学位論文要旨



No 123362
著者(漢字) 髙里,実
著者(英字)
著者(カナ) タカサト,ミノル
標題(和) 胎生期マウス腎間葉系遺伝子の同定とその機能解析
標題(洋) Identification and analysis of mesenchyme specific genes in mouse developing kidney
報告番号 123362
報告番号 甲23362
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5243号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 武田,洋幸
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 准教授 松田,良一
 東京大学 准教授 奥野,誠
内容要旨 要旨を表示する

背景とストラテジー

胎生期腎臓において、間葉細胞は、将来腎臓の各組織へと分化する未分化な細胞集団として知られている。これは、間葉細胞で発現している遺伝子を解析すれば、腎発生の分子機構の解明に繋がることを意味する。また再生医療の観点から見ると、間葉細胞の分化制御が行えるようになれば、細胞療法によるネフロンの再生に道がひらける。しかし、腎間葉系遺伝子発現プロファイリングはいまだ行われておらず、間葉細胞の分化の分子機構も殆ど明らかになっていない。私は、胎生期腎臓においてこの間葉系細胞に特異的に発現している遺伝子を探索・同定し、その機能を解明することを目的として、研究を行った。

第1章では、まず、腎間葉系遺伝子を同定するために、胎生期腎臓の間葉系細胞の遺伝子発現プロファイリングを行った。次に、その中から重要遺伝子を選ぶために、得られた腎間葉系遺伝子のスクリーニングを行った。第2章では、第1章でのスクリーニングによって選定された遺伝子、TBR2に関してノックアウトマウスを作製し、その表現型を解析した。

研究成果

1.腎間葉系遺伝子発現プロファイリングと重要遺伝子のスクリーニング

私は、マウスの腎臓発生に必須な遺伝子として知られているSall1が胎生期腎臓において間葉系細胞に特異的に発現していることに注目し、Sall1をマーカーとしてFACSにより間葉系細胞のみを単離することにした。そのために、Sall1の遺伝子座にGFPをノックインしたSall1-GFPノックインマウスを用いた。Sall1-GFPノックインマウスの胎生17.5日目の胎児より得た腎臓を解離し、FACSによりGFP陽性細胞のみを単離した。この単離した細胞集団からRNAを抽出しマイクロアレイを行った結果、GFP陰性細胞集団と比較して、GFP陽性細胞集団で3倍以上強く発現している遺伝子が約400遺伝子検出された。その中には実際に、Sall1 (14倍), GDNF (39倍), Reelin (14倍), Six-2 (9倍), Pax-8 (31倍), LRP-2 (7倍), PDGFc (11倍), HeyL (8倍), Cited-1 (8倍), Syndecan-4 (17倍), BMPR-1A (8倍) WT-1 (7倍), FGF-10 (3倍) and BMP-7 (3倍)といった、既に間葉系遺伝子として知られている多くの遺伝子も含まれていた。実際に間葉系細胞に発現しているのかを確かめるために、得られた遺伝子リストの上位50についてin situ ハイブリダイゼーションを行ったところ、48%に当たる、42の遺伝子が実際に腎間葉系細胞特異的に発現していることを確認した。また、そのうち22の遺伝子は、今まで腎間葉系遺伝子として知られていない、新規の腎間葉系遺伝子であった。

腎発生研究では、分子機構を解明する手法として主にノックアウトマウスが用いられてきた。in vivoの腎発生を模倣する、遺伝子導入可能なin vitroのアッセイ系が確立されていないためである。そのため、次に私はノックアウトマウスを作成するにあたって、対象とする遺伝子を選定した。選定方法として3種類のスクリーニング法を行った。一つ目は、発生期腎臓における詳細な発現パターンを解析し、特異的な発現を持つ遺伝子を探索する方法。二つ目は、既知の重要遺伝子であるSall1の下流遺伝子を探索する方法。三つ目は、腎臓がんで発現している遺伝子と比較して、腎がんと腎間葉系細胞の両方で発現している遺伝子を探索する、という方法で行った。

一つ目のスクリーニング法では、発生期腎臓における、間葉系遺伝子の詳細な発現パターンを調べた。上で得られた間葉系遺伝子リストの上位の遺伝子の他、GFP陽性集団での発現量が高い遺伝子、GFP陽性と陰性との差が大きい遺伝子、についてin situ ハイブリダイゼーションを行った。その結果、凝集間葉特異的に発現する遺伝子(μ-crystallin、BC023483)、C字体・S字体特異的に発現する遺伝子(Raldh2、1110038H03Rik)、糸球体特異的に発現する遺伝子(TRB2)、ストローマ領域に特異的に発現する遺伝子(Alcam)、等を同定した。特に、糸球体上皮に発現するTRB2と凝集間葉に発現するBC023483の発現パターンは高い特異性があり、興味深い発現パターンであった。

二つ目のスクリーニング法では、腎発生に必須な遺伝子であるSall1の下流遺伝子を探索した。それらの下流遺伝子は、Sall1と同じく、腎発生に重要な役割を持つ可能性が高い。そこで、Sall1ノックアウトマウスにおいて、上で得られた腎間葉系遺伝子リストの上位50にある遺伝子の発現に変化があるかどうかをin situ ハイブリダイゼーションによって調べた。その結果、Sall1ノックアウトマウスにおいて、Integrin-α8、Unc 4.1、Pax8、GDNF等、いくつかの腎間葉系遺伝子の発現が低下していることが分かった。これら4つの遺伝子にはノックアウトマウスが存在し、Unc 4.1を除く3つの遺伝子のノックアウトマウスでは、腎発生に重篤な表現型があることが知られていた。

三つ目のスクリーニング法では、がんと発生で共通した分子機構が働いていることに着目し、間葉系遺伝子のうち、腎がんでも発現している遺伝子を探索した。パブリックデータベースを用いて、上で得られた遺伝子リストの上位250遺伝子について調べたところ、14の遺伝子(Reelin、Six2、Dkk1、Claudin12、Runx2、Cspg2、Glcci1、Fibrillin2、Elov6、Ak5、Enabled、Gucy1b3、Ahi1、Frizzled7)が、腎間葉系細胞で陽性、かつ成体腎で陰性、かつ腎がん細胞で陽性、であることがわかった。これら14の遺伝子が、実際に成体腎で発現が低下しているかをRT-PCRによって確認した結果、3遺伝子(Six2、Dkk1、Fibrillin2)のみが、胎生期腎と比較して、成体腎で発現が低下していた。さらに、この3遺伝子が実際に腎がん細胞で発現していることを、3種類の腎がん細胞株における免疫抗体染色で確かめた。この3遺伝子にはそれぞれノックアウトマウスが存在しており、Six2とDkk1のノックアウトマウスは腎臓の発生に異常があった。この結果は、腎がんと比較するという手法の妥当性を示唆するものである。

2.TRB2 ノックアウトマウスの作製と解析

腎臓において、糸球体上皮細胞(podocyte)特異的に発現している遺伝子TRB2に特に注目した。Notch遺伝子は糸球体発生に必須な遺伝子であるが、in vitroの実験によって、その下流遺伝子としてTRB2が報告されている。そこで、TRB2のノックアウトマウスを作製することにした。TRB2のノックアウトは、TRB2の遺伝子座にLacZ遺伝子をノックインする方法で行った。TRB2のマウス全身での発現パターンを解析するために、作製したTRB2-LacZヘテロマウス(wt/lacZ)の胎児をLacZ染色したところ、TRB2は腎糸球体の他、中腎、精巣、血管内皮、心筋、骨細胞、網膜細胞、後根神経節、に発現していることがわかった。この発現パターンはNotch遺伝子の発現パターンと非常に重なっており、Nocth遺伝子の下流であることがin vivoでも示唆された。

次に、両親がヘテロの場合のノックアウト(-/-)の子供の割合(生存率)を調べた。その結果、57匹中16匹(約28%)がノックアウトマウスであることを確認した。これはメンデルの法則に従っており、胎生致死の表現型がないことを意味する。次に、ノックアウトマウスの発生期の腎臓を組織切片により観察したところ、糸球体の存在を確認した。また、生後4週齢のノックアウトマウスの尿を検査したが、野生型と比較して差は見られなかったことから、腎機能に顕著な差は無いことが分かった。次に、TRB2の発現している中腎、精巣、血管内皮、心筋、骨細胞、網膜細胞、後根神経節に関して、ノックアウトマウスでその形成に異常があるかを観察したところ、形成に関しては明らかな異常は観察されなかった。以上より、TRB2はマウス腎臓において糸球体の上皮細胞に特異的に発現しているものの、糸球体の形成やその機能に必須ではないことが示唆された。TRB2はNotch遺伝子の下流遺伝子の可能性があるが、糸球体形成時に働くNotchシグナルにおいて、TRB2は重要な役割を持っていないことが示唆された。TRB遺伝子のファミリーはTRB2の他にTRB1と3が存在するが、TRB1は腎臓に弱く発現していることが分かった。TRB2のノックアウトマウスにおいて、TRB1が糸球体の形成にリダンダントに機能している可能性もある。

まとめ

本研究は、腎臓発生において重要な役割を持つ、胎生期腎臓の間葉細胞に注目し、そこに特異的に発現している遺伝子を特定し、腎臓発生の分子機構を解明することを目的に行われた。第1章では、間葉細胞に特異的に発現する間葉系遺伝子をプロファイリングし、そのリストにある遺伝子が間葉細胞に発現していることをin situ ハイブリダイゼーションによって確認した。次に、ノックアウトマウスを作製する遺伝子を選定するため、3種類のスクリーニングを行った。実際に、スクリーニングによって同定された遺伝子の中にはノックアウトマウスで腎発生に異常のある遺伝子が高確率に含まれており、このプロファイルが腎臓発生学における有用なツールとして使えることを示した。第2章ではTRB2のノックアウトマウスを作製し、その全身における発現パターンを明らかにした。その結果、TRB2がNotch遺伝子の下流遺伝子である可能性をin vivoで示した。TRB2ノックアウトマウスでは腎臓発生・糸球体形成の異常は認められなかったが、これはTRB2が糸球体形成に影響を与えない、純粋なマーカー遺伝子として使える可能性を示唆する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はイントロダクションとそれに続く2章からなる。

イントロダクションではマウスの腎臓発生に関する形態的、分子生物学的知見が適切に紹介されており、論文提出者の研究に十分な必然性を与えていると見なせる。

第1章では、前半で胎生期マウス腎間葉系細胞に発現する遺伝子の網羅的な同定について、後半で重要遺伝子のスクリーニングについて述べられている。第1章の前半では、Sall1-GFPノックインマウスを使用して、マウス胎生期腎臓の間葉系細胞のみを単離し、マイクロアレイによって腎間葉系遺伝子を網羅的に同定している。その結果、約400遺伝子が腎間葉系細胞で発現していることが明らかにされた。マイクロアレイの結果は以下の理由により非常に信頼のおけるものである。第一に、Sall1やGDNF、Pax8などの既知の腎間葉系遺伝子が多数含まれていたこと。第二に、in situ ハイブリダイゼーションによって上位50の遺伝子のうち84%が実際に腎間葉系細胞に発現していることを確認したこと、である。また、新規の間葉系遺伝子を多数同定すると共に、胎生期腎臓におけるそれら遺伝子の詳細な発現パターンを明らかにしている点で、新規性のある興味深い研究である。

第1章の後半では、網羅的に同定された遺伝子群の中から、ジーンターゲッティング(いわゆるノックアウトマウス)の対象とする遺伝子を3つの方法で選定している。1つ目の方法では、in situ ハイブリダイゼーションにより、新規間葉系遺伝子50遺伝子の胎生期腎臓における詳細な発現パターンを解析し、組織特異的な発現パターンを持つ遺伝子を候補としている。2つ目の方法では、Sall1ノックアウトマウスを用いて、腎間葉系遺伝子の中からSall1ノックアウトマウスの胎生期腎間葉で発現の低下している遺伝子を探索し、同定された遺伝子を候補としている。3つ目の方法では、パブリックデータベースを利用して、腎がんと発生期腎臓で共通に発現している遺伝子を探索し、同定された遺伝子を候補としている。論文提出者は以上の3つの選定方法によって、計9種類の候補遺伝子を同定している。選定された候補遺伝子群には、高確率で腎臓発生に重要な既知の遺伝子が含まれており、この結果はスクリーニングの妥当性を証明するものであると認められる。

第2章では、第1章で選定したTRB2遺伝子のノックアウトマウスの解析について述べられている。第2章ではイントロダクションにおいて、糸球体発生における分子機構の知見、主にNotch遺伝子に関する知見が紹介されている。その上で、論文提出者はTRB2遺伝子がNotch遺伝子の下流遺伝子である可能性を示した先行研究を紹介し、実際に胎生期腎臓におけるTRB2とNotch3の発現パターンが一致していることを述べている。このイントロダクションは、TRB2ノックアウトマウス作製の必然性を示すに十分な記述である。

第2章ではイントロダクションに続いて、TRB2-LacZヘテロマウスを用いた、TRB2遺伝子のマウス全身における発現パターンの解析を記述している。その結果、発生期にTRB2遺伝子は後腎、中腎、精巣、血管内皮、後根神経節、筋肉、心臓、眼、骨、等で発現していることを示すと共に、TRB2遺伝子は腎臓以外でも、精巣や血管内皮、中腎などでNotch遺伝子と発現が重なることを明らかにしている。次に、TRB2ノックアウトマウスの表現型を解析している。その中では、TRB2はマウスの発生や、腎臓の形成に決定的な役割を持っていないことが示されている。また、論文提出者はTRBファミリーの他の遺伝子がTRB2遺伝子の機能を代理する可能性にも言及し、その可能性が完全には否定できないことを示している。

本論文で論文提出者は、マウスの腎臓発生に働く遺伝子を網羅的に同定し、重要遺伝子のスクリーニングの後にTRB2ノックアウトマウスを解析している。それらの結果はどれも新規性があり、今後の腎臓発生研究に貢献する研究内容である。また、本研究及び研究の各過程を行う際の根拠となる知見・論理も適切に記述されており、論文提出者が本論文の研究内容に対して十分な学識を有していることが認められる。

なお、本論文第1章は、長船 健二 博士・松本 祐子 氏・藤原(片岡) 由起 氏・吉田 進昭 教授・目黒 裕子 氏・油谷 浩幸 教授・浅島 誠 教授・西中村 隆一 教授、との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、本委員会は本論文提出者が博士(理学)の学位を授与できると認める。

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