学位論文要旨



No 123273
著者(漢字) 藤岡,宏之
著者(英字)
著者(カナ) フジオカ,ヒロユキ
標題(和) FINUDA実験における静止K- 吸収反応により生成されるNN 系の研究
標題(洋) Study of NN system produced via the stopped K- absorption reactions in the FINUDA experiment
報告番号 123273
報告番号 甲23273
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5154号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 上坂,友洋
 東京大学 准教授 山下,了
 東京大学 教授 宮武,宇也
 東京大学 教授 初田,哲男
 東京大学 講師 井手口,栄治
内容要旨 要旨を表示する

1960年代から70年代にかけて、静止した負K中間子の原子核への吸収についての実験が数多く行われていた。K中間子が原子核中の1核子に吸収される過程(1核子吸収)が支配的であるが、1核子吸収では説明できない多核子吸収が20%程度の割合で存在することが知られていた。当時の実験は泡箱や原子核乾板を用いたもので、荷電粒子の検出しか出来なかったために多核子吸収について詳細に調べることは困難であった。負π中間子の場合には準自由過程の2核子吸収が観測されており、K中間子についても同様に準自由過程の2核子吸収が起こることが期待されていた。

我々はイタリア・フラスカティ研究所にあるφ中間子工場DAΦNEにおいて、大立体角のソレノイド型スペクトロメータを用いたFINUDA実験を行っている。静止K中間子吸収反応に伴い放出される荷電粒子と中性子の検出が可能で、ハイペロン(本稿中ではΛ粒子もしくはΣ粒子)と核子の同時測定により2核子吸収の研究を行った。

既に2003~2004年にかけて取得したデータの解析において、Λ粒子と陽子の対を初めて観測することに成功していた。しかし、Λ粒子と陽子の不変質量が始状態(K中間子と2陽子)のエネルギー閾値付近に分布せず、そこから100MeV程度減少して広がっていることが分かった。この不変質量分布を単純に準自由2核子吸収過程に起因するものとして説明することは困難で、K中間子と2陽子の深い束縛状態(K-pp)が作られ、その2体崩壊を観測したという仮説を提案した。当時、K-ppを含むK中間子と原子核の束縛状態の存在が赤石・山崎により理論的に予想されていたが、観測された分布から求めた束縛エネルギーは彼らの理論計算と比べて大きく、その一方で深く束縛することで主要な崩壊モードであるΣπチャンネルへの崩壊が抑制されるにも関わらず、崩壊巾も広がっていた。ところがK-pp仮説に対して、準自由2核子吸収のあと終状態相互作用などの二次的な過程を受けた、という解釈も存在しており、両解釈をはっきりと区別することはできなかった。

そのため、〈Λ粒子と陽子〉以外の〈ハイペロンと核子〉対の分布について、2核子吸収が果たして準自由過程として起こるかを実験的に測定することは、〈Λ粒子と陽子〉の分布を理解するために重要であると考えた。ただし、この時点では統計が十分でなかったために検出効率の低い中性子を含む他の終状態について詳細な解析をすることはできなかった。また〈Λ粒子と陽子〉対について標的毎の解析が困難であり、3種類の異なった原子核標的の足し合わせしか示すことができなかった。

そこで統計量を1桁増やすことで、他の〈ハイペロンと核子〉対についても個々の標的毎の分布についても系統的に調べることを目指し、2回目のデータ収集を2006年11月~2007年6月にかけて行った。前回と異なり全てp殻の5種類の原子核標的(6Li, 7Li, 9Be, 13C, D2O)を用い、約5倍の積分ビームルミノシティに相当する負K中間子を原子核中に静止させた。

Λ粒子と同様に、中性子と負π中間子の不変質量分布から負Σ粒子を同定することに成功した。その結果、〈Λ粒子と陽子〉以外に、〈Λ粒子と中性子〉と〈負Σ粒子と陽子〉の3種類を同時に観測することに成功した。〈Λ粒子と陽子〉はK中間子の2陽子への吸収(pp吸収)であるが、〈Λ粒子と中性子〉と〈負Σ粒子と陽子〉は陽子と中性子の対への吸収(pn吸収)である。3種類のいずれにおいても反対方向にピークを持つ角度相関が見られ、2核子吸収によるものであることを示している。そこで反対向きに相関を持つ〈ハイペロンと核子〉対を選び、解析を行った。

次に、準自由過程に起因するものかどうかを判定するために、ハイペロンと核子のエネルギー和分布を調べた。その結果、〈Λ粒子と中性子〉と〈負Σ粒子と陽子〉においては閾値付近に構造を持ち、負K中間子において準自由2核子吸収過程が確かに存在することが分かった。一方で、〈Λ粒子と陽子〉の分布はこれらと異なり、閾値付近から下に広がって連続的に分布しており、他の対で観測されたような閾値付近のはっきりとした構造は観測されなかった(図1)。

また個々の終状態を同定することにより、静止K中間子当たりの収量を評価した。Λ粒子を含む終状態についての結果を図2に示す。〈Λ粒子と陽子〉の収量は5種類の標的について0.9~2.4%で、そのうち閾値近傍(エネルギー和が2.30~2.38GeVの範囲)の収量は0.2~0.4%と見積もられた。一方で、閾値近傍の〈Λ粒子と中性子〉の収量は2~3%で、エネルギー和が2.30GeV以下の収量は高々2%程度であることが分かった。

したがって閾値近傍に分布する割合という点で、〈Λ粒子と陽子〉と〈Λ粒子と中性子〉のエネルギー和分布が大きく異なっていることが分かった。このチャンネル依存性はpp吸収とpn吸収の間に吸収反応機構の違いがあることを示唆している。

ところで2005年にFINUDA実験がK-pp状態の仮説を提案した後、K-pp状態についての様々な理論計算が行われるようになり、模型による結果の違いはあるものの束縛解の存在を示す計算が多い。一方で 間相互作用のアイソスピン依存性によりK-pn系は束縛状態を持たないか、束縛したとしても束縛エネルギーは小さいと考えられている。もしK-pp束縛状態が存在したとすると、負K中間子と2陽子の吸収過程においてのみ準自由過程ではなく束縛状態を経由する可能性がある。そうであるならば、観測された〈Λ粒子と陽子〉の不変質量分布はK-pp束縛状態に対応したものになると考えられる。今回のデータで得られた不変質量分布は標的毎の依存性が小さいことが確認され、また前回のデータとも矛盾していなかった。

また、別の解釈、すなわち準自由2核子吸収のあと二次過程を経た結果、観測される〈Λ粒子と陽子〉のエネルギー和が減少する可能性についても考察を行った。終状態相互作用を含む他の解釈においてはK-pp仮説と異なり強いアイソスピン依存性は生じないと考えられるため、実験で明らかになったチャンネル依存性を説明するのは困難であることが分かった。

本研究を通じて、K-ppという3体系の深い束縛状態が存在し、静止K中間子の吸収反応によってそれが生成される可能性を指摘した。今後行われる予定のK-pp束縛状態の直接生成実験に対するインプットになると考えられる。

図1: アクセプタンス補正後の〈Λ粒子と陽子〉のエネルギー和分布。

図2: Λ粒子を含む終状態の静止K中間子あたりの収量。QFはエネルギー和が2.30GeV以上2.38GeV以下であることを示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる。第1章は導入部であり、本研究がストレンジネスを持った中間子であるK-と原子核の強い束縛状態に関するものであることが述べられている。申請者のグループは、2003-2004年にイタリアで行われている国際共同実験(以下FINUDA実験)で、K吸収に続いて放出されるA粒子と陽子の崩壊質量分布が、静止質量の和を数十MeVから100MeV程度下回っていることを発見した。これはKと2つの陽子(Kpp)が深い束縛状態であることの証拠とも考えられたが、その一方終状態相互作用など1ぐppの深い束縛状態を仮定しないモデルでも説明できたため、確証となるには至らなかった。

申請者は、不変質量分布の1)崩壊チャンネル依存性、2)標的依存性が、K-ppの深い束縛状態による解釈とその他の解釈の識別に有効であることを見出し、新たな実験を提案した。新しい実験では、1及び2が明らかにできるように、以前の実験に比べて一桁多い統計量が得られるようデザインされている。

第2章はFINUDA実験の説明にあてられている。FINUDA実験は、イタリア・フラスカティ研究所にあるΦ中間子工場DAΦNEにおいて、大立体角のソレノイド型スペクトロメータを用いて行われている。静止K中間子吸収反応に伴い放出される荷電粒子と中性子を大きな立体角で検出できることが最大の特徴であり、ハイペロン(A粒子もしくはΣ粒子)と核子の同時測定による二核子吸収の研究に適している。申請者は既存のスペクトロメータの中心部にプラスチック・シンチレーション検出器を導入し、遅いK中間子を電子など他の粒子から識別することに成功した。論文ではスペクトロメータを構成する検出器及びトリガー条件、データ収集系について説明がなされている。

第3章では、データ解析の詳細が記述されている。今回の実験では,pp対による吸収に起因するApと,pn対による吸収に起因するAnΣ-pの計3つの崩壊チャンネルを検出している。全てのチャンネルで、正反対の方向(180度)にピークを持つ角度相関が見られ、これらの崩壊チャンネルが二核子吸収によるものであることを確認している。次に180度相関を持つ二粒子に対してエネルギー和分布を導出した。Apチャンネルについては、大立体角スペクトロメータの利点を活かし、広いエネルギー和領域に対して崩壊分岐比の絶対値を決定することに成功している。この結果Apチャンネルでは準自由領域(閾値近傍)の分岐比がAp全体のうち115程度であることが明らかとなった。

一方、終状態に中性子を含むAn及びΣ-pチャンネルに対しては、準自由領域の分岐比を得ているが、実験条件が遅い中性子に対して感度がないため準自由領域以外ではAn及びΣ-pチャンネルの分岐比を決めることができなかった。そこで、Aの全収量を用いて、閾値以外でのAnチャンネル分岐比の上限値を決定し、準自由領域での分岐比が全体の112より大きいという結果を得た。これらの結果から、ApチャンネルとAnチャンネルでエネルギー和分布が異なっていることを見出した。また、Apチャンネルの不変質量分布の標的依存性が小さいことを見出した。第4章では、実験結果と理論の比較から議論が行われており、申請者が発見した3つの実験事実A)エネルギー和分布の崩壊チャンネル依存性が大きいこと、B)Apチャンネルでは準自由領域での分岐比が全体の約115しかないこと、C)Apチャンネルの不変質量分布の標的依存性が小さいこと、と無矛盾であるのがKppの深い束縛状態による解釈よるものだけであると結論されている。このことにより、kppという3体系の深い束縛状態が存在し、静止K中間子の吸収反応によってそれが生成されている可能性が指摘された。

第5章は、以上の内容をまとめたものである。

ストレンジネスを含んだ多体系の研究の中でも、KNの特定のチャンネルで予想される強い引力が引き起こす深い束縛系は注目を集めているテーマである。申請者は、FINUDAの大立体角スペクトロメータの特質を活かし、静止Kの二核子吸収による実験結果から、Kppが深い束縛状態を持つ可能性を指摘した。この結果は、今後J-PARCなどで展開される研究の方向性に影響を与えうるものであり、大きな物理的意義を持つ。

なお、本研究はイタリア・日本・カナダなどの国際共同研究によるものであるが、論文提出者は実験の発案、設計段階から、準備、遂行まで常に中心的役割を果たし、実験データの解析をほぼ全てを一人で行っている。このことから論文提出者の寄与が十分であると判断した。

以上のことから、審査員一致で論文申請者に博士(理学)の学位を授与できると判定した。

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