学位論文要旨



No 123320
著者(漢字) 安河内,貫
著者(英字)
著者(カナ) ヤスコウチ,トオル
標題(和) 完新世における太平洋の環礁州島形成の生態及び物理的要因
標題(洋) Ecological and physical factors of Holocene atoll-island formation in the Pacific
報告番号 123320
報告番号 甲23320
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5201号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,隆治
 東京大学 教授 茅根,創
 東京大学 教授 磯崎,行雄
 東京大学 講師 横山,祐典
 茨城大学 准教授 横木,裕宗
 国立環境研究所 主任研究員 山野,博哉
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

環礁とはサンゴ礁が礁湖(Lagoon)を囲んでリング状に連なったものであり、環礁上の州島(以下環礁州島)は、炭酸塩生物遺殻が礁原に集積してできた、地上で最も新しくダイナミックな地形の一つである。環礁は、第四紀の海水準変動の影響を受けて発達してきた。環礁の形成史において、完新世前期の海面上昇によるサンゴ礁の発達については多くの研究がなされてきたが、その後の、完新世中期から後期の、安定した(もしくは下降した)海面下に起こったと考えられる環礁州島の地形発達については、ほとんど研究がされていない。また、この低平な環礁州島に太平洋を中心に数百万人が暮らしており、今世紀中に予期される海面上昇によって住処を失うことが危惧されているため、海面変動に対する州島の形成メカニズムを知ることは重要である。

これまでの研究で、環礁州島が太平洋域で確認されている中期~後期完新世における1~2mの高海面から、その後現在に向かっての海面低下の時期に形成されたことが示唆されている。しかし、海面変動と比較するための州島堆積物の炭素同位体年代が、異地性であるため正しい堆積年代を示さないことと、これまでの研究が州島の拡大史を復元するのみで、形成のメカニズムを考えてこなかったために、海面変動と州島形成の因果関係がわかっていない。州島形成のメカニズムは、州島を堆積させる物理的な要因と、州島の堆積物を供給する生態的な要因によると考えられる。しかし、予想される様々な要因と州島形成のメカニズムを結びつけた、州島形成を説明する統一的なモデルはこれまで存在しなかった。

そこで本研究では、太平洋の二つの環礁州島:カヤンゲル環礁カヤンゲル島(パラオ諸島)とマジュロ環礁ローラ島(マーシャル諸島)の調査に基づき、州島形成のメカニズムを明らかにし、それを規定する要因を求めて一般的な州島形成モデルを明らかにする。カヤンゲル島とローラ島は、基本的な物理営力は同様で太平洋赤道域で一般的なものであるが、州島の基盤である礁原の幅と、卓越風に対する礁原と州島の配置が異なる。これらの州島でまずトレンチを掘削して堆積物を解析することでその粒度と構造から州島を堆積させた波浪営力を明らかする。堆積年代を求めるために、棘の磨耗していない有孔虫殻のみを年代試料に用いることで、海面変動との詳細な比較を行う。さらに、有孔虫の棘の残り具合(残棘率; spine ratio)から、州島の主な堆積物である有孔虫の供給源を求め、そこでの実際に堆積量に見合う有孔虫の生産量があるかを確認する。また、海面低下が州島形成の物理要因に果たす役割を数値モデルで実験する。これらによって、海面変動に対する州島形成のメカニズムを明らかにし、太平洋及び世界の環礁州島の形成を規定する要因を求める。

堆積相と年代、海面低下

二つの環礁州島において、州島の中央部の、礁原に沿った南北方向の軸が一様に最も古い年代 (2200-2000 cal BP) を示した。この年代は、マジュロ環礁ロングアイランド島で見つかった化石マイクロアトール(当時の低潮位面を示す)の年代(およそ2200 cal BP) と同じであった。化石マイクロアトールの高度から、当時の海面が現在よりも1.4 m高かったことがわかった。また、当時の堆積相は二つの島で共通して、下部に礫質相、上部に砂質相という構造になっており、それぞれの年代はほぼ同じであった。これらのことから、海面低下が開始した頃、礁原の最大エネルギーの減少によって強い波浪状態における堆積が開始し、数百年のうちに州島の中心部分が形成されたことがわかった。それまで州島が堆積しなかったのは、高海面のため礁原の波浪エネルギーが強すぎて礫質なものも堆積できなかったためと考える。海面低下開始による礫の堆積は、波浪減衰モデルとシールズ数を用いた思考実験によっても示された。州島が堆積を開始したのはそれぞれの環礁の中でも礁原の幅の広いところの、ややラグーン寄りであり、やはり波浪エネルギーが相対的に弱いところで堆積したことを支持している。また、地形は堆積を開始した部分が最も低く、付加するにつれて高くなっていた。このこともまた、波浪が比較的弱い部分から、強い部分へと付加が進むことを示している。礫質相、砂質相とも、砂粒子の約半分が大型底生有孔虫(特にCalcarina)によって構成されていた。

供給源と生産量

この有孔虫の供給源を求めるために、現在の沿岸および州島の初期の堆積物中の有孔虫の残棘率を求めたところ、現在はそれぞれの州島で、風上に位置する礁原から運ばれてきていることが明らかとなり、州島の初期の堆積物もおそらく同様に風上の礁原から運ばれてきたことが示唆された。特にローラ島は、環礁の風下側に位置するために、島に面した外洋側の礁原ではなく、島より風上に位置する北方の礁原から運ばれていることがわかった。こうして求めた供給源における、有孔虫砂の年間生産量を現在の生息密度と衛星画像から推定した生息分布に基づいて求めたところ、生産量は概ね州島の堆積速度と同じであった。またこれらの有孔虫は現在の礁原の低潮位面よりやや浅い水深に生息していた。礁原の地形(水深)と2200年前の高海面を比較すると、この有孔虫の生息域は相対的海面低下によって得られたことが示された。

環礁州島の形成要因

カヤンゲル島とローラ島の調査から、これらの州島は完新世後期の海面低下による礁原のエネルギー減少と、州島の風上側の礁原における有孔虫生産の増加によって形成されたことがわかった。前者について、礁原の波浪エネルギーは高潮位時の水深で最大であるため、潮位差が小さいほうが礁原の波浪エネルギーが弱くなりやすい。この考えに従い、州島形成に有利な物理条件は完新世中期~後期の海面低下があることと、潮位差が小さいことであるとし、両者に基づき環礁を類型化した。さらに、それぞれのタイプの州島の形成モデルを提示した。

Type I:海面低下有り、潮位差大

太平洋のほとんどの環礁が含まれ、本研究の二つの島もこれに当てはまる。潮位差が大きいために、海面低下による波浪エネルギー減少が重要である。このタイプの環礁州島は、後期完新世の海面低下後に、有孔虫を主とした堆積物で構成される。

Type II:海面低下有り、潮位差小

仏領ポリネシアなどが含まれる。州島形成に最も有利なはずである。そのため環礁における州島の占める割合が多いようである。このタイプの州島は、後期完新世の海面低下以前に、礁原の発達による浅海化によって形成される。

Type III:海面低下無し、潮位差小

モルディブやカリブ海の州島が含まれる。海面低下がないために、潮位差が小さいことによる、礁原の浅い水深が重要である。このタイプの州島は、中期完新世における礁原の発達による浅海化によって形成される。海面低下がないために、有孔虫でなくHalimedaなどが主要な堆積物になっていると予想される。

Type IV:海面低下無し、潮位差大

本研究によれば基本的に州島がつくられないはずだが、暴風頻度が高く、かつ暴風による礫の供給が多いところでは、中期完新世における礁原の発達後、例外的に暴風礫によって州島が形成される(例;ラッカディブ諸島)。

この形成モデルは過去の地質記録にも適用できる可能性がある。つまり、過去の州島堆積物からその州島が海面低下を受けたか、また潮位差の大小を推測できる。また、将来の海面上昇は、Type Iの環礁州島における波浪エネルギーの増大と有孔虫生息域の減少を通して、その脆弱性を増大させるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる.第1章は序論であり,本論文の研究対象である環礁州島の形成について,従来の研究とその問題点が述べられている.第2章は,本研究で調査地であるマジュロ環礁とカヤンゲル環礁について紹介し,第3章では,本研究で用いた試料と方法についてまとめている.第4章では研究結果として,地形と堆積相,形成年代,環礁州島を構成する主要な堆積物である有孔虫殻の残棘率と生産量について記述し,第5章では環礁州島の形成過程,州島形成の初期段階での物理的条件,州島の堆積過程と有孔虫の生産の比較について考察し,さらに形成要因に基づいて州島地形の分類を行って居る.そして,最後の第6章では,論文で得られた成果をまとめるとともに,今後の課題について述べている.

環礁上に分布する島(環礁州島)は,サンゴ礁の重要な構成要素のひとつでありながら,サンゴ礁の形成過程に比べて,これまで十分に調査・研究が行われていなかった.そのため,その形成過程についても,調査地ごとに異なるモデルが提唱されている.そうした不一致の原因のひとつは,環礁州島が,サンゴ礁で生産された石灰質生物の遺骸や破片が運搬・堆積されて形成された異地性堆積物からなるため,その形成年代推定が困難で,従って形成過程に付いても詳細な議論が出来なかったことにある.また,石灰化生物の生産した砂が運搬・堆積する事により洲島が形成されたにも関わらず,島の形成過程を,生産と堆積のマスバランスという視点を基に,生態学的,堆積学的,地形学的過程を統合して考察した例は,これまで存在しなかった.

こうした研究状況にあって,本論文では,太平洋における典型的な環礁州島として,パラオ諸島カヤンゲル環礁とマーシャル諸島マジュロ環礁のローラ島の州島を選び,地形調査,トレンチ調査によって,先ず州島地形と堆積物の組成と層相を明らかにした.そして,堆積物の年代推定および運搬・堆積過程の復元にあたっては,州島堆積物のおよそ半分を構成する有孔虫殻の棘に着目して,棘が残っている有孔虫はごく短時間の運搬を経験しただけで堆積したものであると考え,棘が残っている有孔虫だけを選別して堆積年代を求め他.また,残棘率の空間分布から砂の運搬・堆積過程を推定した.その結果,両州島とも,2000年前の海面低下をトリガーとして,その形成(海面上へ島が現れること)が起こったことが明らかになった.そこで,概念的物理堆積モデルを用いて海面低下と堆積過程の関係を検討し,わずかな海面低下が州島形成のトリガーとなることを示すとともに,州島の堆積速度が有孔虫の砂の生産と保母バランスしていること,供給源と運搬経路が州島の形成に伴って変化することを示した.こうして,州島形成過程を,生態学,堆積学,地形学の3つの側面から統合的に理解することに,初めて成功した.

さらに本論文では,こうした結果に基づいて,海面低下と潮位差が州島形成に最も重要な要因であると結論付け,この2つ要因の地理的な差異から,世界の環礁州島を4つに類型化することを提案した.本研究で調査を行った2つの事例は,海面低下があり潮位差が大きな条件で形成される州島に対応するが,これ以外に海面低下があり潮位差が小さな条件で形成される州島として仏領ポリネシアの州島が,海面低下がなく潮位差が小さな条件で形成される州島としてモルジブなどの州島が,別の類型として区分されること,海面低下がなく潮位差が大きな条件では州島が形成されにくいこと,を示した.こうして,これまで州島形成過程について個別に提唱されていた異なるモデルが,2つの主形成要因の地理的変化によって説明できることを示した.

本研究は,不明な点が多かった環礁州島の形成過程と制御要因について,その地理的な変異を生み出す理由も含めて提示することによって,サンゴ礁-州島の地形と生態系が環境変動に応答して相互作用するシステムであることを示すと共に,洲島形成過程を総合的に理解する道を開いた.環礁州島は現在海面上昇による水没が懸念されているが,本研究成果は,州島地形の形成モデルを提示し,洲島地形の地理的変異の原因を明らかにする事を通じて,その予測や対策立案にも寄与するものと期待される.

なお本論文のうち,第4,5章の1部は茅根 創,山口 徹,山野博哉との共同研究(Sedimentary Geology 誌に印刷公表予定)であるが,いずれも論文提出者が主体となって調査と結果の解析を行ない,筆頭著者として論文をまとめたもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

上記の点を鑑みて,本論文は地球惑星科学,とくに地球システム科学の発展に寄与するものと認め,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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