学位論文要旨



No 123369
著者(漢字) 小野田,惠一
著者(英字)
著者(カナ) オノダ,ケイイチ
標題(和) 地域計画と流域管理の相克と協力の史的研究
標題(洋) Historical Studies on Conflict and Collaboration between Land Use Planning and River Basin Management
報告番号 123369
報告番号 甲23369
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6685号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 准教授 中井,祐
 東京大学 准教授 清水,哲夫
 東京大学 講師 知花,武佳
内容要旨 要旨を表示する

古代四大文明の例を引くまでもなく,人間の生活において水はなくてはならないものである.しかし長いこの星の歴史の中において,人間は水からの恵みを享受する代わりに,ひとたび大雨が降れば洪水が荒れ狂うその脅威に曝されて来た.その荒々しい自然に対して,あるときは治水事業により果敢にも闘いを挑み,あるときはその勢いを上手く交わし,いわば相克と協力の中に生きてきた.

特に,我が国においては,土木技術の乏しい近世以前にあっては,人々は謙虚に自然を上手く交わしながら,いくつかは今にも通じる知恵を使って生きていたが,明治開国後近代技術の導入と河川法制定に伴う堤内外の分離の結果,以前に増して自然を上手く御して,その活動範囲を広げることに成功した.

それに伴い,都市で暮らす人々は,河川技術者の苦心を尻目にその活動範囲を急速に広め,ひとたび溢水などが起これば浸水の恐れがある氾濫原にまで,何の深謀遠慮もなくその版図を広げるようになってきた.第二次世界大戦以降急速に進んだ都市化により,かつて雨水の貯留能力を有した自然地であった土地の被覆化により,雨水の流出は早まり洪水ピーク流量の増加を招いた.更に,旧氾濫原においても,洪水による被害を考慮しない無秩序なスプロールが各地で進んだ.このような状況にあって,いわゆる現状追認主義の都市計画法による施策では,膨張する都市を御することは不可能であって,結果として,都市型水害の頻発や降水規模が小さくとも資産被害が低下しないという状況を招いた.

この事態を受けて,1977年河川審議会は,都市型洪水の対策として,流域において開発の際にも従来の貯留・浸透能力を維持することなどによりその被害を小さくせんとするために,「総合治水対策」を答申した.また1987年には,旧河川法以来の河道内処理の限界に言及し,大規模な出水に際しては堤内地への氾濫も起こりうることを念頭においた「超過洪水対策」の答申が示された.河川行政は洪水の対応に真摯に取り組み,技術的・財政的制約をも加味して,あるべき新しい治水の姿を模索し始めたとも言える.翻って都市政策においては,バブル景気による地価高騰などの影響もあって,洪水のことなぞお構い無しに開発の進行の勢いはとどまるところを知らなかった.

近年大規模な集中豪雨や台風による降雨により,2000年東海豪雨災害,2004年北陸豪雨災害,台風23号災害など,河川行政が20年ないし30年先行して懸念してきた大規模な都市型の水害が頻発した.ここに至り漸く土木計画学の分野でも,真剣に水害対策に取り組む姿勢が示され,土木学会では水工学委員会と土木計画学委員会との合同で「流域管理と地域計画の連携方策小委員会」(委員長:福岡捷二中央大学総合研究機構教授;就任当時広島大学教授)が設立され,連携の取り組みが始められつつある.

他方,2007年にはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)第4次報告が公表され,それを受けて,国土交通省河川局や社会資本整備審議会河川分科会においても,『地球温暖化に伴う気候変動が水関連災害に及ぼす影響について(中間取りまとめ)』が同年11月に公表されるなど,本格的な取り組みが進められつつある.地球温暖化に伴う気候変動,特に自然災害の激甚化が懸念される中にあって,この現実を真摯に受け止め,治水観点から見た土地利用,そしてそれを規定する都市計画法や法定都市計画の在るべき姿を再度見直す時期が来ているとも言えるであろう.

本研究は,以上の問題意識の下,わが国における近代技術導入・発展以後,都市・地域計画と河川・流域管理の間に生じた齟齬を是正すべく,その問題の本質を明らかにすることを目的に,これまでの開発と治水について,土木史的また歴史地理学的視点からの実証的研究を行うことを目指したものである.

本論は4部から構成される.

第1部は序論として,第1章で本研究の背景・問題意識を提示し目的を定め,研究の構成を示す.次いで第2章で,本研究に関する既往の研究を包括的にレビューし,本研究の位置づけを明らかにする.

第2部では,これまでの治水事業の経緯並びに都市・地域計画と河川・流域管理の連携方策の試みについて概観する.第3章では,既往の連携方策の整理を行うと共に,特に着目すべき事例の洗い出しを行う.第4章では,1977年の河川審議会答申を受けて,流域での対策との連携によって治水を行おうという試みの先鞭となった総合治水対策について,現地調査によりその実態を明らかにする.第5章では,1987年河川審議会で超過洪水対策への答申を受けて発行されることとなった洪水ハザードマップを活用し,浸水危険区域における土地利用・都市計画の状況について,マクロスコピックに分析し,その相互関係の類型化を行う.第6章では,これまでの都市・地域計画と河川・流域管理の連携方策の試みについての調査結果をまとめ,第3部以降で着目すべき点を抽出する.

第3部では,都市・地域計画と河川・流域管理の関係が特徴的である事例についてミクロスコピックに分析を行うことで,その背後にある齟齬の発生や整合化の達成の要因を明らかにする.第7章では,開発と治水の整合性について各種施策がどのように変化を生じしめたかその歴史的経緯の分析を行う.まず第5章にて異なる類型の開発形態と判定された近接する類似都市を対象に,その差異の発生要因を施策の歴史的変遷から分析した.次に,河川改修事業に伴う浸水危険区域の変化とそれに対応した土地利用のあり方を分析した.第8章では,浸水リスクの顕在性が流域の土地利用形態に及ぼす影響を分析するため,まず近年水害を受けた浸水リスクの顕在性が異なる地域を対象とした事例調査を行い,その結果を基に比較分析を行い,鍵となる要因を考察する.

第4部では,浸水危険性が高い既存市街地の移転による防災対策実施への提言に向けて,これまでに実施された移転事業の先行事例の調査を行う.第9章では,水害発生前に移転が実現した事例を,第10章では水害発生後ながら移転事業により再度災害防止を実現した事例を調査し,適用された事業スキームや事業実施への計画思想,事業実施の制約条件を明らかにする.第11章では,水害以外の災害を対象とした防災事業の中で,積極的な移転の手法の適用が可能な土砂災害の事業制度の調査を行い,その制度設計思想を明らかにする.第12章でこれらの比較分析を行い,水害対策のための移転事業制度への提言を行う.

第5部は本研究のまとめに相当し,第13章で総合的な考察を行い,第14章で結論,治水の観点から見た都市・地域計画と河川・流域管理の今後の連携方策のあり方への提言,及び今後の課題を提示する.

以上を踏まえ,本研究から得られた結論は以下の通りである.

結論1. 表象の追認に堕した法定都市計画制度が氾濫原管理に機能してこなかったこと

総合治水対策の流域管理施策の基本的な計画思想は流出抑制等の自然現象の制御という旧来の河川管理の根本的計画思想に留まっており,超過洪水対策においても,流域の土地利用のコントロールは,依然として法定都市計画に依拠しており,法定都市計画における適切な土地利用管理なくして,水害対策はなしえないことを,既往の事例調査を通じて明らかにした.さらに,法定都市計画が歴史的な治水との協力を考慮せず設定されたことにより,水害を生じた事例を通じて,法定都市計画の問題を明らかにした.

結論2. 水害対策へ取り得る施策やその対象範囲設定法が,河川管理者・都市計画決定権者間でギャップがあり,その狭間で水害が発生していること

近代における河川法の本質は,堤内地と堤外地を分離して堤外地のみで河川管理を行うものとされており,連続堤による洪水対策に見られるように,本来発生最大規模が予測困難な自然現象を相手にする際にも,事業対象区域と対策目標を事前に明示的に設定して,その範囲内「のみ」で対処する,自然現象制御推進思想が存在してきた.他方,開発行為という地点が事前に明確な事象については,各地点でのリスクが比較的容易に推定できるにもかかわらず,市場原理・財産権の侵害を口実に地先的対策も行われず,結果として人間活動制御困難思想が存在していた.これらの計画思想の狭間で水害が起こっており,これを転換し,河川管理者は,自然現象管理困難思想の下,浸水リスクの所在を明示する施策に取り組み,他方,都市計画決定権者が人間活動制御推進思想を持ち,浸水リスクを明示的に考慮した地先対策に取り組む方向へ両者が転換し,その管理範囲の輪集合の中で水害対策がなされる必要があることを示した.

結論3. 現在水害リスクが顕在的な地点については,戦後民主主義的な平等主義に拘泥せず,特定地先重点対策を実施する必要があること

既存の水害対策を旨とした移転による対策事業は,洪水対策の人為的なミスないし計画上のリスクがあった地点を対象に行われていることから,リスクがある特定への地先での重点解消策がその実施の要件であることを事例調査から明らかにした.他方で,重点施策においては,地先近傍でのステークホルダー間でのキャピタルゲインの大小が事業実施の障害となることが多いことが分かったこと,他方で公共事業実施に際しては,特定の個人への優遇策は困難であることから,適切な河川・都市施策の中で位置づけて,流域全体のゲインを生み出す事業を実施する必要があることを明らかにした.

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,わが国における近代技術導入・発展以後,都市・地域計画と河川・流域管理の間に生じた齟齬を是正すべく,その問題の本質を明らかにすることを目的に,これまでの開発と治水について,土木史的また歴史地理学的視点からの実証的研究を行うことを目指したものである.

本論文は4部から構成される.

第1部は序論として,第1章で本研究の背景・問題意識を提示し目的を定め,研究の構成を示し、次いで第2章で,本研究に関する既往の研究を包括的にレビューし,本研究の位置づけを明らかにしている.

第2部では,これまでの治水事業の経緯並びに都市・地域計画と河川・流域計画の連携方策の試みについて概観し、第3章では,既往の連携方策の整理を行うと共に,特に着目すべき事例の洗い出しを行っている.第4章では,1977年の河川審議会答申を受けて,流域での対策との連携によって治水を行おうという試みの先鞭となった総合治水対策について,現地調査によりその実態を明らかにしている.第5章では,1987年河川審議会で超過洪水対策への答申を受けて発行されることとなった洪水ハザードマップを活用し,浸水危険区域における土地利用・都市計画の状況について,マクロスコピックに分析し,その相互関係の類型化を行っている.第6章では,これまでの都市・地域計画と河川・流域計画の連携方策の試みについての調査結果をまとめている.

第3部では,都市・地域計画と河川・流域管理の関係が特徴的である事例についてミクロスコピックに分析を行うことで,その背後にある齟齬の発生や整合化の達成要因を明らかにし、第7章では,開発と治水の整合性について各種施策がどのように変化を生じしめたかその歴史的経緯の分析を行っている.第8章では,浸水リスクの顕在性が流域の土地利用形態に及ぼす影響を分析するため,まず近年水害を受けた浸水リスクの顕在性が異なる地域を対象とした事例調査を行い,その結果を基に比較分析を行い,鍵となる要因を考察している.

第4部では,浸水危険性が高い既存市街地の移転による防災対策実施への提言に向けて,これまでに実施された移転事業の先行事例の調査を行っている.第9章では,水害発生前に移転が実現した事例を,第10章では水害発生後ながら移転事業により再度災害防止を実現した事例を調査し,適用された事業スキームや事業実施への計画思想,事業実施の制約条件を明らかにしている.第11章では,水害以外の災害を対象とした防災事業の中で,積極的な移転の手法の適用が可能な土砂災害の事業制度の調査を行い,その制度設計思想を明らかにしている.第12章でこれらの比較分析を行い,水害対策のための移転事業制度への提言を行っている.

第5部は本研究のまとめに相当し,第13章で総合的な考察を行い,第14章で結論,治水の観点から見た都市・地域計画と河川・流域管理の今後の連携方策のあり方への提言,及び今後の課題を提示している.

本研究から得られた主な結論は以下の通りである.

総合治水対策の流域管理施策の基本的な計画思想は流出抑制等の自然現象の制御という旧来の河川管理の根本的計画思想に留まっており,超過洪水対策においても,流域の土地利用のコントロールは,依然として法定都市計画に依拠しており,法定都市計画における適切な土地利用管理なくして,水害対策はなしえないことを,既往の事例調査を通じて明らかにした.さらに,法定都市計画が歴史的な治水との協力を考慮せず設定されたことにより,水害を生じた事例を通じて,法定都市計画の問題を明らかにした.

近代における河川法の本質は,堤内地と堤外地を分離して堤外地のみで河川管理を行うものとされており,連続堤による洪水対策に見られるように,本来発生最大規模が予測困難な自然現象を相手にする際にも,事業対象区域と対策目標を事前に明示的に設定して,その範囲内「のみ」で対処する,自然現象制御推進思想が存在してきた.他方,開発行為という地点が事前に明確な事象については,各地点でのリスクが比較的容易に推定できるにもかかわらず,市場原理・財産権の侵害を口実に地先的対策も行われず,結果として人間活動制御困難思想が存在していた.これらの計画思想の狭間で水害が起こっており,これを転換し,河川管理者は,自然現象管理困難思想の下,浸水リスクの所在を明示する施策に取り組み,他方,都市計画決定権者が人間活動制御推進思想を持ち,浸水リスクを明示的に考慮した地先対策に取り組む方向へ両者が転換し,その管理範囲の輪集合の中で水害対策がなされる必要があることを示した.

既存の水害対策を旨とした移転による対策事業は,洪水対策の人為的なミスないし計画上のリスクがあった地点を対象に行われていることから,リスクがある特定への地先での重点解消策がその実施の要件であることを事例調査から明らかにした.他方で,重点施策においては,地先近傍でのステークホルダー間でのキャピタルゲインの大小が事業実施の障害となることが多いことが分かったこと,他方で公共事業実施に際しては,特定の個人への優遇策は困難であることから,適切な河川・都市施策の中で位置づけて,流域全体のゲインを生み出す事業を実施する必要があることを明らかにした.

以上より、本研究は河川の治水安全性からみた都市計画のあり方について極めて有益な知識と示唆を提供しており、学位論文として十分な成果をもたらしたものと考える。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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