No | 123344 | |
著者(漢字) | 濱道,良子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ハマミチ,リョウコ | |
標題(和) | 味蕾細胞の分化と機能に関する時間的解析 | |
標題(洋) | Temporal analysis of differentiation and functions of the taste bud cells | |
報告番号 | 123344 | |
報告番号 | 甲23344 | |
学位授与日 | 2008.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5225号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物化学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 味覚は動物にとって重要な外部感覚の一つであり、脊椎動物では味蕾という特殊な組織で味物質を受容している。哺乳類の味蕾は口腔内の舌乳頭や口蓋に分布していて、一つの味蕾は形態・機能・細胞齢の点で分類される50-100個程度の味蕾細胞から構成されている。紡錘形の細胞でグリアのような役割をしていると考えられている細胞(Type I細胞)、甘味・旨味・苦味の味物質を受容し味覚のシグナル伝達をする味覚受容細胞(Type II細胞)、味神経とシナプスを形成しているシナプス形成細胞(Type III細胞)、そして味蕾内の基底部付近にある丸い形の基底細胞(Type IV細胞)である。また、成体においても、古い味蕾細胞が新しい細胞へと置き換わりターンオーバーすることによって、味蕾は恒常性を保っている。すなわち、味蕾内には細胞分裂直後の細胞、分化段階にある細胞、成熟し機能している細胞、細胞死直前の細胞など、様々な細胞齢の細胞が混在している。しかし、味蕾細胞は他の上皮細胞や神経細胞のように組織における細胞の位置から機能や細胞齢を推測することが難しいため、これまで味蕾細胞の細胞齢を詳細に解析した研究は少なかった。例えば、味蕾細胞は約10日の寿命であると考えられていたが、細胞の機能により寿命が異なることはないのか、分化にはどれ程の時間が必要なのかなど、これまでターンオーバーに関する詳細は明らかになっていなかった。そこで私は味蕾細胞を細胞齢の視点で解析する実験方法を確立し、味蕾細胞の寿命を詳細に解析した。また、味覚受容細胞がいつどのように形成され機能するのかを明らかにするため、まず分化段階や味覚機能に関係すると予想された転写因子について味蕾における発現を検討した。さらに、味蕾細胞に発現する因子の経時的な解析を行い、味蕾細胞の分化や機能発現について考察した。 1.味蕾細胞の寿命について まず、味蕾細胞の細胞齢を明らかにするために5-プロモデオキシウリジン(BrdU)によって分裂細胞を標識する実験系を確立して、味蕾細胞の時間的解析系を構築した。BrdUはDNA複製時にチミジンに代わってDNA中に取り込まれるため、分裂細胞を標識することができ、その後、細胞が細胞分裂をしたり移動したりしても、BrdU含有量が検出限界以下になるまで追跡することができる。味蕾やその周辺組織におけるBrdU標識条件を検討した結果、BrdUを50mg/kg(ラット体重)で21時に腹腔注射して投与するのが最適な標識条件であることが分かった。 次に、BrdU投与直後から約1ヶ月間の味蕾で観察されるBrdU標識細胞の量的変化を、位置情報と合わせて経時的に解析して、味蕾細胞の誕生からの細胞移動や寿命を詳細に解析した。その結果、味蕾周辺上皮の基底部に存在する細胞が分裂し、それにより生まれた細胞の中のごく一部が味蕾へと進入して味蕾細胞となり、その後、上方へ移動していることが分かった。また、進入した味蕾細胞のうちの約半数は2日以内に失われるが、約1/4の細胞は一ヶ月後にも観察されたので、味蕾細胞は寿命が大きく異なる二つの細胞集団に分けられることがわかった。すなわち、従来は味蕾細胞の寿命は平均約10日であると考えられてきたが、全ての細胞が10日生存するのではなく、味蕾細胞には誕生後4日目頃までに消失してしまう短い寿命の細胞と、一ヶ月近く生き残る長寿命の細胞が存在することが分かった。 2.味蕾特異的に発現する分子の探索 味覚受容細胞の分化段階を解析する為に、味蕾特異的に発現する分化関連因子の発現解析を行った。味蕾細胞は、感覚細胞であり、一般上皮細胞にはない神経細胞様の性質を持っことと、味覚の伝達はカルシウムを介したシグナル伝達であることの、二つの特徴がある。そこで、神経系細胞に発現する分化関連因子であるbHLH転写因子群と、カルシウムシグナリング関連転写因子であるMEF2ファミリー及びNEATファミリーの味蕾における発現解析を行った。その結果、bHLH転写因子群の強い発現は、既知のMash1以外には観察されなかった。したがって味蕾では、嗅神経細胞等のように数種類のbHLH転写因子が順次発現して分化が進行する系とは異なり、Mash1を含む単一あるいは少数のbHLH転写因子が一部の味蕾細胞の分化に関与していることが示唆された。また、カルシウムシグナリング関連の転写因子については、MEF2DとNEATc4が味蕾細胞の一部で特異的に発現していることがわかった。次に、これらの因子と味覚受容細胞のマーカーであるPLCβ2との二重免疫染色を行った結果、MEF2DとPLCβ2の発現はほぼ一致し、またNFATc4はPLCβ2が発現している細胞の約60%で発現していることが分かった。したがって、MEF2DとNFATc4は味覚受容細胞の分化最終段階や成熟した段階で転写因子として機能していることが示唆された。 3.味蕾特異的に発現する因子の発現時期について Mash1,PLCβ2,及びMEF2D,NEATc4について、それぞれが発現する細胞の細胞齢を解析した。具体的には、BrdU投与後、様々な時間が経過したラットの組織切片を用いて、Mash1,PLCβ2についてはmRNAの発現をin situ hybridizationにより検出し、PLCβ2,MEF2D,NFATc4についてはタンパク質の発現を免疫染色により検出した。次に同じ切片に対し、抗BrdU抗体を用いてBrdUの存在を検出することによって、各細胞齢で発現する因子を比較定量した。その結果、Mash1 mRNAは細胞分裂後5~6日目に発現のピークがあり、その後減少した。しかしごく少数の細胞は、誕生から26日後の細胞においても発現していることが分かった。つまり、短寿命の細胞が失われた後の長寿命細胞の一部にMash1は発現し、分裂後5~6日目にピークを迎える何らかの分化現象に関わっていることが示唆された。PLCβ2mRNAは、6日目に一過的な発現の増加が見られたが、その後一旦やや減少し、10日目以降に再び発現が上昇して12日目にピークが見られ、その後20日以降まで発現が観察された。これまで味蕾細胞は10日の寿命と言われてきたが、この発現解析から、味覚受容細胞は10日目以降の時期に主として機能していることが分かった。また、PLCβ2タンパク質の解析では、誕生後20日目の味蕾細胞においてPLCβ2タンパク質発現細胞の頻度が最も高くなっていたことから、味覚受容細胞は他のタイプの味蕾細胞よりも長寿命であることが示唆された。MEF2Dタンパク質の経時的発現パターンは、PLCβ2タンパク質の発現パターンとほぼ同様だった。また、NFATc4タンパク質はPLCβ2タンパク質よりも発現頻度が低いものの同様のパターンを示した。以上のことから、MEF2DとNFATc4は、味覚受容細胞に発現し機能している遺伝子の転写制御に関係していることが示唆された。 4.MEF2DによるPLCβ2の転写活性制御について 以上のように、本研究で味覚受容細胞特異的な発現を同定した転写因子MEF2Dは、骨格筋や脳の海馬などの系で既に知られているように、カルシウムシグナリングとの関連が考えられた。ここでは、MEF2DがPLCβ2の発現に直接関わっている可能性を考え、弱いPI.Cβ2の発現が見られるヒト急性リンパ性白血病由来T細胞系Jurkat細胞において、PLCβ2エンハンサープロモーター領域を用いたレポーターアッセイを行った。トランスジェニックマウスの解析から、味覚受容細胞特異的発現を担うPLCβ2のエンハンサー領域が開始コドンから5'上流域約2.9kbpに存在することが示されているため、ラットの相同領域(2.9kbp)をルシフェラーゼコード配列の上流に挿入したレポータープラスミドを作製した。さらに、この2.9kbp領域を4つに分割して組み合わせた6種類のレポータープラスミドも作製して解析した。その結果、開始コドンから上流1.8kbp付近までに転写活性化領域が、さらにその上流(1.8~2.9kbp領域)に転写抑制領域があることが分かった。次に、MEF2Dの発現プラスミドをレポータープラスミドと同時に導入したアッセイを行った結果、上記のいずれのレポータープラスミドに関してもMEF2Dの発現による転写活性の変化は見られなかった。しかし、カルシウムイオノフォアを用いて細胞内カルシウム濃度を上げると、MEF2Dの発現によってレポーター遺伝子の転写活性がさらに上昇した。以上から、MEF2Dは細胞内カルシウム濃度上昇を受けてPLCβ2遺伝子の転写を活性化していることが示唆された。 以上のように、本研究によって、味蕾細胞の寿命は均一ではなく、細胞分裂後4日以内に消失する短寿命細胞と、一ヶ月近く生きる長寿命細胞に大別することができることが分かった。長寿命の細胞には、分裂後5~6日目にMash1が発現するような分化過程を示す細胞や、主に10日目以降に機能しているPLCβ2を発現する味覚受容細胞が含まれていた。また、味覚受容細胞はその他の細胞群よりも相対的に長寿命であることが示唆された。さらに、MEF2DはPLCβ2を発現する味覚受容細胞においてPLCβ2と同じ経時変化で発現し、味覚受容細胞の分化最終段階や成熟後の機能発現段階において、PLCβ2などの発現に関与していることが示された。 | |
審査要旨 | 本論文は、序論、第一章から第四章、および総合討論からなる。序論では、味覚研究の背景を述べ、味蕾細胞の発生や分化に関する記述を行い、さらに本研究を行う上で参考とした嗅覚・神経系・筋肉系の発生・分化について概説されている。第一章には、味蕾細胞の経時的な解析が述べられている。まず、5-ブロモデオキシウリジンを投与することによって増殖細胞を標識し、味蕾細胞を経時的に解析する方法を確立したことが示され、次に、この方法を用いて味蕾細胞の寿命を詳細に解析した結果が述べられている。この味蕾細胞の寿命の解析結果から、従来は味蕾細胞の寿命は約10日であると言われてきたが、実際には味蕾細胞の寿命は一様ではなく、短い寿命の細胞集団と長い寿命の細胞集団とに分けられることが示されている。第二章には、味蕾特異的に発現する分子の探索とその発現解析が述べられている。まず、味蕾細胞が感覚細胞であることに着目し、感覚系や神経系の細胞の分化段階において複数の分子種が分化カスケードを構成して発現するbHLH転写因子群の味蕾における発現解析を行っている。その結果、味蕾においてはbHLH転写因子群の中でMash1のみが明確な発現を示し、他の感覚細胞のように複数のbHLH転写因子が順次発現する分化カスケードは存在していない可能性が示されている。さらに、味覚シグナル伝達に含まれるカルシウムシグナリングに着目し、細胞内カルシウム濃度上昇により活性化し、分化に関係する二つの転写因子群(MEF2ファミリーおよびNFATファミリー)の味蕾における発現解析を行い、二つのファミリーからそれぞれ一つの分子種、すなわちMEF2DとNFATc4が味蕾細胞特異的に発現していることを新たに見出している。また、これらと味覚受容細胞のマーカーであるPLC・2との発現細胞の関係性を解析した。多重染色像の結果から、これらの二つの転写因子は味覚受容細胞特異的に発現していることが示されている。第三章には、味蕾特異的に発現する分子の経時的発現解析が述べられている。味蕾細胞の分化マーカーであるMash1、味覚受容細胞で味覚シグナル伝達に関与するマーカーであるPLC・2、さらに第二章で味蕾における発現を新たに見出したMEF2D, NFATc4について、それぞれの発現とBrdUシグナルとの多重染色像を用いて、発現の経時変化を解析している。この解析結果から、細胞分裂後5~6日目にMash1を発現する分化段階にある細胞系列が存在すること、味覚受容細胞は味蕾細胞の平均寿命よりも長期間生存し、従来言われてきた寿命である10日目以降から機能が高まり、一ヶ月程度まで生存・機能していることが示されている。また、味覚受容細胞は、他のタイプの味蕾細胞よりも相対的に長寿命であることも新たに示されている。第四章には、第二章で見出した味覚受容細胞に発現する転写制御因子であるMEF2DによるPLC・2の転写活性制御の解析が述べられている。第三章までの結果から示唆されるMEF2DによるPLC・2遺伝子の転写制御の可能性を、培養細胞を用いて検討している。すなわち、MEF2D やカルシウムシグナリングに関係する内在性の因子を含むヒトT細胞由来の細胞株であるJurkat細胞を用いて、ルシフェラーゼレポーター遺伝子の発現を分析することでMEF2DによるPLC・2エンハンサー・プロモーターに対する転写制御の検討を行っている。その結果、MEF2DはPLC・2遺伝子を細胞内カルシウム濃度上昇に依存的して直接活性化する可能性が示されている。PLC・2の転写制御に関与する転写制御因子の知見は、本論文で示したMEF2Dが始めての報告である。総合討論には3つの内容が含まれている。一つ目には、第一章から第三章までの結果から得られた味蕾細胞の形成と味覚受容細胞の分化に関する結論が述べられている。具体的には、本論文により明らかになった味蕾細胞の一生の全体像を図で示し、味蕾における多段階の細胞選別維持機構と味覚受容細胞における段階的な成熟シグナルの可能性について考察している。二つ目には、第四章の結果から導き出される味覚受容細胞における味覚シグナル伝達因子の転写ネットワークについて述べられており、クロマチン構造の変化を含めた味蕾細胞の転写ネットワークについて新たな提案を行っている。三つ目には、今後の味蕾研究の方向性が示されている。 なお、本論文第一章、および第二章と第三章の一部は、浅野-三好 美咲博士・榎森 康文准教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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