学位論文要旨



No 123341
著者(漢字) 和田,淳
著者(英字)
著者(カナ) ワダ,アツシ
標題(和) ユーロピウム錯体の配位環境と発光特性の制御
標題(洋) Control of coordination environments and luminescence properties of europium(III) complexes
報告番号 123341
報告番号 甲23341
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5222号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 尾中,篤
 東京大学 教授 小澤,岳昌
 東京大学 准教授 岩田,耕一
 東京大学 准教授 平岡,秀一
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

ユーロピウム錯体は、f-f遷移に由来する興味深い発光特性(鋭い発光バンド、長い蛍光寿命)を示し、基礎研究だけでなく発光材料、センサーなど応用面でも盛んに研究が行われている。ユーロピウム錯体を発光させるには、f-f遷移の吸光係数が極めて小さいため、f-f遷移を直接励起するのではなく配位子に光を吸収させ、そのエネルギーをユーロピウムイオンの励起状態に移動させる手法が用いられる(アンテナ効果)。したがってユーロピウム錯体の発光を向上させるためには、(1)配位子中に大きな吸光係数を有している置換基を導入し、集光能力を高めること、(2)ユーロピウムイオン周りを多座配位子で取り囲み、水などの溶媒分子の配位を防ぎ、発光低下の原因となる励起準位からO-H振動準位への無輻射失活を防ぐこと、の2つの条件を満たす必要があり、これまでこれらの条件を満たすユーロピウム錯体が多数報告されてきた。さらに発光を向上させるためには新たな条件の構築が必要であり、本研究では、ユーロピウムイオン周りの配位環境に注目し、それを制御することによって発光特性を向上させることを目的とした。

【配位子の骨格構造の違いによるユーロピウム錯体の配位環境の制御と発光特性の向上】

吸光係数の高いピリジン環を複数個配位子に導入し、骨格構造の異なる環状及び直鎖状八座オリゴピリジン-アミン配位子(Fig. 1)を用いてユーロピウム錯体の配位環境を制御し、その発光特性を向上させることを目的とした。

[Eu1(OTf)](OTf)2、[Eu2(OTf)](OTf)2のORTEP図をFig. 2に示す。いずれの錯体も配位子の8つの窒素原子とトリフラートイオンの1つの酸素原子がユーロピウムイオンに配位し、9配位構造を形成していた。ユーロピウムイオンと窒素原子との結合長に注目し配位環境を比較すると、[Eu1(OTf)](OTf)2が2.591(8)-2.646(8) A とほぼ一定の値をとるのに対し、[Eu2(OTf)](OTf)2は2.51(1)-2.77(1) Aと幅広い値をとっていた(Fig. 3)。つまり、直鎖状配位子を用いた[Eu2(OTf)](OTf)2は、環状配位子を用いた[Eu1(OTf)](OTf)2より歪んだ配位環境を形成していていることが明らかとなった。

3種のトリフラート錯体、[Eu1(OTf)](OTf)2、[Eu2(OTf)](OTf)2、[Eu3(OTf)](OTf)2の蛍光測定を、室温、アセトニトリル中で行った。[Eu1(OTf)](OTf)2の配位子中ピリジン環部位に由来するπ→π遷移を260 nmの単色光で励起すると、592 nm (5D0・7F1)、618 nm (5D0・7F2)、651 nm (5D0・7F3)、695 nm (5D0・7F4)にユーロピウムイオンに特徴的な発光バンドを示した(アンテナ効果)。他のユーロピウム錯体も同様に、アンテナ効果による強い発光を示した。5D0・7F1の発光バンドは、磁気双極子遷移に由来し配位環境の影響を受けないことから、各種ユーロピウム錯体の蛍光スペクトルについて、5D0・7F1の発光バンドを規格化し重ね合わせた(Fig. 4A)。電気双極子遷移に由来する5D0・7F2の発光バンドの強度を比較すると、[Eu1(OTf)](OTf)2 < [Eu2(OTf)](OTf)2 < [Eu3(OTf)](OTf)2の順番に大きくなった。硝酸錯体も同様に、5D0・7F2の発光バンドの強度は、[Eu1(NO3)](NO3)2 < [Eu2(NO3)](NO3)2 < [Eu3(NO3)](NO3)2の順番に大きくなった(Fig. 4B)。Judd-Ofelt理論により、5D0→7F2の発光バンドの強度はユーロピウムイオン周りの対称性が低下するとともに大きくなることから、上記X線構造解析の結果と併せて、骨格構造の異なる配位子を用いた結果ユーロピウムイオン周りの対称性が歪み、特異的に5D0→7F2の発光強度が向上したことが分かった。

水中でも良好な発光特性を示すことができれば、その応用は蛍光ラベル剤等大きく拡がる。そこで、同じ濃度の[Eu1(NO3)](NO3)2、[Eu2(NO3)](NO3)2をアセトニトリル中、水中でそれぞれ測定し、その発光スペクトルの違いを検討した(Fig. 5)。[Eu1(NO3)](NO3)2に比べ、[Eu2(NO3)](NO3)2は水中で発光強度が大きく減少した。これは[Eu2(NO3)](NO3)2が、水分子の配位によって消光されたと考え、蛍光寿命測定法より[Eu1(NO3)](NO3)2と[Eu2(NO3)](NO3)2の水中における水の配位数qを算出した(Table 1)。その結果、[Eu1(NO3)](NO3)2ではほとんど水が配位せず(0.4分子程度)良好な蛍光特性を示すのに対し、[Eu2(NO3)](NO3)2では水が3~4分子配位したため、発光強度が減少したことがわかった。

以上、配位子の骨格構造を変えることでユーロピウム錯体の配位環境を制御した。その結果、アセトニトリル中において特異的に5D0→7F2の発光強度を向上させること、水中において配位水の数を制御し良好な発光挙動を示すことに成功した。

【対イオンによるユーロピウム錯体の配位環境の制御と発光特性の向上】

剛直で対称性の高い環状配位子1を用いたEu1Cl錯体において、外圏に存在する対イオンを変えることでその配位環境を制御し発光特性を向上させることを目的とした(Fig. 6)。

[Eu1Cl]Cl2、[Eu1Cl](OTf)2、[Eu1Cl](PF6)2、[Eu1Cl](BF4)2のORTEP図をFig. 7に示す。[Eu1Cl]Cl2は、配位子1の8つの窒素原子と塩化物イオンがユーロピウムイオンに配位し、9配位構造を形成していた。他のEu1Cl錯体も同様に、8つの窒素原子と塩化物イオンがユーロピウムイオンに配位し、9配位構造を形成していた。ユーロピウムイオンと配位原子との結合長に注目し比較すると、Eu-Nの結合長は、2.542(1)-2.66(1) A([Eu1Cl](BF4)2)、2.541(7)-2.70(1) A([Eu1Cl](PF6)2)、2.608(6)-2.661(6) A ([Eu1Cl](OTf)2)、2.567(8)-2.679(7) A ([Eu1Cl]Cl2)であり、いずれのユーロピウム錯体もほぼ一定の値をとるに対し、Eu-Clの結合長は、[Eu1Cl](BF4)2 (2.153(5) A) < [Eu1Cl](PF6)2 (2.214(5) A) <[Eu1Cl](OTf)2 (2.724(2) A) < [Eu1Cl]Cl2 (2.765(2) A)の順に長くなっていた(Fig. 8)。つまり、剛直で対称性の高い配位子1を用いた結果、ユーロピウムイオンと配位子は同じ構造を形成し、ユーロピウムイオンと塩化物イオン間の距離だけが変化していることが分かった。

各種ユーロピウム錯体の固体状態における蛍光測定を行った。[Eu1Cl]Cl2、[Eu1Cl](OTf)2は、配位子1中のピリジン環部位に由来するπ→π遷移を260 nmの単色光で励起すると、594 nm (5D0・7F1)、 618 nm (5D0・7F2)、650 nm (5D0・7F3)、697 nm (5D0・7F4)にユーロピウム金属に特徴的な発光バンドを示した(アンテナ効果)。[Eu1Cl](PF6)2、[Eu1Cl](BF4)2も同様に260 nmで励起すると、590 nm (5D0・7F1)、621 nm (5D0・7F2)、655 nm (5D0・7F3)、698 nm (5D0・7F4)に特徴的な発光スペクトルを示した。5D0・7F1の発光バンドを規格化し重ね合わせたものをFig. 9に示す。5D0・7F2に由来する発光バンドの強度を比較すると、[Eu1Cl](BF4)2 < [Eu1Cl](PF6)2 < [Eu1Cl](OTf)2 < [Eu1Cl]Cl2の順番に大きくなり、先に示したEu-Cl結合長の順番と一致した。すなわち、電気双極子遷移に由来する5D0・7F2の発光バンドの強度は、ユーロピウムイオンと塩化物イオン間の距離にしたがって増大することが明らかとなった。続いて、各種ユーロピウム錯体のポリマー中、溶液中(室温と低温)における蛍光測定を行った。いずれの状態も5D0・7F2に由来する発光バンドの強度は[Eu1Cl](BF4)2 < [Eu1Cl](PF6)2 < [Eu1Cl](OTf)2 < [Eu1Cl]Cl2の順番に大きくなり、この特異的な発光強度の増加はユーロピウム錯体の状態に関係なく起こることが明らかとなった。

以上、外圏に存在する対イオンを変えることでユーロピウムイオンと塩化物イオン間の距離を制御し、5D0・7F2の発光バンドの強度を特異的に向上させることに成功した。さらにこの効果は、ユーロピウム錯体の状態に関係なく起こることを明らかにした。

【結論】

ユーロピウム錯体において、ユーロピウムイオン周りの配位環境を制御することで、その発光特性を向上させることに成功した。つまり、配位環境をうまく制御することが、さらに強く発光するユーロピウム錯体を得るための新たな条件となることを明らかにした。

Fig. 1. Octadentate oligopyridine-amine ligands.

Fig. 2. ORTEP drawings of [Eu1(OTf)](OTf)2 (left) and [Eu2(OTf)](OTf)2 (right).

Fig. 3. Selected bond lengths (A) for [Eu1(OTf)](OTf)2 (left) and [Eu2(OTf)](OTf)2 (right); ● Eu-N1, Eu-N2, ▲ Eu-N3, Eu-N4, Eu-N5, Eu-N6, Eu-N7, Eu-N8.

Fig. 4. Emission spectra of the Eu(3+) complexes (1.0×10(-4)mol dm(-3)) normalized with 5D0-7F1 emission bands at 594 nm in CH3CN. A:[Eu1(0Tf)](OTf)2, [Eu2(OTf)](OTf)2,[Eu3(OTf)](OTf)2. B:[Eu1(NO3)](NO3)2,[Eu2(NO3)](NO3)2,[Eu3(NO3)](NO3)2.

Table 1. Luminescence Lifetimes and Derived Hydration States of [Eu1(NO3)](NO3)2 and [Eu2(NO3)](NO3)2

Fig. 5. Emission spectra of [Eu1(NO3)](NO3)2 (A) and [Eu2(NO3)](NO3)2 (B) in CH3CN and H2O.

Fig. 6. Chemical structures of ligand 1 and [Eu1Cl]X2 (X= BF4-, PF6-, OTf-, Cl-) complexes.

Fig. 7. ORTEP drawings of [Eu1Cl](BF4)2 (a), [Eu1Cl](PF6)2 (b), [Eu1Cl](OTf)2 (c), and [Eu1Cl]Cl2 (d).

Fig. 8. Selected bond lengths (A) for[Eu1Cl](BF4)2 (a), [Eu1Cl](PF6)2 (b), [Eu1Cl](OTf)2 (c), and [Eu1Cl]Cl2 (d); ● Eu-N1, Eu-N2, ▲ Eu-N3, Eu-N4, Eu-N5, Eu-N6, Eu-N7, Eu-N8, ● Eu-Cl.

Fig. 9. Emission spectra of [Eu1Cl](BF4)2, [Eu1Cl](PF6)2, [Eu1Cl](OTf)2, and [Eu1Cl]Cl2 in the solid state normalized with 5D0→7F1 emission bands.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、第1章は研究の背景と目的、第2章は配位子の骨格構造の違いによるユーロピウム錯体の配位環境と発光特性の制御、第3章は配位イオンの違いによるユーロピウム錯体の配位環境と発光特性の制御、第4章は外圏に存在する対イオンの違いによるユーロピウム錯体の配位環境と発光特性の制御、第5章は研究のまとめについて述べられている。以下に各章の概要を記す。

第1章では研究の背景を述べている。ユーロピウム錯体は、f-f遷移に由来する興味深い発光特性(鋭い発光バンド、長い蛍光寿命)を示し、基礎研究だけでなく発光材料、センサーなど応用面でも盛んに研究が行われている。ユーロピウム錯体を発光させるには、f-f遷移の吸光係数が極めて小さいため、f-f遷移を直接励起するのではなく配位子に光を吸収させ、そのエネルギーをユーロピウムイオンの励起状態に移動させる手法が用いられる(アンテナ効果)。したがってユーロピウム錯体の発光を向上させるためには、(1)配位子中に大きな吸光係数を有している置換基を導入し、集光能力を高めること、(2)ユーロピウムイオン周りを多座配位子で取り囲み、水などの溶媒分子の配位を防ぎ、発光低下の原因となる励起準位からO-H振動準位への無輻射失活を防ぐこと、の2つの条件を満たす必要があり、これまでこれらの条件を満たすユーロピウム錯体が多数報告されてきた。しかしながら、さらに発光を向上させるためには新たな条件の構築が必要であり、本研究ではユーロピウムイオン周りの配位環境に注目し、それを制御することによって発光特性を向上させることを研究目的としている。

第2章では、吸光係数の高いピリジン環を複数個配位子に導入し、骨格構造の異なる環状及び直鎖状八座オリゴピリジン-アミン配位子を用いてユーロピウム錯体の配位環境を制御し、その発光特性を向上させることを目的としている。X線構造解析により、直鎖状配位子を用いた[Eu2(OTf)](OTf)2は、環状配位子を用いた[Eu1(OTf)](OTf)2より歪んだ配位環境を形成することを明らかにしている。各種ユーロピウム錯体の発光測定を、室温、アセトニトリル中で行った。配位子中ピリジン環部位に由来するπ→π遷移を260nmの単色光で励起すると、アンテナ効果によるユーロピウムイオンに特徴的な赤色発光を示した。各種ユーロピウム錯体の配位環境と発光特性を詳細に比較することで、上に示した配位環境の歪みに応じてユーロピウム錯体の色純度や量子収率、水中における発光挙動などの発光特性が変化することを明らかにしている。

第3章においては、環状配位子を用いたEu1錯体において、異なる配位イオンを用いて配位環境を制御し、その発光特性を向上させることを目的としている。[Eu1(OTf)](OTf)2に様々なアニオン(Cl-, Br-, I-, NO3-, CH3CO2-, CF3CO2-)を添加すると、CH3CO2, CF3CO2イオンを加えた場合にのみその発光強度が著しく向上した。つまり、[Eu1(OTf)](OTf)2はCH3CO2, CF3CO2イオンに対するセンサー機能を有していることを明らかにしている。この結果を踏まえ、[Eu1(OTf)](OTf)2, [Eu1(NO3)] (NO3)2, [Eu1(CF3CO2)](CF3CO2)2 を合成・単離し、その配位環境と発光特性との関係について詳細に調べている。X線構造解析によりその配位環境を考察することで、ユーロピウムイオンと配位子で形成されるカチオン部分は同じ構造を形成し、配位イオンの違いによりユーロピウムイオンと配位イオン間の距離だけが変化していることを明らかにしている。室温、アセトニトリル中で発光測定を行い得られた発光スペクトルを詳細に比較し、配位イオンの違いにより生じた配位環境の変化に応じて発光スペクトルの形や量子収率が変化することを明らかにしている。この結果から、[Eu1(OTf)](OTf)2が有するセンサー機能は、ユーロピウムイオンに配位するアニオンの種類の違いによって配位環境が変化するため生じたことを明らかにしている。

第4章では、Eu1錯体において外圏に存在する対イオンを変えることで配位環境を制御し、その発光特性を向上させることを目的としている。簡略化のため、配位イオンを塩化物イオンに統一し外圏に存在する対イオンとしてBF4-, PF6-, OTf-, Cl-を用いている。X線構造解析によりその配位環境を考察することで、外圏に存在する対イオンの違いによって、ユーロピウムイオンと配位子で形成されるカチオン部分は同じ構造を形成しユーロピウムイオンと塩化物イオン間の距離だけが変化していることを明らかにしている。室温、固体で発光測定を行い得られた発光スペクトルを詳細に比較することで、外圏に存在する対イオンの違いによって配位環境の変化し、それに応じて発光スペクトルの形が変化していることを明らかにしている。続いて、ポリマー中、アセトニトリル中(室温と低温)における発光測定を行ったところ、配位環境の変化による発光スペクトルへの影響は維持され、この効果はマトリックスに依存せず起こることを明らかにしている。

第5章では、以上の結果を総括し、研究のまとめについて述べている。

以上、本論文では、ユーロピウム錯体の配位環境を様々なアプローチから制御し、その発光特性への影響を詳細に研究を行っている。配位環境を制御することがユーロピウム錯体の発光特性を変化、向上させるための重要な要因であることを明らかにしている。本博士論文において得られたユーロピウム錯体の配位環境とその発光特性に関する知見は、錯体化学と光化学の分野を大きく進展させると期待される。なお、本論文第2章は渡邉雅之、山野井慶徳、南川卓也、並木康佑、山崎幹緒、村田昌樹、西原寛との共同研究、3章、4章は渡邉雅之、山野井慶徳、西原寛との共同研究であり、一部は既に学術雑誌として出版されたものであるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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