学位論文要旨



No 123292
著者(漢字) 廣田,晶彦
著者(英字)
著者(カナ) ヒロタ,アキヒコ
標題(和) 近傍銀河IC342の渦状腕における分子雲の性質変化
標題(洋) Variation of Molecular Cloud Properties across the Spiral Arm in the Nearby Spiral Galaxy IC342
報告番号 123292
報告番号 甲23292
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5173号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川邊,良平
 東京大学 准教授 田中,培生
 東京大学 教授 桜井,隆
 筑波大学 教授 中井,直正
 国立天文台 准教授 本間,希樹
内容要旨 要旨を表示する

大質量星形成の現場であるHII領域及び、その母体である巨大分子雲(GMC)の分布は渦状腕に集中していることから、渦状腕はGMC形成と星形成において重要な作用を担っていると考えられている。理論的予想の一つとして、銀河衝撃波理論と言うものがある。これは、渦状腕ポテンシャルの谷間付近における星間ガスの停留によって引き起こされる銀河衝撃波が、星間ガスを掃き集め、圧縮することによりGMCや高密度ガスクランプの形成を促すというものである。またその他にも、分子雲同士の衝突が、GMCの合体成長や、星形成のトリガーとなるとする説もある。

これらの予想は渦巻銀河に見られる分子ガス、大質量星形成領域の大局的な分布を良く説明する。しかしながら、星間ガスの圧縮、GMCの生成、大質量星形成のトリガー、といった各過程の詳細は未だ不明であり、観測的な検証が進んでいるとは言い難い。解明のためには、渦状腕の上流、下流における分子雲の成長過程を観測によってとらえる必要がある。そのためには銀河構造を俯瞰できる系外銀河観測を、GMCを同定できるスケール(数十pc)で行うことが必須となる。

しかしながら、観測装置の制約等から、これまでそのような研究を実際に行った例は皆無である。M31、M33といったごく近傍の銀河であれば、GMCスケールの分解能を達成することは可能であるが、それらの銀河は強い渦状腕構造を有していないために、渦状腕の作用を研究する上で適した天体であるとは言い難い。

IC 342は渦状腕を有し、かつfaceonに近く、豊富な分子ガス量を有する銀河としては最も近傍に位置する銀河の一つである(距離3.3Mpc)。しかしながら、銀河面付近に位置する、といったハンデからこれまで円盤部の観測が遅れてきた。IC 342に対して野辺山45m宇宙電波望遠鏡、野辺山宇宙電波干渉計(NMA、NobeyamaMillimeter Array)といった装置による集中的な観測を行い、これまで明らかにされていないGMCスケールの密度波作用を明らかにすることが本論の目的である。ガス量の豊富な銀河における密度波の作用を、ほぼfaceonにGMCスケールで俯瞰できる点でこの研究はユニークなものである。

第一段階として、45m鏡を用いたIC342の(13)CO(10)輝線による広域マッピング観測を行った。観測の目的は、既存の(12)CO(10)輝線データとの比較を行うことで、渦状腕の作用による分子雲の性質変化が起きている領域を探すことにある。渦状腕の作用によって、GMC、高密度ガス領域の形成が行われているのならば、渦状腕において平均ガス密度の上昇が期待される。(13)CO(10)、(12)CO(10)の輝線強度比(R1312 = I((13)CO (10))/I((12)CO(10)))は銀河円盤部のような低温領域では、ガス密度の指標となる性質を有するために、渦状腕におけるガス密度の上昇を検出するトレーサーとして用いることができる。

観測領域は銀河中心部、棒状構造部、渦状腕を含む約5kpc×5kpcの領域である。Hα画像及び、(12)CO(10)輝線観測のデータとの比較を行った結果、(13)CO(10)輝線の分布は(12)CO(10)よりもHαのそれとよく一致すること、また、輝線強度比R1312は銀河内で一定ではなく、構造に応じて変化を見せることが明らかになった。

R(1312) は銀河中心部で~0.11と比較的一様に低い値をとる一方で、半径50秒より外側の円盤部では0.1ー0.2の範囲でばらつきを見せる。円盤部での平均のR(1312) は~0.14である。中心部における低い R(1312) は、スターバースト領域と共存する、高温で希薄な分子ガス成分の寄与によるものと考えられる。このことは、Spitzer衛星によって撮像された70μm、160μmの画像から推定されたダスト温度の分布からも間接的に正当化でき得る。ダスト温度は、銀河円盤部では比較的一様で、22K程度である一方で、中心部に向かって30K以上に上昇する傾向を見せ、またその動径方向の変化は R(1312) のそれとよい反相関を見せる。

渦状腕の作用による分子ガスの性質変化の兆候を探すために、円盤部における R(1312) の変化をより詳しく調べたところ、棒状構造終端部、および北東部の渦状腕に位置する巨大分子雲集合体(GMA、質量~107太陽質量)において、上流側により希薄なガスをトレースする低R(1312) 領域、下流側により高密度のガスをトレースする高R(1312) 領域がそれぞれ位置することが明かになった。これは、事前予想とよく合致するものである。そこで、両構造(棒状構造終端部、北東部GMA)をトレースする方位角方向の、各トレーサーのプロファイルを作ったところ、上流に(12)CO (10)、下流にR(1312)、Hαのピークが位置するといった関係が確認された。これは、渦状腕ポテンシャルによって掃き集められた希薄な分子雲が腕を通過することによって、高密度の分子雲を形成を行い、星形成を誘発していると解釈することができる。IC 342においては、少なくとも2カ所で渦状腕をまたがった分子ガスの性質変化の兆候が見られていると結論付けられる。

以上の結果を踏まえた上で、NMAを用いた北東部渦状腕の高分解能観測が行われた。この観測の目的は、GMCを同定できる分解能(~50pc)で渦状腕内部を分解することにより、果たして本当にGMCの性質変化が起きているのか、またその変化がどのようなものであるのかを探ることにある。観測輝線は(12)CO、(13)CO 輝線であり、観測領域はIC 342北東部に位置するGMAを含んだ1.5kpc ×1kpcの領域をカバーする。より定量的な議論を行うために、NMAデータと45m鏡データとのフーリエ空間上での結合が行われた。これによって、干渉計の弱点である低い空間周波数成分を落としてしまうmissing fluxの問題は克服されている。

図1に得られた(12)CO 輝線の積分強度図及び、Hαの画像を示す。50pcスケールの分解能によって、渦状腕はサイズが100pc程度のGMCに分解されている。観測領域内の、北部領域と南部領域はある重要な違いを有している。それは、北部領域内のGMC群(GMA中心部)には星形成の兆候が見られないのに対して、南部領域ではGMC群が活発な星形成活動を伴っている点である。また、(13)CO(10)輝線との比較を行うと、GMA中心部は低いR(1312) (~0.06)を示す一方で、南部GMCは比較的高い値(0.20.3)を示すことがわかる。これらの特徴は、北部と南部のGMC群がそれぞれ異なる進化段階にあることを推察させるものである。

より詳細な議論のために、(12)CO(10)輝線の3次元データよりGMCが同定された。同定されたGMCは質量(0.43.5×106太陽質量)、線幅、サイズともに天の川銀河GMC と同程度である。また、天の川銀河GMCに見られるLarson則にも従う。星形成の有無によってGMCを二群に分け、その基本的な性質を比べたところ、星形成の付随したGMCはより質量が大きく、また重力ポテンシャルエネルギーが内部運動エネルギーよりも大きい、重力的に束縛された状態にあることが明らかになった。また、サイズー線幅関係の比較は、星形成の付随しないGMCの方がより大きな線幅を持つ、すなわち内部乱流が大きいことを示す。重力的束縛の度合いを表すVirial Parameterは線幅と相関係数0.7程度の相関を持つことから、線幅の散逸の度合いが、雲の進化を決定していると推察される。

渦状腕ポテンシャルとの位置関係は、星形成領域の付随したGMCの方がより下流側に位置する事を示す。このことは、渦状腕を通過することでGMCの性質は上記のような変化を行い、それが大質量星形成を導いていることを意味する。GMC性質変化のメカニズムは、得られた観測結果を満たすものでなくてはならない。いくつかのメカニズムが考えられるものの、最もよく条件を満たすものは腕間部の分子雲が衝突合体を行うことによって、巨大分子雲を形成するというrandom coagulation model (Kwan & Valdes 1983等)である。これは下流側に重いGMCが存在するという条件と成長に必要なタイムスケール(腕を交差する時間よりも短い必要がある)を満たす。また、分子雲同士は非弾性的な衝突を行い、内部運動エネルギーを散逸させるため(Tomisaka1987)、下流側でより小さな線幅を持ち、重力的に束縛された状態にあるという要請も満たす。

星形成の付随したGMC、していないGMCを同定したことで、星形成の開始条件についての示唆も得られる。GMCの重力的な束縛の度合い(virial paramter)と雲内部の星形成率の関係を調べた所、virial paramter < 1のGMCのみで星形成率が成長することが明らかになった。Virial Parameterは線幅と相関するために、線幅(内部乱流)の散逸がGMC内の星形成の確率をコントロールすることを示唆する。乱流は星形成に対して、抑圧と促進の相反する二方向に作用すると考えられているが、今回の観測結果はGMCスケールでは乱流の散逸が星形成開始の必要条件であることを示唆する。

本研究は、銀河における渦状腕の作用に、初めてGMCスケールでアプローチを行い、GMCの成長過程を最も少ない空間的不定性によって同定することに成功したものである。

図1 (12)CO 輝線の積分強度図(コントア)及び Hα画像の比較。点線はNMAの視野範囲を表す。図中、右下側が渦状腕に対して上流部を、左上側が下流部に対応する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、系外銀河における渦状腕において、巨大分子雲(GMC)を分解して観測しその物理的な性質の変化を捉え、GMCの成長過程・進化と星形成過程の関連を初めて明らかにしたものである。

本論文は、全4章から成る。第1章では、研究の背景を概説し、研究の動機を述べている。銀河の渦状腕では、大質量星形成の現場であるHII領域及び、その形成母体であるGMCの分布が集中していることから、渦状腕はGMC形成と星形成において重要な働きをする。渦状腕での星間ガスの圧縮、GMCの生成、大質量星形成のトリガー、といった各過程の詳細についての検証のためには、強い渦状腕構造を有する銀河について、GMCを同定できるスケール(数十pc)の空間分解能で渦状腕の上流、下流における分子雲の成長過程を観測的に調べる必要があると論じている。また、今回観測した銀河IC 342の特徴ー渦状腕を有し、かつface-onに近く、豊富な分子ガス量を有する銀河としては最も近傍に位置する銀河の一つである(距離3.3Mpc)ことーを述べ、本論文の主目的が、IC 342に対して野辺山45m鏡、野辺山ミリ波干渉計(NMA、Nobeyama Millimeter Array)で観測を行い、GMCスケールでの渦状腕通過による効果を明らかにすることであると論じている。この研究は、ガス量の豊富な銀河における密度波の作用を、GMCスケールの分解能でかつほぼface-onに俯瞰できる点で、非常にユニークである。

第2章では、45m鏡を用いたIC342の(13)CO(1-0)輝線による広域マッピング観測と、既存の(12)CO(1-0)広域データを用いて導出した輝線強度比( R1312 = I(13CO ) / I(12CO) )に基づく渦状腕の作用による分子雲の性質変化についての検討、特に渦状腕の作用による分子雲の性質変化が起きている領域の特定、について論じている。輝線強度比、R(1312) 、は銀河円盤部の低温領域では、ガス密度の指標となるために、渦状腕におけるガス密度の上昇を検出する良いトレーサーである。申請者は、銀河中心部、棒状構造部、渦状腕を含む約5kpc×5kpcの領域を13COで観測し、比の分布を求めると共に、星形成をトレースするHα画像との比較を行っている。その結果として、渦状腕を横切る時の変化については、上流に(12)CO強度、下流に強度比R(1312)、Hα強度のピークが位置することを明らかにし、渦状腕ポテンシャルによって掃き集められた希薄な分子雲が腕を通過することで、高密度分子雲の形成を行い、星形成を誘発するという描像を観測的に明らかにした。

第3章においては、NMAを用いた北東部渦状腕の12CO(1-0)、13CO(1-0) 輝線での高分解能観測と、45m鏡データも結合させることによりミッシングフラックス問題を克服した高精度で高分解能のガス分布や強度比分布等について示し、それらのデータに基づいた個々のGMCの同定や性質変化について論じている。観測は、45m鏡の観測によってGMCの集合(GMA)が存在することがわかった1.5kpc ×1kpcの領域を選んで行われ、分解能(~50pc)で渦状腕内部を分解し、個々のGMCの同定を目指した。まず、12CO(10)輝線の3次元データ(空間分布2次元+速度1次元)よりGMCの同定や、高分解のHαの画像との比較を行い、質量(0.4-3.5 x106太陽質量)、線幅、サイズともに天の川銀河のGMC と同程度であることや、星形成の有無によってGMCを二群に分けられることを明らかにした。また、13CO輝線との比較から、観測領域の南部のGMCでは、比較的高い強度比(0.2-0.3)を示すこと、北部ではGMCが星形成領域に付随していないことを示し、これらの特徴から北部と南部のGMC群がそれぞれ異なる進化段階にあると推察している。さらに、二群に分けたGMCの基本的な性質を比べたところ、星形成の付随したGMCはより質量が大きく、また重力ポテンシャルエネルギーが内部運動エネルギーよりも大きい、重力的に束縛された状態にあることが明らかにした。また、サイズー線幅関係の比較は、星形成の付随しないGMCの方がより大きな線幅を持つ、すなわち内部乱流が大きいことを示した。重力的束縛の度合いを表すビリアルパラメータは線幅と相関係数0.7程度の良い相関を持つことから、線幅の散逸(減少)の度合いが、分子雲の進化(星形成への移行)を反映していると考察している。渦状腕ポテンシャルとGMCの位置関係は、星形成領域の付随した北部のGMCの方がより下流側に位置する事を示しており、これらから渦状腕を通過することでGMCの物理的性質の変化が起こり、それが大質量星形成を導いているとの結論に達した。さらには、GMC形成のrandom coagulation model等の予想と一致する結果であることも指摘している。

第4章では、観測結果と結論を簡潔にまとめ、さらには今後の研究課題に言及している。

本研究は、系外銀河における渦状腕において、初めてGMCを分解しその物理的な性質の変化を捉え、GMCの成長過程・進化と星形成過程の関連の解明に成功したものであり、博士論文としてふさわしい内容となっていると判断できる。

本論文は、久野成夫、佐藤奈穂子、濤崎智佳、中西裕之、徂徠和夫との共同研究に基づくものであるが、論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。よって、本論文提出者に、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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