学位論文要旨



No 123239
著者(漢字) 伊藤,健
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,タケシ
標題(和) 「すざく」衛星によるエッジオン活動銀河核の変動X線スペクトルの研究
標題(洋) Suzaku Studies of Time Variable X-ray Spectra of Edge-On Active Galactic Nuclei
報告番号 123239
報告番号 甲23239
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5120号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福島,正己
 東京大学 教授 須藤,靖
 東京大学 教授 土居,守
 東京大学 准教授 半場,藤弘
 東京大学 教授 山崎,泰規
内容要旨 要旨を表示する

1 はじめに

活動銀河中心核(ActiveGalac七icNueleus;AGN)は系外銀河の中心に存在し、≦1pcという小さな領域から、10(39)-10(48)ergs(-1)にもおよぶエネルギーを放射している。その中心には太陽質量の106-108倍にも達する巨大質量ブラックホールが存在し、そこへの質量降着によってその巨大な放射エネルギーをまかなっていると考えられている。AGNは全天に一様に存在しており、遠方宇宙での無数のAGNの放射は、宇宙背景X線放射(CosmicX-rayBackground;CXB)ρ起源としてもっとも有力な候補である。AGNは、多くの輝線をもつ光学スペクトル、X線放射、場合により強い電波放射など、複雑な電磁波スペクトルを示し、その様子は天体ごとに多種多様なため、その現象論的な分類が多くなされてきた。現在もっとも広く受け入れられているAGNの統一描像は、比較的近年になってAntonucciらによって提案されたもの(以降"Uni丘edScheme")で、それによるとAGNの多様性は、電波放射の強さと、降着円盤を見込む角度という2つのパラメータで説明される(e.g.,Antonucci&Miller1985)。円盤をより真上に近い角度から見ることで、中心核からの放射が直接に観測できている場合には、その天体は1型AGNとよばれ、いっぽうで円盤をより真横に近い角度から見ているため、視線方向に降着物質があり、中心核の放射がそれによって隠されている場合には、その天体は2型AGNと分類される。光学観測での1型と2型の数比(~1:4)から、中心核を隠す物質は回転軸方向に幾何学的に厚い、トーラス状に分布するとされる。

この論文は、最新の「すざく」衛星をもちいて2型AGNからのX線放射をこれまでにない精度で観測し、それが"UnifiedScheme"に基づいて説明できるかを検証すること、また明るい直接成分が遮られることを利用し、より微弱な、周辺からの反射・散乱成分を精度良く観測し、それを通じて降着物質の分布・形状を探ることを目的とする。2型AGNの広帯域X線スペクトルをより深く理解することは、CXBの表面輝度とスペクトルを、遠方のAGNの重ね合わせで説明する上でも重要である。

22型AGNのこれまでの観測

2型AGNの中でも比較的大きな吸収を受けたものでは、中心核からの放射がX線領域まで隠されており、上記の目的に適している。このような天体の存在は、日本のX線衛星「ぎんが」により、初めて明らかになった(e.g.,Awakie七al.1993)。続く「あすか」衛星によって、反射光と考えられるスペクトル成分が一部の明るい2型AGNで発見され(e.g.,UenoetaL1994)、ChandraおよびXMM-Newton衛星によって、その成分が2型AGNに共通のものであるという認識が確立された。これらの観測が10keV以下に限られていたのに対し、BeppoSAX衛星は~100keVまでの帯域を活かすことで、極端に強い吸収をうけた天体からも直接成分を検出し、2型AGNからの放射には、ほぼ普遍的に直接成分と反射成分があることを示した。このように、X線観測は"UniFiedScheme"の土台を築くのに大きな貢献をしてきたと言える。しかし、これまでの衛星はエネルギー帯域が限られているか(<10keV)、10keV以下でのエネルギー分解能が十分でないため、2つの成分を同時に精度良く観測できるものではなかった。「すざく」衛星は、この2つの性能をあわせもつ初めての衛星である。これによって、2型AGNからの放射を成分ごとに分解し、それぞれの特徴およびその関係を詳しく調べられるようになった。本論文の筆者は、「すざく」の運用や、そこに搭載された硬X線検出器の開発・較正に、大きく貢献している。

3スペクトルと時間変動の解析

我々は「すざく」衛星の初期観測データ、および筆者自身の観測提案によって得られたデータのうち、5つの2型AGN(NGC4388、Mrk3、Circinus銀河、NGC4945およびNGC4258)を選んで解析を行った。これらの天体からは水メーザーが観測されており、降着円盤をほぼ真横(エッジオン)の角度から見ていると考えられる。得られたエネルギースペクトルと時間変動から、これらの天体からの放射は明らかに3つの成分に分解された。すなわち、(D)強い吸収を受けた直接成分、(R)光学的に厚く、ほぼ中性の物質によって反射された成分、(S)電離された物質によって散乱された成分である。図1は実際に得られたスペクトルと、それらを上の3つの成分を表すモデルで再現したものである。また図2(左)にスペクトルの模式図を示す。全ての天体で、上記の硬X線検出器により、数keV-10keV以上の帯域で、Dを検出することができた。吸収の強さは5つの天体で異なり、水素柱密度NHは10(23)-10(25.5)cm(-2)の値をとった。吸収を補正したX線フラックスから推定したAGNの全光度は五b。1鯉10(41)-(44.5)ergs-1という広い範囲に分布したが、直接成分のスペクトル形状はサンプル間でほぼ同じであり、1型AGNのものとも良く似ていた。サンプルの中でもっとも暗いもの(NGC4258)を除いた4つのスペクトルには、Rがはっきりと観測された。この成分はひじょうに硬い連続成分と鋭い鉄吸収端、中性物質からの幅の狭い輝線、および20keV付近の盛り上がりで特徴づけられる。広帯域でのモデリングおよび輝線の等価幅などから、こうしたスペクトルの特徴はすべて、同じ反射体がコンプトン散乱や蛍光過程により作り出しているとして説明できることが確認できた。

図2(右)は、RのDに対する見かけ上の強度比(f(refl)≡反射体の立体角/2π)に対して、硬X線領域(15-50keV)での時間変動の大きさ(中心ブラックホール質量から予想される値で規格化しだもの)を、個々の天体についてプロットしたものである。NGC4388およびMrk3では、光学的に厚い反射体が中心核から見て大きな立体角をもつ(frefl~1)と同時に、NGC4388では時間変動もほぼ予想されるオーダーで検出できている。これらは、図1(右)のように、時間変動するDと変動しないRが、硬X線領域でほぼ同程度の強度であるとして理解できる。(Mrk3ではブラックホール質量が大きいため観測期間中の時間変動は期待されず、実測も上限値のみ。)それらに対してCircinus銀河はfreflは小さいので強い変動が期待できるが、図ではそうなっていない。この他にも問題がある。それは視線方向に塩~7×10(24)cm(-2)という柱密度の大きな吸収体があり、直接成分が視線方向の外へとコンプトン散乱(Scatter-out)されていると考えられるので、スペクトル解析で得られたDのフラックスに、この補正一exp(NHσT)~130倍一を施してみると、全光度がエディントン光度の~8倍にも達してしまうことである。以上の2つの矛盾を解くには、得られた成分Dの大部分は、実は視線方向外からの散乱成分(Scattered-in成分)であると解釈し直すことが必要である。この成分は図3(左)で紫で示されたようなもので、スペクトルの形は成分Dと良く似るが(e.g.,Yaqoob1996)、Rと同様に時間変動しないと考えられる。直接成分のうち大部分がScatter-outされている場合に、硬X線領域でScattered-in成分が支配的になることは、図3(左)のような立体角の大きな吸収体を考えれば自然なことである(e.g.,Matt et al.1999b)。

いっぽう、NGC4945はCircinus銀河とほとんど同じブラックホール質量(MBH=1.4×106M◎)および吸収量NH~5×10(24)cm-2)を持つが、硬X線領域での時間変動が全くなまされそいない。つまりこちらの天体では、成分DにはScattered-in成分はほとんど含まれておらず、ひいては、光学的に厚い吸収体は中心核に対して大きな立体角を持ち得ないことが分かった(Itohetal.2008)。これはfreflの値が小さいこととも良く合致する。NGC4258のスペクトルには反射成分の兆候が見られず(frefl<0.1)、この場合も、光学的に厚い反射体は存在しないか、存在しても中心核に準いしてわずかな立体角しかもたないことを示唆している。

以上より我々は、これまでの統一描像が想定していた「幾何学的に厚い」トーラスは、少なくとも一部の天体には存在しないということを結論づける。図3に、通常のUnifiedSchemeで想定されるトーラス(左)と、NGC4945およびNGC4258で上記の結果から推測される降着物質の形状(右)の模式図を示す。今回、2型AGNの中でも反射成分がひじょうに少ないものが見付かったことは、CXBを遠方AGNの積算スペクトルで説明する試みに、おおきな影響を与えると考えられる。

図1:「すざく」で観測された2型AGN(NGC4388)のエネルギースペクトルと、ベストフィットモデル。赤、青、緑の点線がそれぞれD,R,Sの放射成分に対応する。(左)縦軸は検出器のカウントレート。下のパネルに残差をしめす。(右)検出器のレスポンスを除いたvFvプロット。

図2:(左)2型AGNからのエネルギースペクトルの模式図。赤、青、緑がそれぞれの放射成分に対応する。(右)個々の天体について、ブラックホール質量から予想される値で規格化した時間変動の大きさを、反射成分の強さに対してプロットしたもの。

図3:得られた2種類の反射体の描像。赤、青、紫の矢印はそれぞれ観測される直接成分、反射成分およびScat七ered-in成分を模式的に示す。従来のUnifiedSchemeでは左側のような厚い反射・吸収体が想定され、NGC4388、Mrk3、およびCircinus銀河では実際にこのようになっていると考えられる。いっぽう右の反射・吸収体は幾何学的に薄く、NGC4945およびNGC4258に当てはまると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

「すざく」は2005年に打ち上げられたX線観測専用衛星である。本論文は「すざく」に搭載されたX線望遠鏡と硬X線観測装置を使って得られた、広いエネルギー領域(3-100 keV)でのエネルギースペクトルと時間変動を用いて、活動銀河核の統一描像を観測的に検証することを目指したものである。特に、銀河系の比較的近傍にあり、水メーザ線が観測されているセイファート2型銀河、すなわち、中性ガスのトラスによって直行成分が吸収され、同じガスに反射された微弱なX線が直接に観測できるエッジオン型(横向き)活動銀河核に対象を絞って、観測と解析を行った。

本論文は全7章からなる。第1章の概要説明に続き、第2章では、活動銀河核の観測上の特徴を述べ、それが中心に巨大ブラックホールを持ち、中心核の周りの限られた領域を占める降積円盤から、時間変動のある強力なX線が放射されている天体であることを述べる。統一描像によれば、降積円盤の周囲は0.1パーセク程度の距離から始まる厚いトラス状の中性ガス物質に覆われ、降積円盤を真上から見るか、横から見るかの違いが、活動銀河核の異なる観測的特徴を形作っている。第3章は観測に用いた検出器の記述である。申請者が大きく貢献した硬X線検出器の構造や軌道上での性能評価、雑音成分などについて詳しく説明がなされている。第4章では、対象天体の選択と観測記録、データ整理の仕方が述べられている。第5章では、観測されたスペクトルを、(1) 直行成分、(2) 反射成分、 (3) 電離ガスによる散乱成分、の3つの要素に分離する手法を述べる。得られた観測量のうち主要なものは、(a) 直行成分スペクトルの冪、(b) 吸収物質の柱密度、(c) 反射係数(中心放射体から見た立体角を2πで規格化)、(d) 電磁散乱成分の割合、などである。時間変動の大きさは、12-50keVの範囲で積分し、ブラックホール質量から理論的に期待される時間変動で規格化した。なお、反射成分と電磁散乱成分については、空間的に異なった反射・散乱点による経路が積分されて時間変動が消える。直行成分のみが時間変動を示すと考えられる。

第6章は得られた観測結果の解釈と議論、第7章は結論である。観測したのは、NGC4258, NGC4388, NGC4945, Mrk3, Circinus の5天体である。このうち、NGC4258を除く4天体からは反射成分が分離され、Mrk3とCircinus を除く3天体からは時間変動が観測された。また、CircinusとNGC4945は、柱密度NH=1025/cm2に及ぶ厚い吸収体を持っていることが判った。反射係数については、1の程度であるMrk3とNGC4388、また、0.1の程度かそれ以下のNGC4945とNGC4258に別れた。前者は、降積円盤を囲むトラスが幾何学的に厚く、後者についてはトラスが薄い円盤状をしていて、反射体の立体角が小さいものであると推測される。特にNGC4945では、柱密度が大きいにも拘わらず反射係数が小さく、相当量の中性ガスが薄い円盤状に分布する形状を、ほぼ真横から見ている場合であると推察された。またNGC4945とNGC4258からは、期待される程度の時間変動が観測され、観測されたX線の大部分はトラスを構成する物質による吸収を受けた直行成分であることが検証された。Circinus については、NGC4945と同程度の大きな吸収を持ち、比較的小さい反射係数ながら、時間変動が観測されなかった。考察を進めた結果、Circinus は通常の厚いトラスを持つ銀河核であり、大きな光電吸収とトラス中でのコンプトン散乱X線が直行成分に影響し、時間変動を消して反射係数にも大きな誤差を与えていることが判明した。

結論として、申請者による、エッジオン活動銀河核からのX線のスペクトルと時間変動の観測結果は、活動銀河核の統一描像からよく理解できることが示された。これは統一描像が大筋において正しいことの更なる立証である。同時に、活動銀河核の中には、統一描像がこれまで想定して来た幾何学的に厚いトラスではなく、薄い円盤状の構造を持ったものが存在することが、明らかに示された。これは活動銀河核の構造についての新しい知見であり、活動銀河核の発生や成長について、更には活動銀河核が発生源と推定されている宇宙背景X線放射の成因についても、大きな示唆を与える結果である。

本論文による新しい知見の学術的な価値は高く、その一部は、共著論文として公刊される予定である。論文提出者の貢献は、装置の製作に始まり、観測、較正とデータ処理、物理解析に至る全般の領域で、十分に顕著である。

以上をもって、伊藤健君に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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