学位論文要旨



No 123356
著者(漢字) 渡邉,加奈
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,カナ
標題(和) オオバウマノスズクサ群における網状の進化に関する研究
標題(洋) Progressive reticulate evolution in the Aristolochia kaempferi group (Aristolochiaceae)
報告番号 123356
報告番号 甲23356
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5237号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 邑田,仁
 東京大学 教授 寺島,一郎
 東京大学 教授 塚谷,裕一
 東京大学 准教授 川口,正代司
 東京大学 准教授 野崎,久義
内容要旨 要旨を表示する

序論

被子植物では、地理条件や送粉昆虫・開花期などの生態的条件に差違が生じ遺伝子交流が断たれれば、潜在的には交配可能であっても集団間の分化が進行し、種分化に繋がる可能性がある。このような集団間では、地理的もしくは生態的な生殖隔離が何らかの要因で無くなると、再び交配が生じうる。近年のHelianthusやGossypium等におけるDNA情報を駆使した研究では、一旦分化した集団(種)間における二次的な交配が、短時間での多様性の創出や種分化に大きく関わっていることが指摘されている。しかし、他の多くの分類群では両性遺伝する核DNAマーカーの開発が遅れており、近縁種問や種内の進化に迫ることはまだ難しい。また生物学的種概念に基づく種の認知には、受粉後受精前の花粉管誘導や受精後種子形成前・種子形成後発芽前・発芽後成熟前におけるF1の発育、成熟後の稔性に関連する生理的な生殖隔離機構の検討が必要となるが、DNA情報では系統推定が可能である一方、集団間におけるそれらの有無を知ることはできない。集団分化と二次的な交配が種分化においてどのような役割を果たしてきたのかを探るためには、対象とする近縁種群に適したDNAマーカーの開発により系統推定を進めるのみならず、交配実験等により集団問における生理的な生殖隔離機構の発達状況を把握することが重要である。

多年性木本蔓植物であるオオバウマノスズクサ群(オオバ群)は、オオバウマノスズクサ亜属のうち目本と台湾に分布する種と中国産の1種から構成され、共通祖先から分化したことが知られている。その葉の形態は変異に富み、個体内でも様々な葉形を見ることもある一方、花被形態は集団毎に安定しており、その形態形質に基づくと図1のように5種1変種に分類できる。しかし修士課程の研究では、各地から集めた計122個体の葉緑体DNA約3000bpに基づく系譜関係は形態形質で分類される5種1変種とは一致せず、地理的にまとまっているように見えることが示された。このような現象は、種分化過程において形態の収斂進化や不完全な系統ソーティング、葉緑体DNAの浸透性交雑等の網状進化、そしてそれらの複合により生じるといわれている。そこで本研究ではまず、母性遺伝し種子により散布される葉緑体DNAの特性を生かし、オオバ群の系統分化と地理との関係を明確にした。その上で、形態群間及び葉緑体DNA系統群間で人工交配実験を行い生理的な生殖隔離機構の発達状況を把握すると共に、葉緑体とは遺伝様式の異なる核DNAに複数マーカーを開発し系統推定を行った。そしてそれらの結果を総合的に考察し、オオバ群が辿ってきた進化過程について検討した。

結果と考察

<葉緑体DNAの地理的分化>

Nested clade phylogeographical analysis(NCPA)を用い、オオバ群計203個体の緯度経度と葉緑体DNA系統との関係をκ2検定した結果、葉緑体DNA系統と地理分布に有意に関係があることが示された。NCPAではさらに、オオバ群が少なくとも4回、異なる時代に異なる規模で分布域の分断を経験し、そこで生じた各分集団がそれぞれに分布域の拡大と縮小を繰り返したために、系統分化が生じたと推定された(図2)。南西諸島と九州が最後に陸続きであった年代を踏まえると、南西諸島以南に分布するBV系統の分岐年代はほぼ130万一170万年前に対応し、A系統とB系統の分岐はそれよりさらに古いと考えられる。また、BI~BIV系統の分岐年代もBV系統と同時期程度であること、BI系統内の分布域の分断はBI系統の分岐より最近であることを考慮すると、オオバ群における葉緑体DNAの地理的分化は、数百万一1万年前まで繰り返された氷期による分布域の縮小と分集団化という地理的隔離に起因すると考察された。

<総当たり交配実験に基づく生理的な生殖隔離の検証>

6つの形態群間及び6つの葉緑体DNA系統群間の生理的な生殖隔離機構の発達を調べるため、70株を用い3年間総当たり交配実験を実施した。計414花の雌蕊に他家受粉を行った結果、雌雄を区別しなければ、オオバ群では全ての形態群間及び葉緑体DNA系統群間で種子が形成されることが明らかとなった(表1)。得られた種子を播種したところ、ほとんどが発芽能力を有していることも確認された(継続調査中)。以上から、オオバ群では一般に、形態群間においても葉緑体DNA系統群間においても、受粉後受精前・受精後種子形成前・種子形成後発芽前における生理的な生殖隔離機構の成立が不完全であると考えられる。このことから、オオバ群では集団間で花粉流動が生じる機会さえあれば、形態群間の交配も、葉緑体DNA系統群間の交配も、容易に起こりうることが示唆された。ただし、日本本土の個体の雌蕊に南西諸島以南の個体の花粉を交配した場合には、結果率が明確に下がることも判明した(表1の赤枠)。

〈形態及び葉緑体DNA系統と複数核DNA系統との関係〉

両性遺伝し種子と花粉により散布される核DNAから、PhyA遺伝子とMADS-boxのAP3及びPI遺伝子をマーカーに選び、オオバ群の各形態群及び各葉緑体DNA系統群の代表計15個体について系譜関係を推定した。GenomicDNA由来のPhyAexon、AP3intron、PIintronと、蕾で発現するmRNA由来のAP3exon、PIexonの、計5つの塩基配列それぞれについて系統解析を行った結果、いずれの系統樹においても6つの形態群及び6つの葉緑体DNA系統群のどれもが単系統とならなかった。蕾で発現するAP3とPI遺伝子においても形態群の単系統性が示されなかったことから、これらの遺伝子はオオバ群で用いている主要な分類形質(花被の舷部)の形成には直接的には関与していないと推測された。また、5つの系統樹に人工交配実験の結果も踏まえると、オオバ群では実際に、形態群や葉緑体DNA系統群という枠を越えた花粉流動が生じていると考えられた。

〈核DNAと葉緑体DNAの地理的分化の比較〉

核DNAの地理的分化を探るため、5領域のうち最も系統情報を多く含むPIexonをマーカーとし、オオバ群の全分布域を網羅する60個体の遺伝的変異を解析した。得られた塩基配列の一部で配列間組換えが推定されたことから、系譜推定にはネットワークを用いた。得られたネットワーク中には2系統αとβが認められ、α・βのそれぞれに出現頻度の高いアリルが2つずつ存在した(図3A)。またそのα・β系統中の高頻度アリル(赤と青)は、葉緑体DNAのA・B系統それぞれにほぼ対応した地理分布を示した(図3B)。半数体である葉緑体DNAと比べ集団分化に数倍の時間を要するといわれる核DNAにおいても系統の地理的分化が認められたことから、オオバ群はかなり長期に渡り分布域が分断され2つの集団に分化したと示唆された。一方、α・β系統それぞれの低頻度アリルの分布は必ずしもA・B系統に対応していないことから、オオバ群の2つの集団は分化後に再び接触し遺伝子交流を生じていたと考えられた。特に、β系統のアリル且つA系統を持つ個体と、α系統の高頻度アリル且つB系統を持つ個体の出現は、関東西部に限られていた。関東西部は、A・B系統の現在の分布域の境界にあたることから、これらの個体は比較的最近の2つの集団間における遺伝子流動により生じたと推測された。また、α系統のアリルのうち出現頻度の低い7つはB系統を持つ個体にみられ、東海一九州に散在していた。このことは、2つの集団間においてより古い花粉流動もあったことを示しており、2つの集団はかってどちらも東海一九州地方に広がり遺伝子交流を生じていたがその後この地域ではA系統のみ消滅したか、もしくは2つの集団の分布域は接する程度で関東側の集団から関西側の集団への花粉移入は盛んに生じていた、と考えられた。

まとめと展望

本研究から、オオバ群には形態の多様性とはリンクしない、ゲノムの地理的分化が生じていることが明らかとなった。得られた結果を総合すると、氷期がオオバ群の分布域を分断し複数のレフュジアへの逃避による地理的隔離と集団分化を生み、間氷期が各レフュジアからの分布域の拡大と接触をもたらし一旦分化した集団間における二次的な交配を促した、と考えられた。そしてそれらの繰り返しが様々な遺伝的組み合わせを生じ形態の多様化にも繋がるという、網状の進化が推測された。交配実験の結果はその他に、オオバ群の中でも最も古く分化した2集団間ではなく、より最近に分化した南西諸島以南の集団と日本本土の集団との間に非対称的な受粉後生殖隔離があることを明らかとし、異所的種分化が生じている可能性を示した。このことは、生理的な生殖隔離機構の発達に必ずしも複数の核遺伝子の分化が伴わないことを示唆している。今後は、得られたF1の発育や稔性を調べ生理的な生殖隔離機構についてさらに検討する他、その花被形態と遺伝子型との関係を明らかとし、表現型の多様化における集団分化と二次的な交配の役割に追りたい。

過去の気候変動は、オオバ群に分集団化とその後の二次的な交配の繰り返しという網状の進化を招き、遺伝的多様化を促進した。過去の気候変動の影響は、他の近縁種からなる分類群にも及んでいると推測される。今後、多くの分類群において、表現型と遺伝子型、そして生理的な生殖隔離機構の分化の程度について研究がむことで、被子植物の多様化の一因を追求できると期待される。

図1オオバ群における形態の多様性.和名は「ウマノスズクサ」部分を省略して表示する。上段の4つは主に花被の舷部の形態形質で、下段の2つは主に葉の形態形質で分類できる。スケールは1cmを示す。

図2葉緑体DNA変異に基づくオオバ群の系統とその地理的変遷.matK・atpB-rbcL・tmS-tmGによる24の最節約系統樹の厳密合意樹。枝上は1000回試行のブートストラップ確率、末端は203個体中に認められた43八プロタイプとそれを有する形態群、(1)~(5)はNCPAで推定されたイベントの生じた順番を示す。

図3PI遺伝子のcDNA変異に基づくオオバ群の系統とその分布.オオバ群60個体の蕾から抽出したPI遺伝子のcDNA約560bpの変異。凡例内部の色は、黒色が葉緑体DNAのA系統を、灰色が日系統を示す。(A)Statistical parsimony network。1つのアリルは1つの凡例か1つの点線の円で表し、点線の円の大きさは同じアリルの数を示す。アリル間の線は95%確率の塩基置換もしくは挿入・欠失を示す。現存が確認されていないアリルは白抜きの小円で、外群の接続点はアスタリスクで示す。(B)Statistical parsimony network中に認められた2系統(αとβ)それぞれの高頻度(赤と青}及び低頻度(オレンジと水色)のアリルの地理分布。雪つの形態群の凡例は1個体を、それを覆う円は1個体内の2つのアリルを示す。緑色の点線は、葉緑体DNAのA・B系統の分布の境界を示す。

表1オオバ群における総当たり交配実験の結果。他家受粉した雌蕊の数に対する結果数をパーセントで表示。NTは試行しなかった組合わせを示す。(A)6つの形態群間の結果。(B)6つの葉緑体DNA系統群間の結果。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は日本列島に特徴的な複雑な種分化の一例として、日本と台湾・中国産の合計6種(形態群)から構成されるオオバウマノスズクサ群(ウマノスズクサ科)(以下オオバ群とする)を研究対象とし、形態情報とDNA情報の解析および人工交配実験に基づき集団間の遺伝子流動について明らかにし、オオバ群がたどってきた進化過程について研究した結果をまとめたものである。導入部、第1章と第2章、これに引き続く総合考察という4部から構成されている。

第1章では、オオバ群の全分布域をカバーするサンプルについての葉緑体DNA系統解析により、大系統群A、BとBのサブクレードとして合計6つの主要な系統群がみとめられたことから、これらについて Nested clade phylogeographical analysis(NCPA)を適用し、オオバ群計203個体の緯度経度と葉緑体DNA系統との関係をχ2検定した結果、葉緑体DNA系統と地理分布に有意に関係があることが示された。NCPAではさらに、オオバ群が少なくとも4回、異なる時代に異なる規模で分布域の分断を経験し、そこで生じた各分集団がそれぞれに分布域の拡大と縮小を繰り返したために、系統分化が生じたと推定された。主要な系統の分化パターンと、南西諸島と九州が最後に陸続きであった年代を考慮した結果、オオバ群における葉緑体DNAの地理的分化は、数百万~1万年前まで繰り返された氷期の影響による分布域の縮小と分集団化という地理的隔離に起因すると考察された。

第2章ではまず、オオバ群に認められた6つの形態群間及び6つの葉緑体DNA系統群間の生理的な生殖隔離機構の発達を調べるため、70株を用いて総当たり交配実験を実施している。その結果、雌雄を区別しなければ、オオバ群では全ての形態群間及び葉緑体DNA系統群間で種子が形成され、ほとんどが発芽能力を有していることが確認された。従って、オオバ群では一般に、花粉流動が生じる機会さえあれば、形態群間の交配も、葉緑体DNA系統群間の交配も容易に起こりうることが示唆された。

次に、両性遺伝のため種子と花粉の双方により地理的に移動可能な核DNAから5つの領域を選び、それぞれについて系統解析を行った結果、いずれの系統樹においても6つの形態群及び6つの葉緑体DNA系統群のどれもが単系統とならなかった。そこで、形態群や葉緑体DNA系統群の地理的分化と詳細に比較するため、5領域のうち最も系統情報を多く含むPI exonをマーカーとし、オオバ群の全分布域を網羅する60個体の遺伝的変異を解析した。得られた塩基配列の一部で配列間組換えが推定されたことから、系譜推定にはネットワークを用いた。得られたネットワーク中には2系統αとβが認められ、α・βのそれぞれに出現頻度の高いアリル(高頻度アリル)が2つずつ存在した。そして、これら高頻度アリルは、葉緑体DNAのA・B系統それぞれにほぼ対応した地理分布を示した。半数体である葉緑体DNAと比べ集団分化に数倍の時間を要するといわれる核DNAにおいても系統の地理的分化が認められたことから、オオバ群はかなり長期に渡り分布域が分断され2つの集団に分化していたと示唆された。β系統のアリル且つA系統の葉緑体DNAを持つ個体と、α系統の高頻度アリル且つB系統の葉緑体DNAを持つ個体の出現は、A・B系統の現在の分布域の境界である関東西部に限られていることから、これらの個体は比較的最近の2つの集団間における遺伝子流動により生じたと推定した。一方、α系統の低頻度アリルはB系統を持つ個体にみられ、東海~九州に散在していた。このことは、分化した2つの集団間においてより古い花粉流動もあったことを示していると推定した。

総合考察では、得られた結果を総合し、氷期がオオバ群の分布域を分断し複数のレフュジアへの逃避による地理的隔離と集団分化を生み、間氷期が各レフュジアからの分布域の拡大と接触をもたらし一旦分化した集団間における二次的な交配を促すことにより、不完全な網状の進化を生じていると考察した。

本論文は、日本列島から台湾にかけての広い地域を対象とし、形態解析と遺伝的解析、人工交配実験に共通のサンプルを使用して3つの異なる情報を総合的に評価することを可能にしたこと、遺伝子流動の可能性について人工交配実験により実証的に確かめたことなどの特色を持っており、そのことによりはじめて可能になった研究である。日本列島における種分化はこれまでも氷期の繰り返しと結びつけて議論されてきたが、統計処理には分布域を網羅する多数のサンプル解析が必要であるため客観的な検証が行われたことはなかった。本論文はこれを実現した質の高いデータに基づく先端的な研究であったと評価できる。

なお、本論文の第1章は梶田忠、邑田仁との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および論証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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