学位論文要旨



No 123386
著者(漢字) 松田,雄二
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,ユウジ
標題(和) ロービジョンを含んだ視覚障害者の歩行様態に関する研究
標題(洋)
報告番号 123386
報告番号 甲23386
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6702号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西出,和彦
 東京大学 教授 岸田,省吾
 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 教授 平手,小太郎
 東京大学 准教授 千葉,学
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、様々な見え方を備えた人々の構築環境内における歩行様態を明らかにし、また見え方と歩き方(環境の使い方)の関係、並びに歩行時の問題点を分析することで、多様な見え方に対応した構築環境の作り方に対する基礎的な知見を収集することを目的とする。

本研究で言う「様々な見え方を備えた人々」とは、いわゆる「視覚障害者」を指すものでは無く、より幅広い人々を指す。本研究では、視力によって事物を識別することがほとんどできない人々を「全盲」、それ以外で視覚に何らかの障害をもつ人々を「ロービジョン」、また視覚に何らかの障害を持たない人々を「一般的な見え方の人々」と呼ぶ。本研究は、この「ロービジョン」の人々を含め、幅広い見え方の人々の移動様態を調査するところに特徴がある。

本研究では様々な見え方を備えた人々の構築環境内における歩行様態を調査するが、調査対象地は大学キャンパス内、調査対象者の自宅から最寄りの公共交通機関の駅まで、並びに眼科クリニックの内部であり、日常的に使用される場所である。また、例外はあるものの、ほとんどの調査対象地は調査協力者が複数回以上利用し、充分に状況を把握している場所である。つまり、基本的な姿勢として、本研究は調査協力者が初めて訪れる場所での探索行動ではなく、調査協力者が慣れ親しんだ場所での歩行様態を観察し、それによって歩行方略や歩行経路の問題点を明らかにするものであり、これは本研究のもう一つの特徴である。

既往の研究を見ると、現在まで様々な見え方の人々の移動に関する研究は量・質ともに潤沢であると言って良い。本研究はこのような既往の知見を基礎として、さらに詳細な知見を得ようとするものである。具体的には、一つには実際の環境における当事者の歩行様態の収集がある。また、それらの歩行様態を視力・視野など、視機能との関連で見ることにより、見え方によって歩行様態がどのような傾向を持つのか、明らかにすることを試みる。既往の研究を概観すると、ロービジョン状態の人々の歩行様態に関しては、注視点までの距離や注視対象の傾向などに関して、定量的な研究はほとんど行われてきていない。本研究では、ロービジョンの人々の注視傾向を、定量的に扱うことを試みるという意味において新規性を持つ。また視覚障害者誘導用ブロック(以下「誘導ブロック」とする)に関しては、これまで様々な調査研究があるものの、未だ解明されていないことが多い。本研究では、実際の敷設作業とその評価を通じて、より詳しい誘導ブロック計画の評価を行う。加えて、様々な見え方を備えた人々の空間把握方法に関して、既往の研究には生態学的心理学に基づく仮説的な提案がある。これらの提案の妥当性について、本調査での実例から検討することも、本研究の特色である。

以下、各章の概要を示す。

第1章では研究の背景、目的、既往の研究をまとめ、研究の位置づけと特色を示した。

第2章では、全盲とロービジョンの8人の大学生を調査対象とし、それぞれが通う大学キャンパスにおける歩行様態をビデオに記録し、あわせてインタビュー調査を行った。ビデオ記録は動作と対象物別に分析し、インタビュー調査は書き起こして分析資料とした。これらの分析資料から、頻繁に使用される手がかりや空間把握の方法、誘導ブロックの使用方法などについてまとめ、またそれらの事柄と見え方との関係について議論した。結果、歩行時には段差や縁石、スロープなどが使用され、特にスロープは白杖・足の触感両方で利用されていること、また見え方が小さくなるほど触覚的エレメントや音などが、見え方が大きくなるほど視覚的エレメントが多用され、その中間では白杖による線状エレメントの利用が多いことなどが示された。また空間認知方法に関して、既往の研究より体性感覚による「原寸大の環境認知」と構造化・抽象化された「対象化された環境認知」という枠組みを援用し、キャンパス空間がその両者によって把握されていることを示した。これより、分かりやすいキャンパスには、縁石や段差、スロープなど多用される参照エレメントによる分かりやすい原寸大の環境認知と、また対象化されやすい環境の配列が重要であると思われることを示した。また誘導ブロックについては、白杖と足の触感の両者で利用され、分岐を示すブロックの要望が多いことが示された。

第3章では、12人の中途で失明した人々を調査対象とし、歩き慣れた経路の観察調査とインタビュー調査によって歩行様態を明らかにすることを試みた。調査協力者は歩き慣れた経路を単独で歩行することを求められ、その歩行様態はビデオに記録された。また歩行後に2時間ほどのインタビュー調査を行った。これらの記録は前章と同様の方法で分析された。結果、多くの調査協力者は線状の手がかりを伝いながら歩くが、一部の歩行に熟達した調査協力者は何も伝わずに歩くことや、誘導ブロック、縁石、段差など、線状の手がかりは多くの調査協力者に共通して使用される一方で、杖の反響音や傾斜は使用しない調査協力者もいることなどが明らかになった。また、重要な手がかりに音があり、自動車の走行音や人の足音など、様々な方法で有効に活用されていることが示された。手がかりの使われ方からは、歩行時に車道では縁石が、歩道では誘導ブロックや様々な手がかりが使われていることが示された。歩行時の問題としては、伝い歩きをする場合、民地への入り込みや障害物を回避したための行き過ぎが生じ、何も伝わずに歩く場合、曲がり角の見落としや道路への飛び出しの危険があることが判明した。また、横断歩道には全ての調査協力者が何らかの問題を感じていることも明らかになった。誘導ブロックについては、白杖によって利用される傾向が高いことが判明し、問題点として白杖での認識の難しさ、経路上の障害物、経路構成の不合理さなどが挙げられた。

第4章では、歩行時におけるロービジョン者の視覚情報の利用実態を明らかにすることを目的とした。そのため、8名のロービジョンの人々と8名の一般的な見え方の人々を調査対象とし、それぞれがアイマークレコーダを装着して、眼科クリニック内部を歩行した。これより得られたデータを分析し、注視点までの距離や注視点の高さ、注視対象物などの傾向を比較・分析した。結果として、視力・視野が小さくなると、注視対象までの距離が小さくなり、また視野が小さくなると距離に加え視対象までの角度が大きくなる、つまり足下を見て歩行するようになることが判明した。また、ロービジョンの調査協力者は注視回数にして3割程度床面を見ながら歩行していることが明らかになった。一方で、ロービジョンの調査協力者も一般的な調査協力者も、3割強の割合で壁面を見ながら歩行していることも判明した。また、ロービジョンの調査協力者は、一般的な見え方の調査協力者に比べ家具を見る割合が少なく、かつ視野が狭くなるとサインを、視力が小さくなるとその他の要素を見る割合が小さくなることが示された。

第5章では、大学キャンパスにおける誘導ブロック配置計画の作成に関する基礎的な知見を得ることを目的として、2つの大学キャンパス(A,Bキャンパス)において3つの調査を行った。行った調査は、1)一人の全盲の学生が進学に伴いAキャンパスからBキャンパスに移行する前後の、誘導ブロックの使い方に関する調査、2)Aキャンパスにおける障害当事者の参加により決定した誘導ブロックの敷設方法の、一人の全盲の障害当事者による評価に関する調査、3)Bキャンパスにおいて、障害当事者の参加により決定した誘導ブロックの敷設方法の、8人のロービジョンと全盲の障害当事者による評価に関する調査である。結果として、配置計画作成においては、障害当事者による現場での検討が非常に有効であることや、誘導ブロックは直線的に、かつ直角を基本として計画することが望ましいことを示した。また誘導ブロック自体について、周囲の舗装材と際だつ触感を持つことが望ましいことや、周囲の舗装材との関係で視覚的に際だち発見しやすいことが望ましいことを示した。

第6章では、以上の結果より見え方と歩き方、並びに空間把握の方法について議論し、また使いやすい誘導ブロックと歩きやすい街路について議論した。見え方と歩き方並びに空間把握の関係についての議論は、以下のようにまとめることができる。視力・視野が小さくなると、細かな手がかりを使うことが難しくなり、加えて視野が小さくなると、線状の手がかりを視覚でたどりながら歩くようになる。さらに視野・視力が小さくなると、白杖と足の触覚によって線状の手がかりを伝う歩き方になる。すると音が意識して使用されるようになり、全く見えなくなると音は極めて重要な手がかりとなる。これは空間把握の方法と密接に関わっている。なぜなら、視野・視力ともに充分に大きい人の場合、視覚的に「原寸大の環境認知」を行うことができるが、視野・視力が小さくなるにつれ、この視覚的な「原寸大の環境認知」の幅が狭くなり、受け取ることのできる体性感覚流動と環境流動が少なくなる。さらに、視野が狭くなると、周辺視野による環境流動を捉えられなくなることによりこの傾向は加速する。すると、環境流動を確保するため、様々な要素を利用し始めるが、その最も効果的なものが音である。誘導ブロックについては、これまでの結果より、視覚・触覚的識別性が高いことと、利用者の意見を聞いた整備が重要であることを議論した。歩きやすい街路については、線状の要素のわかりやすい配置と、音情報の利用が重要であることを議論した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、様々な見え方を備えた人々の構築環境内における歩行様態を明らかにし、見え方と歩き方(環境の使い方)の関係、並びに歩行時の問題点を分析することで、多様な見え方に対応した構築環境の作り方に対する基礎的な知見を収集することを目的としたものである。

本論文では、「全盲」以外で視覚に何らかの障害をもつ人々を「ロービジョン」と呼び、「ロービジョン」の人々を含め、幅広い見え方の人々を対象としている。

本論文では、ロービジョンの人々の注視傾向を、定量的に扱うことを試み、また視覚障害者誘導用ブロック(以下「誘導ブロック」)に関しては、実際の敷設作業とその評価を通じて、より詳しい誘導ブロック計画の評価を行っている。

本論文は、序、1-5章、結語および付録からなっている。

第1章では研究の背景、目的、既往研究をまとめ、研究の位置づけと特色を示した。

第2章では、全盲とロービジョンの8人の大学生を対象とし、大学キャンパスにおける歩行様態を記録し、インタビュー調査を行った。これらの分析から、頻繁に使用される手がかりや空間把握の方法、誘導ブロックの使用方法、またそれらと見え方との関係について議論した。また空間認知方法に関して、既往の研究より体性感覚による「原寸大の環境認知」と構造化・抽象化された「対象化された環境認知」という枠組みを援用し、キャンパス空間がその両者によって把握されていることを示し、分かりやすいキャンパスには、縁石や段差、スロープなど多用される参照エレメントによる分かりやすい原寸大の環境認知と、また対象化されやすい環境の配列が重要であることを示した。また誘導ブロックについては、白杖と足の触感の両者で利用され、分岐を示すブロックの要望が多いことを示した。

第3章では、12人の中途で失明した人々を調査対象とし、歩き慣れた経路の観察調査とインタビュー調査によって歩行様態を明らかにすることを試みた。誘導ブロック、縁石、段差など、線状の手がかりは多くの調査協力者に共通して使用される一方で、杖の反響音や傾斜は使用しない調査協力者もいることなどを明らかにした。また、重要な手がかりに音があり、自動車の走行音や人の足音など、様々な方法で有効に活用されていることを示した。誘導ブロックは白杖によって利用される傾向が高いことが判明し、白杖での認識の難しさ、経路上の障害物、経路構成の不合理さなどを問題点として挙げた。

第4章では、歩行時におけるロービジョン者の視覚情報の利用実態を明らかにすることを目的として、8人のロービジョンの人々と8名の一般的な見え方の人々を調査対象とし、それぞれがアイマークレコーダを装着して、眼科クリニック内部を歩行した。注視点までの距離や注視点の高さ、注視対象物などの傾向を比較・分析し、結果として、視力・視野が小さくなると、注視対象までの距離が小さくなり、また視野が小さくなると距離に加え視対象までの角度が大きくなることを明らかにした。また、ロービジョンの調査協力者は注視回数にして3割程度床面を見ながら歩行していること、家具を見る割合が少なく、かつ視野が狭くなるとサインを、視力が小さくなるとその他の要素を見る割合が小さくなることを明らかにした。

第5章では、大学キャンパスにおける誘導ブロック配置計画の作成に関する基礎的な知見を得ることを目的として、2つの大学キャンパスにおいて、誘導ブロックの使い方に関する調査、障害当事者の参加により決定した誘導ブロックの敷設方法の、一人の全盲の障害当事者による評価、8人のロービジョンと全盲の障害当事者による評価に関する調査を行った。結果として、配置計画作成においては、障害当事者による現場での検討が非常に有効であることや、誘導ブロックは直線的に、かつ直角を基本として計画することが望ましいことを示した。また誘導ブロック自体は周囲の舗装材と際だつ触感を持つこと、視覚的に際だち発見しやすいことが望ましいことを示した。

第6章では、以上の結果より見え方と歩き方、並びに空間把握の方法、また使いやすい誘導ブロックと歩きやすい街路について議論した。見え方と歩き方並びに空間把握の関係についての議論は。視力・視野が小さくなると、細かな手がかりを使うことが難しくなり、加えて視野が小さくなると、線状の手がかりを視覚でたどりながら歩くようになる。さらに視野・視力が小さくなると、白杖と足の触覚によって線状の手がかりを伝う歩き方になる。すると音が意識して使用されるようになり、全く見えなくなると音は極めて重要な手がかりとなる。これは空間把握の方法と密接に関わっている。視野・視力が小さくなるにつれ、視覚的な「原寸大の環境認知」の幅が狭くなり、受け取ることのできる体性感覚流動と環境流動が少なくなる。さらに、視野が狭くなると、環境流動を確保するため、様々な要素を利用し始めるが、その最も効果的なものが音である。誘導ブロックについては、視覚・触覚的識別性が高いことと、利用者の意見を聞いた整備が重要であることを議論した。歩きやすい街路については、線状の要素のわかりやすい配置と、音情報の利用が重要であることを議論した。

以上のように本論文は、ロービジョンを含んだ様々な見え方を備えた人々の構築環境内における実際の歩行様態を観察、およびアイマークレコーダを用いた定量的実験・分析により明らかにし、見え方と歩き方・環境の使い方の関係を明らかにした。

本論文では、全盲だけでなくロービジョンも含め、幅広い見え方の人々を対象とし、多様な見え方に対応した構築環境の作り方に対する基礎的な知見を収集することができた。またそれによる誘導ブロックの敷設について実態に基づく指針を得ることができた。多様な人々の多様な認知行動特性に対応した建築計画の方向を提示するものであり、建築計画学の発展に大いなる寄与を行うものである。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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