学位論文要旨



No 123389
著者(漢字) 陳,景敦
著者(英字)
著者(カナ) ジン,キョンドン
標題(和) 韓国近代建築における折衷型建築の展開と設計理念についての研究
標題(洋)
報告番号 123389
報告番号 甲23389
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6705号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 准教授 村松,伸
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、初期韓国近代建築の形成過程(開港期~植民地期)において西欧及び日本による様式主義建築の展開を含んで朝鮮伝統建築の変化様相を建築様式の視座から把握することを主要な目的としている。具体的な研究方法では、初期韓国近代建築を形成する建築物を各主体別に分けて考察し、それらに現れる共通する意匠的特性が折衷型という点に注目し、それぞれの特性についてそれを作り上げた各主体の建築理念を通じて明らかにした。本論文の各部・各章で扱った内容をまとめると次の通りである。

本論文の第1部(第1章・第2章)では、欧米外国人による建築活動について首都漢城の貞洞一帯を中心にした公館及び住宅、そして1900年のパリ万国博覧会での「韓国館」の建設経緯を通じて考察した。

1章では、開港期の租界地及び居留地における洋式建築の移入と折衷型韓屋建築の展開について考察し、特にミュレンドルフの住宅の変化を含めてアメリカ公使館、ドイツ公使館、フランス公使館、イギリス公使館、ロシア公使館などでの韓屋型建築と様式主義建築の展開について考察した。

2章では、1900年パリ万博の「韓国館」と朝鮮でのフランスの建築活動について調べ、「韓国館」の建築経緯と折衷型韓屋展示館の植民地主義的特性について考察した。当時フランスの建築活動は、本国と上海の行政組織、そしてフランス公使館による複合的な構図下で行われ、パリ万博の韓国館を作り出した裏には朝鮮伝統建築に関するフランス側の植民地主義理念が反映されていたことを明らかにした。

本論文の第2部(第3章・第4章)では、朝鮮人建築主体による建築活動について国王高宗及び親米開化派政府によって行われた首都漢城近代化事業と独立門の建築過程を通じて考察した。

3章では、首都漢城近代化事業を主導した朴定陽の都市・建築理念を中心に考察した。彼の治道論の特徴は、急進的な改革よりは漸進的な改革を選んだという点と、高宗を中心に改革を推進したという点、そして勤王的視角で首都改造事業を進行したという点であり、米国のワシントン市をモデルとして朝鮮の事情を参酌した旧本新参の理念に基づいて進行したことが分かった。

4章では、徐載弼による独立門の建設事業について考察した。独立門は、徐載弼の基本計画とロシア技師のサバチンの設計、そして内部技師の沈宜碩の施工で完成され、高宗と親米開化派の旧本新参の理念が反映されたことがわかった。また独立門の形式はフランスの凱旋門を模倣したが、施工とディテールなどは朝鮮の伝統意匠要素が使われた韓洋折衷式であり、朝鮮の伝統と勤王的イメージを表現しようとした意図が強く表れたことを明らかにした。

本論文の第3部(第5章・第6章・第7章・第8章)では、植民地期の日本による建築活動について総督府官立建築(第5章)、官舎及び住宅(第6章)、鉄道駅舎建築(第7章)、そして博覧会展示館建築(第8章)の展開過程と様式的特性を中心に考察した。

5章では植民地期に前後して総督府建築組織によって行われた官立建築の流れを概観し、これを通じて日本による様式主義建築の流れを把握した。

6章では、日式官舎の展開過程に現れた「和洋鮮折衷建築」の主な特性と住宅改良事業における「和洋鮮折衷様式」・「朝鮮風」住宅の主要な特性について考察した。日式住宅の改良理念の流れと特徴を様式的視座から調べてみた結果、日本の近代建築と朝鮮の伝統建築が折衷された「和洋鮮折衷」という新たな住宅型が現れていたことがわかった。一方、朝鮮式住宅の改良理念の流れと特性を様式的側面で調べた結果、朝鮮式住宅の改良でも日式住宅と朝鮮式住宅が折衷された「和洋鮮折衷型」という住居様式が現れることで、当時朝鮮風住宅は日本によって作られた植民地期の独特の住宅建築型であり、朝鮮の気候風土に適応するとともに植民地民衆のための新たな住居様式として作られたものであったことがわかった。

7章では、鉄道駅舎建築に現れた朝鮮風駅舎建築について考察した。朝鮮風駅舎建築の登場は、総督府の植民地文化政策に即した観光政策によって鉄道運営の商業的側面が強く反映された結果だったことが分かり、建物の性格が総督府の植民地政策に合致していたことを確認した。駅舎において「朝鮮風」建築は、日本によって作られた鉄道建築の文化的かつ商業的な性格を持ち、総督府の文化観光政策と結合して商業的な用途の建築型で創案されていたことを明らかにした。

8章では、総督府によって開かれた代表的な博覧会建築について考察した。そのうち、1915年の朝鮮物産共進会の会場配置に現れた「韓洋並存型」配置には、朝鮮統治の権力主体の交替を表徴しようとした総督府の意図が明確に現れ、朝鮮伝統の後進性を著しく表し、新しい総督府統治の先進性を強調するための政治的意図が強く現われていたこととともに、朝鮮の伝統に関する好奇心とそれを商業的用途で活用しようとした意図を確認することができた。

一方、1929年の朝鮮博覧会では、展示会場の中心軸を成す主な展示館が「朝鮮様式」というテーマで設計され、当時総督府に勤めていた朝鮮人建築家の朴吉龍が直接設計に関わっていたことがわかった。また、「朝鮮様式」は文字とおり朝鮮の伝統建築様式を意味しているのではなく、その以前の高麗や新羅までにさかのぼる「朝鮮半島の昔の建築様式」を指していたことで、「朝鮮様式」が時代的概念の建築型を意味するのではなく朝鮮という地域での昔の国々の様式までも含んでいたことを明らかにした。

本論文の第4部(第9章・第10章)では、植民地期に活動した韓国人建築家について朴吉龍と朴東鎮を通じて考察した。

9章では、建築家朴吉龍の朝鮮伝統建築の認識と折衷型建築理念の主な特性について考察した。朴吉龍の朝鮮伝統住宅に関する認識は、機能的かつ合理的な側面に置かれており、朝鮮伝統建築が持った価値を植民地朝鮮の政治的かつ経済的状況に合わせて啓発しようとしていたことが分かり、その過程で自然に現れたのが韓洋折衷様式と和洋鮮折衷の理念であることを明らかにした。

10章では、植民地期に活動した朴東鎮の朝鮮伝統建築の認識と折衷型建築理念の主要な特性について考察した。朴東鎮の朝鮮式住宅改良理念の特徴は、西洋に盲目的に従うのではなく朝鮮の伝統を継承する枠組みの中で朝鮮伝統建築の要素を装飾的、技巧的、技術的に活用することとして韓洋折衷型の改良理念を表していたことがわかった。また、朴東鎮の実際の作品に現れたゴシック式の石造建築でも彼の住宅改良論のように韓洋折衷型の理念が同様に表れ、朴東鎮のゴシック式の選択は、ゴシック式の石造建築に朝鮮の伝統建築技術や文様などを使って伝統的な石積み方式を通じて民族主義的精神を表現したことを確認することができた。

本研究の第5部(第11章・第12章・第13章)では、開港期~植民地期に活動した欧米宣教師によるミッション建築の展開についてフランスのパリ外邦伝教会、イギリス聖公会、そしてアメリカの改新教(長老会・監理会)の建築活動を通じて考察した。

11章では、フランス・カトリック聖堂建築に現れた韓屋型聖堂と韓洋折衷型聖堂の特徴について考察した。カトリックの韓屋型聖堂は、フランスの様式主義聖堂の代替物として次第に様式主義聖堂を志向する過程を見せており、韓屋型聖堂から様式主義聖堂を志向する過程で韓洋折衷型聖堂を作り出していたことを確認することができた。またカトリックの韓洋折衷様式には、各宣教団体の互いに異なった宣教理念によって異質的な韓洋折衷型聖堂が現れていたことがわかった。

12章では、イギリス聖公会聖堂建築に現れた韓屋型及び韓洋折衷型建築について考察した。 聖公会韓屋型聖堂は、バシリカ式の機能を収容し、設計者の意図を含んで当時施工に参与した朝鮮の棟梁たちの洋式建築に対する理解が反映されたことを明らかにした。また、聖公会ソウル大聖堂のロマネスク様式は、トロールロープ主教による朝鮮への土着化宣教理念が大きな影響を及ぼし、自国の建築様式の中で朝鮮風に最も近い様式としてロマネスク様式が選択されたことを確認することができた。

13章では、アメリカ改新教のミッション建築を中心に考察した。アメリカ長老派のミッション建築の展開と折衷型建築の主要な特性については、教会、宣教師住宅、教育・医療施設を中心に考察し、これらの建築類型が時期によって韓屋型から韓洋折衷型、そして洋式建築に進行する姿を確認することができた。特に、長老派ミッション建築の展開には、ネビウス宣教理念による土着化方針がミッション建築の形成に大きな影響を及ぼしたことを確認した。

一方、アメリカ監理派のミッション建築の展開と折衷型建築の主な特性については、当時日本で活動したヴォーリズの建築活動を中心に考察した。当時監理派は、ほとんどアメリカの様式主義建築を模倣していたが、1930年代後半に朝鮮の伝統建築を意識した韓洋折衷型建築が現れ、これにはヴォーリズ設計事務所に勤めていた朝鮮人姜〓が重要な役割を果たしたことが確認できた。彼の作品に現れた韓洋折衷様式には、朝鮮伝統と民族主義精神を表現するための意図が強く現れており、彼が持っていた設計理念は、建築様式よりは民族主義精神が優先されたことを確認することができた。

終章の結論では、上記の諸建築主体の折衷型建築に現れた多様な様式的概念及び設計理念についてまとめ、「折衷型建築」・「韓屋型建築」・「韓洋折衷型建築」・「和洋鮮折衷建築」・「朝鮮風建築」・「朝鮮様式建築」 など各主体の固有の設計理念によって作られたそれぞれ異なった建築型の様式的概念と意味を整理した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、初期韓国近代建築の形成過程(開港期~植民地期)において西欧及び日本による様式主義建築の展開を含んで朝鮮伝統建築の変化様相を建築様式の視座から把握することを主要な目的としている。

第1部(第1章・第2章)では、欧米外国人による建築活動について首都漢城の貞洞一帯を中心にした公館及び住宅、そして1900年のパリ万国博覧会における「韓国館」の建築経緯が考察された。当時フランスの建築活動は、本国と上海の行政組織、そしてフランス公使館による複合的な構図下で行われ、パリ万博の韓国館を作り出した裏には朝鮮伝統建築に関するフランス側の植民地主義理念が反映されていたことが明らかにされた。

第2部(第3章・第4章)では、朝鮮人建築主体による建築活動について、国王高宗及び親米開化派政府によって行われた首都漢城近代化事業と独立門の建築過程が考察された。

第3部(第5章・第6章・第7章・第8章)では、植民地期の日本による建築活動について総督府官立建築(第5章)、官舎及び住宅(第6章)、鉄道駅舎建築(第7章)、そして博覧会展示館建築(第8章)の展開過程と様式的特性を中心に考察された。具体的には、5章では植民地期に前後して総督府建築組織によって行われた官立建築の流れ、6章では、日式官舎の展開過程に現れた「和洋鮮折衷建築」の主な特性と住宅改良事業における「和洋鮮折衷式」・「朝鮮風」住宅の主要な特性、7章では、鉄道建築に現れた朝鮮風駅舎建築について、8章では、総督府によって開かれた代表的な博覧会建築について、1915年の朝鮮物産共進会の会場配置に現れた「韓洋並存式」配置、1929年の朝鮮博覧会で展示会場の中心軸を成した展示館における「朝鮮様式」が考察される。

第4部(第9章・第10章)では、植民地期に活動した韓国人建築家について朴吉龍と朴東鎮を通じて考察される。朴吉龍の朝鮮伝統住宅に関する認識は、機能的かつ合理的な側面に置かれており、朝鮮伝統建築が持った価値を植民地朝鮮の政治的かつ経済的状況に合わせて啓発しようとしていた。朴東鎮の朝鮮式住宅改良理念の特徴は、西洋に盲目的に従うのではなく朝鮮の伝統を継承する枠組みの中で朝鮮伝統建築の要素を装飾的、技巧的、技術的に活用して、韓洋折衷式の改良理念を表現することであった。

第5部(第11章・第12章・第13章)では、開港期~植民地期に活動した欧米宣教師によるミッション建築の展開について、フランスのパリ外邦伝教会、イギリス聖公会、そしてアメリカのプロテスタント(長老会・監理会)の建築活動を通じて考察された。

終章の結論では、上記の諸建築主体の折衷式建築に現れた多様な様式的概念及び設計理念についてまとめ、「折衷式建築」・「韓屋型建築」・「韓洋折衷建築」・「和洋鮮折衷建築」・「朝鮮風建築」・「朝鮮様式建築」など各主体の固有の設計理念によって造られたそれぞれ異なった建築型の様式的概念と意味を整理している。これはきわめて包括的な研究であり、こうした作業によって韓国近代建築の展開が総合的に位置づけられたのである。こうした論考は、韓国建築史研究に対する大きな貢献と考えられる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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