学位論文要旨



No 123383
著者(漢字) 熊谷,亮平
著者(英字)
著者(カナ) クマガイ,リョウヘイ
標題(和) バルコニーを中心に見た都市居住空間の形成過程 : バルセロナ旧市街と拡張地区を対象に
標題(洋)
報告番号 123383
報告番号 甲23383
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6699号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松村,秀一
 東京大学 教授 岸田,省吾
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 准教授 腰原,幹雄
 東京大学 准教授 藤田,香織
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的

集合住宅におけるバルコニーは生活や避難に関する多様な用途に供する空間であり,外観の印象を決定づける要素でもある.今日ではバルコニーは地域を問わず一般的な存在であるが,建物内外部の境界に位置し,生活文化や気候風土の影響を受けやすい空間であるため各地域によって異なる様相を呈している.西欧の歴史的市街地の街並みにおいてもバルコニーで彩られた都市と一般的にバルコニーを持たない都市を比較的区別することができる.バルコニーに着目することによって各地の都市や建築文化の特徴を理解することができると考える.

街路に沿って構成されるヨーロッパの街並みにおいて,バルコニーは都市景観を構成する決定的な要素となっているが,これまでの西欧の歴史的都市を対象とした研究においてはバルコニーを包括的にまとめた研究資料は非常に少ない.

バルコニーは街区形式・住宅形式,歴史的構法・技術・材料,気候風土・生活文化,都市景観・法規という様々な都市居住空間を構成する側面と少しずつ関わっている.それゆえ,本研究はバルコニーという対象自身の変遷を明らかにすると同時に,バルコニーという対象を通して西欧の歴史的都市住宅の形成過程を多角的に明らかにすることを目的とする.

バルコニーを中心に据え,歴史的な都市・建築が立脚している各時代の住宅形式や構法技術の積み重なりを理解することを通して,現代において歴史的環境をより深く理解し,適切に介入してゆくことができると考える.

研究対象地域

バルセロナを対象地域として選択した理由は以下である.

1.都市居住空間の形成過程に関する調査に適した歴史的蓄積と重層性を持つ都市であること.

2.温暖な気候による欧州都市の中で最もバルコニーが定着している都市の1つであること.

3.19世紀後半に建設された拡張地区では同時期の他都市と比較して特徴的な形式のバルコニーを持つこと.

研究の方法

1.文献調査:バルセロナやカタルーニャ地方の都市建築に関する通史,論文中で取り上げた各時代,各地区,各建物に関する文献,古文書館・図書館における図面収集.

2.実地踏査:バルコニーの所在地,形態,構法,機能などについての把握.対象とした地区・建物の現状と対象時代との対応関係や差異についての確認.

3.図面作成と実測調査:主として第3章の内容に関して行った.基本的には公文書館所蔵図面を採集し,必要に応じて実測調査を行った.

西欧都市住居におけるバルコニー概説(第2章)

第2章では,西欧都市全体を視野に置きながら伝統的なバルコニーについて概説した.バルコニーは古代ローマ時代の集合住宅に存在していたが撤去され中世には失われた.その後ルネサンス期のフィレンツェやヴェネツィアでバルコニーが出現する萌芽が見られ,スペインのいくつかの都市において16世紀にバルコニーが都市に現れていることを把握した.

アムステルダムなどバルコニーを伝統的に持たない都市のいくつかを例示した.

都市の祝祭行事などを眺める用途など,バルコニーの機能的役割について例示し考察を行った.

邸宅ファサードの様式から見たバルコニーの出現過程(第3章)

第3章では,バルセロナを含むカタルーニャ地方の邸宅ファサードの変遷を調査することにより,14世紀から19世紀までの開口部の変化を明らかにした.防御的性格を備えたゴシック時代のアーチ形の連窓は時代を経るにつれ開口部を拡大し,矩形の窓に変化していった.16世紀には掃き出し窓が現れ,18世紀にはバルコニーは既にファサードの美的構成要素になっていた.最終的に,バルコニーは17世紀に既存の邸宅開口部に付加する形式で現れ都市の様相を変化させたことを把握した.

バルコニーの出現と変容:旧市街都市住宅の発展から(第4章)

第4章では17世紀から19世紀前半までの旧市街の形成におけるバルコニーの変遷を住宅形式,構法,法規などの面から多角的に検証した.

17世紀は1家族と工員が住まう2~3階建ての職人住宅が基本的住宅形式である.既存窓のバルコニー付き開口部への変更改修は17世紀を通じて増加し続け,都心部の様相を一変させた.建築許可記録を基にした資料から,バルコニーを設ける改修が活発に行われた地区や街路を明らかにした. 17世紀にはバルコニーは主要な部屋の開口部にのみ設けられることが多かった.

18世紀は,特定地区における偏った高密度化によって街路上に張り出した突出増築が増加し,また17世紀から増加してきたバルコニーの設置は広範に行われていた.突出増築の極度の増加によって街路空間の交通・衛生環境が悪化した結果,市は1771年に突出部の長さを規定する法律を策定した.この法律が19世紀まで街路幅に応じてバルコニーなどの突出長さを決定する基礎になった.

17~18世紀における庶民住宅のバルコニーは鍛鉄の持ち出しと薄厚のレンガの床板によって構成されていた.また18世紀末には,内部床組みに組積造の発展的構法であるカタルーニャ・ヴォールトが用いられ始めた.

19世紀前半は,城壁内部における新しい都市主要街路や広場の創出,既存の街路の拡幅と形状の修正,それまで畑地などであった地区の都市化という都市構造の変化が起こった.新しい都市公共空間の創出によって生じたファサードには整然とした都市景観を構成することが要求され,市の建築家らによって提示された統一的で均質なファサードモデルが強い拘束と影響を与えた.

バルコニーは統一的なファサードを構成する外形要素としての位置づけが与えられ,突出長さだけでなく幅や形状,材料が規制されるようになった.最終的に1856年の市条例はバルコニーなどの突出要素,建物の高さ,開口部の配列,仕上げなどを詳細に規定するに到った.19世紀に建設された住宅が旧市街において最も多いことを考慮すると,今日の旧市街の都市景観はこのような過程によって形成されたものであると理解される.

19世紀には石造のバルコニーが鍛鉄製のバルコニーにとって代わり支配的になった.基本的な石造バルコニーの構法は,石の床板を開口部脇の抱き石の下に挟みこんで持ち出す形式である.

拡張地区中庭におけるガレリアの形成(第5章)

第5章では旧市街の外側に1859年以降計画・建設が進行した拡張地区を対象に,街区中庭に面した屋内または屋外空間であるガレリアの出現過程とその特徴について,街区形態・住宅平面の変化,新しい技術・材料の影響,法規の影響を軸に論じた.

拡張地区でも旧市街と同様に閉鎖型街区を形成し,街路側と中庭側はそれぞれ表と裏の関係にあった.住戸規模が小さく光庭を内部に持たない住宅ではガレリアはサービス空間として便所やなどが配され,台所に接していた.しかし住宅水準の向上に伴って光庭が導入され,水周り空間は光庭沿いに移動し,ガレリアは機能に従事する空間から開放され,特定の機能を持たない余剰空間になっていった.そのような平面形式の変化に伴って中庭に面する居住空間の裏側としての性格が弱まった.

適切な居住衛生環境の実現を最重要課題としていた拡張地区においては,少なくとも各区画の半分を裏庭として残すことによって一定の中庭空間を確保していたが,元々の区画形状の不規則さによって中庭の形状も不規則であった.次第に都市環境を制御する対象が区画から街区全体に変化し,1891年の法律は全ての建物に画一的な深さを課し,中庭側ファサードへの配慮が始まった.それによって拡張地区の住宅は街路側と中庭側という2つのファサードを持つに到った.

街路側のバルコニーは形鋼の持ち出しとレンガによる構法が現れたが,被覆され石造と同様の形状を形成し,保守的で都市景観に奉仕するファサードが形成された.一方,中庭側ファサードでは,鋳鉄柱,鋼製梁,カタルーニャ・ヴォールトといった新しい材料と構造技術を用い,機能を率直に表した新しいファサードを形成するに到った.

審査要旨 要旨を表示する

提出された学位請求論文「バルコニーを中心に見た都市居住空間の形成過程-バルセロナ旧市街と拡張地区を対象に-」は、バルセロナを例にとり、バルコニーの成立と変遷の過程を明らかにすると同時に,バルコニーという対象を通して西欧の歴史的都市住宅の形成過程を多角的に明らかにした論文であり、全6章からなっている。

第1章では、研究の背景、目的、既往の関連研究の成果、更に研究対象地区選定の理由等を明らかにしている。具体的には、これまでの西欧の歴史的都市を対象とした研究においてはバルコニーを包括的にまとめた研究資料が非常に少ないことを指摘した上で、バルコニーが都市居住空間を構成する各種の側面と少しずつ関わっているため、バルコニーを中心に据え,歴史的な都市・建築が立脚している各時代の住宅形式や構法技術の積み重なりを理解することを通して,現代において歴史的環境をより深く理解し,適切に介入してゆくことができるという認識を述べ、バルコニーという対象自身の変遷を明らかにし、バルコニーという対象を通して西欧の歴史的都市住宅の形成過程を多角的に明らかにすることを研究の目的としている。

第2章「西欧都市住居におけるバルコニー概説」では,西欧都市全体を視野に置きながら伝統的なバルコニーについて概説している。具体的には、バルコニーは古代ローマ時代の集合住宅に存在していたが撤去され中世には失われたこと、その後ルネサンス期のフィレンツェやヴェネツィアでバルコニーが出現する萌芽が見られ、スペインのいくつかの都市において16世紀にバルコニーが都市に現れていることを明らかにすると同時に、アムステルダムなどバルコニーを伝統的に持たない都市のいくつかを例示している。また、都市の祝祭行事などを眺める用途など,バルコニーの機能的役割について例示し考察を加えている。

第3章「邸宅ファサードの様式から見たバルコニーの出現過程」では,バルセロナを含むカタルーニャ地方の邸宅ファサードの変遷を調査することにより,14世紀から19世紀までの開口部の変化を明らかにしている。具体的には、防御的性格を備えたゴシック時代のアーチ形の連窓が時代を経るにつれ開口部を拡大し,矩形の窓に変化していったこと、16世紀には掃き出し窓が現れ,18世紀にはバルコニーは既にファサードの美的構成要素になっていたこと、そして最終的に、バルコニーが17世紀に既存の邸宅開口部に付加する形式で現れ都市の様相を変化させたことを明らかにしている。

第4章「バルコニーの出現と変容:旧市街都市住宅の発展から」では17世紀から19世紀前半までの旧市街の形成におけるバルコニーの変遷を、豊富な史料調査に基づき、住宅形式,構法,法規などの面から多角的に明らかにしている。具体的には、既存窓のバルコニー付き開口部への変更改修が17世紀を通じて増加し続け,都心部の様相を一変させたこと、18世紀には、特定地区における偏った高密度化によって街路上に張り出した突出増築が増加したこと、またその極度の増加による交通・衛生環境の悪化に対応するために策定された突出部の長さを規定する法律が、19世紀までバルコニーの突出長さを決定する基礎になったこと等を明らかにしている。更に、19世紀に関しては、バルコニーに統一的なファサードを構成する外形要素としての位置づけが与えられ、突出長さだけでなく幅や形状,材料が規制されるようになったこと、そしてそれが今日の旧市街の都市景観形成に大きな影響を及ぼしていること等を明らかにしている。

第5章「拡張地区中庭におけるガレリアの形成」では、1859年以降の拡張地区を対象に、街区中庭に面した屋内または屋外空間であるガレリアの出現過程とその特徴について、街区形態・住宅平面の変化,新しい技術・材料の影響,法規の影響を軸に明らかにしている。具体的には、当初サービス空間として便所やなどが配されたガレリアが、光庭の導入に伴って特定の機能を持たない余剰空間になっていった過程を新たに指摘すると同時に、それらが鋳鉄柱,鋼製梁,カタルーニャ・ヴォールトといった新しい材料と構造技術を用いることで、新しいファサードを形成するに到ったことを指摘している。

第6章「結論」では、前5章で新たに得られた知見に基づき、明らかになったバルセロナにおけるバルコニーの変容と定着の過程、そしてそれらと都市居住空間の変化との関係を整理し、本論文の結論としている。

以上、本論文は、豊富な文献調査及び現地調査を通じて、西欧都市、殊にバルセロナのバルコニーの成立と変遷の過程を具体的かつ詳細に明らかにした論文であり、建築学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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