学位論文要旨



No 123284
著者(漢字) 伊藤,周
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,メグル
標題(和) 近赤外シルエットエンベロープの統計的研究およびレーザーガイド星システムにおける光ファイバー伝送の特性
標題(洋) Statistical Study of Near Infrared Silhouette Envelopes and Characteristic Analysis of Optical Fiber for Laser Guide Star System
報告番号 123284
報告番号 甲23284
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5165号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 小林,尚人
 東京大学 教授 小林,行泰
 東京大学 教授 桜井,隆
 東京大学 准教授 関本,裕太郎
 国立天文台 准教授 田村,元秀
内容要旨 要旨を表示する

原始星(YSO)の星周物質の空間構造は天体とその進化段階によって様々な形態を見せており、その形成過程を探る上で大変に興味深い。中でも比較的若い進化段階にあるYSOは複雑な星周構造を持っている。光学的に厚いダストディスクの周囲にエンベロープが分布し、極方向のダストキャビティに沿ってアウトフローやジェットが吹き出す描像はよく知られている。しかし、このような複雑な構造がどのようにして形成されるのかという疑問に対して明確な答えは得られていない。これらの星形成過程の研究手段として、赤外線や電波による星周構造や分子雲コアの直接撮像観測は一般的である。この他に背景に明るい光源が存在する場合には、その背景光の吸収、減光を用いて有用な情報を得られる場合がある。この手法では、対象天体の温度構造や励起・分子ガスの組成などに影響されずに、ダスト成分の正確な柱密度を得ることが出来る。我々はこのような明るいネビュラを背景としたガス・ダスト成分をシルエットとして観測する手法を用いて、YSOの星周構造の解明に迫ろうとしている。

M17は明るい巨大なHII領域を伴った大質量星形成領域である(図1)。また、その手前には分子雲が存在していることが電波の観測から明らかになっていることより、M17星形成領域はシルエット観測に必要な明るい背景光を持つ星形成領域であると言える。1.5kpc離れたM17ではYSOの典型的なエンベロープのサイズである10000AUは6.67arcsecであり、エンベロープの形状を議論するためにはなるべく分解能の小さな観測を行う必要がある。M17と同様にNGC7538もシルエット観測に適した星形成領域である(図2)。NGC7538は2.8kpcの距離に位置するHII領域の手前に分子雲領域が存在している。これらの領域にはClass I/II天体が数多く存在していることが過去の観測からわかっており、エンベロープを伴った若いYSOのシルエット観測には最適な星形成領域であるといえる。

我々はM17星形成領域をすばる望遠鏡に搭載された赤外撮像分光装置(IRCS)と補償光学系(AO)を用いてJ、H、K'の3つのバンドで撮像観測した。また、それと重ならない領域を同じくすばる望遠鏡に搭載されたコロナグラフ撮像装置(CIAO)とAOを用いてJ、H、Kの3バンドで撮像観測を行った。我々が行った観測とは別にESOのVery Large Telescope array(VLT)に搭載されたInfrared Spectrometer And Array Camera (ISAAC)で行われた撮像のアーカイブデータを用いてM17のほぼ全域にわたってシルエットとして見えるエンベロープを持ったYSOの探査を行った。ISAACのデータはJ、H、Ksの3バンドで観測されている。NGC7538星形成領域はCIAOとAOを用いてKバンドのみで観測を行った。

我々が行った探査の結果、M17には204個の明るいネビュラを背景としたシルエットを発見した。それらのサイズやYSOの付随という条件で選別した結果、そのうちの67個はYSOに付随したエンベロープであると同定することが出来た(図3)。また、NGC7538では全部で18個のシルエットを発見した。

発見された全てのシルエットに関して、それぞれのサイズ、背景光が減光される量、質量を求めた。また、それぞれのシルエットの形状に関しても原始星を中心として端がフレアした構造をしていればバタフライ型、楕円状をしていれば楕円型、それら軸対称の形状以外の形をしたシルエットを非対称型とした。また、シルエットの中に存在する原始星についてもそれらの等級から二色図、色等級図から赤外超過量、質量、減光量というパラメータを求めた。我々は求めた赤外超過量を、YSOの進化が進むほど赤外超過は減少し、主系列星では0となる特性に着目し、YSOの進化の指標として用いた。

同定された67個の天体には赤外超過量が減少するにつれてエンベロープの質量とそのサイズが減少するという明らかな傾向が見られた。このことはこれまでのYSOの進化の過程と矛盾しない。しかし、我々の結果では進化段階がClass IIであると思われる天体についても、シルエットエンベロープが存在しているという結果であった。これはClass I天体からClass II天体に移行する際に、エンベロープの一部は降着、あるいは散逸することなく原始星の周囲に残っている天体もあることを示している。このClass II天体にもエンベロープが存在するという結果はこれまでではあまり得られておらず、我々は初めてその形状、質量などを求めることができた。

M17星形成領域においては上記の議論では同定されなかった天体の中でも、YSOの周囲の一部にシルエットが付随している天体、サイズが通常のエンベロープよりも大きな(>10000AU)天体が発見された。一部にシルエットが付随している天体はYSOの赤外超過量の値が小さく、より進化していると考えられるため、アウトフローやジェットによってエンベロープの一部が吹き飛んだ状態であると解釈できる。また、シルエットが大きな天体は中心のYSOの質量も比較的大きいことから、より多くの星周物質が付随したYSOだと考えることが出来る。しかし、これは分子雲から原始星コアが生成される過程で生じるガスのフィラメント構造の名残であるとも考えられる。

NGC7538で観測されたシルエットはサイズがより大きいという点を除けば、形状、質量などの点でM17にあるシルエット天体と大きな差は見られなかった。この研究ではKバンドでしか観測できなかったが、M17と同様のシルエット天体がNGC7538にも存在すると考えられる。しかし、NGC7538ではAOを用いるのに必要なガイド星が少なく、非常に限られた領域しか観測することが出来なかった。NGC7538やその他の星形成領域を広く観測するためにはレーザーガイド星補償光学系(LGSAO)が必要となる。

我々はすばる望遠鏡に搭載するLGSAOの開発を行っている。我々のLGSAOの特徴は188素子の波面センサーと可変形鏡で高次の大気の揺らぎを補正できる点と、レーザーガイド星(LGS)を生成させることで、AOを用いて観測できる領域を格段に増やすことが出来る点である。特にLGS生成システムにおいては、光源として全固体モードロック和周波レーザーを使用している点、レーザー光の伝送に鏡ではなくシングルモードの光ファイバーを用いている点が他の大型望遠鏡のAOと異なっている。この論文では高出力のレーザー光の伝送においても光ファイバーは使用に耐え得るか、また、光ファイバーから出射される光の偏光状態の制御が可能であるか、また、可能であれば、LGSの明るさにどのように影響するかについて議論を行った。

光ファイバーに高出力レーザーを通す際に問題となるのが、誘導ラマン散乱(SRS)と誘導ブリユアン散乱(SBS)である。これらの非線形散乱が起こると、光ファイバーの伝送効率が著しく悪化するため、これらを回避しなければならない。光ファイバーのモードフィールド径(MFD)の2乗に比例してこれらの非線形散乱の閾値は上昇するので、より大きなMFDを持つ光ファイバーを使用することが非線形散乱を起こさないためには重要である。そこで、我々は一般的に使用されるステップインデックス型ファイバー(SIF)の他にMFDをより大きくできるフォトニック結晶ファイバー(PCF)に注目した。SIFのMFDが~5μmであるのに対し、PCFでは~15μmほどのものが製作されている。我々は非線形散乱の閾値を知るために、より起こりやすい条件の(MFDが小さく、長い)SIFとPCFに高出力のレーザーを入射した。その結果、MFD11μm、200mのPCFでは非線形散乱は起こらなかったが、MFD5μm、200mのSIFでは2Wのレーザーを入射するとSRSが起こった。このことから、実際に使用する35mという長さではSRSの閾値はSIFで10W、PCFで下限値が39Wであることがわかった。計算による結果ではPCFにおけるSRSの閾値は106Wとなり、SIFと比べても格段と高いことがわかった。従って、我々はPCFを伝送用光ファイバーとして選択した。

打ち上げるレーザーの偏光状態によってLGSの明るさが変化することが知られている。円偏光のビームの方が直線偏光に比べて生成されるLGSが明るくなるため、高効率でLGSを明るくするためには光ファイバーからでる偏光状態の制御を行う必要がある。我々の選択したPCFは偏波面を保持しないため、出射光の偏光状態をモニタしながら入射光の偏光状態を変化させる実験を行った。その結果、入射光の偏光状態とともに、出射光の偏光状態が大きく変わり、かつ出射光が円偏光となるように入射光の偏光状態を調整することが可能であるとわかった。これを利用して、実際の夜空にレーザーを出射し、生成されたLGSの明るさの測定を行った。しかし、結果的に偏光状態を変えても生成されたLGSの明るさには変化が見られなかった。これはナトリウム層にある原子を飽和させるのに必要な出力に達していなかったためだと考えられる。計算では打ち上げるレーザーの出力が約10Wのとき、LGSの明るさの偏光特性が現れるという結果が得られており、将来的にレーザーの出力が向上した場合、この現象を観測できる可能性がある。

図1:M17星形成領域

図2:NGC7538星形成領域

図3:YSOに付随しているシルエットエンベロープの一例

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2部(9章)からなる。第1部では、主にすばる望遠鏡の補償光学(AO)システムを用いたHII領域M17における多数の近赤外線シルエットエンベロープ天体の統計的研究について、また第2部では、その研究を発展させるために有効な新しいすばるレーザーガイド星AOシステムの開発のうち、レーザーシステムの要となるレーザー伝送ファイバーの特性を調べた研究について記述されている。

第1章(第1部)はイントロダクションで、YSO(Young Stellar Objects)の星周物質の空間構造の研究には、赤外線や電波波長域の放射の観測だけでなく、HII領域など広がった光源を背景光として"シルエット"として観測する手法が有効であることが述べられている。本論文では特に、近赤外線を用いて原始星段階にあるYSOのエンベロープを研究対象としており、AOによる高空間分解能観測がそれに有効であることが、観測対象である星生成領域M17およびNGC7538の概要とともに述べられている。

第2章(第1部)では、すばる望遠鏡のAOシステムと近赤外観測装置IRCSおよびCIAOを用いた観測と取得された高空間分解能データについて、また、補助的に用いられた、ESOのVLT望遠鏡の近赤外観測装置ISAACによるM17のアーカイブ観測データについて説明されている。第3章(第1部)には、シルエットエンベロープの物理量を観測データから導出する方法、およびM17で検出された204個のシルエット天体の質量、直径、減光量などの詳細が天体リストとしてまとめられている。また、YSOが付随する67個の天体にっいては、そのYSOの近赤外超過と減光が求められている。

第4章(第1部)では、前章で求めた多数の天体の緒量を統計的に解釈することにより、シルエットエンベロープの性質について詳細に議論をしている所とくに、YSOの近赤外超過の減少とともにシルエットの質量等が減少する傾向を見いだし、従来のClassl天体からClassII天体への進化の描像と矛盾しないことを示した。また、多数のClassll天体に対して、従来は降着、散逸などの過程で消失していると考えられていたエンベロープを高い感度を活かして明確に見いだした。第5章(第1部)には、本論文の前半の観測研究のまとめが記述されている。

上記のような研究は、減光が強くAOの自然ガイド星が見つかりにくい星生成領域を対象としているため、人工的に作られるレーザーガイド星により飛躍的に観測研究が進展すると考えられる。そこで、以下の第2部では引き続き、申請者によってすすめられたレーザーガイド星の開発研究がまとめられている。まず第6章(第2部)では、すばるの新しいレーザーガイド星AOシステムの開発が、世界の他の8-10mクラスの望遠鏡のものとあ、わせて紹介され、特にすばるではレーザーをファイバー伝送して副鏡にとりつけられたレーザー送信望遠鏡から照射することにより、高質のガイド星が作れることが特徴として挙げられている。

第7章(第2部)では、すばるレーザーガイド星の開発において、申請者がとくに関わった伝送ファイバーの特性試験についての詳細が記述されている。高出力レーザーを通す際には、ファイバー中での散乱による減衰が問題となるが、本研究の結果、フォトニック結晶ファイバー(PCF)をモードロック和周波レーザーと組み合わせて用いれば、すばるのシステムで必要とされる高い閾値が得うれることが明らかになった。第8章(第2部)では、円偏光ビームによりレーザーガイド星の明るさを最大にするために必要な偏光制御の開発について述べられている。PCFは一般に偏波面を保持しないので、入射偏光をコントロールすることにより円偏光ビームを保持する必要がある。申請者は、PCFの偏光の入射出射の応答関数を調べ、安定した円偏光を打ち出す制御方法を確立した。第9章(第2部)には、本論文の後半の開発研究のまとめが記されている。

本論文は、地上大型望遠鏡による高感度かつ高空間分解能の近赤外線観測を活かし、シルエットエンベロープの今までにない最大のデータセットを用いて質的に高い統計的な研究をすすめたところに大きな特色がある。その結果、シルエットで見た方が感度が高くエンベロープを検出できることも明らかにした。また、レーザーガイド星の開発では、PCFを用いた伝送効率および偏光制御などその特性を系統的に評価し、今後のレーザーガイド星システムでは、PCFをモードロック和周波レーザーに組み合わせて用いるのがよい事を明らかにした点が評価できる。このように、本論文における申請者の研究は、天文学上高い意義を有すると判断される。

本論文の第1章から第5章は山下その他4名との、第6章から第9章は早野その他7名との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって解析および考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク