学位論文要旨



No 123290
著者(漢字) 橋本,哲也
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,テツヤ
標題(和) 分光データに基づいた活動銀河核の狭輝線領域の研究
標題(洋) Spectroscopic Analysis of Narrow Line Regions in Active Galactic Nuclei
報告番号 123290
報告番号 甲23290
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5171号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 川良,公明
 東京大学 准教授 嶋作,一大
 東京大学 准教授 田中,培生
 東京大学 教授 村上,浩
 東京大学 教授 小林,秀行
内容要旨 要旨を表示する

活動銀河核の狭輝線領域はこでまで多くの観測と理論的アプローチがなされてきたが、その一般的な性質については、いまだ明らかではない。そこでSloan Digital Sky Survey Data Release 4から得られた大量の分光データに基づいて2型SeyfertとLINERの狭輝線領域の一般的な物理的描像についての研究を行った。

この論文では様々な狭輝線領域の理論モデルを計算し、観測されたスペクトルとの詳細な比較を行った。その結果Seyfert、LINERの一般的な物理的描像と、これらの関係についての新しい視点を提案した。

(1)導入

活動銀河核とは銀河中心のごく狭い領域から、エネルギーの源として恒星では説明のつかないような、非常に莫大な光が放射されている天体のことである。一般に活動銀河核の中心には超巨大なブラックホ―ルが存在しており、そこにまわりからのガスが落ち込むことによって莫大なエネルギーが開放されていると考えられている。また活動銀河核は観測的に大きく分けて2種類のタイプが存在していることがわかっている。ひとつは1型活動銀河核と呼ばれ、非常に広い線幅の許容線を放射する領域(広輝線領域)を見込んでいる天体、もうひとつは広輝線領域が遮蔽物質によって見えない2型活動銀河核である。さらに2型活動銀河核は、Seyfert2とLlNERに分けられる。LlNERは低電離輝線が強く一般的には他の活動銀河核よりも暗いという特徴をもっているもののそのすべてが活動銀河核の仲間かどうかは明らかではない。

(2)狭輝線領域の観測的特徴

活動銀河核の狭輝線領域は基本的に遮蔽物質の外側100pc程度、場合によって数kpcにまで及び、可視光で空間分解して観測できる唯一の構造であるため、これまで非常に多くの観測がなされてきた。狭輝線領域の光電離の描像はハッブル宇宙望遠鏡によるコーン型の狭輝線領域の確認によって強く支持されてきた。コーン型の輝線領域は、遮蔽物質によって非等方な電離光子が放射され、それによってガスが光電離されていることを示している。一方VLAによる電波観測からは、中心領域からの荷電粒子ジェットによって放射されるシンクロトロン放射が狭輝線領域の形と良く一致している例や、[Olll]5007輝線の線幅と電波強度との相関関係などが報告されてきた。このような観測事実は、狭輝線領域が荷電粒子ジェットによって擾乱されたり、何らかの形でエネルギーを受け取っていることが予想される。

(3)標準的光電離モデルの問題点

狭輝線領域の標準的な理論モデルとして、光学的に厚い一定密度の光電離モデルが度々用いられてきたが、このモデルには以下にまとめるような問題点を含んでいることが指摘されてきた。このモデルで再現されるスペクトルは、狭輝線領域の観測結果と比べて、

(a)高階電離輝線が弱すぎる、(b)電子温度が低すぎる([Olll]比問題)、(c)Hell4686/Hβの分散が小さ過ぎる、(d)見積もられる電離パラメータ(ガス表面でのガス密度と入射してくる電離光子数の比)が、どの天体もほぼ同じ、あるいは高い電離パラメータに対応する天体が全くいないように見える(U問題)。このような問題点を解決するために、これまでに新たな狭輝線領域のモデルが提案されてきた。

(4-1)光学的に厚い雲と薄い雲の組み合わせ(Am/1)

このモデルでは光学的に薄い雲を一度通過した電離スペクトルが後方の光学的に厚いガスに入射する、という描像である。観測される狭輝線領域のスペクトルは高電離輝線と低電離輝線を同時に持っているため、このような二分したガスがそれぞれ高電離輝線と低電離輝線を担うという描像である。また光学的に薄い雲を通過することで電離光子のスペクトルの形が変わり、観測されるHell4686/Hβのばらつきを再現しやすくなるという利点も持っている。さらに光学的に薄い雲からの寄与を大きくしてやることで、観測される高い電子温度を再現しやすくなる。

(4-2)等圧ガスモデル

光学的に厚い雲と薄い雲の組み合わせのようなモデルでは、そもそもなぜ性質の二分したガスが生じるのかという疑問に答えることが難しい。一方で等圧なガスモデルはその温度構造によって密度勾配が決まるため、物理的な根拠に基づいて、光学的に薄い雲と厚い雲をある程度再現することができる。さらにこのモデルでは、非常に電離パラメータを高くしてもあまり輝線比の大きさが変わらない"stagnation point"が輝線比診断図上にあらわれることが特徴的である。もしstagnation point近くに天体が分布していればそれらは非常に電離パラメータの大きい天体ということができる。このモデルによって上記のU問題が解決されるかもしれない。

(4-3)衝撃波モデル

電波ジェットと電離ガスの相互作用は降着円盤周辺からの電離光子以外に、衝撃波のような付加的な加熱が狭輝線領域に働いている可能性を示している。現在提案されている衝撃波によるガスの電離モデルでは、衝撃波の後背面でガスが非常に高い温度まで加熱され(T~106K)そこから強力なな電離光子が発生することを考慮している。このような電離光子は衝撃波の上流と下流両者のガスを光電離することになる。このモデルは降着円盤のような電離光子源なしに、狭輝線領域のスペクトルを再現できるという点で非常にユニークである。

このように狭輝線領域の物理的描像は複雑で、その詳細は明らかではない。そこで我々は狭輝線領域の一般的な描像を明らかにするために、Sloan Digital Sky Survey(SDSS)Data Release4(DR4)から得られた大量の分光データと光電離モデルの計算との比較を行った。抽出したサンプルはSeyfert2型天体が21110個、UNERが42800個である(Figure1,2)。比較のために用いたモデルは(1)光学的に厚いガス雲(ダストなし)、(2)光学的に厚いガス雲(ダストあり)、(3)等圧モデル、(4)A(M1)モデル、(5)衝撃波モデルで、(1-4)についてはモデル計算を行い、(5)についてはAllen et al.2004での計算結果を用いた。金属量に敏感な輝線比診断図[Oll]3727/[Nll]6584-[0ll]3727/[Olll]5007を使って各光電離モデルのグリッドと観測された天体の位置を比べることによって、我々は、各モデルごとに各天体の金属量を見積もった。その結果、見積もった金属量の分布はどのモデルを用いてもほぼ同じ結果となった(Figure3)。

我々のこのような結果は[Oll]3727/[Nll]6584-[Oll]3727/[Olll]5007輝線比診断図が狭輝線領域のモデルに依存せず金属量を見積もることのできる強力なツールであることを示しており、金属量導出についての基礎を固める結果となった。一方、金属量のヒストグラムは低金属量の活動銀河核が非常に少ないことも明らかにした。我々のSDSSデータサンプルは非常に大質量な母銀河を持つ天体に偏っており、このことは、低金属量でかつ大質量な母銀河は近傍宇宙ではほとんど存在していないことを示している。他の研究から、大質量な星形成銀河ほど高いガス金属量を持っていることが知られている。我々の結果は星形成銀河におけるこのような相関関係が活動銀河核においても成り立っていることを示唆している。

さらに我々はHel5876/Hβ比に注目し、観測されるHel5876/Hβ比のばらつきを説明するには、A(M/1)モデル以外のモデルでは、Hel5876/HO比に従って著しい金属量勾配が必要であること示した(Figure4)。実際に金属量診断図から求まった各天体の金属量を基にこの勾配を測定したところ、モデルが要求する勾配がほとんど存在しないことがわかった。このことはA(M/1)モデルの描像がSeyfert 2sにおいて重要な役割を果たしていることを示している。また一方で、これまでの全てのモデルでは多くのSeyfert2型天体の高い[Olll]4363/[Olll]5007比を説明することができないことがわかった。非常に高い[Olll]比は、高密度ガスによる[Olll]5007輝線の衝突逆励起の結果だと考えられる。

そこで我々は新たに、非常に高密度なガス(~107cm(-3))と通常の一定密度狭輝線モデルとの組み合わせのモデル(Murayama and Taniguch 2000)を計算した。我々はこの高密度ガスからの寄与に敏感な輝線比診断図を新たに提案しモデルと観測点の比較を行った。その結果非常に大きな[Olll]比を持つ天体はこのモデルによってしか説明できないことを明らかにした。また、このような診断図上ではSeyfert2とLINERがひとつの系列を作っており、Seyfert2とLINERの違いがひとつのパラメータ"高密度ガスからの寄与の違い"によって説明できることを示した(Figure5)。またNagao et al.2001は1型Seyfertと2型Seyfertの[Olll]比について、このモデルを用いて調査した結果、それぞれ高密度ガスからの寄与が~20%と~2%程度であることを示し、このような高密度ガスが遮蔽物質の内側に隠れているという考えに一致することを示した。これらの寄与の値は、我々のサンプルの典型的なSeyfert2とLlNERの分布に一致している。LlNERはしばしば2型活動銀河核として分類されるが、一方でLlNERのような低光度活動銀河核のうち約20%のスペクトル中に弱いが非常に広い輝線成分が存在していることが報告されている(Hoetal.1997)。LlNERの[Olll]比がSeyfer2よりも系統的に大きいという結果は、多くのLlNERの中心核は遮蔽されておらず、高密度ガスからの寄与が、遮蔽されているSeyfert2よりも大きくなっていることを意味するのかもしれない。

Figure1

Figure2

Figure3

Figure4

Figure5

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる。第1章では、ブラックホールにガスが落下するときに解放される重力をエネルギー源として輝いていると考えられているAGN(活動銀河核)の分光学的な特徴がまとめられている。すなわち、スペクトル線には幅の広さが異なる狭輝線と広輝線の2種類があって、前者はNLR(狭輝線領域)にあるガス雲、後者はBLR(広輝線領域)のガス雲からそれぞれ放射されている。広輝線が卓越しているものは1型AGN、狭輝線が卓越しているものは2型AGNと分類されている。高電離の輝線が卓越したAGNはSeyfertと呼ばれ、低電離の輝線が卓越したものはLINERと呼ばれる。Seyfbrtには1型と2型があることはよく知られているが、LINERについてはよく分かっていない。NLRは、中心核より100pcから数kpcに広がる、可視光で空間的に分解して観測できる唯一のAGNの構造体であり、中心核とNLRとの相互作用(ジェットの作用、中心核へのガス供給など)を考える上で興味深い天体であることが述べられてある。そして、狭輝線の観測データを光電離モデルや衝撃波モデルと比較することにより、NLRの物理状態を調べることが、本論文の目的であるとしている。

第2章では、本論文で使用する狭輝線の観測データに関することが述べられている。オリジナルデータは、SDSS(Sloan Digital Sky Survey)のDR4(Data Release4)にカタログされた52万個の銀河であり、線スペクトルの強度や等価幅はMPA(Max Plank Institute for Astrophysics)とJHU(Johns Hopkhls University)の研究チームにより測定されて、World Wide Webにより公表されている。このカタログから選んだ狭輝線AGN(2型Seyfert及びLINER)のうち、主要な線スペクトルのSN比が3を超えるものに限定した結果、21110個の2型Seyfertと42800個のHNERが本研究の対象として得られた。

第3章では、光電離モデルの数値計算を行うために用いた、パラメータの種類とその範囲、光電離モデルの数値シミュレーションにはCLOUDYを用いたことなどが述べられている。

第4章と第5章は、本論文の中核をなす部分であり、モデルと観測が比較されている。これまでに提唱されている様々な光電離モデルについて、スペクトル線の強度比を計算した。その結果、NbRにあるガス雲に関して以下のことが明らかになった。

(1)[OII]3727/[NII]6587vs[OII]3727/[OII]5007図上におけるデータの分布は、モデルによらず、ガス雲の重元素比を太陽の0.5-4倍とすることで説明できること。

(2)[OIII]4363/[OIII]5007のデータを説明するには高密度ガス雲(-107cm(-3))を導入することが必要であり、密度の異なる3種類のガス雲を考えることで様々なスペクトル線の強度比が説明できること。(3)2型SeyfbrtとLINERの違いは、高密度ガスの寄与の違いであり、高密度ガスの寄与を増やしていくと2型SeyfbrtのスペクトルがLINERへ移行すること。第6章はまとめである。

本研究の独創的な点は、これまでに提唱されてきた様々なモデルをCLOUDY(光電離ガスのシミュレーションコード)という共通のツールを用いて計算し、その結果を豊富な観測サンプル数(約64000サンプル)のデータと比較したことにある。そして、NLRのガス雲は、密度の異なるものが3種類があり、その配合により、2型SeyfbrtとLINERの違いを自然に説明できることを示したことは、これらAGNの性質を考える上で重要な指針を与えるものであり、高く評価できる。

本論文は、家正則氏との共同研究であるが、その多くは論文提出者が主体となって、観測データの整理、数値計算、及び解釈を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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