学位論文要旨



No 123325
著者(漢字) 阿部,仁
著者(英字)
著者(カナ) アベ,ヒトシ
標題(和) 深さ分解XMCDによる磁性薄膜の磁気異方性の研究
標題(洋) Magnetic Anisotropies of Magnetic Thin Films Studied by Depth-Resolved XMCD
報告番号 123325
報告番号 甲23325
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5206号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長谷川,哲也
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 小澤,岳昌
 東京大学 教授 大越,慎一
内容要旨 要旨を表示する

数原子層程度の磁性薄膜では、バルクでは見られない面直磁化、スピン再配列転移(SRT) 等の特異な現象が見られるが、これらの現象の詳細はまだよくわかっていない。この程度の膜厚では、内部層とは異なる表面層や界面層の存在が無視できず、どのような構造的、磁気的違いがあるかを理解する必要がある。従って、面直磁化やSRT の詳細な理解には、面直磁化やSRT が見られる系を多く探す事、各系で表面層、界面層、内部層のいずれが面直磁化やSRT に大きく寄与しているのかを突き止める事が重要である。また、層ごとの違いを理解するには、非破壊で直接的に深さ方向の情報を得る必要がある。X 線磁気円二色性(XMCD) は、スピン磁気モーメントmsだけでなく、磁気異方性と関係付けられる軌道磁気モーメントml に関する情報が得られる手法である。これに、深さ分解能を持たせた深さ分解XMCD 法を開発し、表面層、界面層、内部層、それぞれの情報が得られるようになってきた。本研究では、面直磁化やSRT が見られる系を探す事、主にこの深さ分解XMCD 法を用いて層ごとの磁気情報を得る事、それを基に面直磁化、SRT の起源・機構を理解する事を目的とした。修士課程でSRT を発見したFe/Ni/Cu(001) 系のFe を層ごとに理解することから始め、ここでの知見を基に各系へと展開した。

実験

KEK-PF BL-7A(東大RCS 所属軟X 線ビームライン)、及びBL-11A にて行った。試料は単結晶基板上に電子衝撃加熱法でFe, Co, Ni を目的に応じて蒸着した。RHEED 観測により蒸着膜厚を制御した。円偏光X 線を用いてL 端XMCD スペクトルを得た。磁化方向は試料への入射角を直入射(NI, θ = 0°)、および斜入射(GI, θ = 60°)での測定によって決定した。深さ分解XMCD 法を必要に応じて用いた。XPS 測定は、630 eV の光で、検出器にはSCIENTA SES-2002 を用いた。

結果・考察

磁性薄膜の磁化方向として、薄膜に垂直に磁化する面直磁化や平行に磁化する面内磁化などがある。このような磁気異方性は、表面Ks、内部Kv、界面Ki 等の磁気異方性エネルギーの和ΔE の正負で現象論的に議論され、ΔE >= 0 なら面直磁化、ΔE<=0 なら面内磁化と考える。この時、これらの磁気異方性エネルギーK は、Δml を面直磁化の状態と面内磁化の状態の軌道磁気モーメントの差とすると、K = F・ Δml という比例関係にある。比例定数F をFe/Ni/Cu(001) の実験結果から求めると、FFe = 2±0.8 meV/atom, FNi = 3±0.5 mev/atom となった。これらは過去の報告値と良く一致している。以上から、磁性薄膜の磁気異方性を議論することができ、例えばSRT が起こるか否かの議論も可能となる。

Fe/Co/Pd(111)

SRT を発見したFe/Ni/Cu(001) では、Fe の表面層で大きな面直磁気異方性(PMA) が観測された。これはFe/Ni/Cu(001) のFe に特有か、あるいは他にも見られる現象かを探るためにFe/Co/Pd(111) で実験を行った。面内磁化のCo(4-6 ML)/Pd(111) に、Fe を0.5 ML程度蒸着すると、面直磁化へSRT を起こした。-Fe 2ML で再び面内磁化へと戻った。この磁気異方性相図を図1(a) に示す。XMCD の解析から、1 ML 以下の面直磁化のFe では非常に大きなml/ms が得られた。これに比べて面内磁化の時にはおよそ0.1 ほど小さなml/ms が得られた。すなわち、Fe/Co/Pd(111) でもFe 5 1 ML ではPMA が大きいことがわかった。磁気異方性エネルギーを求めると、-500 μeV/atom と非常に大きな面直の磁気異方性エネルギーが得られた。

Fe/Cu(001)

典型的な磁性薄膜であるFe/Cu(001) でも、そのKv,Ks,Kiに関する情報は充分ではない。そこで、この系のKv,Ks,Kiを決定することを考えだ。Fe の膜厚が同じで、磁化方向が面直磁化と面内磁化のもの2種類のサンプルを作製する必要があり、Cu の中にCo の層を挟み、Fe(x ML)/Cu(2 ML)/Co(yML)/Cu(001) とすることで面直磁化のもの(y = 2) と面内磁化のもの(y = 6) を作り分けた。x = 2, 3 で実験すれば、Kv,Ks,Ki を決定できる。まず、Fe 2 MLで面直磁化と面内磁化のサンプルについて深さ分解XMCD測定を行った。得られたml/ms のプロットをフィッティングカーブと共に図2(a,b)に示す。以下、煩雑さを避けるためml/ms を単にM と表記する。フィッティングからは表面層のMtop と界面層のMbotが得られる。図2(a) からはMtop(a) = 0.172, Mbot(a) = 0.095が得られ、図2(b) からはMtop(b) = 0.072, Mbot(b) = 0.104が得られた。K を求めると、Ktop = Kv + Ks = 483 ± 70 μeV/atom, Kbot = Kv + Ki =-44 ± 70 μeV/atomとなった。次に、いま得られた表面層と界面層の値を利用してFe 3 ML で同様の解析を行い、図2(c),(d) からそれぞれ、内部層のMinner(c) = 0.102, Minner(d) = 0.080 を得た。ここからKv = 102 ± 70 μeV/atom と求められた。以上より、Ks = 381 ± 70 μeV/atom, Ki =-147 ± 70 μeV/atom と、全てを求めることができた。Ks = 381 ± 70 μeV/atom という値から、Fe/Cu(001) では表面層の大きなPMA によって薄膜全体の面直磁化が安定化されていることがわかった。

CO/Fe/Cu(001)

表面層の大きなPMA によって面直磁化が安定化されているFe/Cu(001) の表面と吸着分子との相互作用を調べた。面直磁化でms = 2.4 μB のFe(2, 4 ML)/Cu(001) にCO を吸着させた。CO/Fe(2 ML)/Cu(001) は面直磁化で2.3 μB と特に変化はなかった。一方、CO/Fe(4 ML)/Cu(001) は面内磁化へ転移し、1.1 μB と半減した。これらのXMCD スペクトルを図3 に示す。半減したms = 1.1 μB の由来を明らかにするため、CO/Fe(4 ML)/Cu(001)を深さ分解XMCD 法で調べた。それを解析して得られたms を検出深度に対してプロットしたものが図4 である。検出深度の浅い方で小さく、深い方で大きくなっていることがわかる。このプロットは上側2 層のms(top) = 0 μB、下側2 層のms(bot) = 2.5 or 2.6 μB とした場合の2つの曲線の間に入っている。実際、フィッティングによりms(top) = 0.17 μB, ms(bot) = 2.31 μB が得られ、上側2 層の磁化が消失し、Cu(001) 側の下側2 層のみ磁化を保持していることがわかった(図5(f))。これは、CO が最大2層の磁化を消す力を持つ一方、Cu(001) は隣接する2層の磁化を常に保持する力を持つ、と考えると説明が付く。CO/Fe(4 ML)/Cu(001) では、CO によって上側2層の磁化が消され、表面層の大きなPMA も消失し、残ったCu(001) 側の2層が面内磁化へと転移する。一方、CO/Fe(2 ML)/Cu(001) では、磁化を消そうとするCO に対して磁化を保持するCu(001) 基板が勝つ。全ての磁化が残るので、表面のPMA も残り、面直磁化のままとなる(図5(e))

磁性で大きな違いが見られたCO/Fe(2 ML)/Cu(001) とCO/Fe(4 ML)/Cu(001) での表面層では、その構造やCO の脱離、解離の様子にも違いが見られるのではないかと考えた。これを調べつため、昇温しながらXPS を測定した。得られたXPS の結果を図5(a,b) に示す。285.5 eV のCO のピークが昇温とともに小さくなり、脱離・解離していることがわかる。また、解離してできた原子状C の282.3 eV のピークは昇温につれて大きくなってきた。ここで、図5(b) に示したCO/Fe(4 ML)/Cu(001) の方が、昇温後450 K での原子状C のピークが大きいことから、CO は4 ML Fe 上の方が解離し易いと言える。また、O 1s XPS でも同様の結果が得られた。脱離するCO はfcc-like Fe のatop site に立って吸着しているCO であり、解離するCO はbcc-like Fe のbridge site に寝て吸着しているCO であると言われている。解離の結果できた原子状C,O の多いCO/Fe(4 ML)/Cu(001) では、寝て吸着しているCO が多く、それだけbcc-like な表面が多いと言える。

従って、CO/Fe(2 ML)/Cu(001) の表面はよりfcc-like、CO/Fe(4 ML)/Cu(001) の表面はよりbcc-like であると推定できる。この状況を模式的に描くと図5(e,f) のようになる。このように2 ML の違いで表面構造や吸着構造に違いがあることが強く示唆された。

まとめ

層ごとの磁気異方性を理解するために、深さ分解XMCD 法を用いて磁性薄膜の研究を行なった。Fe 表面層の大きな面直磁気異方性を見出し、Fe/Cu(001) 系について磁気異方性エネルギーの全決定を行い、CO/Fe/Cu(001)系のスピン再配列転移を説明することに成功した。また、磁性薄膜に吸着した分子が表面の原子構造の変化をもたらし、それが磁気構造に影響を与えていると強く示唆する結果を得た。

図1: (a) Fe/Co/Pd(111) の磁気異方性相図。(b) そのFeのml/ms。黒四角(■) は面直磁化、白丸(○) は面内磁化のもの。(a) での三角は混ざった状態。

図2 Fe(x ML)/Cu(2 ML)/Co(y ML)/Cu(001)のFeのml/msの検出深度依存性。(a)x=2,y=2,(b) x=2,y=6(c)x=3,y=2,(d)x=3,y=6(a),(c)は面直磁化で、(b),(d)は面内磁化。

図3: Fe 2 ML のCO 吸着前後(a)(b)、及びFe 4ML のCO 吸着前後(c)(d) のFe-L XMCD スペクトル。

図4: CO/Fe(4 ML)/Cu(001) のms の検出深度依存性。実線はフィッティング曲線で、(ms(top),ms(bot)) = (0.17, 2.31) μB を与える。破線、点線シミュレーション。詳細は本文参照。

図5: (a) CO/Fe(2 ML)/Cu(001) のC 1s XPS を100-450 K と10 K ずつ昇温して測定したものと、(c) そのCO(N) 及びatomic C(△) のピーク強度をそれぞれの温度に対してプロットしたもの。(b),(d) は同様にCO/Fe(4ML)/Cu(001)。(e) CO/Fe(2 ML)/Cu(001), (f) CO/Fe(4 ML)/Cu(001) のモデル。

審査要旨 要旨を表示する

磁性薄膜はバルク磁性体では見られない特殊な磁気異方性を示すことが知られている。本研究では、磁性薄膜の磁気異方性を詳細に検討し、面直磁化やスピン再配列転移(SRT)の起源に関する問題を取り扱っている。

本論文は10章から成っている。

第1章は序論であり、磁性薄膜における磁気異方性の現象論的な解釈、その起源における磁気モーメントの異方性の重要性について述べている。具体的には、Fe/Cu(001), Ni/Cu(001), Fe/Ni/Cu(001), Fe/Pd(111), Co/Pd(111)系の過去の研究について触れている。

第2章は、第1章の序論を踏まえて、本論文の目的について述べている

第3章は実験手法に関する説明である。内殻分光法であるX線吸収分光法(XAS)・X線磁気円二色性(XMCD)について、その原理、得られる情報について概説している。特に、XMCDの磁気異方性研究における利点(元素選択性、スピン・軌道磁気モーメントを別々に定量可)が示されている。深さ分解XMCD法についても概説している。

第4章は、実験装置、及び測定に関する説明である。用いた実験装置や試料の準備・作製方法、ビームラインについて概説している。

第5章は、深さ分解XMCDのデータ解析について、検出深度やモデルを立てる上での注意点について解説している。

第6章は、Cu(001)単結晶基板上に成長させたFe/Ni薄膜の磁気異方性、及びそれぞれの磁気モーメントについて、深さ分解XMCDを用いて調べている。1 ML以下という極少量のFeを面内磁化のNi薄膜に蒸着することによって面直磁化へと変わるSRTを起こすこと、さらに蒸着しFe 2 ML程度では再び面内磁化へとSRTを起こすこと、を見出している。XMCDの解析から、Fe 1 ML以下では面直磁気異方性が大きいこと、2 MLの平均としてはその異方性が消失することを明らかにしている。また、2 MLでも、表面層は1 ML以下の時と同様の面直磁気異方性を示し、界面層が面内磁気異方性を示すために膜平均としては異方性が見られないことも明らかにしている。これらから、観測されたSRTを説明することに成功している。

第7章は、Pd(111)単結晶基板上に成長させたCo薄膜の上へ成長させたFe薄膜について、その磁気異方性をXMCDによって調べている。Fe/Ni/Cu(001)におけるFeと同様に、1 ML以下の面直磁化の際には大きな軌道・スピン磁気モーメント比を、面内磁化の際には小さな値を得ている。1 ML以下のFeは、Ni/Cu(001)上のFeに限らず、Co/Pd(111)上でも大きな面直磁気異方性を示すことから、環境によらずFe自身の性質に由来する磁気異方性であることを強く示唆している。

第8章は、典型的な磁性薄膜であるCu(001)単結晶基板上に成長させたFe薄膜の磁気異方性について詳細に検討している。現象論的に磁気異方性を理解する際に、磁気異方性エネルギーを、表面、内部、界面、と分けて議論するが、これらの磁気異方性エネルギーはこれまで正確に求められていない。試料作製の工夫等により、これらを全て求めることに成功し、Fe/Cu(001)薄膜の磁性、特に面直磁化の起源について、最表面層の大きな面直磁気異方性が膜全体の面直磁化を安定化していることを明らかにしている。

第9章は、Fe/Cu(001)の表面と吸着分子との相互作用について調べている。Fe(2 ML)/Cu(001)では、CO吸着前後でスピン磁気モーメントの大きさは変わらず、磁化方向も面直磁化のままである一方、CO/Fe(4 ML)/Cu(001)では、CO吸着前は面直磁化であったものが面内磁化へとSRTし、見かけのスピン磁気モーメントが半減することを見出している。深さ分解XMCDより、CO/Fe(4 ML)/Cu(001)では、表面2層の磁化が消失し、Cu基板との界面側の2層にのみ磁化が残っていることを明らかにした。COが最大2層の磁化を消す力を持つ一方、Cu(001)は隣接する2層の磁化を常に保持する力を持つと推論している。CO/Fe(4 ML)/Cu(001)では、COによって上側2層の磁化が消され、表面層の面直磁気異方性が消失し、残った磁化が面内磁化へと転移する。一方、CO/Fe(2 ML)/Cu(001)では、Cu(001)基板によって磁化が保持され、表面の面直磁気異方性も残るので面直磁化のままであると結論している。また、COの脱離・解離過程をXPSで観察することで、上記のように磁気構造の異なるCO/Fe(2 ML)/Cu(001)とCO/Fe(4 ML)/Cu(001)とでは、表面構造にも違いがあることを見出している。

第10章は結論と要約である。

以上のように、本論文は、XMCDやXPSなどの分光学的な手法を駆使し、磁性薄膜における磁気異方性を詳細に調べ、得られた磁気異方性エネルギーの値から、磁性薄膜の面直磁化やSRTなどの起源・機構を明らかにしている。これらの研究は理学の発展に大きく寄与する成果であり、博士(理学)取得を目的とする学術研究として十分な意義を有する。尚、本論文における各章の研究は他の複数の研究者との共同研究によるものであるが、論文提出者が主体となって実験、解析、考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク