学位論文要旨



No 123394
著者(漢字) 鄭,穎
著者(英字)
著者(カナ) テイ,エイ
標題(和) 生活領域の多層性に関する研究
標題(洋)
報告番号 123394
報告番号 甲23394
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6710号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西出,和彦
 東京大学 教授 難波,和彦
 教授藤井,明 教授 藤井,明
 東京大学 教授 岸田,省吾
 東京大学 講師 今井,公太郎
内容要旨 要旨を表示する

近年の都市住居において、地域離れが進み、地域共同体意識は次第に薄れていく傾向にある。住まいが戸外空間に対立するようになっている。本稿は、この問題に対して、日中低層高密度住宅地を対象とし、生活領域の構造を解明しようとするものである。

本論における生活領域とは、日常生活と関わる住まいの周囲に広がる空間が研究対象であり、従って、「居住者の生活が行われることによって、戸外空間を自分たちのものという意識をもつ空間領域である」と定義する。

中間領域と呼ばれる住まいと都市空間の間にある空間領域は、居住者にとって、他の都市空間と異なる意味をもつものである。本稿は、居住者の戸外空間の利用、戸外行為、近所付き合い、また近所に対する認識など、日常生活に関わる多くの角度から生活領域の各面を考察する上で、今後「地域に住む」住宅像のあり方について示唆することを目的とする。

序論では、近年の社会背景と住宅に起きた変化により両極化しつつある生活領域の現状と考えられる原因について述べる。また、関連する既往研究として、なわばり心理に代表される心理学のテリトリー研究と住宅団地計画を主要目的とした建築学の生活領域研究を概観した上に、本研究の特色を述べる。

第2章は、研究対象とする調査地区と調査概要について述べる。調査対象は北京の新・旧四合院住宅と東京の谷中地区の2つである。

「第3章 専有化領域―住戸まわり空間」では、「セミプライベート空間」ともいわれ、住宅と接する家族生活の住戸まわり空間領域を考察する。この空間では私的専有、占用行為が展開されやすく、多くの場合は、ほぼ完全な私的領域が形成される。考察は北京四合院の調査結果を中心とし、谷中地区の調査とともに、こういった私的領域の発生、原因、形成された領域の性格、それにその領域と共用領域形成との関係を明らかにした。

北京新・旧四合院の中庭空間、共同廊下などでの増築やあふれ出し、谷中地区の戸外植木鉢のあふれ出し調査により、増築やあふれ出しとしての戸外空間専有行為が一般的に発生することが明らかになった。なお、その行為がそれまで原因と考えられてきた居住面積不足と関係が見られないばかりか、既存居住面積が大きければ大きいほど、戸外空間の余裕面積が大きければ大きいほど空間専有行為が活発になることが明らかになった。モノの種類を見ると、日常生活用品が多い。住戸内の私的生活領域を戸外に拡大する空間専有行為がモノにより住宅のテリトリーをつくる行為であり、人間の心理的な本能たる行為とみてよい。

一方、住戸まわり空間、とくに玄関まわり空間を中心に私的生活行為が行われる。あふれ出しの多い住戸は戸外生活行為も活発であり、行為領域が広い。また、各住戸の滞在行為領域が重なり合わず、各自に干渉し合わないように私的領域をつくっていることがわかった。なお滞在領域があふれ出し領域とお互いに合間を縫うかたちで住宅の玄関まわり空間を囲む。

モノによる空間の専有行為と滞在行為による占用行為が玄関まわり空間を中心となる住戸まわり空間で私的専有化領域を形成させる。それにより、他人が侵入しにくい領域、テリトリーを作り上げ、安心感と帰属感が得られる。と同時に、専有化領域が住戸内空間を共的、公的都市空間とつなげる役割を果たす重要な空間であり、この領域の存在により住宅が初めて都市空間に開くことが可能となる。さらに、モノによる空間専有が玄関まわり空間での戸外行為を誘発し、そしてそういった玄関まわり空間での行為が活発になるにつれて戸外行為がさらなる共的、あるいは公的空間へ広がり、共用領域の形成が可能となることが明らかになった。

谷中の戸外行為の考察から、外出行為が多ければ近所の人に会う頻度が高くなり、近所付き合いを促進する効果があることが明らかになった。

「第4章 近所領域」では、住戸まわり空間の外周にあり、「セミパブリック空間」ともいわれる近隣生活空間について考察する。この空間は居住者にとって心理的に私的性格をもつ。この章は、外出時に住宅裏口の使用による「ウラの領域」、普段着の行動範囲による「普段着の領域」、近所顔見知りからなる「顔見知りの領域」と近所と認知される「近所認知領域」のそれぞれの領域を究明し、そのうえ、具体例を通じてこれらの領域を重ね合わせ、「近所領域」の階層、空間性格を解明する。この章は谷中地区の事例のみに対して考察を行う。

裏口のある住宅に物理的な「オモテ」と「ウラ」の秩序が明確に分かれているものの、実際は現在の日常生活では、裏口を全く使っていない、あるいは限られた場面のみに使用する住戸が多い。住宅敷地の細分化、生活様式の変化など様々な原因により、住宅の裏口からの日常生活範囲による「ウラの領域」が現在ではオモテ化されている事実が浮かび上がる。ほとんどの住戸にとっての「ウラの領域」が向こう三軒両隣や路地範囲までであるが、一方積極的な使われ方が同時に見られ、裏口の必要性が高いことも明らかになった。

「普段着の領域」が徒歩、自転車交通圏、または生活圏とほぼ一致することが調査地区の一般的な傾向として見受けられが、少数ながら普段着領域の小さい居住者も同時に見られる。普段着の領域が日常生活のよく利用する場所から形成され、かつ地域の他の居住者との日常的な関わりの多少に影響される。また、多くの住戸では、普段着の領域のなかにサンダルをはじめとする部屋着で行動する領域がさらに含まれることが確認できた。本論では「サンダルの領域」と定義する。サンダルの領域が住まいの近くまでとなり、かつ日常生活にもっとも頻繁に利用する「近所の店」を主とする生活施設からなる。つまり、住まいの近くの日常生活施設の充実がサンダル領域の形成につながる。公的都市空間でありながら居住者にとって心理的には私的に思われる領域が普段着の領域といえ、調査地区の居住者の広い普段着の領域が住まい地域に対する強い帰属感や安心感のある証である。

近所付き合いの「顔見知り領域」が近所付き合い状況の現れであ。居住者一人当たりの顔見知りの平均戸数は30戸ほどである。顔見知りの分布が戸数によって異なる。向こう三軒両隣や路地に高密度に分布すること、玄関に面する道路沿いに分布すること、表から表への広がり方をもつこと、町会域に大きく影響されることが全住戸に共通される。きっかけが多ければ顔見知りも多くなることが明らかになった。また、顔見知りの形成は住まい同士の位置関係と関係し、玄関が同じ道に面すると顔見知りになる確率が高い。調査地区では、居住単位となる路地や街区のスケールが顔見知りとなれるほどよいスケールであることが確認できた。

「認識領域」について、ほとんどの居住者にとって、近所だと思われる範囲は日常生活でとくに頻繁に利用する範囲であることが明らかになった。顔見知りのいる町会側ではなく、日常の買い物などでよく利用する反対側を近所と認知する例はその代表である。住まいの周辺の生活施設の充実が近所認識領域に繋がることが明らかになった。

近所領域がこういった「ウラの領域」、「普段着の領域」、「顔見知りの領域」と「認知領域」の多層構造をなし、且つ「普段着の領域」と「顔見知りの領域」は明確な重層構造となる。全住戸は住宅周囲の居住単位、道路、町会などの環境に影響されながら、それぞれの日常生活行為によって近所領域を形成する。これらの領域は相互に影響しながら独立する。住まいの周囲や地域への日常外出行為が非常に活発な住戸は、全ての領域において広い。その反対となる住戸は、普段着の領域が路地までと小さく、顔見知り範囲も路地に限られる。認識される近所領域は巨大化する傾向がある。それは近所と一般的な公的都市空間との区別が薄いためと考えられる。

第5章では、以上の考察をまとめ、今後の都市高密度住宅のあり方について示唆した。

住まいと都市空間の間にある中間領域は、専有化領域と近所領域からなり、さらに近所領域がウラの領域、普段着の領域、顔見知りの領域と認知領域からなる。これらの領域は全て日常生活と関連するが、それぞれは独立し、異なる性格と意味をもち、多層構造で生活領域を形成することを明らかにした。

また、生活領域にいかに居住者と地域との繋がりが反映され、日常生活の状況はいかに生活領域の各面に影響を及ぼすかについて明らかになった。

まちの構造、尺度、近所の日常施設の充実、町会など近隣交流を促進する様々なきっかけによって、このような多層性のもつ生活領域が生まれる。この豊かな生活領域の様相が居住者の住む地域に対する帰属感と安心感のあらわれと、「地域に住む」住まいの象徴といえよう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本・中国の高密度住宅地を対象とした調査により、生活領域の構造を解明しようとするものである。ここで生活領域とは、日常生活と関わる住まいの周囲に広がる空間であり、「居住者の生活が行われることによって、戸外空間を自分たちのものという意識をもつ空間領域」と定義される。

本論文は、居住者の戸外空間の利用、戸外行為、近所付き合い、また近所に対する認識など、日常生活に関わる多くの角度から生活領域の各面を考察し、「地域に住む」住宅像のあり方について示唆を得ることを目的とする。近年、地域共同体意識は次第に薄れていく傾向にあることが背景となっている。

本論文は、5章からなっている。

序論では、関連する既往研究として、心理学のテリトリー研究と建築学の生活領域研究を概観した上、本研究の特色を述べた。

第2章では、研究対象とする調査地区である北京の新・旧四合院住宅と東京の谷中地区と調査概要について述べた。

第3章「専有化領域-住戸まわり空間」では、「セミプライベート空間」ともいわれ、住宅と接する住戸まわり空間領域を考察した。この空間では私的専有、占用行為が展開され、私的領域が形成され、その発生、原因、形成された領域の性格、その領域と共用領域形成との関係を明らかにした。

モノによる空間の専有行為と滞在行為による占用行為が玄関まわり空間を中心となる住戸まわり空間で私的専有化領域を形成させる。それにより、他人が侵入しにくい領域、テリトリーを作り上げ、安心感と帰属感が得られ、専有化領域が住戸内空間を共的、公的都市空間とつなげる役割を果たす重要な空間であることが明らかになった。

第4章「近所領域」では、「セミパブリック空間」ともいわれる近隣生活空間について考察した。外出時に住宅裏口の使用による「ウラの領域」、普段着の行動範囲による「普段着の領域」、近所顔見知りからなる「顔見知りの領域」と近所と認知される「近所認知領域」のそれぞれの領域を究明し、具体例を通じてこれらの領域を重ね合わせ、「近所領域」の階層、空間性格を解明した。

ほとんどの住戸にとっての「ウラの領域」が向こう三軒両隣や路地範囲までであるが、一方積極的な使われ方も見られ、裏口の必要性が高いことを明らかにした。

「普段着の領域」は徒歩、自転車交通圏、または生活圏とほぼ一致し、日常生活のよく利用する場所から形成され、かつ地域の他の居住者との日常的な関わりの多少に影響されることを示した。公的都市空間でありながら居住者にとって心理的には私的領域が普段着の領域といえ、調査地区の居住者の広い普段着の領域が住まい地域に対する強い帰属感や安心感のある証であるとした。

「顔見知り領域」は近所付き合い状況の現れであり、向こう三軒両隣や路地に高密度に分布すること、玄関に面する道路沿いに分布すること、表から表への広がり方をもつこと、町会域に大きく影響されることが全住戸に共通である。きっかけが多ければ顔見知りも多くなり、顔見知りの形成は住まい同士の位置関係と関係し、玄関が同じ道に面すると顔見知りになる確率が高い。調査地区では、居住単位となる路地や街区のスケールが顔見知りとなれるほどよいスケールであるとした。

「認識領域」は、ほとんどの居住者にとって、近所だと思われる範囲は日常生活でとくに頻繁に利用する範囲であることを明らかにした。顔見知りのいる町会側ではなく、日常の買い物などでよく利用する反対側を近所と認知する例に示される。

近所領域がこういった「ウラの領域」、「普段着の領域」、「顔見知りの領域」と「認知領域」の多層構造をなし、且つ「普段着の領域」と「顔見知りの領域」は明確な重層構造となる。全住戸は住宅周囲の居住単位、道路、町会などの環境に影響されながら、それぞれの日常生活行為によって近所領域を形成する。これらの領域は相互に影響しながら独立する。住まいの周囲や地域への日常外出行為が非常に活発な住戸は、全ての領域において広い。その反対となる住戸は、普段着の領域が路地までと小さく、顔見知り範囲も路地に限られる。認識される近所領域は巨大化する傾向がある。

第5章では、以上の考察をまとめ、今後の都市高密度住宅のあり方について示唆した。

生活領域に居住者と地域との繋がりが反映され、日常生活は生活領域の各面に影響を及ぼす。

まちの構造、尺度、近所の日常施設の充実、町会など近隣交流を促進する様々なきっかけによって、このような多層性のもつ生活領域が生まれる。この豊かな生活領域の様相が居住者の住む地域に対する帰属感と安心感のあらわれと、「地域に住む」住まいの象徴と考えた。

以上のように本論文は、日中の高密度住宅地の調査により、生活領域の多層的な構造を明らかにした。住まいと都市空間の間にある中間領域は、専有化領域と近所領域からなり、さらに近所領域がウラの領域、普段着の領域、顔見知りの領域と認知領域からなる。これらの領域は全て日常生活と関連するが、それぞれは独立し、異なる性格と意味をもち、多層構造で生活領域を形成することを明らかにした。

この豊かな生活領域の様相が居住者の地域に対する帰属感や安心感をもたらす可能性となるものであり、今後の都市高密度住宅のあり方を考える一つの提示となり、建築計画学の発展に大いなる寄与を行うものである。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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