学位論文要旨



No 123278
著者(漢字) 森江,孝明
著者(英字)
著者(カナ) モリエ,タカアキ
標題(和) 非磁性Γ3基底二重項を持つPr化合物の極低温下における低エネルギー励起の研究
標題(洋) Low energy excitations in the Pr compounds with a Γ3 non-magnetic doublet ground state
報告番号 123278
報告番号 甲23278
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5159号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 上床,美也
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 藤森,淳
 東京大学 准教授 徳永,将史
内容要旨 要旨を表示する

1 序論

希土類金属が低温において示す磁性は、希土類イオンの持つ4f電子に由来する。化合物中においては、主に結晶場基底状態の有する自由度により磁気的性質が支配される。Ce金属化合物のCeイオンは、基底状態に磁気双極子の自由度を持ち、低温においてこの自由度に由来する磁気的性質を示す。古くから研究が行われている磁気秩序、近藤効果は、4f電子の結晶場基底状態が縮退の無いより安定な基底状態を達成する現象である。4f電子系の金属においてこれら二種類の異なる磁気的性質の起源は同一であり、それは局在4f電子の持つモーメントと伝導電子の間の相互作用である。そして幾つかのCe化合物においては、上記二つの性質が競合しているような振る舞いを示すものが見つかっており、これらは重い電子系と呼ばれ研究が行われている。

一方、結晶の対称性が高い場合、結晶場基底状態に軌道縮退が残る場合がある。強いスピン・軌道相互作用のため、4f電子の状態は角運動量Jにより記述され、スピンと軌道の複合自由度である多極子モーメントの自由度を持つ。このような化合物は、低温において基底状態の持つ多極子の自由度により支配される磁気的性質を示す。幾つかの4f電子系化合物において多極子モーメントの秩序が観測されている。また、局在f電子の持つ軌道(四極子)の自由度に対する近藤効果の研究も行われており、特に結晶場基底状態が非磁性二重項の場合、低エネルギー励起の振る舞いが特異であることが理論的に予想され注目されている。

4f2配置のPr化合物に限って話をすれば、PrFe4P12においては電気抵抗に極小が観測され、多極子秩序を壊す磁場中において大きな電子比熱係数を持つ。特に、非磁性T3二重項基底を持つPrInAg2、PrMg3の比熱においては、低温でブロードなピークが見られ、これらは近藤効果によるものではないかと考えられているが、後に述べるように試料の問題から未だ確定していない。

非磁性Г3基底二重項を持つPr化合物

非磁性T3二重項に対する近藤効果は四極子近藤効果と呼ばれ、低エネルギー励起の振る舞いが通常の近藤効果とは異なり非フェルミ液体的であることが理論的に予想されている。

Ce化合物は半整数のJを持ち、必ず磁気自由度が基底状態に残るため、非磁性の縮退を持つことはない。またU化合物などの5f電子系は遍歴性が高く、局在f電子描像では取り扱いが難しい。そこで本実験では、四極子近藤効果について調べるために、結晶場基底状態に非磁性T3二重項を持つ以下のPr化合物に着目した。

PrPb3は、Г3二重項基底を持つPr化合物の中で唯一AFQ秩序(TQ = 0.4 K)が確認されている化合物で、後に述べるPrMg3とは異なり、サイト置換の無い結晶構造(AuCu3型)を持つ。PrPb3のAFQ秩序構造は、磁場中中性子回折実験において詳細に調べられている。その結果、低磁場領域では、格子の8倍周期を持つO20sin波秩序構造(AFQ-I)である。100 mK、1 T以上では高調波が観測され、O20反位相構造(AFQ-II)であることが明らかにされた。AFQ-Iの秩序構造は絶対零度付近まで保持されていると考えられ、そのままでは基底状態の縮退が残るので、どのような機構でこの自由度が失われるかに興味が持たれる。またPrPb3は、PrをLaで数%置換するだけで低磁場では秩序が抑えられてしまう。秩序を起こさない場合、はたして近藤効果が起きるかどうかに興味が持たれる。

Г3基底二重項を結晶場基底状態に持ち、秩序を示さない化合物として知られているのはPrInAg2とPrMg3である。但し、これらはホイスラー型結晶構造であるため、サイト置換による格子の乱雑性が起きやすい欠点がある。そのため局所的に立方対称性の破れが生じ、Г3基底二重項が静的に分裂している可能性がある。PrMg3の比熱測定からは、550 mKまで長距離秩序は存在せず、約900 mKに比熱のブロードなピークが報告されている。このブロードなピークは、ランダム二準位系を仮定しても説明出来るため、比熱測定だけから近藤効果の存在は結論できない。そこで本研究ではPrMg3の低温磁化率測定に着目した。比熱とは異なり、[111]方向の磁化率の温度依存性は、格子の乱雑性によるГ3基底二重項の僅かな分裂の影響を受けにくいことを示すことができる。

それ故、この方向の磁化測定において観測される振る舞いは、基底二重項に働く局所歪み以外の本質的な相互作用によるものであると考えられる。

2 研究の目的

本研究の目的は、四極子近藤効果に伴う低エネルギー励起の振る舞いを観測することである。そこで以下の理由から近藤効果の可能性が考えられる三つのГ3基底Pr化合物を用いて実験を行った。

1)PrPb3のAFQ-Iにおいては、その特異な秩序構造から基底状態の縮退が完全に解かれていないサイトが存在すると考えられる。よって残された縮退の解放機構を明らかにする。

2)PrPb3を非磁性元素Laで3%置換する事により長距離秩序を抑えた系において、基底状態の持つ縮退の解放機構を明らかにする。

3)秩序を示さないPrMg3において、100 mKまでの比熱測定を行い、長距離秩序の有無と極低温領域における低エネルギー励起の振る舞いを調べる。特に局所歪みの影響が現れにくいH//[111]方向の磁化の温度依存性から、四極子近藤効果による異常の有無を調べる。

3 実験方法

試料は筑波物質材料研究機構の鈴木博之博士により作成された単結晶を提供して頂いた。

極低温領域における各種測定は希釈冷凍機を用い、磁化、比熱、電気抵抗の測定を行った。磁化はファラデー法を用いた磁化測定により行い、電気抵抗測定はAC-レジスタンスブリッジを用いた4端子AC測定法により行った。100 mK以下の零磁場比熱測定は、東京大学の柄木良友博士の協力の下行い、磁場中の測定は自作した測定用セルを用いて、100 mKまで擬断熱測定法により行った。各測定とも極低温領域ということで温度の緩和には十分注意を払い測定を行った。

4 結果と考察

すべての試料で比熱、磁化において141Pr核の寄与が観測され、磁場中においてその寄与は大きい。各々の結果からこの核の寄与を妥当な解析により差し引き、4f電子の振る舞いを評価した。

PrPb3

図.1に核比熱を差し引いた後のPrPb3のC/Tの結果を示している。零磁場AFQ-Iにおいて、約1.5 J/mol K2の大きな電子比熱係数が観測された。一方で磁場中のAFQ-IIにおいては、C/Tは零磁場程大きな値は残していない事が分かった。図.2には電気抵抗の測定結果を示している。零磁場、0.5 TのAFQ-Iでは、TQ以下測定最低温度までフェルミ液体的に振る舞い、温度依存性のT2の係数は約1.1 цΩcm/K2と大きな値が観測された。一方、AFQ-IIにおいては測定最低温度付近で温度依存性をほとんど示さないことが分かった。

電気抵抗の測定結果から、AFQ-IIでは秩序により全てのサイトで基底状態の縮退が解けている事を示唆している。一方AFQ-Iでは、秩序により縮退が解かれていないサイトにおいて、基底二重項と伝導電子が混成することにより、大きな電子比熱係数が観測されていると考えられる。これらAFQ-Iの特徴的な振る舞いは、その特異なAFQ秩序構造によるものであり、電子相関の強い状態が実現していると考えられる。

Pr0.97La0.03Pb3

図.3にPr0.97La0.03Pb3の零磁場比熱測定結果をC/Tで表したものを示している。秩序は確認されず、四極子間相互作用か局所歪みに起因すると考えられるブロードなピークを示し、約4 J/mol K2の大きなC/Tを残している。図.4に磁化測定結果を示している(横軸T 0.5表示)。2 K程度の温度から降温と共に上昇し続ける特異な振る舞いを示す。この磁化の特徴的な振る舞いは、Cox等により提唱されている四極子近藤効果を考える事により説明する事が可能である。

Г4結晶場励起状態も考慮に入れた四極子近藤効果においては、磁化率が-T0.5に比例する。測定結果では1 K以下でこの温度依存性に従っており、これは四極子近藤効果による異常であると考えられる。

PrMg3

零磁場において比熱にブロードなピークが観測された。比熱測定において試料依存性が見られたことから、このピークは、サイト置換により基底二重項が分裂していることによる寄与を含んでいると考えられる。

100 mKまで長距離秩序は観測されず、図.5に示すように、T→0で大きなC/Tを残し、H//[001]方向の磁場により極低温領域のC/Tが増大する。この結果から、零磁場において局所歪みにより全てのサイトで基底状態の縮退が解かれてはいないと考えられる。

図.6に示した磁化測定結果(横軸T0.5表示)においては、磁化が温度降下と共に上昇し続ける特異な振る舞いが観測された。H//[111]方向の結果は、静的な歪みでは説明することは出来ない。磁化の温度依存性は、得にH//[111]方向の3 K以下で-T 0.5に従っており、この振る舞いは基底状態の縮退を残しているサイトで四極子近藤効果が起きているためである。

これらの結果は、PrMg3においてГ3基底二重項を持つ局在4f電子と伝導電子の混成が存在する事を強く示唆する結果である。

PrPb3において観測された大きな電子比熱係数、PrMg3において観測された磁化の-T0.5の温度依存性は、近藤効果による挙動であると考えられ、これらはГ3二重項基底と伝導電子の混成が存在する事を示す結果である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、4f電子系化合物における、非磁性Г3二重項に対する近藤効果(四極子近藤効果)の研究結果について述べられている。四極子近藤効果は、Ce化合物において見られる従来の近藤効果とは、異なる低エネルギー励起の振る舞いを示すことが理論的に予測され注目されている。

第一章では、4f電子の示す磁性について説明し、中でも結晶場基底状態に軌道の自由度を有する4f電子化合物の磁性について説明を行っている。後半では、結晶場基底状態に非磁性Г3二重項を持つPr化合物を取り上げ、それらの過去に行われた実験結果を紹介している。その中でPrInAg2において大きな電子比熱係数が観測されており、近藤効果の可能性が示唆されている。しかし、申請者はその結果に対し、ホイスラー結晶構造のサイト置換の問題が比熱測定に及ぼす影響を指摘し、結晶の不均一性により誘発される歪みによっても、大きなC/Tが観測される可能性を指摘している。

第二章では、本研究の目的、"四極子近藤効果に伴う低エネルギー励起を実験的に観測する事"について述べている。上記サイト置換による歪みの問題に対して、サイト置換の問題の無い結晶構造を持ち、非磁性Г3二重項基底を有するPrPb3化合物と、サイト置換による歪みの寄与が、H//[111]方向の磁化率の温度依存性には現れにくい性質の二点に着目した。

PrPb3は、TQ = 0.4 Kで反強四極子秩序(AFQ秩序)を示し、低磁場領域でO20sin波構造(AFQ-I)である。この秩序構造は、基底状態の縮退が解かれていないサイトが存在するが、決定された磁気相図から低磁場で絶対零度までこの構造は保持されていると考えられる。一方、100 mK、1 T以上では反位相秩序構造(AFQ-II)になっており、この相では基底状態の縮退はすべてのサイトで解かれる。このAFQ-Iの持つ特異な性質が、伝導電子による基底自由度の遮蔽に拠るためであると考え、近藤効果の振る舞いを観測するため、極低温下の比熱、電気抵抗、磁化測定を行っている。

第三章では、実験についての説明を行っている。

極低温下における磁場中比熱測定を精度良く行うために、希釈冷凍機を用いた擬断熱測定法を行うための環境を立ち上げた。試料のサイズが小さくても絶対値をより精度良く正確に出せるように、バックグラウンドを小さくし、理想的な加熱曲線を得るための工夫を施している。また、試料の取り扱いにも工夫の跡が見受けられた。

第四章では、研究対象とした3つのPr化合物(PrPb3、Pr0.97La0.03Pb3、PrMg3)の各種測定結果を示し、考察を行っている。

PrPb3においては、予想されたように零磁場(AFQ-I)では大きな電子比熱係数が観測された。一方、AFQ-IIでは零磁場程大きな電子比熱係数は見られない事が分かった。電気抵抗の測定結果は、AFQ-Iでは測定最低温度100 mKまで温度依存性を示すが、AFQ-IIではそれと比較してほとんど温度依存性を示さない事が分かった。電気抵抗の結果は、各秩序相において、基底状態の縮退が残っているサイトがAFQ-Iでは存在し、AFQ-IIでは存在しないことを表していると考えられる。AFQ-Iで大きな電子比熱係数が観測された結果から、この系においてГ3基底二重項を持つ4f電子と伝導電子が混成し、重い電子状態を形成している事を明らかにした。

Pr0.97La0.03Pb3およびPrMg3においては、零磁場100 mKまで長距離秩序が存在しないことを比熱測定から明らかにした。またPrMg3においては、試料依存性が存在することから、サイト置換により誘発される歪みが基底二重項に影響を与えることを明らかにした。しかし、H//[111]方向の磁化率の温度依存性にはこの影響が現れにくいことを計算により示している。そして、磁化測定から上記二つのPr化合物において、磁化の温度依存性が四極子近藤効果の理論で予想される-T0.5の温度依存性を示すことを明らかにした。 これらの結果からГ3二重項基底を持つ局在4f電子と伝導電子の混成が存在する事を明らかにした。

第5章で以上の結果をまとめている。

以上のように、本論文は、四極子近藤効果について非磁性Pr化合物を研究対象物質として極低温における比熱測定を中心に測定を行い、多くの新しい情報を初めて得ることが出来た。これらの結果は、四極子近藤効果の存在を示唆しており、高く評価された。

なお、本論文の一部は、鬼丸孝博、柄木良友、榊原俊郎、Jeroen Custersおよび鈴木博之との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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