学位論文要旨



No 123285
著者(漢字) 江草,芙実
著者(英字)
著者(カナ) エグサ,フミ
標題(和) 近傍渦巻銀河における星形成時間とパターン速度の決定
標題(洋) Determining Star Formation Timescale and Pattern Speed in Nearby Spiral Galaxies
報告番号 123285
報告番号 甲23285
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5166号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,秀行
 東京大学 教授 柴橋,博資
 東京大学 教授 家,正則
 東京大学 准教授 嶋作,一大
 国立天文台 准教授 久野,成夫
内容要旨 要旨を表示する

我々は、渦巻銀河におけるパターン速度と星形成時間、を同時に決定する方法を独自に考案した。本論文では、この方法をOffset法と名づけ、その手法の詳細を述べる。また、この方法を適用するためのデータについて紹介し、適用した結果について議論する。そしてその結果から、銀河の力学と星形成の関連性について考察する。

パターン速度とは、Lin & Shu (1964)によって提唱された「密度波理論」の根幹をなす物理パラメータのひとつである。「密度波理論」とは、渦巻銀河のらせん模様(渦状腕構造)が密度波によって形成されると説明した理論であり、現在広く定説として受け入れられている。この理論において、渦巻腕は物質の運動のパターン(物質波)ではなく密度のパターン(密度波)として表され、パターン速度とはそのパターン、つまり密度波の回転角速度のことである。このパターン速度が銀河研究において重要であるのは、その値によってcorotationなど銀河の形態や力学に重要な共鳴点を決めるからである。しかし、パターン速度は実際に物質が運動している速度ではないので、観測から直接求めることはできないという問題がある。しかしパターン速度を観測から決定できれば、各共鳴点での物理状態を他の場所と比較することにより、銀河力学の理論に制限を与えられる。また、より遠方の銀河のパターン速度がわかれば、その結果を近傍銀河と比較することで銀河進化の理解にもつながる。

そこで、これまでに多くの研究者がそれぞれにパターン速度や共鳴点を求める方法を提案し、実際の銀河に適用されてきた。また、最近では数値計算の結果と観測結果との比較によってもパターン速度が求められている。しかし、あるひとつの銀河に対する複数の結果が一致していない場合が多く、またその誤差を正しく評価しているものも少ないので、パターン速度を求める決定的な方法は未だ確立されていないと言える。

一方、星形成時間とは、星の母体である分子雲から星ができるまでに必要な時間のことである。渦巻腕では星やガスの密度が高いため音速が小さくなり、パターンとガスの速度差が超音速となって衝撃波を形成し、分子雲が収縮して星形成が起きると考えられている。しかしこの衝撃波が分子雲形成やその後の星形成に与える影響や、分子雲から星形成までの理論も特に大質量星の場合は確立されていないため、その正確な値は求められていない。よって、分子雲が自己重力のみで収縮する際の時間(自由落下時間)である約百万~千万年程度だろうという推定や、星形成モデルを用いた星形成領域の年齢の推定にとどまっている。しかし星形成時間を観測から決定できれば、大質量星形成の理論に重要な制限を加えられる。

以上より、パターン速度と星形成時間は銀河の力学や星間物理状態を理解する上で極めて重要であるにもかかわらず、観測に基づいた決定方法は確立されていなかったことがわかる。そこで我々は、渦巻腕に付随している分子雲と星形成領域の位置のずれを用いる方法(Offset法)を考案した。分子雲は一酸化炭素分子の出す電波輝線(12)CO(1-0)の高分解能データから、星形成領域は若い大質量星からの放射によって電離された水素ガスの出す可視光輝線Hαのデータを用いている。

このCOとHαのずれは多くの渦巻銀河でその存在が知られていて、その大きさは距離にして数100 pc程度であり、物質の運動方向に対して分子雲(CO)の方が上流側にあることがわかっている。このずれを用いたこれまでの研究では、パターン速度と星形成時間のどちらか片方を仮定してもう一方の値を推定するにとどまっていたが、Offset法では両者を誤差も含めて同時に決定できるという点が新しく、独創的である。

この方法では、以下の3点を仮定する。(1)ガスや星は純円軌道上を運動する。(2)パターンは剛体であり、パターン速度(ΩP)は一定である。(3)星形成時間(tSF)は一定である。これらの仮定は非常に簡単ではあるが、実際の銀河と大きくかけ離れない良い近似である。そしてこの仮定をおくことによって、分子雲と星形成領域のずれの角度(θ)は、ガスの回転角速度(Ω)の一次関数(θ=(Ω-ΩP)×tSF)で表される。これらθとΩは観測から求められるので、最小二乗法によってフィットする事で係数であるtSFとΩPを誤差も含めて求められる。この方法は非常に単純な物理に基づいており、必要な観測量やその誤差も測定が容易なので、結果として得られる物理量とその誤差は従来の方法よりも信頼性が高いと言える。

我々は、このOffset法を適用するデータを得るため、野辺山ミリ波干渉計(NMA)を用いて、近傍渦巻銀河NGC 4254とNGC 6181のCO観測を行った。前者はおとめ座銀河団に属する銀河で銀河円盤の視直径が大きいため3視野によるモザイク観測を、後者は前者より倍以上遠く視直径も小さいため1視野での観測を行った。前者については更に、既存の45m電波望遠鏡によるデータとの合成を行い、干渉計データに特有のMissing Flux問題を解決した。

この2銀河の観測データに加え、分子雲による渦巻構造を持つ11銀河についてのCOデータを文献から得ることにより、全サンプル数を13銀河とした。また、これらの銀河について、Hαのデータと回転速度のデータを論文から入手した。そのうち1銀河については十分な回転速度のデータが得られなかったため、その後の解析から除外することとし、総データサンプルは12銀河となった。

これら12銀河についてOffset法を適用した結果、全ての渦巻銀河において、Ω-θの分布が同じであるわけではないことがわかった。そこで我々は12銀河をそのCOとHαの画像とΩ-θ分布から、以下の3種類に分類した。(1)COとHαのずれがはっきりと確認でき、Ω-θ分布からtSFとΩPを求めることができる銀河。Clear Offsetの頭文字を取って、C銀河と呼ぶ。(2)COとHαで腕がはっきり見えるものの、そのずれがほぼゼロである銀河。No Offsetの頭文字を取って、N銀河と呼ぶ。(3)上記2分類に当てはまらない銀河。COやHαで腕がやや不明瞭である銀河が多い。Ambiguous Offsetの頭文字を取って、A銀河と呼ぶ。我々が解析した12銀河では、C銀河が4天体、N銀河が2天体、A銀河が6天体であった。

C銀河については、Ω-θ分布へのフィット(図1)から得たtSFとΩPより、以下のことがわかった。(1)ΩPから求めたcorotation半径は、分子雲の銀河円盤の半径とほぼ同程度であり、可視光の銀河円盤の半径の約半分である。(2)tSFは数千万年程度であり、分子雲の自由落下時間と一致する。このことから、渦巻腕での星形成は主に分子雲の重力不安定性によって引き起こされていると考えられる。(3)銀河円盤での分子ガス表面密度Σと重力不安定性の指標であるQ値は、tSFと相関があり上記(2)での結論を支持している。(4)銀河円盤での重元素量はtSFと相関があり、これは重元素による分子ガスの冷却効果が星形成過程を促進することを示していると考えられる。

N銀河にずれが見られないことについては、以下のような理由が考えられる。(1)腕の見えている部分がちょうどcorotationである。(2)星やガスの軌道が円ではなく、腕に沿った運動をしている。(3)密度波ではなく、物質波によってできた腕である。これらのうちどれが最も適切であるかは今回のデータからではわからないが、2天体とも中心に棒状構造があることから、中心の棒状構造と外側の腕でずれがないことについては何らかの関連性があると示唆される。また、上記の3項目は、それぞれ棒状構造と関連づけて説明することができる。

A銀河については、それぞれ特徴も異なることからそのΩ-θ分布の理由も様々だと考えられるが、主には以下の2つの理由が考えられる。(1)銀河円盤での密度波が弱い。(2)使用したデータの分解能・感度が十分でない。後にも述べる腕の強さの指標がA銀河では他より小さいという傾向は、前者を支持している。しかしこれは後者を否定するものではなく、今後議論を進めるためにはより高感度・高分解能の観測データが必要である。

さらにそれぞれの分類(C、N、A)ごとに分子ガスや形態の性質を調べた結果、以下のことがわかった。(1)銀河円盤で平均した分子ガスの面密度ΣやQ値に、分類ごとの傾向は無い。これは、銀河全体としてのガスの性質が腕の形状に与える影響は小さいことを示している。(2)個々の分子雲の性質は銀河の中でも分散が大きく、分類ごとの傾向は見られなかった。(3)Kバンド画像の解析から、重力ポテンシャルの腕の強さの指標がC銀河では大きくA銀河では小さい。これは先にも述べた通り、A銀河で腕があまり明瞭でなく、密度波が弱いと考えられる銀河が多い理由である。

以上の結果から、我々は渦巻銀河における星形成、分子ガス、重力ポテンシャルの関連性について以下のような知見を得た。(1)渦巻腕における星形成は、主に分子雲の自己重力不安定性の成長に起因する。(2)銀河円盤内の重元素によって、星形成過程は加速されている可能性がある。(3)重力ポテンシャルの形状は渦巻腕の形状に影響を与えるが、ポテンシャルの腕の強さと星形成時間との関連性は認められなかった。これらの結果は全て観測データに基づき、独自のOffset法を適用した結果から導かれたもので、星形成過程やその銀河力学との関連性を理解する上で非常に重要である。

図1:C銀河4天体のΩ-θ分布とフィットした直線直線の傾きがtSF、θ=0との切片がΩPとして得られる

審査要旨 要旨を表示する

本論文における研究は、銀河における渦状腕のパターン速度および渦状腕における星形成時間を求める新たな手法を開発し、12 個の近傍渦巻銀河にこの手法を適用し、4つの銀河について渦状腕のパターン速度および星形成時間について新たな知見を得たものである。

本論文は、8章から構成されており、第1 章は渦巻銀河における「巻き込みの困難」を解決する密度波理論を概説し、密度波によって形成される衝撃波によって星形成が誘発されることを述べ、密度波の速度とそれによる星形成時間を決めることの重要性を述べている。さらに従来の密度波のパターン速度の決定方法について概説し、それらが仮定を含み種々の問題を内包している点を指摘している。

第2 章は、星形成時間について重力収縮時間をもとに説明しており、数百万年で分子雲から星が形成されると考えられるが、具体的な星形成メカニズムは渦状腕を構成する大質量星については理論的にも観測的にも不定性が多いことを述べている。また、渦巻銀河の運動や星形成活動を知る上でパターン速度と星形成時間の推定が重要であることを述べている。

第3 章においては、本論文の骨格となる新たなパターン速度と星形成時間の推定方法について述べている。CO 分子雲の観測とHαによる星分布の観測を比較し、分子雲と電離領域の距離は、分子雲から星形成時間の間に銀河回転速度とパターン速度の差による位置ずれによって生じたものであると仮定し、パターン速度と星形成時間を求めるものである。実際には、渦状腕の各点において、回転速度と分子線による渦状腕とHα線による渦状腕の間隔をプロットし、間隔が0になる点の回転速度をパターン速度とし、直線の勾配から星形成時間を求めるものである。この方法は、少ない仮定に基づいた議論であり、著者の独自なものである。

第4 章においては、NGC4254,NGC6181 という2 つの銀河について、野辺山45m 鏡およびミリ波干渉計を用いた論文提出者本人によるCO(J=1-0)の観測の結果および考察につい

て述べられている。野辺山45m 鏡とミリ波干渉計による観測結果を結合し、高い感度と分解能の観測を実現している。これらの銀河について、分子雲の分布から渦巻き構造を求めている。

第5 章においては、野辺山による観測に加えて、BIMA によるCO(J=1-0)の観測データを加えて12 個の銀河について分子線の観測から渦巻き構造を求めている。さらに他の文献に現れたHα線の観測を調べ、同様にそれぞれの銀河の渦巻き構造を求め、各銀河の回転曲線の導出を行っている。

第6 章においては、これら12 個の銀河について、第3 章において述べられた方法を適用し、渦巻きのパターン速度および星形成時間を導出している。12 個の銀河のうち、野辺山で観測を行ったNGC4254 を含む4 つの銀河について、分子線の観測による渦巻き構造とHα線による渦巻き構造が明確に分離でき、パターン速度と星形成時間を求めることに成功している。求められたパターン速度は10~31km/s/kpc であり、星形成時間は7-28Myr である。また2つの銀河については、分子線による渦巻き構造とHα線による渦巻き構造にオフセットが見られなかった。これらは棒構造などによる円運動からのずれなどの影響によるものであると考えられる。他の6 つの銀河においては、回転速度と分子線とHα線によって見られる渦状腕の間に相関が見られなかったものである。

第7 章においては、得られた4 つの銀河のパターン速度と星形成時間について考察を行っている。パターン速度においては、中心から可視光でみた銀河の大きさの0.4 から0.5倍の領域に共回転領域があり、これよりも内側において星形成が活発であることを見出している。また星形成時間についても、分子雲の重力自由落下時間と大きな違いはなく、星形成が自己重力収縮によって行われていることを示唆するものである。また面密度が大きな銀河ほど星形成時間が短いことを示唆する結果も見出されている。

第8 章は、これらの結果をまとめ、さらに赤外線観測によって得られる渦巻き腕との相関を研究するなどの将来の課題について言及している。

本論文は、渦巻銀河のパターン速度と星形成時間を分子線とHα線による渦巻きの差から求めるという新しい方法を提案し、独自の観測を行い、既存の観測結果も利用して、それぞれのパラメータを求めたという点に十分に科学的な独自な結果を得ており、学位論文とするにふさわしい要件を備えている。

また本研究は、祖父江義明・河野孝太郎・中西裕之・小麦真也との共同研究であるが、多くの部分は論文提出者によって主体的に行ったものであり、観測データの解析および既存データの収集解析も論文提出者によってなされたものである。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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