学位論文要旨



No 123269
著者(漢字) 永井,誠
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,マコト
標題(和) 銀河系中心領域における高速度分子ガス
標題(洋) High-velocity Gas in the Central Molecular Zone of our Galaxy
報告番号 123269
報告番号 甲23269
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5150号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,忠幸
 東京大学 准教授 安田,直樹
 東京大学 教授 森,正樹
 東京大学 教授 須藤,靖
 東京大学 教授 梶田,隆章
内容要旨 要旨を表示する

銀河系の中心から数百パーセクに渡る領域は、星の強い集中と大量の星間物質によって特徴づけられる、特異な領域である。銀河系中心分子層(Central Molecular Zone; CMZ)と呼ばれるこの領域には、多くの星間ガスが分子雲として存在し、それは銀河系円盤部に比べて高温・高密度・高速度分散等の性質を有する。分子ガスの空間・速度分布は、多くのシェルないしアーク構造を持ち、また高温環境下でしか生成されない分子種が広範かつ豊富に存在する。こうしたCMZ 内にある分子雲が呈する物理状態・化学組成の原因は未解明であった。

CMZ に特有な分子雲の構造のひとつに、高速度コンパクト雲(High-velocity CompactClouds; HVCCs)と呼ばれる、極めて広い速度幅を(~ 100 km s-1)持つ空間的にコンパクトな(d ≦ 5 pc)分子雲群がある。HVCCs は野辺山宇宙電波観測所 (NRO) 45 m 電波望遠鏡を用いた一酸化炭素分子(CO)のJ=1-0 回転遷移輝線(115 GHz)の広域サーベイ観測によって多数発見され、数例についてのみ座標値が報告されていた。このうち1天体については、複数の分子種および回転遷移の観測が行われ、それがCMZ の中でも特に高温・高密度の物理状態を有する事が示された。また、別の1天体は明瞭な膨張シェル構造を内包し、その運動エネルギーが1052 erg にも達することが示された。これらの結果は、HVCCs が何らかの局所的な爆発的天体現象に起因し、その衝撃波によって加熱・圧縮・加熱されたことを示唆している。

我々は、HVCCs がCMZ 分子雲の特異性を解明する手がかりとなる重要な天体であると考えた。HVCCs の性質を明らかにし、その起源に迫るためには、それらの完全なリストを作成する必要がある。CO J=1-0 サーベイのデータには、明らかに多数のHVCCs が見られるが、それらの正確な同定は行われていなかった。我々はまずCO 輝線の空間・速度軸を持つ3次元データキューブに含まれているHVCCs を系統的に同定するスキームを開発した。これは、計算機アルゴリズムによるHVCC 候補天体の同定と、それらの見た目による選別の2つの過程から成る。CO J=1-0 データキューブにこの方法を適用し、84 天体を同定した。これらのHVCCsの大きさ速度幅関係は、銀河系円盤部の分子雲のみならず、CMZ で通常の分子雲のものからも大きく外れており、HVCCs がこれまで知られている分子雲の範疇に属さない、全く新しい種類の天体であることを明確に示している(図1)。

また我々は、HVCCs の起源を探る為にはCO J=3-2 輝線(346 GHz)の広域サーベイ観測が不可欠であると考えた。この輝線はJ=1-0 輝線より高励起の準位に相当し、衝撃波通過直後の分子ガスをよくトレースする。また、J=1-0 輝線強度との比較から、分子ガス物理状態の推定ができる。我々はAtacama Submillimeter Telescope Experiment (ASTE) を用い、CO J=3-2 輝線の広域サーベイ観測を行った。2 シーズンの観測によって、CMZ の主要な部分について、J=1-0 輝線サーベイと同じ34津''(1.4 pc)のグリッド間隔で、極めて良質なデータを取得した。これと、NRO 45 m 望遠鏡による CO, (13)CO J=1-0 輝線のデータを併せて、輻射輸送方程式を近似した(Large Velocity Gradient 近似; LVG 近似)モデルによって分子ガスの密度(n)・力学温度(Tk)・単位速度あたりの柱密度を各データ点で求め、これらの物理量の空間・速度分布を描き出した。この際、複数の分子輝線強度から最小二乗法により物理状態を評価する頑強なアルゴリズムを開発した。その結果から、CMZ の分子ガスが典型的にn ≧ 103.5 cm-2、Tk ~ 30 Kの物理状態を有することが確認された。また、CO J=3-2/ CO J=1-0 輝線強度比(R3-2/1-0)が分子ガスの励起状態を反映しており、R3-2/1-0 > 1.5 のガスの大部分が高温状態(Tk > 60 K)であることを示した。

このCO J=3-2 データキューブに対して前述の同定スキームを適用し、68 天体を得た。これによって、同定されたHVCCs は総計122 天体となった。CO J=3-2, J=1-0 両輝線で重複するものは30 天体あった。これらのHVCCs の物理量(大きさ、速度幅、質量、運動エネルギー)の分布と相関を調べた。物理量の分布・相関はCO J=3-2 で同定したものとCO J=1-0 で同定したものとで、概ね一致している。HVCCs の広い速度幅は主に膨張運動に由来すると考えられ、膨張の時間スケールは典型的に~105 年である。運動エネルギーは10(49)-10(52) erg と膨大かつ広範に渡っている(図2)。

HVCCs 内では、CMZ 全体に比べてR3-2/1-0 輝線強度比が高いものが多い傾向にある。COJ=3-2 サーベイの領域に含まれているHVCCs それぞれについてCO J=3-2 強度で重みをつけたR3-2/1-0 輝線強度比の平均 〈R3-2/1-0〉 を求めたところ、6 天体(~5%)で1.5 以上と非常に高く、ほぼ半数の天体で1 以上と高かった。残りの大部分はCMZ での平均的な値0.5-1 であったが、5 天体では0.3-0.5 と低い値だった。 〈R3-2/1-0〉の値はHVCCs のCMZ 内での位置に依存し、中心核の比較的近傍には〈R3-2/1-0〉=1-1.5 のものが集中し、外縁部に〈R3-2/1-0〉=0.5-1 のものが散らばっている(図4)。各々のHVCC についてCO J=1-0 vs. J=3-2 輝線強度相関プロットを作成し、それにLVG モデル曲線をフィットする事によって物理状態を推定し、それぞれの〈R3-2/1-0〉範囲に対応する典型的な密度-温度範囲を得た(図5)。

以上の結果から、CMZ に特有な天体HVCCs が、局所的な衝撃波によって加速されたガス雲である事が確認された。高いR3-2/1-0 輝線強度比は、そのHVCC が加熱・圧縮を受けて間もない事を示している。そしてR3-2/1-0 輝線強度比の系列は、衝撃波通過後のガスが冷却していく過程を反映しているものと解釈できる。一方で、ほとんどのHVCCs にはHII 領域が付随しておらず、Wolf-Rayet 星風による加速は考えにくい。つまりHVCCs のエネルギー源は超新星爆発と考えることが妥当である。この事は、CMZ 内には未同定の超新星残骸が多数埋もれており、それらの度重なる衝撃波通過によって同領域の分子ガスの特異な物理状態・化学組成が実現されている事を示唆している。

同定されたHVCCs の半数以上は、運動エネルギーが一個の超新星爆発で供給可能な量(~10(50) erg)を上回っている。これらの"energetic"なHVCCs には、多数の超新星爆発を起こすコンパクトな大質量星団が付随していると考えられる。例えば、年齢10 Myr、総質量105 M◎の大質量星団であれば、105 年の間に約10(52)erg の運動エネルギーを供給できる。この仮説によれば、HVCCs の形状・物理状態・広範な運動エネルギー分布も自然に説明する事ができる。最近の理論的研究により、銀河中心核近傍の爆発的星形成によって多数の大質量星団が形成され、その中で形成された中間質量ブラックホールがその母胎とともに中心核へ沈降・合体することによって、中心核巨大ブラックホールが形成もしくは成長する、というシナリオが提唱されている。一般に、大量の視線方向の星と、星間塵による吸収で隠された銀河系中心領域で、このような星団を直接検出することは難しく、これまでに僅か3 例が確認されているに過ぎない。つまり我々の結果は、そのような大質量星団の存在を確認する新しい手段を呈示したという意味において、極めて重要なものである。

我々の銀河系ではCMZ にのみ多数見られるHVCCs は、系外のスターバースト(爆発的星形成)銀河におけるスーパーバブルおよびスーパーウィンドの縮小版として理解することができる。例えば、energetic HVCCs の一つ CO1.27+0.01 が、銀河円盤上に吹き上がるスーパーウィンド様の形態を有する L=1.3° 分子雲複合体の中心部に位置するという事実も、両者が本質的に同じ過程によって生成された事を裏付けている。近い将来、Atacama LargeMillimeter/submillimeter Array (ALMA) を始めとする次世代の大型電波干渉計により、近傍系外銀河の中心領域においてHVCCs に類似する構造が続々と検出されるだろう。本研究は、それによって劇的に進展するスターバースト研究の重要な礎となる事が期待される。

図1:分子雲の大きさ速度幅関係。赤のデータ点は高速度コンパクト雲、黒丸は銀河系円盤部、白丸はCMZ の分子雲である。それぞれの大きさ速度幅関係を示している。

図2:高速度コンパクト雲の運動エネルギーの分布。上部はCO J=3-2 で同定したもの、下部はCO J=1-0 で同定したもの。両方の輝線で同定したものは黒で示している。

図3:高速度コンパクト雲の空間分布。運動エネルギーの範囲を記号の大きさで示している。グレースケールはCO J=1-0 輝線の積分強度図。

図4:高速度コンパクト雲の空間分布。CO J=3-2 のサーベイ領域に含まれるものをCOJ=3-2/ CO J=1-0 輝線強度比の平均 〈R3-2/1-0〉 で色分けして表示している。グレースケールはCO J=3-2 輝線の積分強度図。

図5:高速度コンパクト雲内の物理状態。推定される密度・温度の典型的な値を、COJ=3-2/ CO J=1-0 輝線強度比の平均 〈R(3-2/1-0)〉の値の範囲ごとに示している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章から構成されている。第1章は序論として銀河系中心領域における高速度分子ガス研究の背景と目的が述べられている。銀河系の中心から数百パーセクに渡る領域は、星の強い集中と大量の星間物質によって特徴づけられる特異な領域である。銀河系中心分子層(Central Molecular Zone;CMZ)と呼ばれるこの領域には、星間ガスが主に分子雲として存在し、それは銀河系円盤部に比べて高温・高密度・高速度分散等の性質を有する。こうしたCMZ内にある分子雲が呈する物理状態・化学組成の原因は未解明であった。本論文では、CMZに特有な分子雲の構造のひとつである、高速度コンパクト雲(High-velocity Compact Clouds;HVCCs)に着目した研究である。HVCCは、極めて広い速度幅を(~100kms-1)持つ空間的にコンパクトな(d≦5pc)分子雲群であり、高温・高密度の物理状態を有すると考えられている。すでに3例の報告があり、それらの研究からHVCCsが何らかの局所的な爆発的天体現象に起因し、その衝撃波によって加熱・圧縮・加熱されたことを示唆する結巣が得られている。

第2章では、HVCCの系統的な研究を行うために膨大なサーベイデータからHVCCを同定するために本研究で開発された手法の解説がされ、さらにその手法をNRO45m望遠鏡によるCO J=1-0サーベイのデータに適用した結果と考察が述べられている。本研究では分子輝線の空間・速度軸を持つ3次元データキューブに含まれているHVCCsを系統的に同定するスキームが新たに開発され、用いられた。これは、計算機アルゴリズムによるHVCC候補天体の同定と、それらの見た目による選別の2つの過程から成る。CO J=1-0データキューブにこの方法を適用し、84天体が同定された。解析を進めた結果、これらのHVCCsの大きさ一速度幅関係は、銀河系円盤部の分子雲のみならず、CMZで通常の分子雲のものからも大きく外れており、HVCCsがこれまで知られている分子雲の範疇に属さない、全く新しい種類の天体であることを明確に示すものとなった。

第3章では、第2章で開発された手法を用い、J=1-0輝線より高励起の準位に相当する分子CO J=3-2輝線(346GHz)の広域サーベイ観測データに適用することで、分子ガスの物理状態の推定を行った。実際にAtacmma Submillimeter Telescope Experiment(ASTE)を用いて、CO J=3-2輝線の広域サーベイ観測を行い、CMZの主要な部分について、J=1-0輝線サーベイと同じ34"(1.4pc)のグリッド間隔で、極めて良質なデータを取得した。これと、CO,(13)CO J=1-0輝線のデータを併せて、輻射輸送方程式を近似した(Large Velocity Gradient近似;LVG近似)モデルによって分子ガスの密度(n)・力学温度(Tk)・単位速度あたりの柱密度を各データ点で求め、CMZの分子ガスが典型的にη≧10(3.5)cm(-2)、Tk~30Kの物理状態を有することを確認した。また、CO J=3-2/COJ=1-0輝線強度比(R(3-2/1-0))が分子ガスの励起状態を反映しており、R(3-2/1-0)>1.5のガスの大部分が高温状態(Tk>60K)であることを示す。このCO J=3-2データキューブに対して同定作業を行い、68天体を得た。これによって、同定されたHVCCsは総計122天体となり、本研究以前では3天体であったのに比べて格段の進歩となった。COJ=3-2で同定したものとCO J=1-0で同定したものとで、HVCCsの物理量(大きさ、速度幅、質量、運動エネルギー)の分布と相関は概ね一致している。HVCCsの広い速度幅は主に膨張運動に由来すると考えられ、膨張の時間スケールは典型的に~105年である。運動エネルギーは10(49)-10(52)ergと膨大かっ広範に渡っている。求められた各々のHVCCについてCO J=1-Ovs.J=3-2輝線強度相関プロットを作成し、それにLVGモデル曲線をフィットする事によって物理状態を推定し、それぞれのHVCCsの密度一温度範囲を得た。

第4章では、解析によって得られた結果が簡潔にまとめられ、さらに今後の展望が描かれている。本研究では、CMZに特有な天体、HVCCsの同定作業を行い、それらの物理量を評価した結果、HVCCsが既知の範疇に属さない、新しい種族の分子雲であることが明らかとなった。HVCCの半数以上が10(50)ergという大きな運動エネルギーを持っており、エネルギーの供給源が問題であり、HVCCsの形成過程として多数の超新星爆発が引き起こす衝撃波による加速で説明することができる。このことから、多くのHVCCsにマイクロバースト的に形成されたコンパクトな大質量星団が付随していると推測される。また、HVCCsの平均CO J=3-2/J=1-0強度比が広範囲にわたることから、HVCCsの物理状態の多様性を示している。

なお、本研究の一部は岡朋治、亀谷和久、久保井信行、田中邦彦との共同研究であるが、論文提出者が主体的に解析を行っており、その寄与は十分であると判断される。

よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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