学位論文要旨



No 123352
著者(漢字) 八杉,徹雄
著者(英字)
著者(カナ) ヤスギ,テツオ
標題(和) JAK/STAT シグナルによる神経幹細胞形成の時空間的制御機構
標題(洋) Spatio-temporal regulation of neuroblast formation by the JAK/STAT signal
報告番号 123352
報告番号 甲23352
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5233号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 能瀬,聡道
 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
内容要旨 要旨を表示する

序論

神経ネットワークの形成には、種々の神経細胞やグリア細胞が正常に産生される必要がある。その為には、神経前駆細胞の増殖や神経分化のタイミングが正確に制御されなければならない。本研究では、ショウジョウバエ視覚系をモデルとし、神経上皮細胞(NE 細胞)から神経幹細胞および神経細胞が時空間的に規則正しく産生されるメカニズムの解明を目指した。

視覚中枢の形成

ショウジョウバエ視覚系は複眼と脳の視覚中枢から構成される。後者は、ラミナ、メダラ、ロビュラ複合体の3 視神経節から成る。3 齢期幼虫において、ラミナは視覚中枢のlateral側に、メダラはmedial 側に位置する(図1A、B)。幼虫期に、ラミナとメダラの一部の細胞は共通のNE 細胞から分化する。このとき、ラミナはlateral 側からmedial 側へ、メダラ神経幹細胞はmedial 側からlateral 側へと、一定の方向に分化する(図1C)。NE 細胞から分化したメダラ神経幹細胞は非対称分裂を開始し、apical 側の娘細胞は自己複製能を持つメダラ神経幹細胞に、basal 側の娘細胞は神経母細胞(GMC)となる。GMC はさらに分裂してメダラ神経細胞となる。一方、複眼の発生において、個眼の分化は複眼原基の最も後方から始まり前方へと向かい、分化した個眼は視覚中枢に軸索を投射する。各個眼に含まれる8 個の視神経細胞のうち、R1-R6 はラミナに、R7 とR8 はラミナを通過してメダラまで投射する(図1C)。ラミナの分化は投射してくる視神経軸索から分泌されるHedgehogやSpitz に依存することがわかっているが、メダラの分化を制御する因子の同定は進んでいない。

Proneural Wave

当研究室梅津により、bHLH 転写因子をコードするproneural 遺伝子の一つであるlethal of scute(l(1)sc)が最もmedial 側のNE 細胞(次にメダラ神経幹細胞に分化する細胞)において一過的に発現すること(図2A-F)、L(1)sc がNE 細胞からメダラ神経幹細胞への分化に必要であることが示された。L(1)sc はメダラ分化のタイミングを制御していると考えられ、medial 側からlateral 側に波のように進行するL(1)sc の発現パターンをproneural wave と名付けた(図2G)。

JAK/STAT シグナルはNE 細胞で活性化される

proneural wave の進行のメカニズムを解明するため、エンハンサートラップ系統を用いた発現解析スクリーニングを行った。その結果、JAK/STAT シグナルのリガンドをコードするunpaired(upd)がNE 細胞において興味深い発現を示すことがわかった。upd-Gal4 系統は3 齢初期から中期にかけて、lateral 側のNE 細胞で発現が観察された(図3A)。次に、JAK/STAT シグナルの活性をin vivo で調べるために、10xSTAT-GFP 系統を用いて、JAK/STATシグナルが活性化されている領域を調べたところ、3 齢初期から中期にかけて、神経上皮のlateral 側で強く、medial 側で弱くGFP が発現していた(図3B)。これらの結果は、3 齢初期から中期において、JAK/STAT シグナルがNE 細胞において機能しており、かつそのシグナルはlateral 側で強く、medial 側で弱い勾配をもつことを示している。

JAK/STAT シグナルはproneural wave の進行を負に制御する

次に、JAK/STAT シグナルが視覚中枢の形成に働いているか調べるために、JAK のショウジョウバエホモログをコードするhopscothch(hop)およびStat92E の機能欠失変異体の表現型解析を行った。これらの変異体では、3 齢後期において、メダラ神経細胞は野生型株と比較して減少し、ラミナは全く形成されなかった。

JAK/STAT シグナルの細胞自律性を調べる為に、Stat92E 変異クローンおよびHop の活性化型フォームであるHopTum-l を発現するクローンを視覚中枢で誘導し、メダラ分化への影響を調べた。Stat92E 変異クローンおよびその周辺において、L(1)sc はよりlateral 側の細胞で発現した(図4A)。反対に、HopTum-l 発現クローンおよびその周辺では、L(1)sc の発現はmedial 側にずれ、メダラ神経幹細胞の分化は遅れた(図4C)。同様の結果は、Upd をNE細胞において過剰発現した際にも観察された(図4D)。これらの結果は、JAK/STAT シグナルが細胞非自律的にproneural wave の進行を負に制御することで、メダラ分化のタイミングを制御していることを示唆する。

JAK/STAT シグナルはメダラとラミナの細胞数を調節する

NE 細胞からはメダラ神経細胞とラミナ神経細胞の2 種の神経細胞が産生されること、hopやStat92E の変異体ではラミナが欠失することから、JAK/STAT シグナルがラミナとメダラ両神経細胞のバランスの維持に寄与する可能性が考えられる。視覚中枢において、本来のメダラ神経幹細胞からラミナ領域にまたがる大きなStat92E 変異クローンを誘導したところ、クローンの中および近傍において、メダラ神経幹細胞は本来ラミナ神経細胞が生じる部分でも観察され、このときラミナの分化は抑制された(図4B)。この結果は、JAK/STATシグナルはメダラ神経幹細胞への分化を負に制御することで、ラミナ神経細胞の産生、さらにはラミナとメダラの神経細胞数のバランス調節に寄与する可能性を示唆する。

結論

本研究では、ショウジョウバエ視覚中枢発生過程において、JAK/STAT シグナル伝達系がL(1)sc の発現で示されるproneural wave の進行を負に制御することで、メダラ分化のタイミングを調節していることを明らかにした(図5)。そして、このJAK/STAT による調節が、ラミナとメダラの両神経細胞の産生のバランスの維持に寄与する可能性を示した。また、本研究は、JAK/STAT シグナルの活性の勾配が神経幹細胞分化のタイミングを制御することを示した最初の研究となる。

図1 発生過程の視覚系の模式図。 (A) 複眼原基と脳の模式図。 ED:複眼原基, OL:視覚中枢, VNC:腹側神経索 (B) 腹側側方から見た視覚中枢の模式図。 ラミナ(La 灰色)、神経上皮(NE 青)、メダラ神経幹細胞(medulla NB ピンク)、central brain を示す。 (C) 水平方向の断面図 (B の水色の面の断面図)。ラミナ神経細胞(灰色)、NE 細胞(青)、メダラ神経幹細胞(マゼンタ)、神経母細胞(GMC, 黄色)、メダラ神経細胞(オレンジ)、ラミナ溝、視神経軸索(R1-R8)を示す。

図2 L(1)sc は神経上皮のmedial 側の細胞で一過的に発現する。 (A-F) 3 齢初期(A, B)、中期(C, D)、後期(E, F)の視覚中枢。(A, C, E) 側方図。L(1)sc( 緑)、Dpn(マゼンタ、神経幹細胞マーカー)、Dac(白、ラミナ神経細胞マーカー)。(B,D, F) 水平方向の断面図。L(1)sc(緑)、Dpn(マゼンタ)、tkv-Z(青、NE 細胞マーカー)。(B', D', F') (B, D, F)それぞれの図のL(1)sc の発現のみ示した。 (G) 水平方向の断面図(図1 C 参照) 。L(1)sc 発現細胞(緑)とproneural wave(緑矢印)を示す。

図3 JAK/STAT シグナルはNE 細胞において活性化される。 (A) 3 齢中期のupd-Gal4 の発現。 (A') upd-Gal4 の発現のみ示す。 (B) 3齢中期の10xSTAT-GFP の発現。 (B')10xSTAT-GFP の発現のみ示す。 (A,B)ともにNE 細胞をArm(青)の発現で、メダラ神経幹細胞をDpn(マゼンタ)で示す。

図4 JAK/STAT シグナルはproneural wave の進行を負に制御する。 (A) Stat92E(85C9) クローン(GFP シグナルの欠失領域、(A')では黄線で囲まれた領域)では、L(1)sc(緑)およびDpn(マゼンタ)は、よりlateral 側の細胞で発現する。 (A') (A)の拡大図。白点線はNE とメダラ神経幹細胞領域の境界を示す。白矢印は早期のDpn とL(1)sc の発現を示す。L(1)sc はStat92E(85C9) クローンに隣接する細胞において異所的に発現する(白矢頭)。 (A") (A)を含む視覚中枢の3 次元構築図。黄矢印は早期のDpn とL(1)sc の発現を示す。 (B)Stat92E(85C9) 変異クローン(GFP シグナルの欠失領域、(B')では黄線で囲まれた領域)ではラミナの分化(Dac、青)が抑制され、本来のラミナ領域においてもメダラ神経幹細胞(Dpn、マゼンタ)が観察される。 (B") (B)を含む視覚中枢の3 次元構築図。矢印で示した領域でDpn がlateral 側で発現し、Dac 発現細胞の欠失が観察される。 (C) HopTum-l を過剰発現細胞(青、(C')では矢印)およびその近傍ではL(1)sc (緑)およびDpn(マゼンタ)の発現がmedial 側に残る。 (D) Upd を過剰発現した細胞(青、(D')では矢印)の周辺ではL(1)sc(緑)およびDpn(マゼンタ)の発現がmedial 側に残る。

図5 JAK/STAT シグナルの作用機構のモデル図(視覚中枢の水平方向の断面図、図1C 参照)。 JAK/STAT シグナルはNE 細胞においてlateral 側で強くmedial 側で弱い活性を持つ。proneralwave の進行はJAK/STAT シグナルにより負に制御される。

審査要旨 要旨を表示する

高次機能を司る神経系が機能するためには、多種多様な神経細胞が秩序正しく産生され、次に神経細胞間でネットワーク形成を行う必要がある。本論文ではジョウジョウバエ視覚系において神経上皮細胞(NE細胞)からメダラ神経幹細胞が産生される仕組みに注目し、その形成過程を制御する分子機構の一端を明らかにしたことについて述べている。

ショウジョウバエ視覚系の形成過程において、ラミナ神経細胞とメダラ神経細胞は共通のNE細胞から分化する。ラミナ分化に関して、lateral側のNE細胞が視神経軸索から分泌されるHedgehogを受け取ることにより分化誘導されることが知られていた。一方、メダラの分化は、medial側のNE細胞から順次メダラ神経幹細胞に分化し、その分化はlateral側に向かう。分化したメダラ神経幹細胞は非対称分裂を行い、メダラ神経細胞を産生する。申請者の研究室において、proneural遺伝子の一つであるletal of scute (l(1)sc)がmedial側のNE細胞で一過的に発現し、NE細胞からメダラ神経幹細胞への分化において重要な役割を担うことがわかり、このl(1)scの発現はproneural waveと名付けられた。本論文において八杉徹雄は、JAK/STATシグナルがproneuralwaveの進行とメダラ分化のタイミングを制御し、さらにラミナとメダラの両神経細胞の産生のバランスの維持に寄与するという新たな知見を示している。

八杉徹雄は、まずエンハンサートラップ系統を用いた発現解析スクリーニングから、ショウジョウバエJAK/STATシグナルのリガンドをコードするunpaired(upd)がNE細胞において特異的に発現することを見いだした。さらに、in vivoでJAK/STATシグナルの活性化をみるレポーター系統の発現解析から、JAK/STATシグナルが少なくとも3齢幼虫初期から中期にかけて、神経上皮のlateral側で強く、medial側で弱い活性の勾配を形成することを示した。

引き続いて変異体の表現型解析を行った。JAKホモログをコードするhopscotck(hop)や、STATホモログをコードするStat92Eの機能欠失型変異体では、メダラ神経細胞は野生型株と比較して少なく、ラミナが形成されないことを示した。さらに、Stat92E変異蛛を用いたクローン解析の結果から、Stat92Eの機能阻害は尚早なproneuralwaveの進行とメダラ分化を引き起こすことを示した。反対に、活性化型HOPが神経上皮で過剰発現された際には、proneuralwaveの進行もメダラ分化も遅れ、神経上皮細胞はそのの未分化性を維持していた。これらの結果は、JAK/STATシグナルがproneuralwaveのlateral側への進行を負に制御していることを示唆する。さらに、メダラ幹細胞領域から本来のラミナ領域までまたがる広いStat92E変異クローンが誘導された際には、本来のラミナ領域においてもメダラ神経幹細胞が観察され、その時ラミナの分化は抑制されていた。この結果は、JAK/STATシグナルはメダラ分化の速度を調節することで、ラミナと、メダラの両神経細胞の産生数の制御に寄与していると考えられる。

さらに、Hedgehogシグナル、NotchシグナルがJAK/STATシグナルと相互作用することを示した。updの発現がHedgehogシグナルによって制御されることは、Hedgehogシグナルがラミナ分化を制御すると同時に、JAK/STATシグナルを介してNE細胞がメダラ神経幹細胞に分化するのを抑制している可能性を示唆する。一方、Notch変異体ではメダラ神経細胞数が少なく、ラミナが形成されない。これはhepやStat92Eの変異体の表現型と似ている。さらに、Dlの発現がJAK/STATシグナルに依存することを明らかにした。これらの結果は、JAK/STATシグナルはDlの発現を介して、メダラ分化のタイミングを調節している可能性を示唆する。

本論文では、JAK/STATシグナルがproneural waveの進行と、それに伴うメダラ分化の制御に重要であることを示した。本研究は、JAK/STATシグナルの活性の勾配が、神経分化のタイミングを制御することを示した最初の研究である。

理論、実験の組み立ては十分高い水準にあり、実験結果は明快なデータによって示されている。本研究の成果は、ショウジョウバエに限らない神経発生の普遍的なメカニズムの解明、JAK/STATシグナルによる幹細胞の未分化性維持機構の研究に資するところが大きい。なお本論文は梅津大輝博士、村上智史博士、佐藤純博士、多羽田哲也博士との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本研究は博士(理学)の学位に値するものと考える。

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