学位論文要旨



No 123303
著者(漢字) 古市,尚基
著者(英字)
著者(カナ) フルイチ,ナオキ
標題(和) 風応力擾乱によって励起された内部重力波の全球的な空間分布に関する数値的研究
標題(洋) Model predicted distribution of wind-induced internalwave energy in the worl'd oceans
報告番号 123303
報告番号 甲23303
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5184号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 升本,順夫
 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 准教授 中村,尚
 東京大学 准教授 羽角,博康
内容要旨 要旨を表示する

1.背景と目的

海洋の中・深層における乱流混合過程は、深層海洋大循環を駆動する重要な物理過程の一つと考えられており、この乱流混合強度のグローバル分布の把握が気候モデルの高度化の上で必要不可欠な課題となっている。Munk and Wunsch(1998)は、現実的な深層循環の流量を維持するためには2.1TW(1TW=10(12)W)の深海乱流エネルギーが必要と見積り、その主要なエネルギー源としての、潮汐と風応力擾乱の役割を議論した。

これまで、潮汐流と海底地形との相互作用によって励起された内部潮汐波によるエネルギー供給は全球で約0.9TWであることがいくつかの手法で明らかになっている。さらに、この内部潮汐波エネルギーの乱流スケールまでのカスケード機構や、それに基づく乱流混合強度のグローバル分布も提示されている。

一方、風応力擾乱によって混合層内に励起された近慣性エネルギーが内部波として深海へ伝播することが知られている。Munk and Wunsch(1998)以来、1.2TWのエネルギーがこの風応力擾乱起源の内部波によって供給されていると推察されてきたが、その全球的な実態は特に以下の二つの理由のために未解明のまま残されている。

1)エネルギー供給量の全球的な見積もりは、表層の近慣性エネルギーに関してスラブモデルを用いて行われている。しかし、スラブモデルには様々な簡略化が施されている上、深海へのエネルギー伝播については直接議論することができない。

2)季節や海域を限れば、風応力擾乱に対する深層の内部波場の応答過程に関する詳細な研究が観測や数値モデルを用いて進められている。しかし、それらのほとんどは表層混合層内の近慣性振動と関連づけた定量的な議論を行っていない。

本研究では、現実的な風応力擾乱データと混合層のパラメタリゼーションを用いて、内部波の励起、伝播過程をより直接的に再現する数値実験を行い、これまで全く明らかにされてこなかった風応力擾乱起源の内部波エネルギーの全球的な時空間分布とその乱流混合への寄与を議論する。

2.数値実験

本研究ではPrinceton Ocean Model(Mellor2003)を用いて数値実験を行った。

計算は(1)100゜Wから35゜E、72゜Sから70゜Nまで(大西洋)、(2)10゜Eから140゜E、72゜Sから30゜Nまで(インド洋)、(3)110゜Eから70゜W、72゜Sから60゜Nまで(太平洋)の3つの海域に分けて行った。緯度と経度の解像度はそれぞれ0.15゜と0.125゜、鉛直解像度は71層である。海底地形はETOPO5を平滑化して与えた。温度場・塩分場については、Levitusの年平均気候値を初期値として与えた。

風応力場については、まずJRA25データの6時間毎の風速場から風応力擾乱の90分毎のデータセットを作成し、それをモデル内に線形補間して与えた。モデル内の鉛直粘性・拡散係数については改良版Mellor-Yamada turbulenceスキームを、水平粘性・拡散係数についてはSmagorinsky diffusivityスキームを用いた。熱フラックスはNCEP/NCARの再解析データから与えた。海面の温度場・塩分場は月別気候値に緩和させた。

以上の設定のもとに、1990年12月から1991年11月までの1年間分の数値計算を行った。

3.結果と考察

3-1.風応力擾乱起源の内部波エネルギーの全球分布

図1に、表層近慣性振動へのエネルギー供給率を12-2月と6-8月で平均したものを示す。両半球ともに、30゜-50゜の緯度帯で強い応答が見られ、この海域を伝播する大気擾乱によって近慣性振動が効率的に励起されていることがわかる。各海域における混合層深や混合層内近慣性エネルギーの季節変化は観測値と非常に合致するものであり、再現された近慣性振動の信頼性が確認できる。数値実験の結果得られた全球合計のエネルギー供給率は0.4TWと見積もられる。

図2に内部波に伴う運動エネルギーと水平エネルギーフラックスの深度積分値を12-2月と6-8月でそれぞれ平均したものを示す。水平エネルギーフラックスの分布から、励起された内部波エネルギーが低緯度方向へ伝播している様子もみてとれる。緯度30゜N、経度140゜E-120゜Wにおける南向きのエネルギーフラックスの年平均値は7.6GWと見積もられ、係留観測から見積もられた値と整合的な結果が得られた。

3-2.表層から深海へのエネルギー遷移

本研究の最も重要な結果として、図3に、各海域・各深度域でのエネルギー収支の年平均値を示す。風応力擾乱から供給された全エネルギーのうち、70-80%が表層150mで消散してしまうことが全球的に確認できる。

図4に鉛直モード展開を用いた各海域(図3参照)における解析の結果を示す。上段にはエネルギー供給率と赤道側の断面を横切る水平エネルギーフラックスのそれぞれに対する各モードの寄与を示している。多くのエネルギーが高次モードへ分配されていること、そして、そのエネルギーがほとんど水平に伝播しないことがわかる。図4下段にみられるように、モード6以上の高次モードの存在は表層150mに限られ、それ以深では高次モードの寄与は著しく小さくなる。このことは、高次モードのエネルギーのほとんどが表層150mで消散してしまうことを示している。

以上をまとめると、風応力擾乱から供給されたエネルギーの大部分が高次モードへ分配され、その結果、全供給エネルギーの70-80%が表層150mで消散するに至ると考えられる。

4.まとめと今後の展望

本研究の結果によれば、風応力擾乱から深海乱流へのエネルギー供給はせいぜい0.1TW程度(0.4TW×25%)と見積もられる。これはMunk and Wunsch(1998)による1.2TWという見積もりに比べ、1オーダーも小さな値である。したがって、潮汐流起源のエネルギー供給と合計しても、深海乱流へのエネルギー供給は1.0TW程度という結論になる。

現実的な深層循環の流量の維持を考える際には、南大洋におけるEkman upwellingに起因する深層海洋大循環の強化のような乱流混合とは別のメカニズムも大きな役割を持つのかもしれない。

図1.表層近慣性振動へのエネルギー供給率。(a)12-2月の平均値。(b)6-8月の平均値。

図2.内部波周波数帯の運動エネルギー(トーン)と水平エネルギーフラックス(→)の150m深から海底までの深度積分値。(a)12-2月の平均値。(b)6-8月の平均値。

図3.表層へのエネルギー供給率や水平・鉛直エネルギーフラックスの差から求めた、各海域・各深度区域でのエネルギー収支の年平均値。(a)表層近慣性振動へのエネルギー供給率の積分値。(b)表層150m内のエネルギー消散率の積分値。(c)150m深から海底までのエネルギー消散率の積分値。(d)1000m深から海底までのエネルギー消散率の積分値。(e)各断面を横切る赤道方向への水平エネルギーフラックスの経度・深度積分値。各海域へのエネルギー供給率に対する割合もあわせて示す。

図4.各海域(図3参照)におけるモード展開の結果。(上)モード毎のエネルギー供給率の年平均値(青)と赤道方向への水平エネルギーフラックスの年平均値(紫、重ねて表示)。各数字は対応する海域へのエネルギー供給率総量に対する割合(%)を示す。(下)モード毎の運動エネルギーの各深度区域内での鉛直積分値(エリア及び年平均をとった)。

審査要旨 要旨を表示する

海洋の深層における乱流混合過程は、深層海洋大循環を駆動する重要な物理過程の一つと考えられており、乱流混合強度の全球的な分布の把握は深層海洋大循環の理解と気候モデルの高度化にとって必要不可欠な課題である。この乱流混合をもたらす主要なエネルギー源として、潮汐と風応力擾乱の重要性が示唆されている。これまで、潮汐流と海底地形との相互作用によって励起された内部潮汐波による全球的なエネルギー供給の見積もりや、内部潮汐波エネルギーの乱流スケールまでのカスケード機構、それに基づく乱流混合強度のグローバル分布については精力的に研究が進められている。一方、風応力擾乱によって混合層内に励起された近慣性振動を起源とする内部波から供給されるエネルギーに関する研究は非常に少なく、全球的なエネルギー供給の見積もりは未だ明らかになっていない。本論文は、高精度海洋大循環モデルを用いた全球シミュレーション結果に基づいて、風応力擾乱により励起される内部波の発生と伝播、およびそれに伴うエネルギー収支を調べることで、風擾乱起源の深海乱流過程へのエネルギー供給を定量的に見積もり、深層海洋大循環の理解を深めることを目的としたものである。

本論文は5つの章から成立している。まず、第1章は導入部であり、深層海洋大循環と深層乱流混合過程の研究の歴史と現状を述べた後、本論文の内容と目的が述べられている。次に、第2章で、本論文で用いた海洋大循環モデルとこれを駆動するための外力の詳細について示されている。

第3章では、まず、数値モデルで得られた風応力擾乱起源の近慣性周期内部波の再現性およびモデル結果の妥当性を評価し、限られた観測結果と矛盾しない内部波伝播の全球的な分布を得ていることが確認された。次に、海洋表層における近慣性振動へのエネルギー供給率を定量的に見積もった。その結果、冬半球の中緯度帯(緯度30度から50度の間)を伝播する大気擾乱によって効率的に近慣性振動が励起され、そのエネルギーの一部は励起源から低緯度方向へ伝播していることが明らかになった。また、風応力擾乱による全球合計のエネルギー供給は、およそ0.4TWと見積もられた。

第4章は、海洋深層へのエネルギー輸送を定量的に明らかにするため、代表的な大洋におけるエネルギー収支の詳細を調べた。その結果、どの海域においても、風応力擾乱から供給された全エネルギーのうち、70-80%が海面から150m深までの表層において消散してしまうことが明らかとなった。また、鉛直モード展開を用いた異なる視点からの解釈では、供給されたエネルギーの大部分は高次モードの変動へ分配され、そのエネルギーは殆ど水平伝播していないことがわかった。この結果は、風応力擾乱から深層乱流過程へのエネルギー供給は高々0.1TW程度であることを示しており、従来の研究から推測されていた値に比べて1オーダーも小さいことが明らかとなった。

第5章は、得られた結果をまとめ、深層海洋循環研究の中での本論文の結果の位置づけおよびその意義について述べている。

このように、本論文は海洋の3次元高精度数値モデルを用いた全球シミュレーション結果に基づいて、風応力擾乱により励起された内部波の深海乱流混合に対するエネルギー源としての寄与を初めて定量的に明らかにした。その結果、風応力擾乱起源の深層乱流混合は、従来推察されていたよりもはるかに小さいという重要な知見を得るに至り、深層乱流の励起を通じた深層海洋大循環の理解に大きく貢献した。このことは、深層海洋大循環の流量の見積もりやその駆動メカニズムに関する再考察を含め、今後の深層海洋大循環の研究の新たな方向性を切り拓く成果として高く評価できるものである。

なお、本論文の主要な内容は日比谷 紀之 博士、丹羽 淑博 博士との共同研究に基づいているが、論文提出者が主体となって研究を行ったものであり、その寄与が十分であると判断できる。

したがって、審査員一同は、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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