学位論文要旨



No 123327
著者(漢字) 伊藤,慎庫
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,シンゴ
標題(和) 普遍性の高い金属元素を活用する選択的炭素-炭素結合形成反応開発
標題(洋) Selective Carbon-Carbon Bond-Forming Reactions Mediated by Ubiquitous Metals
報告番号 123327
報告番号 甲23327
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5208号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 尾中,篤
内容要旨 要旨を表示する

周期表の元素を縦横無尽に利用することで有機合成化学は過去30年の間に格段の進歩を遂げた.パラジウムやロジウム,ルテニウムなどの金属触媒を用いた炭素-炭素結合形成反応は,今や有機化合物の骨格構築に欠かすことのできない手法となっている.一方で,これらの希少性の高い金属による触媒機能を,普遍性の高い金属元素で置き換え,さらにはそれらを凌駕するような新反応性を求める研究が昨今注目を集め始めている.ここでいう普遍性の一つの指標が,地殻中に存在する元素の相対存在量であり,遍在する普遍性の高い金属元素を活用する試みは,単に希少金属代替のみならず,有機合成化学に新たな可能性をもたらすものとして重要な意義を持つ.

本論文は,鉄やマグネシウムなどの普遍性の高い金属元素を用いた高活性触媒系・反応試剤の創製と,それらを活用する新規炭素-炭素結合形成反応開発について述べている.特に遷移金属の中でも例外的に豊富な鉄の新規な触媒作用の探索を行い,アルキルトシラートと芳香族亜鉛試薬のクロスカップリング反応およびオキサビシクロアルケン類の不斉カルボ亜鉛化反応を開発した.た,遍在する典型金属元素であるマグネシウムに着目した研究を行い,新規高活性マグネシウムエナミドを創製することで,従前の金属エノラートの化学では不可能であった,有機塩化物およびフッ化物を用いるケトンのアルキル化反応を実現した.これらの新規炭素-炭素結合形成反応の開発研究は,本論文中2-4章に反応別に詳述されている.以下,各章の内容を要約する.

第1章では,普遍性の高い金属元素を活用する合成反応について,その背景と基本概念を述べている.そして,鉄触媒と有機典型金属試薬を用いた選択的な炭素-炭素結合形成反応,特にクロスカップリング反応とカルボメタル化反応について,これまでに報告された反応例を求電子剤ごとに分類し,その歴史的な経緯と合成的な特徴を概説している.

第2章では,鉄触媒によるアルキルトシラートと有機亜鉛反応剤のクロスカップリング反応について述べている.近年,中村らにより,ハロゲン化アルキルを用いた有機マグネシウム反応剤または有機亜鉛試薬との鉄触媒クロスカップリング反応が開発されており,この知見に基づいてさらに汎用的なクロスカップリング手法の開発を行った.アルコールから合成容易な酸素官能基を脱離基として持つ求電子剤を精査した結果,アルキルトシラートなどのスルホン酸アルキルを用いると良好に鉄触媒クロスカップリング反応が進行することを見出した.

触媒量の塩化鉄(III)と化学量論量のN,N,N',N'-テトラメチルエチレンジアミン(TMEDA)存在下,アルキルトシラートに芳香族亜鉛試薬を反応させたところ,クロスカップリング生成物が得られた.検討の結果,塩化亜鉛よりもヨウ化亜鉛から調製されたジフェニル亜鉛を用いた場合に収率が高いことが見出され,ヨウ化物イオンの求核置換によるヨウ化アルキル生成が反応進行の鍵であることが明らかとなった.最適条件下,種々の第一級,第二級アルキルトシラートと芳香族亜鉛試薬の反応を検討したところ,いずれも対応するクロスカップリング生成物を高収率で与えた(Figure 1).

有機亜鉛試薬を用いる本反応は高い官能基共存性を有する点が特長である.ハロゲン-マグネシウム交換反応で得られたグリニャール反応剤から種々の官能基化亜鉛反応剤を調製し,アルキルトシラートとのクロスカップリング反応を行った.いずれも反応は良好に進行し,鉄触媒クロスカップリング反応において高い官能基共存性を実現した(Figure 2).

第3章では,オキサビシクロアルケンの不斉カルボメタル化反応について述べている.有機金属反応剤存在下での鉄触媒不斉反応は極めて困難であり,これまでほとんど報告例がない.塩化鉄と二座の光学活性ホスフィン配位子を組み合わせた触媒系を用いることで,オキサビシクロアルケンに対する芳香族亜鉛反応剤の不斉カルボ亜鉛化反応が良好に進行することを見出した.

オキサベンゾノルボルナジエン12 に対し,触媒量の塩化鉄(III)およびCHIRAPHOS 存在下,塩化亜鉛とグリニャール反応剤から調製したジフェニル亜鉛を0 °C で反応させたところ不斉カルボ亜鉛化反応が進行し,酸で反応を停止すると生成物13 が97%収率,76% ee で得られた(式1).反応を停止させることなく25 °C に昇温して撹拌を続けると,カルボメタル化中間体からの開環反応により対応する環状ホモアリルアルコール14 が97%収率,76% ee で得られた.

同様の反応条件下0 °C で種々のオキサビシクロアルケンと芳香族亜鉛反応剤の反応を検討したところ,ほぼ定量的な収率でアリール化生成物15-18 が得られた(Figure 3).鏡像異性体過剰率に関しては,オキサビシクロアルケン,芳香族亜鉛反応剤ともに芳香環上の電子的性質は大きく影響しないことがわかった.一方,亜鉛反応剤の立体的な性質が高い選択性の発現に重要であり,オルト位にメチル基を有する芳香族亜鉛反応剤を用いた場合に,収率は52%であったが最高94% ee で生成物19 が得られた.

また,本不斉カルボ亜鉛化反応により生成した光学活性有機亜鉛中間体20 をヨウ素で補足したところ,対応するヨウ化アルキル21 が94%の収率で得られた.このように得られたカルボ亜鉛化生成物は求電子剤による補足が可能であり,逐次的な炭素-炭素結合形成と官能基導入を行える点が合成的な利点である(式2).

第4章では,高活性マグネシウムエナミドを用いたケトンのα位アルキル化反応について述べている.金属エノラートやエナミンとハロゲン化アルキルの反応によるケトンのα位アルキル化反応は重要な炭素-炭素結合形成反応であるが,これまでアルキル求電子剤として用いられるのは活性な臭化アルキルやヨウ化アルキルに限られており,不活性ハロゲン化アルキルを用いた例は皆無であった.筆者は,分子内に含窒素アルキル鎖を有する新規マグネシウムエナミドを創製することで,塩化アルキルおよびフッ化アルキルを用いた効率的なケトンのα位アルキル化反応の開発に成功した.

種々のイミン22 に対し,小過剰のメシチルグリニャール反応剤を反応させマグネシウムエナミド23 を調製した.ここに塩化シクロへプタンを加えて加熱したところ,求核置換反応が進行し,加水分解後α-アルキルケトン24 が得られた(式3).エナミド22 の反応性は窒素上の置換基によって大きく変化する(Figure 4).窒素上にアリール基(entry 1)や2-メトキシエチル基(entry 2)を有するエナミドでは反応はほとんど進行しなかったが,シクロヘキシル基を有するエナミドでは収率が大きく向上した(entry 3).2-(N,N-ジアルキルアミノ)エチル基を導入すると選択性はさらに向上し,最高収率88%で生成物18 が得られた(entries 4 and 5).しかし,3 つのメチレン鎖を有する含窒素アルキル鎖では有意な効果が見られず(entry 6),窒素によるマグネシウムへの効率的な分子内配位が高活性発現に重要であると示唆される.本手法により得られたマグネシウムエナミド25 は高い求核性を有しており,種々の第一級,第二級の塩化アルキルおよびフッ化アルキルと反応して,対応するα-アルキルケトンを高収率で与えた(Figure 5).また,光学活性ハロゲン化物を用いた検討により,本置換反応は立体反転を伴うSN2 機構で進行していることが明らかになった.

第5章では,普遍性の高い金属元素を活用する合成反応について総括し,結論と今後の展望を述べている.本研究では鉄やマグネシウムを用いた高活性触媒系・反応試剤を創製することで,従前の反応系を凌ぐ高効率かつ高選択的な炭素-炭素結合形成反応を実現できた.これらの知見を基に,今後さらなる有用な精密有機合成反応開発が期待される.

Figure 1

Figure 2

Figure 3

Figure 4

Figure 5

審査要旨 要旨を表示する

本論文は五章から構成されており,普遍性の高い金属元素を活用する選択的炭素-炭素結合形成反応の開発について論じている.

第一章では,地殻中に大量に遍在する金属元素を活用する合成反応の開発の背景について述べ,その重要性を明らかにしている.さらに最も豊富に存在する遷移金属である鉄を触媒として用いる選択的炭素-炭素結合形成反応,特に有機典型金属反応剤存在下の反応例に関して,その開発の歴史的な経緯および合成化学的な特徴を概説している.

第二章では,鉄触媒によるスルホン酸アルキルと有機亜鉛反応剤のクロスカップリング反応について述べている.これまで鉄触媒によるアルキル求電子剤のクロスカップリング反応では,求電子剤としてハロゲン化アルキルが用いられるのみであり,その適用範囲の狭さがしばしば問題となっていた.本論文では,ヨウ化物イオンの求核置換反応により反応系中でヨウ化アルキルを生成する手法を用いることで,種々の第一級および第二級スルホン酸アルキルと有機亜鉛反応剤の鉄触媒クロスカップリング反応を実現した.スルホン酸アルキルは対応するアルコールから容易に調製可能であること,また本反応は有機亜鉛反応剤を用いているため高い官能基共存性を有するなどの特長を有しており,合成化学的な意義は大きい.

第三章では,鉄触媒によるオキサビシクロアルケンの不斉カルボメタル化反応について述べている.鉄触媒を用いた触媒的不斉炭素-炭素結合形成反応はDiels-Alder反応や類縁付加環化反応などでは数多く知られている一方で,有機金属化合物を求核反応剤として用いる炭素-炭素結合形成反応の例は極めて限られていた.筆者は,有機亜鉛反応剤存在下で二座のホスフィン配位子を用いることにより,オキサビシクロアルケンの鉄触媒カルボメタル化反応が高いエナンチオ選択性で進行することを見出した.得られたカルボメタル化生成物である有機亜鉛中間体は逐次的な炭素-ヘテロ元素結合形成に利用できることを求電子剤での補足実験によって示した.本反応は鉄触媒不斉反応の進展に対する足がかりであり,得られた知見はさらに汎用的な不斉合成反応開発への指針を与えるものである.

第四章では,不活性なハロゲン化アルキルを用いるケトンのα位アルキル化反応について述べている.アルキル求電子剤上での求核置換反応を利用したケトンのα位アルキル化反応には,これまで活性の高い求電子剤しか用いることができなかった.本研究では,高い求核性を有する新規マグネシウムエナミドを設計することで,塩化アルキルやフッ化アルキルなどの不活性ハロゲン化アルキルを用いた位置および立体選択的なケトンのα位アルキル化に成功した.化学資源として豊富で安価な塩化アルキルを活用可能な本手法は合成的な有用性に優れるのみならず,フッ化アルキルの炭素-フッ素結合の選択的活性化を達成するなど,学術的にも意義深い研究成果である.

第五章は本研究の総括である.筆者は,普遍性の高い金属元素に着目した研究を行う中で,鉄を触媒に用いた高選択的な炭素-炭素結合形成反応を開発した.鉄触媒はその制御の難しさゆえに適用可能な反応の類型が限られていたが,本研究は有機金属反応剤存在下での鉄触媒の配位子による精密制御を可能にし,汎用的な新規合成手法を確立した画期的な成果である.また,豊富な典型金属であるマグネシウムの活用する新規高活性反応試剤を創製し,高選択的な炭素-炭素結合形成反応を達成した.反応試剤の精密設計により,不活性化学資源の効率的な活性化を可能にした成果であり,注目度は高い.

なお,本論文第二章,第三章は中村栄一博士および中村正治博士との共同研究であり,第四章は中村栄一博士,中村正治博士および畠山琢次博士との共同研究であるが,研究計画および検討の主体は論文提出者であり,論文提出者の寄与が十分であると認められる.

本研究は,鉄やマグネシウムなど普遍性の高い金属元素を活用する選択的炭素-炭素結合形成反応を開発することにより,これらの金属元素の新たな反応性を開拓することに成功した.本研究成果は,今後さらに有用な高活性触媒および反応試剤の設計に適用可能な多くの知見を与えるものである.したがって,本論文は博士(理学)を授与できる学位論文として価値のあるものと認める.

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