学位論文要旨



No 123248
著者(漢字) 小西,優祐
著者(英字)
著者(カナ) コニシ,ユウスケ
標題(和) 遷移金属におけるスピン状態相転移
標題(洋) Phase Transitions of Spin States in Transition Metal Complexes
報告番号 123248
報告番号 甲23248
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5129号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 小形,正南
 東京大学 准教授 長谷川,修司
 東京大学 准教授 羽田野,直道
 東京大学 准教授 川島,直輝
 東京大学 教授 大越,慎一
内容要旨 要旨を表示する

いくつかの遷移金属錯体において、電荷の移動や、高スピン(high spin, HS)状態と低スピン(low spin, LS)状態の間でスピン状態の変化が起きる事が知られている。この現象の中には、温度変化、圧力変化、光照射等によっておきる物などがあり、その機能性から、光メモリなどのさまざまなデバイスへの応用が期待され、盛んに研究されている。この論文は、このような物質の性質についてのモデル化を行い、安定相および準安定相についての熱力学的な性質について調べたものである。この論文は、(1)Isingモデルを用いて調べた遷移金属錯体の安定、準安定状態の一般的性質、(2)IsingモデルのCo-Feプルシアンブルー類似体への拡張、(3)スピン状態によるサイズ変化と弾性相互作用を用いたモデルによるスピンクロスオーバー系の研究、(4)弾性モデルにおける平均場ユニバーサリティクラスの実現を含んでいる。以下それぞれについて述べる。

(1)Isingモデルを用いて調べた遷移金属錯体の安定、準安定状態の一般的性質

スピンクロスオーバー相転移をIsingモデルにより説明する研究は古くから行われており、最初は1971年にWajnflaszとPickによってなされている。このモデルでは、スピン状態をSで表し、LS状態の時 -1、HS状態の時 +1となる。これに各状態の状態数と、イジング型の相互作用を取り入れたものがWajnflasz-Pick(WP)モデルと呼ばれるもので、相互作用が強い時には、温度によって一次相転移が起き、これまでスピンクロスオーバー錯体の相転移現象の説明に使われてきた。ここでは、まず、このモデルと宮下、小島によって導入された電荷移動相転移についてのモデルが厳密に等価であることを示した。また、スピンクロスオーバー転移、電荷移動相転移の両方で成立する安定状態および準安定状態の基本的な性質を平均場近似及びモンテカルロ計算によって解明した。ここではそれを"generic sequence"とよぶことにする。この"generic sequence"においては、温度相転移の様子が相互作用を強くするに従って、I. なだらかにLSからHSに変化→ II. LSからHSに一次相転移 → III. 一次相転移+準安定状態 → IV. 準安定状態が高温のHS相とつながる という様に変化していく(図1)。このI、II、III、IVは実際の物質でも見られ、それぞれ I.なだらかに転移するスピンクロスオーバー物質 II.一次転移を示すスピンクロスオーバー物質 III.光誘起で準安定なHSに励起される物質 IV.スピンクロスオーバー転移を起さない物質 に対応していると考えられる。

(2)Co-Feプルシアンブルー類似体

Co-Feプルシアンブルー類似体KCo[Fe(CN)6]H2Oは温度変化によって電荷移動相転移を起こす物質であり、低温において、光照射によって準安定のフェリ磁性相に転移する物質である。ここでは、この物質について拡張したWPモデルを導入し、それについての平均場近似及びモンテカルロ計算を行った。モデルは、(1)で導入した電荷移動のモデルにスピン間の反強磁性相互作用と磁場の項をふくめたものを用いる。この計算により、(1)で導入した"generic sequence"の考えを、磁気相互作用や磁場も含めたものに拡張することができた。また、モンテカルロにより初期状態からの緩和を見ることで、低温における準安定相の存在について調べた。

(3)スピン状態によるサイズ変化を含めた弾性モデル

ここまで、スピンクロスオーバー、電荷移動相転移においてイジング型の相互作用を仮定し、そこから得られる一般的な性質について述べてきた。しかし、スピンクロスオーバー錯体においては実際にはスピン状態間の格子定数の違いに起因する弾性的な相互作用が重要と考えられている。これまで様々な理論研究がなされているものの、ミクロなハミルトニアンから出発して直接に弾性エネルギーを考慮した研究はなされてこなかった。そこで、ここでは、スピン状態間のサイズの違いと粒子間に働くハーモニックな弾性相互作用を仮定したモデルを構築し、そこで定圧条件下でのモンテカルロシミュレーションを行うことで、スピンクロスオーバー錯体の温度依存性について調べた。それにより、弾性相互作用を変化させることにより、WPモデルで得られる"generic sequence"が再現されることが説明できた。また、圧力の変化の効果も直接的に取り入れることができ、圧力による転移点の変化および、圧力に誘起されるスピンクロスオーバー転移(図2)を説明することができる。

(4)弾性モデルにおける平均場ユニバーサリティクラス

相転移現象において臨界指数はその現象を分類する上で非常に重要である。ここでは、上で述べた弾性モデルを用いて2次元と3次元においてその臨界点上における臨界指数を調べた。その結果、このモデルは臨界点上で平均場のユニバーサリティクラスを持つことがわかった。これは、このモデルが実効的に長距離相互作用を持っていることに起因している。このため、臨界点上でもこのモデルは核生成を起さない(図3)。実際の物質でも弾性的な相互作用が支配的な物質においては、このような性質が成り立っていると考えられる。

図1:相互作用によるスピンクロスオーバー転移の変化

図2:圧力に誘起されたスピンクロスオーバー転移

図3:臨界点上でのスナップショット。赤がHS状態、青がLS状態を表している。

審査要旨 要旨を表示する

遷移金属錯体の中には、温度変化・圧力変化・光照射などによって、電荷の移動やスピン状態の変化が起こるものがある。この現象は一般にスピンクロスオーバーと呼ばれている。本研究では、このような性質を持ついくつかの物質についてモデル化を行ない、さらに統計力学的な手法を用いて安定相や準安定相を見出し、それらの熱力学的な性質について調べた。

本論文の第一章は序、第二・三・四章では本研究で取り上げたモデルに対する数値計算の結果をまとめている。第五章では、四章で用いたモデルに関する相転移の臨界現象についてとくに詳しく調べ、新しいタイプの相転移であることを示した。第六章はまとめと将来の課題に当てられている。

具体的には、第二章では(n-C3H7)4N[FeII FeIII(dto)3] (dto はC2O2S2) という物質に対するモデルを調べた。この物質では、2つのFe イオンの間を電子が移動すると同時に、Fe のスピン状態が高スピン状態と低スピン状態の間を移り変わるということが知られている。この物質をモデル化すると、Wajnasz とPick によって考えられたモデル(WPモデル) と等価になることをまず示した。その上でWPモデルを平均場近似およびモンテカルロ計算を用いて調べ、有限温度の安定相や準安定相を研究した。とくに、これまで知られていなかったような準安定相が、あるパラメータのときに低温で出現することを見出した。さらに、モデル中に含まれるパラメータの違いによって、4種類の温度変化のパターンがあることを示し、実験で見出される多様な現象を統一的に理解できることを示した。(これをgeneric sequence と名付けている)

次に第三章では、KCo[Fe(CN)6]H2O というCo-Fe プルシアンブルー類似体を取り上げた。この物質をモデル化すると、第二章で調べたWP モデルにスピン間相互作用が加わったものとなる。このモデルを調べ、generic sequence の考え方がスピン間相互作用や磁場がある場合にも当てはまることを示した。

第四章では、二、三章で用いたWP モデルを微視的観点から見直した。WP モデルにおいては、イジング的な短距離相互作用を経験的に仮定しているが、小西氏は、これを格子変形に伴う弾性エネルギーの変化に起因するものであると考えることによって、新たなモデルを提案した。さらに、定圧条件化でのモンテカルロ・シミュレーションを開発し、このモデルでの安定相や準安定相を調べた。その結果、弾性エネルギーを用いてもWPモデルと定性的に同じ振舞いを示すことが明らかになった。最後に第五章では、この弾性エネルギーを考慮したモデルでの臨界点近傍での臨界現象を調べた。その結果、このモデルは平均場のユニバーサリティクラスを持つということが示された。これは意外な結果で、このモデルが実効的に長距離相互作用を持っていることを示唆していると考えられる。

以上のように本研究では、高スピン状態と低スピン状態の間を移り変わるという相転移現象について、多角的に研究を行ない、多様な実験結果をgeneric sequence として統一的に理解できることを示したという点が評価できる。また、簡単化したモデルではなく、格子変形による弾性エネルギーを考慮した微視的なモデルをもとに研究を行なったのは、本研究がはじめてである。また、本研究で見出された新しいユニバーサリティクラスを持つ臨界現象も、興味深い結果であると思われる。

本論文の内容の一部は、英文雑誌に掲載済である。また本研究は宮下精二教授ほか数名との共同研究であるが、論文提出者は、数値計算、モデルの構成などの点において本質的な寄与をしていると認められる。以上をもって審査員一同は、本論文が博士(理学)の学位を授与するにふさわしいものであると認定した。

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