きなスピンg因子,強いスピン軌道相互作用など,GaAs系にはない特徴の数々を有するので,InAs系の量子ドットの研究により新しい物性や機能の展開が期待される.

本研究で用いられたInAs量子ドットは,GaAs基板上に数原子層のInAsを積層させた際に格子定数の違いによる歪みを緩和するために自己形成されるものである.実験は,GaAsのキャップ層で覆った埋め込み型と,表面露出型の2種類のInAsを対象とした.埋め込み型で直径20nm,表面露出型で直径90nmの試料について詳しい測定とデータ解析を行った.両者はサイズの他にも歪みの度合いなどに違いがある.伝導特性の測定は,前者では垂直伝導型の電極配置,後者ではナノギャップ電極を配することによっている.

ゼロ磁揚および磁場中のクーロン振動およびクーロンダイヤモンドの測定から量子ドシト中の電子状態に関する知見を得た.埋め込み型では,殻構造,スピン対が明瞭に観測され,またフォック・ダーウィン状態との対応が比較的よく成立するなど,少なくとも電子数Nが6程度までは閉じこめポテンシャルが2次元調和振動子型で近似できることがわかった.それに対して表面露出型ではサイズが大きいことと形状効果が効いて電子状態はかなり異なった様相を示す.

表面露出型のドットで電極との接触面積を広くとった試料では,近藤効果の発現が期待される.InAsではスピン軌道相互作用の影響により近藤効果が発現しにくいと考えられていたが,ゼロ磁場でN=3および5のクーロン谷において近藤効果のふるまいを観測した.温度依存性から見積もった近藤温度は約2Kという大きな値になった.磁場中ではゼーマン効果および軌道準位のシフトのために準位間の交差が起こる.一般に準位縮重のあるところでは高い近藤温度が期待されるが,強いスピン軌道相互作用のもとでは準位反〓により反交差が起こるため縮重が解けるという事情がある.実験では,高磁場域の準位交差点のうち,7.1T付近で起こるスピン↓の最低ランダウ準位とろピン↑、の高次ランダウ準位との縮重状態において明瞭な近藤効果が見いだされた.それに対して,より低い磁場領域ではどの交差点においても近藤効果は見いだされなかった.これは,十分高磁場で起こる交差では軌道角運動量の差が大きいため,スピン軌道相互作用による反交差のギャップが小さく,近藤効果が発現したものと解釈された.この結果は,量子ドットにおける近藤効果発現に対するとスピン軌道相互作用の効果をはじめて明らかにしたものと評価される.

表面露出型試料についてスピンg因子の詳しい測定と解析が行われた.励起スペクトルの磁場依存性,近藤効果のゼロバイアス異常の磁場分裂,非弾性コトンネリングピークの磁場分裂,という3種類の手法を適宜適用することによって,スピンg因子およびその異方性を評価し,面内磁揚と面直磁場でg因子が2倍程度異なることを見いだした.また角度依存性を測定し理論計算との一致を見た.

以上のように,本研究はInAs自己形成量子ドットの少数電子系の相関電子状態をトンネルスペクトロスコピーによって詳細に調べ,近藤効果やg因子などスピン関連の物性を明らかにしたもので,InAs量子ドットについて重要な新しい知見を得たものと認められる.本論文の中核をなす研究内容は指導教員らとの共著論文として学術誌に印刷公表ないしは公表予定であるが,実験の遂行および結果の解析の大部分は論文提出者が主体となって行なったものと判断される.

したがって,本論文は博士(理学)の学位授与に値するものと認める.

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