No | 123367 | |
著者(漢字) | 林,悠 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ハヤシ,ユウ | |
標題(和) | 線虫 Caenorhabditis elegans を用いた神経突起除去の分子機構の解析 | |
標題(洋) | Analysis of the Molecular Mechanism of Neurite in Caenorhabditis elegans | |
報告番号 | 123367 | |
報告番号 | 甲23367 | |
学位授与日 | 2008.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5248号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 高等動物の脳では、発生時に神経突起(軸索や樹状突起)の局所的な除去が起こることが古くから知られている(図1A,B)。こうした過程は、精密な神経回路の構築あるいは維持に重要であると提唱されてきた。しかしながら優れた研究モデルが少ないため、その生理的意義を示す直接的な証拠は未だに乏しく、また、分子機構に関しても不明な点が多い。 さて、神経発生学の分野では、線虫Caenorhabditis elegansが、神経形態を生きたまま観察できることや、302個の神経細胞全下の擦続様式が明らかにされている等の特長から、魅力的な研究対象である。私は修士課程において、線虫の成長過程でAIMと呼ばれる1対の介在ニューロンにおいて神経突起の除去が起きることを発見し、この過程に新規な転写因子MBR-1が関わることを示した(図1C,2)。この知見を起点に分子生物学的解析を進めることで、脳の発達や維持の機構の理解に大きく貢献できるものと期待される。博士課程において私は、線虫における神経突起除去の生理的意義の解析及びその分子機構(MBR-1の上流調節因子と下流遺伝子)の解析を行った。 本博士論文は3つの章からなる。まず第1章では、神経突起除去の生理的意義の解析結果について述べる。線虫は同じ匂いに曝され続けるとその匂いへの応答が低下すセる(嗅覚可塑性を持つ)が、mbrー1変異株ではベンズアルデヒドという揮発性物質に対する嗅覚可塑性が見られないことが示されている。そこで私は、この行動異常と神経突起除去の異常との関連を検討するために、行動異常の原因となるニューロンの同定を試みた。mbr-1変異株の様々なニューロンで野生型のmbr-1を強制発現させたところ、嗅覚可塑性の異常はAIMではなく、RIFと呼ばれる一対のニューロンで発現させたときに回復することが判明した。RIFで神経突起除去が起こるかは不明であったので、RIFの神経形態を野生株とmbr-1変異株とで比較したところ、mbr-1変異株の成虫ではAIMと同様に左右が余分な神経突起で接続していた(図2)。幼虫期のRIFは左右の細胞体が近接しており神経突起が形成されているかを判断するのは困難であったが、神経接続部位に局在するタンパク質を可視化したところ、野生株、訪r1変異株とも左右のRIFの接点にはギャップ結合構成タンパク質NSY-5の局在が検出された。これらの結果は、RIFも幼虫期にはギャップ結合を介して左右が接続しており、成長過程でMBR-1によりその接続が除去されることを強く示唆している。RIFにおけるシナプスの分布は左右非対称であり、右側ニューロンのみが嗅覚受容ニューロンと接続を形成することから、mbr-1変異株では左右の接続により嗅覚情報処理に異常が生じた可能性がある。線虫ではRIF以外にも、多くのニューロンが左右非対称な接続パターンを形成することから、神経突起除去は正しい情報処理を行う上で重要な役割を担うと考えられる。なお、近年ギャップ結合の神経発生過程への関与が複数の動物種で指摘されているが、このような知見を踏まえると、成長過程で除去される神経突起が単なる副産物ではなく何らかの発達過程に関わる可能性も考えられる。また、以上の結果は神経突起除去が線虫においてAIMに固有な現象ではなく、普遍的な現象であることを示唆した点においても意義があると考えている。 第2章では、神経突起除去が特定のニューロン・サブクラスで局所的に誘導される機構を解明する目的で、mbr-1の上流調節因子の探索を行った結果について述べる。 本研究では2種のホメオドメイン転写因子、UNC-86とLIN-11にっいて、前者はmbr-1のプロモーター領域に結合配列が見出されたことから、後者は変異株がmbr-1変異株と同様にベンズアルデヒドに対する嗅覚可塑性に異常があることから、mbr-1の発現制御に関わる可能性を検討した。それぞれの変異株について調べたところ、unc-86変異株ではAIMでのmbr-1の発現が消失しており、一方lin-11変異株ではRIFでのmbr-1の発現が消失していることが判明した。さらに、unc-86変異株ではAIMでの神経突起除去に異常があることも判明した。以上の結果は、ニューロンのサブクラス(AIM・RIF)により異なるホメオドメイン転写因子がmbr-1の発現を誘導することで、神経突起除去を引き起こすことを示している(図3)。 第3章では、MBR-1の下流遺伝子を2つの方法を用いて検索した結果について述べる。1つ目では、幼虫期の野生株及びmbr1変異株の遺伝子発現をマイクロアレイ法および定量的RT-PCR法により網羅的に比較した。2つ目では、リコンビナントMBR-1タンパク質に結合するゲノム断片をクローニングし、MBR-1結合サイトを探索した。 前者では、野生株とmbr-1変異株とで発現量の異なる遺伝子が13種、後者ではMBR-1が近傍に結合する遺伝子が20種得られた。中でも、アセチルコリン(ACh)受容体及びアポトーシス関連因子の遺伝子はそれぞれ4種得られ、こうした因子が神経突起除去に関与する可能性が示唆された。MBR-1がアセチルコリン受容体の発現を促進することで神経接続の可塑性を増す可能性や、局所的にアポトーシス経路を活性化することで神経突起の構造を不安定イピさせる等の可能性が考えられる(図3)。 以上、本研究は線虫C.elegansを用いて神経突起除去の生理的意義や分子機構を解析した初めての例であり、特定のニューロン・サブクラスで神経突起除去が誘導される生理的意義及びメカニズムの一端を明らかにした。本研究で同定した関連因子は動物種を越えて保存されており、本知見は、動物一般の神経突起除去の生理的意義とその分子機構を理解するための端緒となると期待される。 | |
審査要旨 | 高等動物の脳の発生時には軸索や樹状突起の局所的除去が起きることが知られている。この過程は、精密な神経回路の構築や維持に重要であると提唱されているが、優れた研究モデルが少ないため、生理的意義を示す直接的証拠は乏しく、分子機構にも不明な点が多い。神経発生学の分野では線虫 Caenorhabditis elegansが、生きたまま神経形態を観察できることや、302個のニューロン全ての接続様式が明らかにされているなどの特長から魅力的な研究対象である。論文提出者は修士課程で、線虫の成長過程においてAIMと呼ばれる1対の介在ニューロンで神経突起の除去が起きることを発見し、これに新規な転写因子MBR-1が関わることを示した。この知見を起点に研究を進めることで、脳発達や維持機構の理解に大きく貢献すると期待される。博士課程においては、線虫における神経突起除去の生理的意義の解析および、その分子機構の解析を行っている。 本論文は3章からなる。まず第1章では、神経突起除去の生理的意義が解析される。線虫は同じ匂いに曝されるとその匂いへの応答が低下する(嗅覚可塑性をもつ)が、mbr-1変異株ではベンズアルデヒドに対する嗅覚可塑性が見られない。論文提出者はこの行動異常と神経突起除去の異常の関連を検討するため、行動異常の原因となるニューロンの同定を試みた。mbr-1変異株の色々なニューロンで野生型mbr-1を強制発現させたところ、RIFという一対のニューロンで発現させると行動異常が回復することが判明した。また、RIFの形態を野生株とmbr-1変異株とで比較したところ、野生株の幼生、mbr-1変異株の幼生と成虫では、AIMと同様、RIFも左右のニューロンが余分な神経突起で接続していた。この結果はRIFも幼虫では左右のニューロンが接続しており、成長過程でMBR-1の作用によりその接続が除去されることを強く示唆している。RIFでは右側ニューロンのみが嗅覚受容ニューロンと接続することから、mbr-1変異株では左右のRIFが接続することで嗅覚情報処理に異常が生じた可能性がある。また、この結果は神経突起除去がAIMに固有な現象ではなく、普遍的な現象であることを示唆した点においても意義がある。 第2章では、神経突起除去が特定のニューロンで誘導される機構を解明する目的で、mbr-1の上流調節因子の探索を行っている。本研究では2種類のホメオドメイン転写因子、UNC-86とLIN-11について、前者はmbr-1のプロモーター領域に結合配列が存在し、後者は変異株がmbr-1変異株と同様ベンズアルデヒドに対する嗅覚可塑性に異常があることから注目して解析を行った。その結果、unc-86変異株ではAIMでのmbr-1発現が消失し、lin-11変異株ではRIFでのmbr-1の発現が消失することが判明した。さらに、unc-86変異株ではAIMでの神経突起除去に異常があることが判明した。以上の結果は、異なるサブクラスのニューロンでは異なるホメオドメイン転写因子がmbr-1の発現を誘導し、神経突起除去を引き起こすことを示している。 第3章では、MBR-1の下流遺伝子を2つの方法により検索ている。最初の方法では、野生株とmbr-1変異株の幼虫期の遺伝子発現をマイクロアレイ法と定量的RT-PCR法により網羅的に比較している。2つ目ではリコンビナントMBR-1に結合するゲノム断片をクローニングし、MBR-1の結合サイトを探索している。その結果、前者で13種、後者で20種の候補遺伝子を得た。中でもアセチルコリン(ACh)受容体およびアポトーシス関連因子の遺伝子は各々4種類ずつ得られており、MBR-1がACh受容体の発現を促進する、あるいは局所的にアポトーシス経路を活性化する等により、神経突起除去が引き起こされる可能性が考えられる。 以上、本研究は、線虫C.elegansを用いて神経突起除去の生理的意義とその分子機構を解析した初めての例である。本研究で同定された因子は動物種を越えて保存されており、動物一般における神経突起除去の理解の端緒になると期待される。今後の動物行動学・神経科学の発展へ大きく寄与するものである。 なお、本論文の第1章と第2章は広津崇亮助教(九州大学)・飯野雄一教授・久保健雄・(東京大学)、第3章は飯野雄一教授・竹内秀明助教(東京大学)・久保健雄との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験を計画し、遂行したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断できる。 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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