学位論文要旨



No 123366
著者(漢字) 羽田,幸佑
著者(英字)
著者(カナ) ハネダ,コウスケ
標題(和) GnRHペプチドニューロンの集団活動に関する生理学的研究
標題(洋) PHYSIOLOGICAL STUDIES ON THE POPULATION ACTIVITY OF GNRH PEPTIDERGIC NEURONS
報告番号 123366
報告番号 甲23366
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5247号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡,良隆
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 竹井,祥郎
 東京大学 准教授 朴,民根
 東京大学 講師 吉田,学
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、ペプチドホルモンの一種であるGnRH(生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン)を産生する神経細胞の集団活動を生理学的手法により分析し、脊椎動物におけるペプチド神経修飾系の一般的な作動原理を明らかにすることである。

シナプス伝達において中心的役割を担う古典的神経伝達物質とは別に、細胞の興奮性やシナプス伝達効率などを微妙に調節する作用を持つペプチドやアミンなどの神経修飾物質候補の存在が数多く示唆されてきた。一部の神経修飾物質は行動の動機付けや睡眠・覚醒などの高次脳機能に関与することから、近年特に注目を集めており、そのリガンドや受容体などの物質的基盤に関する研究が精力的に展開されつつある。一方で、神経修飾物質がその生理機能を実現するためには、それらを産生している神経系(神経修飾系)が適切にはたらかなくてはならない。しかしながら、このような神経修飾系を構成するペプチド・アミンニューロンのもつ一般的な生理学的性質に関する研究はまだほとんどない。

神経修飾系に関する研究を困難にしている最大の要因は、適切な実験系および方法論が現状ではきわめて限られていることにある。このような困難を克服するため、本研究では神経修飾系のモデルとして有望な硬骨魚ドワーフグーラミー(Colisa lalia)の終神経GnRH細胞を用いた。この神経系はごく少数の大型ペプチド産生ニューロンの集団から構成され、さらに、複数の形態的特徴により他の実験系では困難な生理実験を容易に行うことができる。そのため、この神経系は神経修飾系の生理学的・形態学的特徴を解析するうえで有効な実験系になりうると考えられる。さらにこの動物種では、終神経GnRH細胞に投射する神経入力に関する解剖学的な知見や、終神経細胞に発現するイオンチャネル・受容体に関する分子生物学的な知見の蓄積も豊富である。

本研究では終神経GnRH系をモデルとして、神経細胞間の相互作用という点に着目して研究を行った。これは、ペプチド神経修飾系の形成する細胞集団における活動の協調メカニズムを解析することにより、この神経系の示す形態学的・生理学的特徴の機能的意義を解明するためである。

第1章 終神経GnRH細胞の電気共役に関する電気生理学的および形態学的解析

まず、終神経細胞を生体内に近い状態で詳細に調べることを可能にするような実験系を新たに確立した(図1)。この神経系の細胞体集団内の2つの細胞から同時に電気生理学的測定を行ったところ、これらの神経細胞どうしは神経伝達物質を介する化学シナプスではなく、ギャップ結合により電気共役していることがわかった。また、低分子量のトレーサー(Neurobiotin)が細胞を超えて拡散する現象(色素共役)が観察されたことからも、これらの神経細胞間におけるギャップ結合の存在が示された。特に、図2が示すように、細胞体どうしが直接に接していないくても、神経突起間の接触により色素共役が生じていることから、これら樹状突起様の構造上にギャップ結合が形成されていることが示唆される。このようなギャップ結合に基づく電気共役は、結合した複数の細胞の膜電位を均一化する働きがある。したがって、終神経GnRH細胞の神経活動は細胞集団内で揃っている可能性が考えられる。特に本研究の結果は、樹状突起のような局所的な神経接続が、終神経GnRH細胞の集団活動に深く関与することを強く示唆している。

第2章 終神経GnRH細胞の同調した神経活動に関する定量的解析

第1章の結果を受けて、終神経GnRH細胞の神経活動の細胞集団内における同調性についてcross-correlation histogram(CCH)を用いて定量的に解析したところ、これらの細胞は数ミリ秒程度の時間ずれを一定に維持しながら、ほぼ同時に発火することがわかった(図3)。終神経GnRH細胞は通常1から10 Hzほどの規則的活自発的な活動電位を発生しているが、こうした活動電位の発生間隔に比べて細胞どうしの発火タイミングの時間ずれは十分に小さいことから、細胞集団内の発火の位相は揃っていることが示唆された。また、低侵襲かつ繰り返し測定の可能なloose-seal 細胞外記録法により同一細胞集団内の複数の細胞ペアに関して発火タイミングの時間的関係性について解析した結果、神経活動の発火頻度および発火の位相が細胞集団内で均一になっていることがさらに支持された。

CCHに鋭いピークが現れることは、発火の時間ずれが測定のあいだ中(120から150秒間)一定に保たれていることをあらわす。しかし、CCHのピークは数十分間という時間スケールでは、その形を徐々に変化させることが観察された。したがって、細胞集団内で個々の細胞は一定の順序で発火していることを直接示すことは今回できなかったが、そのような発火の順序はむしろ厳密に決められたものではなく、長い時間スケールではその時間的関係性は変動しうることが示唆された。

化学シナプスの阻害された条件でもこうした神経活動の同調は観察されたことから、この同調現象がギャップ結合に基づく電気共役によって生じていることが示唆された。このような電気共役によるGnRH細胞群の同調現象を電気生理学的手法により直接に解析したのは、脊椎動物を通じて本研究が初めてである。

第3章 GnRHなどの分泌性因子を介した相互作用

当研究室の先行研究では、GnRHを終神経GnRH細胞に投与すると自発的な活動電位の発火頻度が一過的に減少した後、持続的に上昇することを明らかにしている。また、電子顕微鏡を用いた形態学的研究や、炭素微小電極を用いた電気化学的な検出法などにより、終神経GnRH細胞においてGnRHが自己・傍分泌因子として作用することの傍証が得られつつある。そこで第3章では、終神経GnRH細胞の集団活動に及ぼすGnRHの作用を明らかにすることを目的に、第一にGnRHの神経活動に対する修飾効果を電気生理学的に解析した。

当研究室の阿部らによる先行研究では、GnRHによって誘起される持続的な発火頻度の上昇は、高閾値活性化型電位依存性Ca2+チャネルの電流量増大と、活性化の電位依存性の過分極側へのシフトに起因する内向き電流の増大によるものであると結論付けられていた。しかし、GnRHのCa2+電流に対する修飾効果を再度、whole-cellパッチクランプ法に解析したところ、GnRHはCa2+電流に対して抑制的に作用することを確認した。また、GnRHの投与はCa2+電流の電流量を減少させるだけでなく、その活性化の電位依存性をより脱分極側へとシフトさせることを明らかにした。

先行研究で得られた仮説に代わり、終神経GnRH細胞の神経活動に対するGnRHの作用のメカニズムを明らかにするため次のような実験を行った。まず、細胞内外のイオン組成を変化させることで、細胞の持つNa+電流およびK+電流を単離し、それらに対するGnRHの効果を検討した。その結果、GnRHは少なくともNa+に対して透過性を持つコンダクタンスを増大させることを明らかにした。このNa+電流の増大量は、発火頻度の上昇を説明するには十分な大きさで生じる。したがって、GnRHはNa+透過性を変化させ、持続的な内向き電流を生じさせることで、終神経GnRH細胞の神経活動の発火頻度を上昇させることが示唆された。また、GnRHなどの神経ペプチドの放出に深く関与する電位依存性Ca2+チャネルがGnRHによって抑制される点は、こうした神経ペプチドの自己・傍分泌作用の複雑さを示す現象として興味深い。

考察

脊椎動物の中枢神経系では3群の神経細胞がGnRH分子種を産生し、それぞれ別々の生理機能を果たしていると考えられている。視床下部視索前野に局在するGnRH細胞は下垂体機能の制御を担い、終神経節および中脳被蓋領域に局在するGnRH細胞は広範な脳機能を制御するという神経修飾の働きをすると考えられている。視索前野GnRH細胞では、これらGnRH細胞同士の自己・傍分泌的相互作用によってその特徴的なGnRH分泌パターンが形成されることが、培養神経細胞を用いた実験などにより明らかにされつつある。一方で、神経修飾機能を担うGnRH神経系を支える神経機構についてはいまだ十分な理解が得られていない。本研究は、電気生理学的手法を用いてGnRH神経系の神経修飾機能を支える仕組みを明らかにした初めての研究である。

神経修飾系の多くは、脳内の広い範囲に瀰漫性に軸索投射し、自発的かつ規則的な活動電位を発生するという特徴を示す。本研究で用いた終神経GnRH細胞は、これら神経修飾系で共通して見られる性質を同様に示すことから、その神経修飾系としての生理機能が示唆されてきた。本研究で観察した神経細胞集団の同調した活動は、脳内全域におよぶ終神経GnRH細胞の投射領域の全体に対して一様な出力を一斉に送る上で重要な役割を果たすものと考えられる。また、細胞集団内で同期した神経活動は長い軸索を伝導する過程でその位相が徐々にずれてゆくことが予想される。一方で、神経活動の発火頻度は終神経GnRH細胞の出力信号として標的細胞へ正確に伝えられることが考えられ、これらの神経系の出力信号は発火頻度にコードされていることが示唆される。

(左)図1ドワーフグーラミー終神経GnRH細胞の赤外線微分干渉顕微鏡像。2細胞同時記録を行っている。

(右)図2色素共役の一例。黒矢印の細胞にトレーサーを導入したところ、白矢印の細胞への拡散が確認された。

図3 終神経GnRH細胞の同期した神経活動 Whole-cell patch clampによる膜電位の測定を同一の細胞集団内の二つの細胞から同時に行った。自発的かつ規則的な活動電位がほぼ同時に発生していることがわかる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は3章からなる。第1章は、終神経GnRH(gonadotropin-releasing hormone)ペプチドニューロン群がギャップ結合により電気共役していることを生理学的・形態学的に解析したものである。まず、終神経細胞を生体内に近い状態で詳細に調べることを可能にするような実験系が新たに確立された。終神経細胞クラスター内の2つの細胞から同時に電気生理学的測定を行い、これらの細胞が神経伝達物質を介するような化学シナプスではなく、ギャップ結合により電気共役していることが証明された。特に、細胞間の色素共役などの結果からこのギャップ結合は細胞体から伸長した樹状突起様の構造上に形成されていることが強く示唆された。終神経細胞間では電気共役が細胞集団内で活動電位を伝達するための電気シナプスとしても機能していることが考えられる。したがって、終神経GnRH細胞は樹状突起様の構造上に形成されたギャップ結合によって電気的に共役した神経ネットワークを形成すると考えることができる。神経修飾系の多くには構成ニューロンの細胞体が狭い領域に密集して存在するという形態的特徴が見られる。さらに、他の神経修飾系においても電気共役による相互作用が確認されている。樹状突起のような局所的な神経接続がこれらの神経修飾系の性質に深く関与することが示唆される。このようなGnRHニューロン間のギャップ結合による協調的活動を電気生理学的手法で直接証明したのはこの研究が脊椎動物で初めてであり、極めて高く評価できる。

第2章は、終神経GnRH系における神経活動の同調について定量的・数理的に解析したものである。終神経GnRH細胞は自発的かつ規則的な活動電位を常に発生している。同一集団内の2つの細胞から同時に膜電位の変化を測定すると、これらの細胞は概ね同調して発火することがわかった。発火タイミングの時間的な関係性を定量的に解析すると、活動電位間のインターバルに比べると十分に短いものの一定の遅れ時間を維持しながら、二つの細胞が同時に発火していることが明らかとなった。次に、低侵襲性かつ繰り返し測定の可能なloose-seal 細胞外記録法により、同一集団内の複数の細胞ペアに関して発火の時間的関係について解析した。その結果、細胞集団内のすべての細胞が短時間の間に一斉に自発発火することが確認された。神経修飾系の多くは、脳内の広い範囲に瀰漫性に軸索投射し、自発的かつ規則的な活動電位を発生するという特徴を示す。本研究で観察した神経細胞集団の同調した活動は、脳内全域におよぶ終神経の投射領域の全体に対して一様な出力を一斉に送る上で重要な役割を果たすものと考えられる。

第3章は、GnRHニューロン自らの産生する分泌性因子を介してニューロン同士が相互作用する可能性を検討したものである。まず、GnRHなどの分泌性因子の終神経GnRH細胞の神経活動に対する影響を調べた結果、GnRHはNa+イオンを中心とした陽イオンの透過性を亢進させて、終神経GnRH細胞を持続的に脱分極させることが明らかとなった。終神経GnRH細胞が一定の興奮状態にあるときに周囲の終神経GnRH細胞を持続的に興奮させる現象は、分泌性因子を介した相互作用の存在を示唆するものであり、集団活動を協調させる機構としてはたらく可能性が高い。

本論文の目的は、神経修飾系の一つである終神経GnRHニューロンをモデルとして、その集団活動を生理学的手法により分析し、脊椎動物神経修飾系の一般的な作動原理を明らかにすることである。硬骨魚類ドワーフグーラミーのこの神経系はごく少数の大型ペプチド産生ニューロンの集団から構成され、さらに、複数の形態的特徴により他の実験系では困難な生理実験を容易に行うことができるため、脊椎動物脳内の神経修飾系の生理学的・形態学的特徴を解析するうえで極めて有効な実験系である。本研究では終神経GnRH系をモデルとして、ペプチド神経修飾系の形成する細胞集団における活動の協調メカニズムを解析することにより、脊椎動物ペプチド神経系の示す一般的な形態学的・生理学的特徴の機能的意義の解明に向けて大きく一歩前進しており、その成果は高く評価できる。

れらの論文の各章で示された研究成果はペプチドニューロンが細胞集団を形成することの生理学的意義を理解する上で大変重要な知見であり、脊椎動物中枢神経系における神経修飾作用の機構に鋭く迫る成果をもたらした点で、論文提出者の研究成果は博士(理学)の学位を受けるにふさわしいと判定した。

なお、本論文第1章~第3章は、岡良隆との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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