学位論文要旨



No 123298
著者(漢字) 石丸,亮
著者(英字)
著者(カナ) イシマル,リョウ
標題(和) 微衛星衝突がタイタン大気に及ぼす化学的影響 : タイタン窒素大気の衝突起源
標題(洋) Chemical effects of satellitesimal impacts on Titan's atmosphere : On impact origin of Titan's N2 atmosphere
報告番号 123298
報告番号 甲23298
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5179号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 阿部,豊
 東京大学 准教授 鈴木,宏二郎
 東京大学 教授 松牛,孝典
 東京大学 教授 倉本,圭
 東京大学 准教授 杉田,精司
内容要旨 要旨を表示する

タイタンは厚いN2大気を持つことが知られているが、この大気がどのように形成されたのかについては未だに大きな謎になっている。一般的に、タイタンは土星星雲中のガスが凝縮して形成された微衛星の衝突・合体・集積によって形成されたと考えられており、タイタンの原始大気は微衛星に含まれていた揮発性分子が蒸発して形成されたことが提案されている。最近行われたホイヘンス探査によってタイタン大気中の始原的な希ガスの量が非常に少ないことが初めてわかった(Niemann et al.,2005)。この観測事実はタイタンを形成した微衛星に希ガスがほとんど含まれていなかったことを示唆している。N2と希ガスは同程度の低温環境で凝縮して微衛星を形成するので、希ガスが凝縮しない環境ならばN2も凝縮しなかったことが予想される。そのためタイタン大気に含まれている窒素はN2ではなく別の窒素化合物が微衛星を形成して集積したと考えられる。そのような物質として現在最も有力であると考えられているのがNH3である。以上のことからタイタンの原始大気はNH3に富む大気であったことが支持されている。それでは原始NH3大気から現在のN2大気へとどのように進化したのであろうか?

NH3大気からN2大気が形成される有望なモデルとして衝突衝撃波加熱モデルが提唱されている(Jones and Lewis,1987;McKay et al.,1988)。これは高速飛翔体が大気を通過する際にその前面に形成されるバウショックによって大気中のNH3を分解してN2を生成するモデルである。先行研究では衝撃波によって加熱された大気ガスがただちに高温の平衡組成に変化することを仮定している。地球大気で形成されるバウショックではこの仮定が成立することが知られている。先行研究ではCH4-richな微衛星の集積を想定し、そのとき形成されるCHべMi3大気を原始大気として考えている。そのようなCH4-NH3大気の高温の平衡組成ではNH3よりもN2の方が安定なので大量のN2が生成する結果が先行研究によって報告されている。

しかしながら、これらの先行研究が現実の原始大気で起こる衝突衝撃波を再現しているとは必ずしも言えないことが問題点として挙げられる。なぜなら彼らが考えている原始大気は還元大気であり、そのような還元大気は地球大気に比べて比熱が大きくなるために衝撃波加熱が効かないことが予想されるからである。還元大気に含まれるCH4、NH3の振動モードが多いことが還元大気の比熱を大きくする原因である。もし還元大気で衝撃波加熱が効かない場合には、先行研究がしている平衡の仮定が成立しないことが十分に考えられ、先行研究の提唱していたN2大気形成モデルが破綻してしまう。還元ガスを含む原始大気からのN2生成を適切に扱うためには化学反応のキネティクスを考慮する必要がある。

一方で、原始大気としてCH4-NH3大気しか扱われていないこともまた問題である。集積時間が短い場合には原始大気の毛布効果によって水氷が大量に蒸発し水蒸気大気が形成されることが提唱されている(Kuramoto and Matsui,1994)。また、CO2-richな微衛星がタイタンに集積する場合にはCO2が大気の主成分になるかもしれない。タイタンのN2大気の起源を解明するためには水蒸気大気やCO2を含む原始大気についても当然議論されるべきである。

そこで本研究では独自に反応キネティクスモデルと流体モデルをカップリングさせることで、原始大気で形成されるバウショックの数値モデルを開発した。そして、そのモデルを使って原始大気として考えられる4種類の大気組成に対してN2生成を見積もった。その結果から大気組成毎にN2大気の形成可能性を論じた。4種類の大気組成はCH4-NH3大気、CO2-NH3大気、CH4-rich微衛星の集積によって形成された水蒸気大気、CO2-rich微衛星の集積によって形成された水蒸気大気である。

CH4-NH3大気の結果からはCH4が衝撃波加熱を抑制する2つの冷却効果を持つことがわかった。1つ目は、CH4の振動モードが多いために衝撃波によって加熱されにくいことが挙げられる。この振動モードの励起を考慮した場合には、振動励起しない場合に比べて衝撃波温度が40%程度も減少することがわかった。2つ目はCH4の解離反応が大きな吸熱を伴うためにCH、の分解とともにガス温度が低下する効果である。これらの冷却効果を考慮した場合には、還元大気では衝撃波による加熱が効かないために、NH3の分解が阻害されN2が生成されにくくなる。結果として先行研究の結果とは違って、広いパラメタ範囲の衝突(低速衝突、CH4に富む大気への衝突)においてN2大気が形成されないことがわかった。また、本研究の結果から、先行研究(Jones and Lewis,1987)が置いていた平衡の仮定が必ずしも妥当ではないことがわかった。低速衝突またはCH4に富む大気への衝突においては先行研究の仮定が成立しないため、先行研究のモデルは著しくN2収率を過大評価してしまう。

CO2-NH3大気はN2生成に対して有利であるかもしれない。CO2は振動モードが少ないのでCO2を含む大気は比熱が小さくなる。またCO2は分子量が大きいことから、CO2を含む大気ではマッハ数が大きくなることが考えられる。これらは衝撃波温度を増加させる効果を持つ。本研究の結果から、CO2-NH3大気の衝突ではほとんどの衝突パラメタに対してN2大気を形成するのに十分な収率が得られるためN2大気形成に対して非常に有利に働くことが示唆される。しがしながら衝撃波によるCO2の熱分解でCOが生成されてしまうことは問題になるかもしれない。なぜなら現在のタイタン大気にCOがほとんど存在しないことと矛盾するかもしれないからである。現在のタイタン大気を説明するためにはCOを消費する機構が働く必要があると考えられる。

集積時間が短い場合には水蒸気大気が集積期に形成されることが提唱されている(Kuramoto and Matsui,1994)。この水蒸気大気もまた衝撃波加熱によるN2大気形成には有利であるかもしれない。水蒸気大気が形成されれば、振動モードが少ないH20が比熱を小さくするので衝撃波温度が高くなることがその理由である。そのため、水蒸気を含む原始大気を考えることによってN2大気が形成されうる衝突パラメタ範囲がH20を含まない大気組成に比べて著しく広がることが本研究の結果からわかった。実際、本研究の結果からはCH4分圧が~4×104Paより低い水蒸気大気であれば、タイタン質量の5%に相当する質量の微衛星の衝突によって衝突速度に関係なく現在のN2量が生成することがわかった。そのようなCH4-poorな原始大気は集積期の水蒸気大気で起こる大規模な大気散逸によって作られるかもしれない(Kuramoto and Matsui,1994)。大気が散逸する過程でCH4は散逸し続けるのに対して、MI3(NH3は海に大量に溶解)とH20は海からの蒸発によって補充されるので大気中に維持される。つまり、大規模な大気散逸が起こるならば、N2大気の生成に有利なCH4-poorな水蒸気大気が自然に形成されることが示唆される。以上のように、水蒸気大気は衝撃波加熱を強めるだけではなく、冷却効果を持っCH4を散逸させることによってN2生成を促進することが期待される。さらにCO2-rich微衛星の集積によってCO2が水蒸気大気に含まれる場合には、CO2を含まない大気に比べてさらにCH4-richな大気組成であっても十分なN2収率が得られることがわかった。従って、CO2-rich微衛星の集積は水蒸気大気からのN2生成をさらに容易にすることが期待される。作られたN2の一部も散逸するかもしれないが、散逸によってCH4分圧が104Pa以下になるならばN2の総生成量が現在のN2量の30-100倍程度になるのでN2大気形成の問題にはならないかもしれない。水蒸気大気モデルの有効性を確証するためには詳細な大気散逸モデルを用いてN2の散逸量を定量的に見積もることが重要になるだろう。

水蒸気大気においてもCOが生成されることは問題になるかもしれない。COはCH4とH20の反応、もしくはCO2の熱分解によって主に作られる。しかしながらCO量を抑制する2つの機構が水蒸気大気では働くかもしれない。1つ目が水蒸気大気で起こる大規模な大気散逸である。CH4とCO2が散逸することによってCOの生成が抑えられる可能性がある。2つ目は微衛星によって持ち込まれるマグネタイトの表面での触媒反応である。従って、水蒸気大気でのN2大気形成はCOに不足した現在のタイタン大気と調和的であるかもしれない。

N2大気の衝突起源が妥当であるかについての答えは本研究の結果だけからは得ることはできない。なぜなら水蒸気大気で生成されたN2の散逸の問題や、CO2-NH3大気への衝突によって生成されるCOの余剰の問題がまだ解決されていないからである。しかしながらN2大気が集積期の微衛星衝突によって形成されたのならば、先行研究が仮定した還元大気ではなくてむしろ酸化型大気(CO2-rich or水蒸気大気)への衝突でなくてはいけないことを本研究の結果は示している。従って、現在のN2大気の存在は原始タイタンに水蒸気大気が形成されていた、もしくは土星系サブネビュラでCO2-rich微衛星が作られていたことの間接的な証拠になっているのかもしれない。もしそうならば、タイタンの集積時間や土星系星雲の化学進化に対して重要な制約になるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は第0章、1章、2章の3章からなり、タイタンN2大気の衝突起源について論じている。第0章はイントロダクションであり、先行研究の問題点とそれを解決するために本論文がとる理論方法の概要が述べられている。第1章では様々な組成の大気への衝突によって生じる反応のメカニズムを調べており、第2章では第1章の結果を踏まえてタイタン原始大気への微衛星衝突によってタイタンN2大気が形成されるのかについて論じている。

本論文ではタイタンの原始NH3大気からN2大気が形成されるメカニズムについて研究している。現在のタイタンが持つ分厚いN2大気の起源は、惑星科学上の大きな問題である。また、原始NH3大気の存在を示唆するデータが最近のホイヘンス探査によっても報告され、世界の惑星科学界が注目している研究テーマである。

従来の有力な仮説では、原始NH3大気が天体衝突に伴う衝撃加熱によってN2大気が形成したことが提唱されている。その中で、先行研究では「衝突衝撃波によって加熱された大気がただちに高温の平衡組成に変化する」ことを仮定することにより原始CH4-NH3大気から大量のN2が生成される結果を報告している。しかしながら、本論文が指摘しているように、この仮定はCH4-NH3大気では成立しない。なぜなら、振動モードの多い還元ガスが大気に含まれると比熱が大きくなるために衝撃波加熱が効かないからである。そのため、衝突によるN2大気形成を適切に議論するためには反応速度論を考慮する必要がある。さらに、原始大気としてCH4-MI3大気しか考慮していないことも先行研究の問題点として本論文は挙げている。集積時間が短い場合には水蒸気大気が形成されるし、条件によってはCO2-richな微衛星がタイタンに集積するので、そのような場合にはH2OやCO2も大気の主成分になりうるからである。本論文では反応速度論を考慮できるバウショックモデルを新たに構築し、そのモデルを使って様々な組成の原始大気(CH4/NH3/H20/CO2)で形成されるバウショックによるN2生成を論じている。このモデルは、非平衡化学反応モデルと圧縮性流体モデルの2つを結合して構成している。本論文のモデルは上に挙げた問題を解決するものであり、N2大気の衝突形成モデルを論じるうえで非常に意義がある。

CH4-NH3大気への衝突を模擬した結果からは、比熱の大きいCH4によって衝撃波加熱が抑制されることからNH3の分解が阻害され広いパラメタ範囲の衝突において平衡組成が生成されないことがわかっている。つまり先行研究の仮定していた平衡組成は必ずしも生成されないことが示された。従って、先行研究の結果とは違ってCH4-NH3大気への衝突では広いパラメタ範囲においてN2大気が形成されないことが明らかとなった。

一方で、振動モードの少ないH20、CO2は比熱を小さくするので衝撃波温度を高くする効果がある。温度が高いほどNH3の分解速度が速くなるので、H20やCO2に富む大気ではN2が生成されやすくなり、広いパラメタ範囲の衝突でN2大気の形成に十分なN2収率が得られることがわかっている。つまり、N2大気が衝突起源であるならば、タイタンの原始大気は先行研究が仮定したCH4-NH3大気ではなく、むしろ水蒸気大気もしくはCO2-rich微衛星によって形成されるCO2-rich大気でなければならないことを本論文の結果は示している。水蒸気大気が形成するかどうかはタイタンの集積時間に依存する一方で、CO2-rich微衛星が形成されるかどうかは土星系星雲中の化学組成に依存する。従って、本論文の結論はタイタンの集積時間や土星系星雲の化学進化に対して重要な制約になると考えられる。

本論文は、非平衡化学反応計算と非圧縮性流体力学の計算という、複雑で大規模な数値計算コードの開発を成し遂げている点において、非常に大きな価値がある。この2つの計算は、いずれもの先行研究が避けてきた計算であり、いわば始めて正攻法での取り組みを行った研究例である。さらに、得られた結果は、これまでのタイタン大気の起源論を刷新する可能性をもっており、ホイヘンス探査機がもたらした最新の探査データの意味を説き明かす上でも非常に重要な知見を与えてくれる。これら2つの意味において、本論文は、非常に重要な研究であると判断される。

なお、本論文第1章、第2章は、松井孝典・関根康人との共同研究であるが、論文提出者が主体となって数値計算および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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