学位論文要旨



No 123323
著者(漢字) 伊藤,洋介
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,ヨウスケ
標題(和) 下部マントルレオロジイの計算科学的研究
標題(洋) A computational study of the lower mantle rheology
報告番号 123323
報告番号 甲23323
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5204号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 八木,健彦
 東京大学 准教授 田近,英一
 東京大学 教授 藤井,敏嗣
 東京大学 教授 鳥海,完弘
 東京工業大学 教授 河村,雄行
内容要旨 要旨を表示する

マントルダイナミクスをモデル化する上で以前から障害になっているのがマントル、特に下部マントルの粘性率に関する知見の乏しさである。下部マントルは固相のまま流動しているため、その粘性率は下部マントルの流動(レオロジイ)に関する性質を解明することによって明らかになる。下部マントルは拡散クリープによって流動していると信じられており、拡散クリープの素過程である自己拡散は拡散クリープそのものより取り扱いやすいため、下部マントルの構成鉱物の自己拡散を調べ、得られた自己拡散係数から下部マントルの粘性率を推定する試みは古くから行われてきた。しかし、自己拡散の実験的研究は、下部マントルに相当する高温高圧に試料を長時間保持して試料中に拡散を起こさせ、拡散のプロファイルを正確に得る技術的困難があり、成功例は下部マントルの最上部の圧力条件で数例にとどまっている。マントルダイナミクスのモデル化には、下部マントル全域にわたる粘性率の情報が必要であるが、実験的研究のみから近い将来に得られる見込みは薄い。一方計算科学的方法は、本質的に時間発展する確率現象である自己拡散をモデルとして再現しなければならない困難があり、また常にモデルの精度を実験データによって検証し続けなければならないものの、温度圧力条件の再現が容易であるため、成功すれば下部マントル全域にわたって信頼できる知見が得られる。自己拡散の微視的過程は空孔を介した原子の自発的な移動である。下部マントルの高温、高圧中で、原子は激しく振動し、高いエネルギーを持つ。原子のエネルギー分布はマクスウェル・ボルツマン則に従い不均一であり、空孔周囲の原子が高いエネルギーを有するときに空孔への自発的な移動が偶然に生じ、移動した原子の元の位置が新たに空孔となる。下部マントルは高圧であるのみならず圧力範囲が非常に広い(25-135GPa)ため、活性化体積をパラメータとする拡散係数の圧力線形則が破れ非線形的な挙動を示す可能性が考えられる。したがって、低圧領域で得られた拡散係数の圧力依存性の、下部マントル圧力領域への単純な外挿は信頼できない。下部マントルの自己拡散は、計算科学を適用して、空孔を介した原子の自発的な移動を下部マントルの実際の温度圧力領域で再現することによって、はじめて理解できる。

本研究は下部マントルの構成鉱物の主要な端成分であるMgOペリクレース、およびMgSiO3ペロブスカイトの自己拡散を、計算科学の手法の一つである分子動力学法を用いて、下部マントル全域に相当する広範囲の温度圧力条件下で、空孔を介した原子の自発的移動を再現して調べた。本手法により得られる自己拡散係数は、計算機の能力の限界から原子の自発的移動を十分再現することができず、その結果、精度が低下することが報告されている。この問題は大型計算機(地球シミュレータ)を用いて温度圧力条件毎に長時間(107step=20ns)の計算を行うことによって改善した。得られたMgSiO3ペロブスカイトのシリコン(Si)の活性化エンタルピー[Hm* (P)]は圧力が増大するにつれて単純に増大し、圧力の線形依存を仮定して40GPa-100GPa の範囲で Hm* (P) [kJ/mol] = 0.875 *P[GPa] + 310 と決定され、25GPaに外挿した[Hm*(P)]は実験データとよく一致した。MgO ペリクレースのマグネシウム(Mg)および酸素(O)の活性化エンタルピー[Hm* (P)]は、0-140GPaの圧力範囲に対して、215-297[kJ/mol](O)、202-288[kJ/mol](Mg)の範囲で変化し、いずれも、(1)0-60GPaの範囲で圧力増加にしたがって増加し、(2)60GPaにおいて最大となり、増加から減少に転じ、(3)60-140GPaの範囲で圧力増加にしたがって減少する、非線形的挙動を示した。この結果は、常圧のO, MgのHm* (P)、および、15-25GPaにおけるMgの活性化体積の実験データとよく一致した。MgOペリクレースHm* (P)の非線形的挙動の原因を調べるため、MgOペリクレースと異なるLennard-Jones[L-J]型の原子間相互作用を有する固体ネオン(Ne)の自己拡散の圧力依存性を調べて、MgOペリクレースと比較した。得られた自己拡散係数の圧力依存性は線形性が高く、活性化体積は90-160GPa の圧力範囲で0.62-0.74 (cm3/mol)と決定された。 結果の線形性から、MgOペリクレースの非線形性の原因は、Lennard-Jones型の原子間相互作用モデルに含まれておらず、MgOペリクレースの原子間相互作用において支配的な役割を持つ、長距離力(クーロン力)項であることが示唆された。得られたMgOペリクレースおよびMgSiO3ペロブスカイトの自己拡散係数の結果から、対応する下部マントルの相の粘性率を与えた。得られた粘性率は、MgSiO3ペロブスカイトが、深さ変化は小さく単調な微増となったのに対し、MgOペリクレースは深さが深くなるにつれ増加から減少に転じ、減少は1/100と大幅であった。MgSiO3ペロブスカイトの粘性率の小さな深さ変化は、地球物理学的観測から深さ方向のみを考慮した1次元のモデルを使って推定した下部マントル粘性率の深さ変化と一致するのに対し、MgOペリクレースの粘性の深さ変化はこれと一致しないため、観測の1次元モデルはMgSiO3ペロブスカイトの粘性を反映していることが判明した。また、2相の粘性率比は下部マントル最深部にて非常に大きく( 104.5)なり得ることが判明し、下部マントル最深部にてMgOペリクレースが下部マントルのレオロジイを支配したときに、例えば全マントル規模の上昇流の付け根部分が小さくなるなどの、特徴的な構造が現れる可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章からなる。第1章はイントロダクションで、第2章はこの研究で用いられた分子動力学計算法に関する記述、第3章は主たる研究対象となったMgOに関する研究結果、第4章は比較のために計算した希ガス固体の結果、第5章は下部マントルの最主要構成鉱物であるMgSiO3ペロフスカイトの結果、第6章が上記の物質の結果を総合して議論した下部マントルのレオロジー、そして第7章が結論、という構成になっている。

マントルダイナミクスを議論する上で、地球深部を構成すると考えられる物質の粘弾性的性質を知ることは不可欠である。弾性的性質に関しては、近年の超高圧高温X線実験技術やブリルアン散乱実験技術の飛躍的発展に伴い、実験により直接情報を得ることが可能になりつつあるが、粘性的性質に関しては地球科学的現象の時間スケールが非常に長いために実験でそれを明らかにすることは、少なくとも現在の科学のレベルでは絶望的である。そこで本論文では、分子動力学法を用いた理論計算により、この問題の解明に取り組んだ。具体的には、下部マントルは拡散クリープによって流動していると信じられているため、拡散クリープの素過程である自己拡散を下部マントルの主要な構成鉱物の端成分であるMgSiO3ペロフスカイトとMgOペリクレースについて計算し、得られた自己拡散係数から下部マントルの粘性率を議論するという研究手法を用いた。自己拡散の微視的過程は空孔を介した原子の自発的な移動なので、各結晶の構造を持ち、かっその中に空孔を含む系を考え、その系における原子の移動を分子動力学計算により下部マントル全域に相当する広範囲の温度圧力条件下で再現して調べた。分子動力学を用いたこのような計算は以前からいろいろ行われてはいるが、計算時間を膨大に必要とすることから、充分な信頼度と精度を持った結果を得るととは容易ではなかった。しかし本研究ではこの問題を、大型計算機(地球シミュレータ)の能力をフルに使う計算手法を開発して長時間(107step=20ns)のシミュレーションを行うことによって克服し、信頼度の高い結果を得ることに成功した。その結果、MgOでは自己拡散係数が圧力と共に単調に減少するという従来の予測を覆して80GPa程度から増加に転じるという新しい知見を得た。この計算結果の信頼性をチェックするため、原子間ポテンシャルの形が大きく異なる希ガス固体のネオンに関しても計算を行い、この場合はそのような非線形性は見られず、MgOペリクレースの特異な振る舞いは、原子間相互作用において支配的な役割を持つ長距離力(クーロン力)項に起因する可能性が高いことを明らかにした。さらに、MgSiO3ペロフスカイトに関する計算結果と合わせて、2相の粘性率比は下部マントル最深部において非常に大きく(=10(4.5))なり得ることを明らかにし、全マントル規模のホットプリュームの形態を考えたとき、上昇流の付け根部分が小さくなるなどの特徴的な構造が現れる可能性を明らかにした。以上のように本論文は地球シミュレータの能力を最大限に引き出して、地球下部マントルのレオロジーに関してに新しい知見を得ることに成功している。

なお、本論文の第2章、第3章、および第6章の一部はすでに鳥海光弘教授との共著論文として公表されており共同研究ではあるが、論文提出者が主体となって理論計算や解析、検証を行ったものであり、公表予定の他の章の内容についても同様であるので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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