学位論文要旨



No 123332
著者(漢字) 竹本,典生
著者(英字)
著者(カナ) タケモト,ノリオ
標題(和) 強レーザー場中の分子の配向、振動、イオン化過程における分子回転の理論
標題(洋) Theory of molecular rotation in orientation, vibration, and ionization processes in intense laser fields
報告番号 123332
報告番号 甲23332
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5213号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 大越,慎一
 東京大学 教授 永田,敬
 東京大学 教授 高塚,和夫
 東京大学 准教授 染田,清彦
内容要旨 要旨を表示する

1 序

強いレーザー光の中におかれた原子・分子は、超閾イオン化(above-threshold ionization) や、高次高調波発生(higher-harmonics generation) などの特徴的な振る舞いを示す。特に、分子の場合には、強レーザー場によって引き起こされるこれらの現象は、レーザーの偏光方向に対する分子の配向に大きく影響を受けることが知られている。空間における気体分子の配向もまた、レーザー場との強い相互作用によって、自由回転状態における等方的な分布から一定の方向に配列・配向された分布へと大きく変化することが報告されている。本論文においては、強レーザー場を用いた新たな分子配向法を提案するとともに、配向過程における分子振動、そしてイオン化の影響を明らかにすることを目的とし、分子の回転運動の自由度に焦点をあてた理論的研究を報告する。

強レーザー場を用いた分子配向・配列に関する理論的・実験的研究は、従来、直線分子やC2v 点群対称性分子などの比較的対称性の高い分子についてのみ行われてきた。これに対し、本研究においては、任意の対称性をもつ分子の配向を空間固定座標系に対して一意に固定することができる分子配向法を提案する。ここで提案する方法においては、相対位相のロックされた2 色レーザー場を用いる。さらに、L-アラニンを例にとり、数値計算によってこの分子配向法の有効性を評価する。この方法は、C1 点群対称性分子に対する3 次元配向制御を可能とする初めての制御法であり、キラル分子のラセミ混合物から二種類の光学異性体の一方を抽出する新たな光科学的手法の基礎を与えるものである。

2 位相ロック2色レーザー場による3次元分子配向法

2.1 2色レーザー場

新しく提案する分子配向法においては、相対位相のロックされた(ω,2ω)-2色の直線偏光レーザー光を、偏光方向が斜交するように重ね合わせて得られるレーザー電場を用いる。合成された電場ベクトルの成分は、

(1)

(2)

(3)

のように表現される。ここで、XYZは空間に固定されたデカルト座標系を表すとする。また、F(ω)およびF(2ω)はそれぞれ、ω-、2ω-成分の電場強度を表す。ここでは、この光電場を一意に特徴づけるために、2色レーザー光強度Itot=cε0/2([F(ω)]2+[F(2ω)]2)、2色楕円度e=([F(ω)]2-[F(2ω)]2)/([F(ω)]2+[F(2ω)]2)、偏光交差角θ、および相対位相φの4つのパラメータを導入する。2色レーザー光強度は、合成電場の大きさを表すスケールパラメータであり、残りの3つは、電場の異方性を表す無次元パラメータである。

この電場ベクトルが周期τ=2π/ωの間に描く軌跡の例を図1 に示す。これらの軌跡は、点群対称操作のうち、電場偏向面(XY-平面) に関する鏡映操作についてのみ対称である。このような電場とC1対称性分子との相互作用は、分子を電場に対して相対的に回転させる操作について対称性をもたない。よって、分子はあるひとつの配向においてポテンシャルエネルギー的に安定化されることになり、C1対称性分子に対する3 次元分子配向を達成することができる。

2.2 レーザー場中で生成される分子の配向状態

レーザー場の角周波数ωおよび2ωとして、分子の電子状態遷移、振動状態遷移のいずれについても非共鳴であり、かつ、分子の回転遷移に対して十分に高周波数のものを用いる場合を考える。この場合、分子の回転運動は、剛体回転子が光電場から周期τに渡って平均された相互作用を受け、ハミルトニアンH=T+V(2)+V(3)に従って運動するものとして近似的に記述できる。ここで、T=BijJiJjは、回転の翻エネルギーであり、〓は、それぞれ、分極率αij、超分極率βijkを通した電場に関して2次、および3次の時間平均相互作用である。電場に関して1次の相互作用は、時間平均の効果によって零となる。分子回転の時間スケールに比べて十分に長いレーザーパルスを希薄な気体分子集団に照射することによって、レーザー照射前の自由回転状態について温度君の熱平衡にあった統計分布を、Hの固有状態へと断熱的に移行させることができる。レーザー場中で生成されるHの固有状態は、剛体回転子の角運動量固有状態|JKM>を基底として展開することによって求めた。このために、行列要素<J'K'M'|V(n)[JKM>(n=2,3)についての表式を導いた。

以下に示す具体例のように、相互作用ポテンシャルVの極小点付近において、2次の相互作用に対する3次の相互作用の比|V(3)/V(2)|が十分小さい場合には、電場ε(t)に対して、条件dtexey=0および〓が成り立つように空間固定座標系XYZを定義することにより、分子の分極率主軸ξ、η、ζから構成される分子固定座標系ξηζが、XYZ、X(-Y)(-Z)、(-X)Y(-Z)、または(-X)(-Y)Zのいずれかに、およそ一致することが示される。そこで、ξ、η、ζ基底のX、Y、Z基底に対する射影成分の分子集団に関する統計平均{《X・ξ》,《Y・η》,《Z・ζ》}によって、分子の配向度を定量化した。分子固定軸が空間固定軸に完全に配向している場合、これらの値は±1をとり、全く配向していない場合には0をとる。

3 L-アラニンに対する数値計算

今回提案する分子配向法の有効性を評価するために、キラル分子のひとつ、L-アラニン(NH(2-)C*H(CH3)-COOH)について数値計算を行った。

図2に、2色レーザー光強度I(tot)に対する配向度の依存性を示す。電場の異方性パラメータは、ε=-1/2、θ=π/3、φ=0に固定した。初期回転温度0Kおよび0.1Kの場合ともに、Itotを増加させると、最も大きな分極率主値をもつξ軸についてはItot=4×10(11)W/cm2付近で、また他の2っの主軸η、ζについてもItot=7×10(11)W/cm2付近で急激に配向度が向上することがわかる。さらにItotを増加させると、初期回転温度が0Kの場合、分子固定座標軸が空間固定座標軸に対してξ→X、η→Y、ζ→Zへと完全に配向された状態に近づくことがわかる。初期回転温度が0.1Kの場合には、Hの励起状態にも確率分布があるので、0Kの理想的な分子集団に比べて達成される配向度は低くなる。

図3に、2色レーザー光強度Itot=1.0×10(12)w/cm2、異方性パラメータe=-1/2、θ=π/3、φ=0によって特徴づけられる2色レーザー光を、初期回転温度0.lKのL-アラニン分子集団に照射した場合について、空間固定XYZ座標系における分子固定軸ξ、η、ζの角度分布を示す。この図から、ξ、η、ζ軸がそれぞれ、+X、+Y、+Z軸方向に配向し、3次元分子配向が達成されていることが確認できる。

図4に、2色楕円度eに対する配向度の依存性を示す。その他のレーザーパラメータは、Itot=1.0×10(12)W/cm2、θ=π/3、φ=0とした。2色楕円度が-1<ε≦0.24の領域では、ξ→X、η→y、ζ→Zへと配向した。そして、0,24≦e<1の領域においては、ξ→X、η→-Y、ζ→-Zへと配向することがわかる。このことは、ω-、2ω-成分の電場強度を調節することによって、電場の異方性を変化させ、分子配向の方位を制御できることを示している。さらに、各分子固定軸の配向は広範囲の6の値にわたって達成されており、本研究で提案する方法が2色楕円度の変化に対して高い安定性をもつことが示された。

さらに、相対位相φに対する配向度の依存性も計算した。この結果、配向度は、最大値をとるφ=0およびπ付近においてゆるやかなφ依存性をもつことがわかった。例として、Ti=0.1K、Itot=1.0×10(12)W/cm2、θ=-1/2、θ=π/3において、φ=0.3πとしたときの《X・ξ》、《Y-η》、および《Z・ζ》の値は、φ=0としたときのこれらの値に対して、それぞれ96%、95%、および95%であった。このことは、本研究で提案する2色レーザー場を用いた配向法が、実験において予期される相対位相の変動に対して非常に安定であることを示唆している。

本研究で利用されたレーザー電場は、電場偏向面に対して鏡面対称性をもつ。このような電場においては、ひとつのキラル分子のL-体とD-体は、互いに鏡像関係にある配向に固定される。したがって、別々に配向された一対の光学異性体に対して、一方のみを効率良く解離またはイオン化させるように、別のレーザー光をさらに照射することにより、他方の光学異性体だけをラセミ体から抽出することが可能となる。

4 イオン化および振動運動との結合

以上に述べた、L-アラニンの3 次元分子配向に関する数値計算においては、分子を剛体回転子として扱い、電場に対する応答を分極率テンソル、および超分極率テンソルによって表現したモデルを用いた。本研究ではさらに、分子配向・配列過程における振動自由度の影響を調べるために、X-Y-X 型屈曲3 原子分子の変角振動と回転運動の自由度を取り出したモデルを考案し、剛体回転子モデルとの比較を行った。また、2 色レーザー場(1)-(3) におけるL-アラニン分子のイオン化速度を計算し、分子配向過程におけるイオン化の影響を調べた。さらに、2 色レーザー場によって鏡映対称な配向に固定されたアラニン分子の一対の光学異性体に直線偏光レーザーパルスを照射して、一方の異性体を選択的にイオン化させる可能性について考察した。

図1 2色レーザー電場の時間経過に沿った軌跡。相対位相φが0の場合(実線)と、π/4の場合(破線)。e=-1/2、θ=π/3。

図2 2色レーザー光強度に対する配向度の依存性。初期回転温度OKの場合(a)と、0.1Kの場合(b)。ε=-1/2、θ=π/3、φ=0。

図3 分子の分極率主軸ξ,η,ζの空間固定座標系XYZにおける角度分布。初期回転温度0.1K。Itot=10(12)w/cm2、e=-1/2、θ=π/3、φ=0。

図4 2色楕円度に対する配向度の依存性。初期回転温度OKの場合(a)と、0,1Kの場合(b)。Itot=1.0×10(12)W/cm2、θ=π/3、φ=0。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5 章からなる。第1 章は序論であり、強レーザー場に対する分子の応答、とくに、レーザー場による分子の配向・配列効果に関する研究について概説している。さらに、これら先行研究を踏まえて、論文提出者の研究動機が述べられている。

第2 章は、2 色レーザー場を用いた分子の3 次元配向制御理論について述べている。論文提出者は、レーザー場や静電場を用いた分子配向・配列に関する研究の対象が、これまで、直線分子やC2v 点群対称性をもつ分子などの対称性の高い分子に限られていたこと、また、多くの場合、分子の配向を実験室座標系に対して一意に指定することができなかったことを指摘し、任意の分子の配向を空間固定座標系に対して一意に固定できるような分子配向法を提案することを本章における研究課題として定めている。そして、そのような3 次元分子配向制御を実現する方法として、ωと2ωの角周波数をもつ2 つの直線偏光レーザー光を偏光方向が斜交するように重ね合わせて得られる光電場を用いることを提案している。この2 色レーザー電場と分子が、分子の分極率および超分極率をとおして相互作用するとして、分子の回転運動自由度に関する量子状態を定式化し、実際に数値的検討を行っている。L-アラニンに関する数値計算の結果として、回転温度を K 程度に冷却した希薄気体分子集団に1012-1013 W/cm2 の2 色レーザー場を照射することによって、3 次元的な分子配向が得られることが示されている。

第3 章においては、分子配向と関連した分子のイオン化について考察されている。キラル分子のふたつの光学異性体は、第2 章で提案された配向法によって、2 色レーザー場の偏光面に関して互いに鏡像関係にある配向に固定される。このように配向されたキラル分子のラセミ体に、さらに別の直線偏光レーザーを照射することによって、一方の異性体を選択的に光イオン化させることが可能かどうかが検討されている。結論として、第2 章の方法で配向されたL-アラニンとD-アラニンに、偏光方向を適切に選んだ波長800 nm、強度1014 W/cm2 の直線偏光レーザーを照射すると、一方の異性体を他方に対して約2 倍の効率で選択的にイオン化できることが示されている。

第4 章は、分子の配向・配列過程における分子振動の影響について述べている。屈曲対称3 原子分子の変角振動と2 次元回転運動を取り出した2 自由度の模型を用いて、強レーザー場中の分子の振動・回転相互作用を調べることを提案している。

第5 章は、本論文に第2 章から第4 章に述べられた研究のまとめと、今後の展望について書かれている。

本論文は、強レーザー場による分子配向制御法を一般化し、任意の対称性の分子を実験室座標系において一意に配向させる方法を提案している点に学術的価値が認められる。加えて、分子の配向過程が、電子運動や振動運動などの分子の内部自由度とどのように結合しているのかを考察している点は、分子を剛体として近似し、回転運動自由度のみに着目してきたこれまでの分子配向・配列に関する研究に対して、新たな視点を与えるものとして評価できる。

なお、本論文第2 章は、山内 薫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって理論的考察および数値的検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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