学位論文要旨



No 123244
著者(漢字) 織田,勧
著者(英字)
著者(カナ) オダ,ススム
標題(和) 核子対当りの重心エネルギー200GeVの銅原子核衝突と陽子衝突におけるチャーモニウムの生成
標題(洋) Production of Charmonia in Cu+Cu and p+p Collisions at= 200GeV
報告番号 123244
報告番号 甲23244
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5125号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 教授 下浦,享
 東京大学 教授 櫻井,博儀
 東京大学 教授 松井,哲男
 東京大学 准教授 浅井,祥仁
内容要旨 要旨を表示する

本論文は米国ブルックヘブン国立研究所の衝突型重イオン加速器(RHIC)を用いた、核子当りの重心エネルギーが200GeV での銅原子核衝突(Cu+Cu)の際のJ/ψ中間子の生成と陽子衝突(p+p) の際のχc 中間子の生成に関する研究を記述するものである。

量子色力学(QCD)はクォークとグルオンの間の強い相互作用を記述するゲージ理論である。QCD に基づく計算はエネルギー密度が毎立方fm 当り1GeV 以上で、温度が170MeV以上の条件下で、クォークの閉じ込めが破れ、原子核物質相からクォーク・グルオン・プラズマ(QGP)相に転移することを予測している。QGP 相中では、相互作用はハドロンの自由度ではなく、パートン(クォークとグルオン)の自由度で起きる。

この高温高密度状態は初期宇宙で実現されていたと考えられるが、地球上の実験室で実現するには高エネルギー重イオン衝突が唯一の手段である。1970 年代から始まった実験は次第に重心系でのエネルギーを上げていき、2000 年から核子当りの重心エネルギーが200GeV での衝突を起こすことのできるRHIC の運転が開始された。RHIC には4 つの実験があり、PHENIX 実験はQGP の生成の証拠を捉え、その性質を調べるため、多くの物理量を観測できるように建設された検出器群を擁している。

チャーモニウムの収量抑制はQGP生成の最も有力な証拠になると長い間考えられて来た。QGP 中ではチャームクォーク・反チャームクォーク間の色電場が近傍に多数存在するクォークとグルオンによって遮蔽され、引力が弱まって束縛状態として存在できなくなり、QGPが存在しない場合に比べ、収量が減少すると期待される。J/ψはチャーモニウムの中でも、測定が比較的容易なレプトン(電子、ミューオン)対に崩壊し、生成断面積も大きいという利点がある。

チャーモニウムの収量抑制の実験的研究はまず1990 年代にスイスのSPS 加速器を用いた核子当りの重心エネルギーが約17GeV での陽子衝突と鉛原子核衝突の際のJ/ψとψ'の収量を測ることによって行なわれ、収量抑制の兆候が捉えられた。

よりエネルギーの高いRHIC でのチャーモニウムの測定はPHENIX 実験によりJ/ψに関して陽子衝突、金原子核衝突、重陽子金原子核衝突が行なわれてきた。

筆者は衝突に関与する核子数の少ない領域で精度良く測定できる銅原子核衝突でJ/ψの収量を測定した。

しかし、チャーモニウムの収量はQGP だけでなく、冷たい原子核の影響により衝突の初期段階と最終段階でも変化する。チャーモニウムは主に原子核中にあるグルオン同士が融合することによって生成されると考えられているが、グルオンの分布が陽子中と原子核中で異なることが知られている。

また、生成されたチャーモニウムの一部は原子核中の核子と衝突し分解するが、その時点で引力的なカラー1 重項ではなく、斥力的なカラー8 重項の準安定状態の方が分解しやすいため、チャーモニウムの生成の際のカラー1 重項と8 重項の寄与の評価が、冷たい原子核の影響を推定するために重要である。

この評価に貢献するのが陽子衝突の際のχc の生成の測定である。J/ψのうちのχc の崩壊からできた割合はチャーモニウムの生成の際のカラー1重項と8重項の割合に大きく依存する。

また、励起状態であるχc はQGP 中での分解する温度が束縛エネルギーの大きいJ/ψよりも低いと予想され、そのためχc の方が早く分解し、直接J/ψとして生成されたものは分解していなくても、J/ψの収量が減少すると考えられている。

本研究ではJ/ψは電子陽電子対を捉え、χc はJ/ψと光子の対を捉え、その不変質量を再構成することにより測定を行なった。衝突の発生点と幾何学的配置は水晶を用いたチェレンコフ光検出器で測り、その情報を事象のトリガーとして用い、荷電粒子の運動量をドリフトチェンバーと多芯比例計数管で測った。ガスリングイメージングチェレンコフ光検出器と電磁カロリメータで電子であることの識別を行ない、これをトリガーとしても用いた。光子のエネルギーは電磁カロリメータで測定した。検出効率、検出可能部の大きさ、トリガーの効率を補正し、収量を求めた。

本研究ではJ/ψの収量うちのχcの崩壊から来る割合の陽子衝突における上限値を得た(図1)。この結果はColor Evaporation 模型の結果と一致しており、χc の寄与は多くなく、カラー8重項の寄与が重要であることを示唆するものである。

観測されたJ/ψの銅原子核衝突の際の収量は、核子衝突の重ね合わせと仮定した場合の収量に比べ約半分であった(図2)。カラー8 重項の寄与と冷たい原子核の影響を現象論的に取り入れた理論模型は銅原子核衝突の際のJ/ψの収量を良く説明した。

PHENIX 実験によって既に測られた、銅原子核より質量数の大きな原子核である金原子核の衝突の際のJ/ψの収量は、上記の現象論的模型の予測よりもずっと大きく抑制されている。以上のことから金原子核衝突の際のJ/ψの収量の抑制は冷たい原子核以外の影響によることが結論される。

図1 J/ψのうちχc の崩壊からできたもの割合。200GeV の矢印が今回求めた上限値である。

図2 銅原子核衝突の際のJ/ψの収量の陽子衝突の際の収量に対する割合と冷たい原子核の効果のモデル計算結果

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなる。第1章は、イントロダクションであり、量子色力学に基づく計算が予想する高温高エネルギー密度状態でのクォークの閉じ込めが破れることによるクォークグルーオンプラズマ(QGP)への相転移について解説し、本論文の内容と構成について述べている。第2章は、高エネルギー重イオン衝突におけるチャーモニウム生成の背景にある理論と、これまでの実験結果の解説である。米国ブルックヘブン国立研究所の重イオン衝突型加速器RHICで取得された陽子衝突のデータからの予測と比べて、金原子核衝突のデータではJ/ψの収量が最大3割にまで抑制されている。しかし、QGP以外の冷たい原子核物質(CNM)によっても収量は抑制されるので、その影響を評価するために重陽子金原子核衝突が行なわれたが、統計量が少なく、収量抑制に関して30%程度の不定性があった。衝突に関与する核子数が多くなるにつれて、QGPによる抑制が現れ始めると考えられるが、金原子核衝突のデータでは衝突に関与する核子数が小さいところでの統計・系統誤差が大きく、定量的な議論が困難であった。また、J/ψは直接生成されるものだけでなく、励起状態であるχc粒子やψ'粒子の崩壊を通しても生成されるが、収量抑制は束縛エネルギーに依存すると考えられるので、それらの寄与を知ることがJ/ψの収量抑制の理解のためには不可欠である。しかし、チャーモニウム生成の理論的理解は不十分であり、χc、ψ'ともにRHICのエネルギー付近での測定結果も存在しなかった。これらの問題点を解決するため、金原子核に比べ質量数が小さく、CNMの影響が支配的になると考えられる銅原子核衝突の際のJ/ψの収量の測定と、陽子衝突の際のJ/ψのうちのχcの崩壊からの寄与の測定が行われた。第3章は、実験で使用したRHICとPHENIX検出器に関する記述である。RHICは2000年から運転が開始され、核子対あたりの重心エネルギーが200GeVで陽子から金原子核までを衝突させることができる。PHENIX検出器は中央ラピディティで電子と光子を捉える能力を持つ。第4章では、2005年と2006年に行なった銅原子核衝突と陽子衝突のデータの取得について述べてある。第5章には、銅原子核衝突で生成されるJ/ψの測定と結果が記述されていて、電子陽電子対の不変質量を再構成することによりJ/ψを測定した。得られたデータは衝突に関与する核子数が100以下の領域で、既存の金原子核衝突のデータと誤差の範囲内で一致するもので、統計・系統誤差を大幅に縮小させた。第6章は、陽子衝突で生成されるχcの測定と結果である。χcも不変質量を再構成する方法によりJ/ψと光子に崩壊するモードで測定され、J/ψのうちχcの崩壊により生成された割合の上限値が4割以下という結果を得た。第7章では、得られた結果についての議論を行っている。衝突に関与する核子数が60以下の領域でQGPの影響がなく、CNMの影響のみがあると仮定すると、重陽子金原子核衝突のデータを用いた場合と同程度まで銅原子核衝突のデータでCNMの理論モデルのパラメータを制限できることがわかった。重陽子金原子核のデータのみを用いたCNMの理論モデルの予測を銅原子核衝突と金原子核衝突のデータと比較することで、衝突に関与する核子数が約100になるとCNMの影響以外による収量抑制の効果が現われ始めることがわかった。第8章では、本研究により得られた結果がまとめられている。

以上のように本論文ではCNMの影響の不確定性を低減し、J/ψの収量抑制を定量的に議論するための物理量の測定が行なわれ、その結果は今後のクォーコニウムを用いたQGPの研究に大きく寄与するものである。

なお、本研究はPHENIX実験グループの共同研究であり、論文提出者はその一員として実験グループに参加しているが、本論文に関しては提出者が主体となって解析および検証を行なったものである。また、このデータ解析で重要な役割を果たした電子識別装置の運転と較正は、論文提出者が中心となって行ったものである。従って、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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