学位論文要旨



No 123354
著者(漢字) 中澤,友紀
著者(英字)
著者(カナ) ナカザワ,ユウキ
標題(和) 鞭毛基部体と軸糸における9回対称構造構築機構の研究
標題(洋) Studies on the mechanism that produces 9-fold structural symmetry in the flagellar basal body and axoneme
報告番号 123354
報告番号 甲23354
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5235号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 廣野,雅文
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 准教授 上田,貴志
 東京大学 准教授 上村,慎治
 東京大学 教授 神谷,律
内容要旨 要旨を表示する

中心子(centriole) は動物や原生生物など多くの真核生物が持つオルガネラで、細胞にみられる微小管構造の形成と制御に中心的な役割を果たす。PCMという不定形構造とともに中心体を構成して微小管の重合中心となり、細胞内微小管の放射状の配置や、紡錘体構造の構築に働く。また、鞭毛・繊毛の形成基部となって軸糸微小管の鋳型となる機能もあわせ持つ(このときの中心子を鞭毛基部体(basal body)と呼ぶ)。中心子・基部体(以下、基部体)は9本のトリプレット微小管が円筒状に並んだ特徴的な構造を持つ。この9回対称構造は多様な生物に共通する普遍的なもので、10億年以上前に真核生物が鞭毛を獲得して以来変わらずに保存されてきたと考えられている。しかし基部体は200種類近くのタンパク質から構成される複雑なオルガネラであるために、構築機構の研究はほとんど進んでいない。一方、鞭毛・繊毛の軸糸は、周辺微小管と中心対微小管からなる9+2構造に、ダイニン、ラジアルスポークなどの突起が周期的に配置された緻密な構造である。この軸糸構造もやはり鞭毛・繊毛を持つほぼすべての真核生物に共通する普遍性の高いものである。周辺微小管が9回対称に配置するのは基部体の9回対称性に由来するものだが、軸糸構造内のどの部分がどのように9+2構造の構築に寄与しているか、軸糸内にどのような結合力が働いているか、などについてはこれまでほとんど知見がない。

これらの問題に対し、本研究ではクラミドモナスを用いた遺伝学的アプローチを試みた。2本の鞭毛を持つ単細胞生物クラミドモナスは遺伝学的解析が容易なモデル生物で、以前から鞭毛の形成や運動などの研究に用いられてきた。これに加えて松浦らは、基部体を完全に欠失したクラミドモナス突然変異株bld10を単離することに成功し、クラミドモナスは基部体構造構築機構の研究にもきわめて有用な生物であることを示した。そこで本研究では、基部体構築の分子機構の解明に向けて、まず基部体に異常を持つ新たなクラミドモナス突然変異株の単離を試みた。鞭毛欠失、分裂異常というbld10変異株と共通する2つの表現型を指標としてスクリーニングを行った結果、基部体と軸糸の9回対称性がゆらぐという、すべての生物を通して初めての表現型を示す変異株bld12の単離に成功した。bld12の解析によって基部体の9回対称性構造の構築には、cartwheelという放射状構造が重要な役割を果たしていることが初めて明らかになった。さらに、bld12が形成する、周辺微小管数がゆらいだ軸糸構造を解析することにより、9+2構造の成り立ちについていくつかの重要な知見が得られた。

本論文は2部から構成され、第1部では基部体の9回対称性構造の構築機構について、第2部では9+2構造パターンが乱れたbld12軸糸の解析結果について述べる。

第1部

bld12は、bld10とは異なって、細胞壁の除去処理をすると約10%の細胞が鞭毛を形成するものの、核数の異常や基部体に付随する細胞骨格の異常など、基部体の異常を示唆する表現型を示す。そこで電子顕微鏡によって細胞を観察した結果、約80%の基部体ではトリプレット微小管が1個から5個の連なりに分離しており、トリプレットが環状に並んで筒状の基部体構造を形成していたのは約20%程度であった。しかもその微小管の本数は、驚いたことに7本から11本までゆらいでいた。さらに詳しく調べたところ、観察した全ての基部体がcartwheelと呼ばれる構造に異常を持っていた。Cartwheelはハブと放射状に並ぶ9本のスポークから構成され、基部体内腔のproximal端に位置する構造である。bld12では、スポークの先端部分は微小管に付着して残っているものの、ハブを含めた中央部分が欠損しているためにcartwheelの放射状構造が失われていた。cartwheelは基部体形成過程のごく初期に現れる構造であることから、bld12に見られる基部体異常の原因はcartwheelの形成異常によるものと結論した。

bld12の変異遺伝子について、ポジショナルクローニング法による同定を試みた。配列多型を持つS1D2株とbld12を交配して得られた約500組の四分子に対し、いくつかのPCR多型マーカーを用いて変異をマッピングした。これによって限定されたゲノム領域に、線虫で同定された中心子タンパク質、SAS-6のホモログ(CrSAS-6)をコードする遺伝子があることがわかった。この遺伝子を導入するとbld12の表現型はほぼ完全に野生型に戻ることから、bld12はCrSAS-6の全欠失変異株であることがわかった。基部体におけるCrSAS-6の詳細な局在を免疫電子顕微鏡法によって検討した結果、cartwheel中央のハブの周辺に存在することが明らかとなった。この局在は、bld12のcartwheelで欠失している部分とよく一致することから、CrSAS-6はおそらくcartwheel中央部分の構成成分としてスポークの放射状配置に働くと考えられる。Cartwheelにはもう1つの構成タンパク質としてBld10pが知られている。このタンパク質はスポーク先端部を構成し、微小管の形成に関与する。そこでCrSAS-6とBld10pの関係を調べるため、bld12株におけるBld10pの局在を間接蛍光抗体法で調べたところ、野生型と比べて蛍光は弱いものの、基部体への局在が観察された。このことはBld10pがCrSAS-6とは独立に基部体に局在することを示している。

以上の結果から、クラミドモナス基部体の構築におけるCrSAS-6の役割は以下のようだと考えられる。まず、形成過程の初期にamorphous diskとよばれる構造が現れ、そこにcartwheelが形成されて微小管形成の足場として働く。CrSAS-6存在下では、cartwheelの放射状構造が正しく形成され、各スポークの先端でBld10pが機能することで9本の微小管が形成される。しかしCrSAS-6を欠失するとcartwheelの放射状構造が失われるが、それでもBld10pは独立にそこに局在して微小管を形成する。しかしその場合、微小管形成の場の数が9に固定されずにゆらいでしまうため、基部体の9回対称性もゆらぐのだと考えられる。

以上のように、本研究はSAS-6がcartwheelの形成を通して、基部体の9回対称性構造を安定化することを初めて示した。Cartwheelは哺乳類、ゾウリムシ、クラミドモナスなどの多くの生物の基部体(中心子)において観察される構造なので、本研究で提唱した基部体構築モデルは、多くの生物に共通すると考えられる。しかし、一方でcartwheelを欠くbld12においても、筒状構造を維持する基部体の約70%が9本の微小管から構成されていた。従って、基部体の9回対称性は複数の要因によって確立されると考えられる。このことは基部体の9回対称性が進化の過程で保存されてきたことと関係するのかもしれない。

第2部

bld12が形成する鞭毛は、周辺微小管の本数が8本から11本までゆらいでいる。軸糸の9+2構造はほとんど例外がないほど高く保存されており、その構造が乱れたこのような軸糸が得られたのは初めてである。そこでこの軸糸を利用して、周辺微小管数の異常が軸糸構造にどのような影響を及ぼすかを調べ、軸糸構造の成立に関する知見が得られると考え、解析を行った。

まず、bld12軸糸のうち8本の周辺微小管からなる軸糸を電子顕微鏡で観察すると、そのほとんどが中心微小管を失っていた。これは周辺微小管とラジアルスポークが囲む軸糸中央部のスペースが、中心微小管の形成に不十分である可能性が考えられた。そこでラジアルスポークを欠損した変異株pf14との二重変異株を作製して調べたところ、周辺微小管が8本であっても、ほとんどが中心微小管を含んでいた。そのうえ、9本以上の周辺微小管からなる軸糸では3本以上の中心微小管を含んでいるものも観察された。この結果から、中心微小管の形成は軸糸中央部のスペースの広さに依存すると結論された。

10本以上の微小管からなる軸糸の横断面では、ラジアルスポークの一部が中心微小管から離れて環状構造が歪んでいた。しかもその解離はC1とC2の2本ある中心微小管のうちのC2側で頻繁に起っていた。この観察像は、中心微小管とスポーク頭部はC1側でより強く結合し、周辺微小管を中央方向へ引っ張っていることを示している。これまでにも中心対とスポーク頭部が相互作用することは示唆されていたが、このような結合力が働いているのを視覚的に示したのはこれが初めてである。

2本の中心微小管の表面は大小あわせて7個の突起があって、これらを欠失する突然変異株が3株単離されている。今後はこれらの変異株とbld12の二重変異株において、ラジアルスポークと中心微小管の結合がどうなるかを調べることによって、これら2つの軸糸構造の間の結合についてより詳細な知見が得られると期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は鞭毛基部体および鞭毛の9回対称性構造が構築される機構について遺伝学的な研究を行った結果をまとめたものである。全2部から構成され、第1部では基部体の9回対称性構造について、第2部では鞭毛の9+2構造について解析した結果について述べている。

基部体(中心子)は9本の短い3連微小管が環状に並んだ円筒形のオルガネラである。この9回対称性構造は、十億年以上前に真核生物の共通の祖先が獲得して以来変わらずに保存されてきだもので、ほとんどの生物の基部体に共通する。しかしこの構造がどのようにして構築されるかはほとんどわかっていない。一方、鞭毛・繊毛の軸糸は、周辺微小管と中心対微小管からなる9+2構造にダイニン、ラジアルスポークなどの突起が周期的に配置された緻密な構造をもつ。この構造もやはり鞭毛・繊毛を持つほぼすべての真核生物に共通する普遍性の高いものである。周辺微小管の9回対称配置は基部体構造に由来するが、軸糸構造内のどの部分がどのように9+2構造の構築に寄与しているか、軸糸内にどのような結合力が働いているか、などについてはこれまでほとんど知見がない。論文著者は、これらの問題の解明を目指し、クラミドモナスを用いた遺伝学的研究を行った。

第1部では、基部体の9回対称性構造が揺らぐクラミドモナス突然変異株bld12を単離し、その解析から明らかになった基部体構築機構について述べている。bld12は約10%の細胞しか鞭毛を形成せず、細胞分裂が異常となる変異株として単離された。この変異株の基部体の多くは構造が大きく崩れていたが、筒状構造を維持しているものは構成する微小管の本数が7本から11本までゆらいでいた。論文著者は基部体を詳細に観察し、この異常の原因はcartwheelと呼ばれる基部体内腔の構造にあることをつきとめた。Cartwheelはハブとそこから放射状にのびる9本のスポークから構成されるが、bld12ではハブを含めた中央部分が欠損して放射状構造が失われていた。遺伝子解析により、bld12は線虫で同定された中心子タンパク質、SAS-6のホモログ(CrSAS-6)をコードする遺伝子を欠失していることを明らかにした。免疫電子顕微鏡法によって示されたCrSAS-6の局在はbld12が欠損している部位とよく一致することから、CrSAS-6はcartwheel中央部分の構成成分としてスポークの放射状配置に働くと推定された。論文著者はこれらの結果から、中心子の9回対称性構造の構築にはcartwheelを基盤とする機構が存在し、cartwheelの9本のスポークが正しく放射状に配置することで微小管形成の場の数を9に固定すると結論した。しかしcartwheel中央部が欠失しても多くの基部体が9回対称性を維持することから、この機構以外にも9回対称性の構築に寄与する要因があることも同時に明らかにした。この研究結果は、基部体の9回対称性の構築機構の一端を初めて明らかにしたもので、基部体形成機構の研究において画期的なものと言える。

第2部では軸糸の9+2構造の構築機構およびその構造内部に働く結合力についての解析結果を述べている。b1d12は周辺微小管の本数が8本から11本までゆらいだ軸糸を形成する。論文著者はこの軸糸を利用して、周辺微小管数の異常が軸糸構造に及ぼす影響を調べた。8本の周辺微小管からなる軸糸を電子顕微鏡で観察すると、ほとんどが中心微小管を失っていたが、ラジアルスポークを除去すると周辺微小管が8本の場合でもほとんどが中心微小管を含んでいた。論文著者はこの結果から中心微小管は軸糸中央部のスペースに依存して形成されると結論した。一方、10本以上の微小管からなる軸糸の横断面では、ラジアルスポークの一部が中心微小管から離れて、周辺微小管の環状配置が歪んでいた。しかもその解離はC1とC2の2本ある中心微小管のうちのC2側で頻繁に起っていた。この観察結果は、中心微小管とスポーク頭部はC1側でより強く結合し、周辺微小管を中央方向へ引っ張っていることを示している。これまでにも中心微小管とスポーク頭部が相互作用することは示唆されていたが、このような結合力が働いているのを視覚的に示したのはこれが初めてである。軸糸の9+2構造は極めて高く保存されているため、その基本パターンを崩したときにどのような構造異常が生じるかは不明であった。bld12の存在により初めて検討が可能になったものであり、この研究の意義は大きい。

なお本論文の第1部は平木まどか・神谷律・廣野雅文との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を遂行したもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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