学位論文要旨



No 123266
著者(漢字) 當山,清彦
著者(英字)
著者(カナ) トウヤマ,キヨヒコ
標題(和) シリコン2次元電子系におけるランダウ準位交差と電子相関
標題(洋) Landau level crossings and electron correlation in silicon two-dimensional electron systems
報告番号 123266
報告番号 甲23266
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5147号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 福山,寛
 東京大学 准教授 久保田,実
 東京大学 准教授 秋山,英文
内容要旨 要旨を表示する

[研究動機]

半導体界面に形成された高移動度2次元電子系は、低温・強磁場下で、離散的なエネルギーを持つランダウ準位の形成のために軌道運動が凍結された量子ホール系となり、電子相関効果の魅力的な研究舞台となる。量子ホール系において、電子スピン↑↓、ランダウ指数Nなど一般に擬スピンと呼ばれる自由度が自発的に方向を揃えようとする働きは、量子ホール強磁性と呼ばれ、擬スピンの種類に依存してHeisenberg型、Ising型、XY型の擬スピン間相互作用すべてを実現する多様性を持つ。フェルミエネルギー上でランダウ準位を交差させると、様々な擬スピン間の強磁性を調べることができ、また一方で強磁性状態以外にも新しい多体電子状態を実現できる可能性があるため、ランダウ準位交差を用いた電子相関効果の研究は大きな注目を集めている。

シリコン2次元電子系は、等方的な有効質量を持ちスピン軌道相互作用や核スピンの影響が少ないことから、電子系の性質を調べる上で単純であり、また電子スピンのほかに谷という内部自由度を持つ点では多彩な現象や新奇電子状態が期待できる系である。実際にランダウ準位交差時には新しい現象が観測されている。特に注目されてきたのは、ストライプ状態の実現を示唆する電気伝導の強い異方性であるが、実験的報告が少なく詳細は解明されていない。本研究は、ストライプ状態の検証、量子ホール強磁性と電気伝導の関係の解明、および多自由度を利用した新奇電子状態の探索を目的とし、シリコン2次元電子系におけるランダウ準位交差時の磁気抵抗測定を系統的に行った。

[実験試料・装置]

世界最高レベルの高移動度(T ~ 0.35K において約60 m2/Vs)を実現するSi/SiGeヘテロ構造をホールバー形状に加工し、測定試料とした。固定したトータル磁場 B tot のもと試料を回転させ、2次元面に垂直な磁場成分 B ⊥ のみ変化させることで、ゼーマンエネルギー固定のもとサイクロトロンエネルギーのみ変化させ、(ランダウ指数, 電子スピン) = (N =0,↑), (N =1,↓)などの擬スピン自由度の組み合わせでランダウ準位を交差させた。この方法は準位交差の研究についてはこれまで用いられていない新しい実験方法であり、精密な測定を可能にする。T = 0.05-1Kの範囲で自由に温度を止めることができ、かつ強磁場下で約0.001°刻みの高精度で試料を回転させることのできる試料回転機構を使用した。

[整数ランダウ準位充填率(ν =整数)付近における結果]

十分低温では、準位交差時に鋭い縦抵抗率ピークを観測した。ピーク高さは2次元面内磁場方向と測定電流方向との相対角度 φ に関して強い異方性を示し、φ=0°のときピークが高く、φ=90°のとき低かった(図1左)。異方性は低温ほど大きく、最大で50倍程度となった。また、ピークはB ⊥ の上げ下げに対してヒステリシスを示した(図1右)。ヒステリシスの観測は、Ising強磁性のために異なる擬スピン状態間の1次相転移が起きていること、および縦抵抗率ピークが異なる擬スピン状態のドメイン形成に起因することを示す重要な結果である。ドメイン境界に伝導チャンネルができることで縦抵抗率ピークが生じるというモデルを立て、異方性をストライプ状態ではなく異方的形状を持つドメイン構造により説明した。異方的形状の起源としては、界面ラフネスという外因的要素とともに、自発的な異方性の増長という要素が存在していることが示唆された。

比較的高温では、ν =4付近, φ =0°のときに、縦抵抗率のダブルピーク構造という新奇な現象を観測した(図2左)。ダブルピークの中心位置は、温度とともにおおよそ線形に変化し(図2右、橙色の丸)、温度の上昇とともに擬スピンにとってのゼロ磁場である低温のシングルピークの中心位置(図2右、青色の四角)から離れていった。Ising強磁性の転移温度TC 以下では有効磁場は擬スピンドメイン境界を減少させて縦抵抗率にシングルピークを生じるのみであると考えられるため、ダブルピークの見え始める温度が強磁性転移温度 TC (0.4-0.5K)であると考察した。これは量子ホール強磁性におけるTC 決定の新しい方法である。擬スピンの磁性に平均場近似を適用すると、ダブルピーク中心位置の線形な温度変化は、擬スピン偏極率が一定(0.5-0.6程度)の直線上にあることがわかった。また、この結果を用いて見積もった平均場近似のTC は、上記のTC の予想と矛盾しない。

以上のことから、ダブルピークは擬スピンが常磁性を示す領域において現れ、また擬スピンが半分程度偏極したときに電子が最も散乱を受けるようなメカニズムに起因していると考えられる。この新しい磁気抵抗現象は、電子の磁性と散乱の関係について新たな知見を与える発見であると期待でき、微視的なメカニズムの解明が望まれる。

[整数量子ホール状態間の遷移領域における結果]

整数量子ホール状態間の遷移領域におけるランダウ準位交差の研究はこれまで比較的少なかったが、本研究では新しい多体状態の実現に期待してこれに取り組んだ。その結果、縦抵抗率が減少し、ホール抵抗が特定の量子化値 h /ie 2 (i は整数)に近づく新しい現象を観測した。2<ν <3の遷移領域における観測例を図3左に示す。縦抵抗率のディップとともにホール抵抗は大きく増大して量子化値 h/2e 2 に近づいている。同様の磁気抵抗は他の遷移領域においても普遍的に観測された。これはν =整数付近とは異なり擬スピン強磁性状態では理解が難しく、新しい電子状態、特に擬スピン非偏極の基底状態に起因する現象であると考察した。実際に、電子スピン自由度に関しては、ランダウ準位充填率が整数から外れた場合に、スカーミオンの生成や電子スピン非偏極分数量子ホール状態のように電子スピン非偏極状態が基底状態となる例は少なくない。擬スピン非偏極状態が局在状態であるとすれば、上記の縦抵抗率ディップとホール抵抗増大は理解できる。さらに擬スピン偏極状態・非偏極状態間では1次相転移が起き、ドメイン形成により縦抵抗率ピークが生じると考え、縦抵抗率ディップの両側に現れたピークを説明した(図3右下)。ヒステリシスやφ に関する異方性をν =整数付近と同様に観測したが、これらも1次相転移に伴うドメイン構造の形成で理解しうる。最後に、擬スピン非偏極状態の候補を検討した。N の異なる電子が存在確率の空間分布の違いを利用してペアリングを起こす可能性をもとに、ペアが作る三角格子状の電荷密度波状態や超伝導の可能性を議論した。

[総括]

高移動度シリコン2次元電子試料を用い、系統的にランダウ準位交差時の磁気抵抗を調べた。整数ランダウ準位充填率付近において、強い異方性を持つ縦抵抗率ピークを観測し、擬スピンの強磁性による異方的ドメイン構造をもとに説明を与えた。異方性は自発的に増長されている可能性が示された。また高温においてはダブルピーク構造を観測し、擬スピンの常磁性領域における、擬スピンの磁性が関与した新しい散乱過程の可能性を見出した。整数量子ホール状態間の遷移領域においては、縦抵抗率の減少とホール抵抗の異常を観測した。これは擬スピン非偏極の新しい基底状態の実現を示唆する重要な結果である。

図1:異方性を持つ縦抵抗率ピークの観測(左図)およびヒステリシスの観測(右図)右図のデータは、低温から順に200Ωずつオフセットをかけて表示してある。

図2:ダブルピークの観測(左図、なだらかなバックグラウンドを差し引いてある)およびピーク中心位置の温度変化(右図)

図3:整数量子ホール状態間の遷移領域における縦抵抗率の減少(左下)とホール抵抗の増大(左上)および擬スピンで記述したモデルによる縦抵抗率変化の説明(右下)左図中、破線の曲線はフェルミエネルギーが準位交差点近傍にないときの磁気抵抗。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり,第1章は序論として,研究の背景がまとめられ,本研究の目的が述べられている.第2章では実験の方法が詳しく述べられている.第3章と第4章は論文提出者によって行われた2種類の状況での実験結果が詳しく述べられ,最後の第5章では実験の総括と展望が述べられている.

強磁場中の2次元電子系は量子ホール効果を示すが,これは磁場により運動エネルギーが離散化されたランダウ準位が形成されるためであり,ランダウ準位とフェルミ準位が一致する場合には強相関電子系となり,分数量子ホール効果を初めとして,電子相関による様々な基底状態が実現することが知られている.このように興味深い2次元電子系であるが,さらに新しい現象を引き出すために,新たな自由度を導入する試みが以前よりなされてきた.その一つの試みは2層系を作成すること,もう一つの試みは異なる量子数を持つ2つのランダウ準位を同時にフェルミ準位に近づけることである.このようにして導入された新たな自由度は擬スピンを用いて表現することができる.擬スピン間の相互作用は通常は交換相互作用に基づく強磁性相互作用であり,強磁性ドメインの形成による電気抵抗のピーク構造などが観測されてきた.

さて,従来はこのような研究は主に易動度の高いGaAs系2次元電子系で研究されてきたが,本論文では,シリコンを用いた2次元電子系での実験結果が報告されている.シリコンを使うことによる特徴は,スピンゼーマン分裂が大きいために磁場を2次元面に対して傾けることにより,容易に異なる量子数のランダウ準位交差を実現できること,シリコンでは谷縮重もあるために,自由度がさらに2倍になることである.このような特徴を持つシリコンでの実験研究はこれまであまり活発ではなかったが,これは易動度が高い試料が得られなかったことに起因しており,その点,本論文では世界最高レベルの易動度の試料を用いて,この欠点を克服している.

この高易動度の試料により,本研究では新たな現象が発見されたが,次にそれらについて述べて評価する.まず第3章に記述されたランダウ準位占有率が整数の場合の実験結果である.占有率が整数の場合には通常は量子ホール効果が観測されるが,ここで準位交差を起こすと,エネルギーギャップの消失に伴い抵抗ピークが観測される.先行研究により,このピークは異方性を持つことが知られていたが.本研究ではこの異方性が確認されると共に,より高温側ではピークが弱まりながら,2つに分裂するという,新たな現象が見いだされた.本論文ではこの分裂したピークの温度依存性,磁場依存性を検討し,ピークが分裂する温度が擬スピンの強磁性状態への転移温度であるという結論を得ている.また,高温側での2つのピークでは擬スピンの偏極率が一定であると言うことが主張されている.これらの結論は間接的な証拠に基づくものであり,今後実験および理論による更なる検討が必要であると思われるが,詳細な測定により,確固たる新しい実験事実が得られたことは十分に評価できる.

第4章では占有率が2つの整数値の間にある,遷移領域と呼ばれる状況での準位交差により生じる現象が述べられている.この状況での実験の報告はこれまでほとんどなく,本実験で初めて詳細な研究が行われたものである.この遷移領域においては通常はホール抵抗は非量子化値をとり,対角抵抗は有限値を持つ.しかるに,準位交差を起こした場合にはホール抵抗は量子化値に接近し,対角抵抗は消失に向かうことが観測された.これは,準位交差により量子ホール効果状態が実現することを意味しており,電子の局在をもたらす未知の多体状態の出現を意味するものと考えられる.本論文では基底状態の候補として異なるランダウ準位に属する電子対のウィグナー結晶という新しいタイプの基底状態の可能性が指摘されている.この可能性については今後の研究が待たれる所である.

以上,本研究は世界最高水準の試料について詳細な実験を行い,新たな実験結果を得たことにより,強相関電子系の研究に対し,大きな寄与を与えたものであり,博士論文として十分な内容を持つものとして高く評価できる.

なお,本論文は西岡貴央,関根啓仁,岡本徹との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

UTokyo Repositoryリンク