学位論文要旨



No 123345
著者(漢字) 村上,優理亜
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,ユリア
標題(和) 出芽酵母HOG経路の活性制御におけるHog1 MAPKのドッキングサイトの機能
標題(洋) Roles of docking site of Hog1 MAPK for regulation of the yeast HOG pathway
報告番号 123345
報告番号 甲23345
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5226号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 飯野,雄一
 東京大学 准教授 前田,達哉
 東京大学 准教授 菊池,淑子
 東京大学 教授 斉藤,春雄
内容要旨 要旨を表示する

ストレス応答MAPキナーゼは真核細胞に普遍的な機構であり、外部からのさまざまなストレスやサイトカインによって活性化され、ストレス適応に必要な遺伝子発現を誘導することでストレス適応、アポトーシス、細胞増殖、癌化、免疫応答などを制御する。ストレス応答MAPK経路において、MAPキナーゼカスケードとよばれる3つのタンパク質リン酸化酵素(プロテインキナーゼ)が細胞質から核へシグナルを運び、最終的に遺伝子発現に結びつける役割を果たしている。MAPKKK(MAPキナーゼキナーゼキナーゼ)からMAPKK(MAPキナーゼキナーゼ)、 MAPK(MAPキナーゼ)へと至る連続したリン酸化反応による活性化を介して、シグナルが核に伝達される。ストレス応答MAPKのプロトタイプである出芽酵母のHog1 MAPKは、高浸透圧によって活性化されるHOG(High Osmorality Glycerol)経路において、ストレス応答遺伝子の発現に関わる転写因子や翻訳を制御するキナーゼの活性を制御する。

MAPキナーゼカスケードは近年、その制御機構の側面から研究が進められている。タンパク質のリン酸化反応において、キナーゼの酵素活性中心と基質のリン酸化部位との一過性の相互作用は、反応の特異性を規定する重要な要素と考えられている。それに加えて、酵素活性中心とは異なる部分で酵素と基質を安定に結合させることも、酵素反応の特異性、確実性を規定する重要なメカニズムのひとつである。MAPKの非キナーゼドメインのC末端に位置する酸性アミノ酸に富む配列は、活性化因子MAPKK、制御因子ホスファターゼ、標的因子MAPKAPKのいずれとも結合することが明らかになり、CD (common docking) ドメインとよばれている。CDドメインはMAPKファミリーに保存されており、CD ドメインを介したドッキングのシグナル伝達における重要性が報告されている。

シグナル特異性の維持に重要なもうひとつのメカニズムとして、足場(scaffold)タンパク質がある。足場タンパク質は、シグナルカスケードを構成する分子群を空間的に接近させ、局所的にシグナル分子の濃度を上げることによりシグナル分子間の酵素反応を迅速かつ正確に行わせる役割を果たすと考えられている。HOG 経路のPbs2 は、接合フェロモン経路のSte5とともに出芽酵母のMAPKカスケードで機能する足場タンパク質として知られている。Ste11 MAPKKK はHOG 経路だけでなく接合フェロモン応答MAPK経路においても機能するが、一方の刺激によって活性化されたSte11が、誤って他方の応答経路のMAPKKを活性化することはない。このように足場タンパク質は、経路のシグナル分子と複合体を形成することで、異なるMAPK経路間のクロストークを防ぐ重要なメカニズムでもある。

Pbs2は自身がMAPKKとして機能するのに加え、膜タンパク質Sho1, Ste11 MAPKKK, Ssk2/Ssk22 MAPKKK, Hog1 MAPK と結合する足場タンパク質でもある。実際に、Sho1, Ssk2/Ssk22,アダプタータンパク質Nbp2とPbs2がそれぞれドッキングし、HOG経路の活性化を制御することが示されている。しかしながらHog1とのPbs2間の結合によるHOG経路の活性化機構の詳細は明らかにされていない。そこで本研究では、Hog1の活性化機構を、シグナル制御に関わる特異的結合の観点から解明することを目的とした。

1.Pbs2のHog1結合ドメインの同定とリン酸化シグナルへの影響

まずHog1を活性化するPbs2MAPKK において、Hog1に特異的に結合する領域を決定した。Pbs2 のN末非キナーゼドメインに欠失領域をもつPbs2変異体のプラスミドを系統的に作製し、in vivo共沈法によりHog1 との結合を検討した。その結果、Pbs2の 136-245アミノ酸領域がHog1 との結合に必要十分であることを見いだし、この領域をHBD-1 (Hog1-Binding Domain-1) ドメインとした。この領域は、すでに決定されているSho1 やSsk2/Ssk22との結合ドメインとは異なる、機能未知の領域であった。HBD-1ドメインを欠いたPbs2 変異体は、高浸透圧刺激によるHog1のリン酸化(活性化)が減弱したことから、HBD-1ドメインがHog1 との結合および活性化に関与していることが示された。

2. Hog1 のPbs2 結合ドメインの同定とリン酸化シグナルへの影響

MAPKファミリーに保存されており、CD ドメインを介したドッキングのシグナル伝達における重要性が報告されている。Hog1 MAPKのC末非キナーゼドメインに欠失領域をもつHog1変異体のプラスミドを系統的に作製し、in vivo共沈法によりPbs2 との結合を検討した。その結果、CD ドメインに加え、CD ドメインに非依存的にPbs2に結合するドメインを見いだし、PBD-2 (Pbs2-Binding Domain-2) ドメインとした。PBD-2ドメインを含む(320-350 a.a) 断片だけでPbs2との結合がみられ、この断片の過剰発現によって野生型Hog1の高浸透圧刺激によるリン酸化がドミナントに抑制された。CDおよびPBD-2ドメインの変異体を用いて高浸透圧刺激時のHog1 のリン酸化におよぼす影響を調べた結果、どちらか一方のドメインを変異させた場合はHog1の脱リン酸化が抑制されたのに対して、両者をともに変異させた場合にはHog1はリン酸化されなくなった。2つのドメインの二重変異体において、HOG 経路活性化に特異的なレポーター遺伝子CRE-lacZの転写誘導や高浸透圧耐性も失われたことから、CDおよびPBD-2ドメインはHog1の活性化に重要であることが示された。

3. Hog1 のCDおよびPBD-2ドメインがHog1 の不活性化に及ぼす影響

Hog1-CDおよびPBD-2ドメインの二重変異体はリン酸化されないが、どちらか一方を変異させたHog1は脱リン酸化が抑制されたことから、ドメインの変異によってHog1 とプロテインホスファターゼとの相互作用が変化していることが予想された。実際に、多くのMAPK においてCDドメインを介したホスファターゼとの結合が知られている。そこで、Hog1の脱リン酸化(不活性化)に中心的役割をもつPtp2プロテインチロシンホスファターゼとの結合に、Hog1の2つのドメインが及ぼす影響の検討をおこなった。

先行研究により、Ptp2とHog1の結合の安定性は、Hog1 のリン酸化状態に依存することが示されている。野生型Ptp2はHog1を脱リン酸化するため、リン酸化チロシンを基質とする野生型Ptp2とHog1 の結合は不安定になるのに対し、酵素活性中心のシステインが変異した活性のないPtp2-C/S変異体はHog1と安定に結合する。Hog1-CD ドメイン変異体とPtp2-C/Sとの結合をin vivo共沈法で調べた結果、結合がみられなかったことから、Hog1-CDドメイン変異体において脱リン酸化が抑制されたのは、CDドメインを介したPtp2との結合が失われたためと考えられた。

これに対して、Hog1-PBD-2ドメイン欠失変異体はPtp2-C/S変異体と安定な結合がみられた。さらにHog1-PBD-2ドメイン変異体のリン酸化状態とPtp2の結合性の関係を検討するため、Pbs2破壊株を用いて野生型Ptp2との結合をin vivo 共沈法で同様に調べた。その結果、Hog1-PBD-2ドメイン欠失変異体はそのリン酸化状態によらず、野生型Ptp2ともPtp2-C/S変異体とも構成的に結合することがわかった。

そこで、Hog1-PBD-2変異体において脱リン酸化が抑制されるのは、PBD-2変異体がPtp2の発現や活性に影響を及ぼすためか、あるいはPBD-2変異体自身が脱リン酸化を受けにくい構造変化を起こしているためかを検討するため、野生型Hog1との共発現系で高浸透圧刺激によるリン酸化を調べた。その結果、共発現させた野生型Hog1の脱リン酸化は抑制されなかったことから、PBD-2変異体がPtp2の活性に影響するのではなく、自身が脱リン酸化されにくい構造に変化している可能性が示された。一方、PBD-2ドメインを含む断片が野生型Ptp2に結合したことから、Ptp2との結合においてもHog1のCDおよびPBD-2ドメインが協調的に機能し、PBD-2 ドメインを介したPtp2との結合により、Hog1のリン酸化チロシンが脱リン酸化されやすくなるよう構造が変化する可能性が示された。

以上の結果より、Pbs2,Ptp2との結合によるHog1の活性制御機構について、以下の仮説が導かれた。

(Step 1) Hog1 がPbs2 にCD ドメインを介して結合する。

(Step 2) PBD-2ドメインが露出し、PBD-2ドメインを介した結合によりPbs2との結合が安定化する。

(Step 3) Pbs2 によってHog1 がリン酸化される。

(Step 4) リン酸化されたHog1がCDドメインを介してPtp2 と結合する。

(Step 5) リン酸化されたHog1 がPBD-2ドメインを介してPtp2と結合する。

(Step 6) PBD-2を介した結合によりリン酸化チロシン(Tyr176) がPtp2 の酵素活性中心で基質として認識される。脱リン酸化されるとPtp2がHog1から解離する。

このように、Hog1のPBD-2ドメインはCD ドメインとともに、Pbs2およびPtp2との特異的結合を担っており、Hog1の活性化および不活性化の制御に関与することが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなり、10の図版と74の引用論文を含む。

第1章(Introduction)は、5節よりなるイントロダクションである。細胞内シグナル伝達の一般論より説き起こし、MAPキナーゼとホスファターゼ、シグナル伝達特異性制御機構、酵母浸透圧応答に係わるHOG MAPキナーゼ経路、など本論文に関係のある諸分野を概説している。同時に、本研究開始時点での当該分野の概況を、目下不足している知識やこれから解明すべき問題点の事例を挙げながらまとや、章を閉じている。短いながらも、ストレス応答一般から、より具体的なHOG MAPキナーゼ経路の制御機構にわたって、バランスよく解説されており、基礎知識が十分であることを感じさせる。

第2章(Results)は、9節よりなる実験結果である。まず第1節において、Pbs2 MAPKKにおけるHog1 MAPK結合領域を決定し、HBD-1と名付けた。第2節においては、Hog1結合領域HBD-1がPbs2の機能に重要であることを示した。第3節では、Hog1 MAPKにおけるPbs2結合領域を解析した結果、従来知られていたCDドメインの他にPBD-2と名付けた新たなPbs2結合領域が存在することを見出した。さらに第4節においては、Hog1のPBD-2がPbs2のHBD-1に結合することを示した。第5節においては、Hog1のCDドメインとPBD-2ドメインとのいずれもが、Pbs2によるHog1の活性化に重要であることを証明した。第6節においては、Hog1のCDドメインおよびPBD-2ドメインがHog1基質であるRck1やHog1特異的ホスファターゼであるPtp2との結合にどのように関与するかを解析した。第7節では、Hog1とPtp2との結合を更に詳細に検討し、PBD-2変異体ではHog1のリン酸化に関わらずPtp2が強く結合することをみいだした。第8節においては、HoglPBD-2変異体はPtp2に強く結合するにもかかわらず脱リン酸化されないことを見出し、そのメカニズムについて解析した。最後に、第9節において、動物細胞におけるHog1ホモログであるp38MAPKのCDおよびPBD-2ドメインの機能について解析した。

本論文では、数多くの新知見が報告されている。一部例外はあるものの、全般的に実験計画や得られたデータの解釈は緻密であり、最終的なモデルも充分な信頼性がある。Pbs2 MAPKKやPtp2ホスファターゼとHog1 MAPKとの関係を、このように詳細に解明した例はなく、きわめて高い意義がある。

第3章(Discussion and Perspective)は考察と展望である。本論文で解明した酵母細胞Hog1 MAPKの甑PKK結合ドメインの機能について、高等動物や昆虫などのホモログを例にその一般性を検討した。また、未解決の問題点などについて簡潔に述べている。

第4章(Experimentalprocedures)においては、本論文で使用された実験方法のうち主要なものを述べている。

以上述べたように、本論文は、今まで知られていなかったPbs2 MAPKKとHog1 MAPKとのドッキング相互作用の詳細を明らかにするとともに、将来の研究方向をも示唆する、重要な成果であると評価できる。

なお、本論文第2章は、舘林和夫、斎藤春雄との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験の立案とその実施、データの分析、及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク