学位論文要旨



No 123364
著者(漢字) 西村,佑介
著者(英字)
著者(カナ) ニシムラ,ユウスケ
標題(和) マウス胚性幹細胞を用いた繊毛細胞の分化誘導とそのメカニズムの解析
標題(洋) Induction of ciliated cells from mouse embryonic stem cells and the analysis of the differentiation mechanisms
報告番号 123364
報告番号 甲23364
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5245号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 岡,良隆
 東京大学 准教授 廣野,雅文
 東京大学 准教授 松田,良一
内容要旨 要旨を表示する

繊毛細胞は呼吸器系や生殖器官、脳室など生体内の様々な器官に存在し、主に物質の輸送に寄与している。繊毛細胞の機能が低下すると、呼吸器系では気管支拡張症、生殖器官では不妊症、脳室では水頭症が発症することから、繊毛細胞は生体内で重要な働きを担っていると考えられる。繊毛の形成過程の研究は電子顕微鏡を用いてよく行われてきたが、どのような因子がその形成過程を制御しているのか、また、繊毛細胞への細胞運命の決定はどのように行われるのかについては不明な点が多い。これまでの繊毛細胞の分化の研究は主に初代培養を利用した方法で行われてきた。しかしながら、初代培養では発生初期の細胞分化の過程を解析することは困難であるため、発生初期分化を解析できる培養法の確立が必要であった。

マウス胚性幹細胞(ES細胞)は分化全能性を持つことから、様々な細胞や組織の発生過程を解明するための有力なツールとして注目されている。ES細胞のin vitroでの主な分化誘導の手法の一つとして、胚様体を用いる手法がある。胚様体とはin vitroでES細胞の細胞塊を形成させることで三胚葉に分化させたものであり、胚様体の形成は正常な胚発生を反映していると考えられているため、胚様体を用いた繊毛細胞の分化誘導系の確立は繊毛細胞の発生初期分化を解析する上で非常に有用である。

第一章において私はマウス胚性幹細胞を用いた繊毛細胞の分化誘導法の確立を行った。牛胎児血清(FBS)はES細胞から様々な細胞種へ分化誘導する際に広く用いられている。私はまずFBS培地を基礎培地として様々な成長因子を添加し、培養条件の検討を行った。しかしながら、いずれの場合も繊毛マーカーはほとんど発現せず、繊毛細胞の分化は認められなかった。ここで私は、FBSはES細胞の分化誘導系に広く用いられているが、FBS培地では繊毛細胞を分化誘導しにくいために、これまで繊毛細胞への分化誘導の報告がなかったのではないかと考えた。そこで次に私は様々な無血清培地[Insulin-transferrin -selenium-A (ITS-A)培地、B-27培地、Knockout serum replacement (KSR培地)]を用いて培養条件の検討を行った。繊毛細胞マーカー遺伝子であるFoxj1の発現をRT-PCRで調べたところ、いずれの無血清培地でも発現の上昇した。特にKSR培地を用いた場合にはFoxj1の強い発現が認められ、繊毛様運動を示す細胞が観察された。この細胞の同定を行ったところ、これらの細胞は繊毛様構造を持ち、さらに電子顕微鏡による観察の結果、運動毛に特有の微小管配列である9+2構造が観察されたことから、この細胞は繊毛細胞であることが確認された。

分化誘導された繊毛細胞は繊毛の形態から二種類に分類できた。一方は繊毛の長さが比較的長く、繊毛の数が少ない細胞(Type I)、もう一方は繊毛の長さは比較的短く、繊毛の数が多い細胞(Type II)であった。繊毛細胞は生体内の様々な器官に存在しているが、一細胞から多数の繊毛が生えていること、9+2構造を持つことから、分化誘導された繊毛細胞は脳室、呼吸器系、生殖器官の繊毛細胞であることが考えられた。そこで、脳室の繊毛細胞で発現しているMusashi1の免疫染色を行ったところ、Type Iの繊毛細胞は陽性、Type IIの繊毛細胞は陰性であった。この結果はType Iの繊毛細胞は脳室の繊毛細胞であることを示している。さらに、KSR培地で培養した胚様体の遺伝子発現をRT-PCRで調べた結果、呼吸器系マーカー遺伝子であるTTF-1やSP-Cの発現が認められたことから、Type IIの繊毛細胞は呼吸器系もしくは生殖器官の繊毛細胞であることが示唆された。

また、繊毛細胞の分化効率をFACSを用いて調べたところ、FBS培地では1%以下であったのに対し、KSR培地では約10%であった。そこで、繊毛細胞の分化効率を上昇させる目的で、様々な成長因子での処理を行った結果、いずれの成長因子も分化効率を上昇させる効果は認められなかったものの、BMPが繊毛細胞への分化を著しく抑制する効果を持つことが明らかになった。このBMPの繊毛細胞の分化に対する抑制効果は胚様体接着後の2日間に限定されていた。さらにBMPは繊毛細胞の分化を抑制する一方で、呼吸器系上皮細胞の一種であるクララ細胞のマーカー遺伝子CC10の発現を上昇させた。これらの結果はBMPが繊毛細胞とは別の細胞系譜に分化させた結果、繊毛細胞の分化が抑制された可能性を示唆している。

第二章において私は牛胎児血清の繊毛細胞の分化に対する抑制機構の解析を行った。第一章で、細胞生存の最少培地であるITS-A培地でのFoxj1の発現がFBS培地でのそれよりも高かったことから、FBSには繊毛細胞の分化を抑制する因子が含まれていることが予想された。そこでKSR培地に様々な濃度のFBSを添加したところ、繊毛細胞マーカーの発現はFBS濃度依存的に減少したことから、FBSは繊毛細胞の分化を抑制する因子を含むことが示された。また、このFBSの繊毛細胞の分化に対する抑制効果は胚様体接着直後の2日間に限定されていた。このように、FBSの抑制効果を持つ時期がBMPのそれと一致していたことから、FBSに含まれる繊毛細胞の分化抑制因子はBMPである可能性が考えられた。

BMPシグナルはBMPにより活性化されたレセプターが、細胞内シグナル伝達分子であるSmad1/5/8をリン酸化し、Smad4とヘテロダイマーを形成し核内へ移行することで下流の遺伝子発現を制御する。まずSmad1のリン酸化を調べた結果、FBS存在下ではSmad1がリン酸化されていた。この結果はFBSがBMPシグナルを活性化できることを示している。次に私は抑制型Smadとして知られているSmad7を用いてBMPシグナルを抑制することを試みた。テトラサイクリン制御によって一過性にSmad7を強制発現できるES細胞を樹立し、Smad7を強制発現させると、FBS培地においても各種繊毛マーカーの発現が上昇し、さらに繊毛細胞も観察された。この分化した繊毛細胞はType Iの繊毛細胞であり、Type IIの繊毛細胞は認められなかった。これらの結果より、FBSはBMPシグナルを介して繊毛細胞への分化を抑制していると考えられ、Type Iの繊毛細胞の分化はBMPシグナルをオフにするだけで十分であるが、Type IIの繊毛細胞の分化は他のシグナルも関与している可能性が考えられる。

第三章において私は、本研究で確立した繊毛細胞への分化誘導系を利用し、繊毛関連遺伝子(Foxj1、Foxa2、Centrin4)の繊毛細胞の分化における機能の解析を行った。Foxj1は繊毛形成に必須の転写因子であり、欠損すると繊毛が消失することが知られている。Foxj1を発現させた結果、KSR培地、FBS培地で培養した胚様体共に、多くの繊毛マーカーの発現レベルは上昇し、さらに免疫染色により繊毛細胞が確認された。これらの結果は、Foxj1は様々な繊毛マーカー遺伝子の発現を制御し、Foxj1の発現のみで繊毛細胞へ分化させる能力を持ち得ることを示している。

また、Foxa2の繊毛細胞の分化への影響についても調べた。Foxa2は呼吸器系の形成に必須の転写因子であるが、繊毛細胞の分化との関わりには不明な点が多い。Foxa2を発現させた場合においても、FBSを含む培養条件でFoxj1を含む多くの繊毛マーカーの発現上昇が認められた。Foxj1は単独で多くの繊毛マーカーを上昇させる能力を持つため、Foxa2はFoxj1の発現を介して、繊毛細胞の分化が促進された可能性が考えられる。また、呼吸器系マーカー遺伝子の発現上昇が認められたことから、Foxa2により呼吸器系への分化が促進された結果、繊毛細胞の分化が促進された可能性が考えられる。

Centrinは中心小体に局在するタンパク質であり、マウスでは4つのアイソフォームが同定されている。Centrin4は繊毛細胞に特異的に発現することが知られているが、その機能は知られていない。そこで、私はCentrin4を強制発現、ノックダウンの実験を行った。しかしながら、Centrin4を強制発現させても、繊毛細胞の分化の促進は起こらず、また、ノックダウンを行っても繊毛細胞の分化の阻害は起こらなかった。

本研究において私は、マウスES細胞を無血清培地で接着培養することで繊毛細胞が分化することを示した。また、FBSは繊毛細胞の分化を抑制する効果を持ち、その効果はBMPシグナルを介していることを明らかにした。さらに、私はマウスES細胞からの繊毛細胞への分化誘導系を利用し、繊毛細胞関連遺伝子の解析を行い、Foxj1とFoxa2が繊毛細胞の分化を促進すること、Centrin4が繊毛細胞の分化に必須ではないことを示した。本研究で確立されたマウスES細胞を用いた繊毛細胞の分化誘導系は、これまで困難であった発生初期の繊毛細胞の分化メカニズムの解析に有用であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

繊毛細胞は生体内において重要な働きを担っているが、その分化メカニズムには不明な点が多い。その理由の一つは、既存の繊毛細胞への分化誘導系が分化メカニズムの解析に不適切な要素を持つことにある。既存の方法では生体から気管上皮細胞を採取し、それらを気相にさらすことで繊毛細胞へ分化させる。しかし、この方法では生体から採取した時点で既に分化が進んでいるため、繊毛細胞の初期分化を解析できないということや、気相にさらすという発生過程では存在し得ない特殊な環境でないと分化しないという短所があった。これらのことから、既存の方法に代わる新しい繊毛細胞への分化誘導系が必要とされていた。

第一章において論文提出者はマウス胚性幹細胞(ES細胞)を用いた繊毛細胞への分化誘導系の確立について述べている。ES細胞は分化多能性を持つ細胞であり、細胞や組織の初期分化を解析する有力なツールとして期待されている。論文提出者はES細胞から胚様体と呼ばれる細胞塊を形成し、それらを無血清培地で培養することで繊毛細胞を分化誘導することに成功した。分化誘導された繊毛細胞は二種類存在し、一方は脳室系の繊毛細胞、もう一方は呼吸器系の繊毛細胞である可能性を示した。また、論文提出者は成長因子の一種であるBMPが非繊毛細胞への分化を促進することで繊毛細胞への分化を著しく抑制し、その抑制効果が胚様体接着後の2日間に限定されることを明らかにした。このように、論文提出者は無血清培地を利用することで、気相にさらすことなくマウスES細胞から繊毛細胞を分化誘導することに初めて成功し、繊毛細胞の初期分化の解析に有用な分化誘導系を確立した。

第二章において論文提出者は血清培地(FBS培地)が繊毛細胞の分化を抑制し、その抑制効果がBMPシグナルを介していることを明らかにした。このFBSの抑制効果はBMPと同様、胚様体接着直後の2日間に限定されていたことから、BMPがFBSに含まれる繊毛細胞の分化抑制因子である可能性が考えられた。そこで、論文提出者はFBS添加時におけるBMPシグナルの細胞内シグナル伝達分子であるSmad1のリン酸化状態を調べ、FBSがBMPシグナルを活性化できることを示した。さらに、BMPシグナルを抑制する抑制型Smadを発現させることにより、FBS培地においても繊毛細胞が分化することを明らかにした。このように論文提出者はBMPを含まないことが無血清培地で繊毛細胞が分化した要因の一つであることを示した。

第三章では、第一章で確立した分化誘導系を利用したFoxj1、Foxa2、Centrin4の三つの遺伝子の繊毛細胞の初期分化における機能解析について述べている。Foxj1は繊毛形成に必須の転写因子である。強制発現の結果より、Foxj1が様々な繊毛細胞マーカー遺伝子の発現を制御し、Foxj1の発現のみで繊毛細胞へ分化させる能力を持ち得ることを示した。Foxa2は呼吸器系の形成に必須の転写因子であるが、繊毛細胞の分化との関わりには不明な点が多い。Foxa2を強制発現させると、呼吸器系の分化と共に繊毛細胞の分化も促進されていた。このように論文提出者はFoxa2が呼吸器系への分化を促進した結果、繊毛細胞の分化を促進した可能性を示した。Centrin4は繊毛細胞に特異的に発現する遺伝子であるがその機能は知られていない。Centrin4を強制発現、ノックダウンさせたが、繊毛細胞の分化に影響を与えなかった。この結果からCentrin4は繊毛細胞の分化に必須ではないと結論付けた。このように論文提出者は、いくつかの遺伝子の繊毛細胞の初期分化における機能を調べ、新しい知見を得たと共に、本論文で示した分化誘導系が繊毛細胞の初期分化における遺伝子の機能解析に有用であることを示した。

以上まとめると、論文提出者は本論文の第一章においてマウスES細胞を用いた新しい繊毛細胞への分化誘導系を示し、既存の方法ではできなかった繊毛細胞の初期分化の解析を可能にした。さらに、第二章でBMPシグナルが活性化しないことが繊毛細胞の分化に重要であることを示し、第三章において確立した分化誘導系が遺伝子の機能解析にも有用であることを示した。このように本論文は、繊毛細胞の分化メカニズムの研究を飛躍的に進めることが期待される新しい分化誘導方法を提供し、実際にこの分化誘導系を用いることで繊毛細胞の分化メカニズムの一部を明らかにしており、学問的価値の高い研究であると言える。

なお、本論文第一章と第二章の一部は浜崎辰夫博士・駒崎伸二准教授・上村慎治准教授・大河内仁志博士・浅島誠教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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