学位論文要旨



No 123402
著者(漢字) 酒井,宏治
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,ヒロシ
標題(和) 紫外線照射による藍藻類の増殖制御と藍藻毒発生抑制に関する研究
標題(洋)
報告番号 123402
報告番号 甲23402
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6718号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 黒倉,壽
 東京大学 客員教授 国包,章一
 東京大学 教授 滝沢,智
 東京大学 准教授 片山,浩之
内容要旨 要旨を表示する

<研究の背景-藍藻類の異常発生による水道システムへの影響と紫外線処理の利点->

湖沼、貯水池の富栄養化は、古くから知られる環境問題の一つであり、富栄養化した湖沼でMicrocystisやAnabaenaなどの藍藻類が異常増殖することが問題となってきた。藍藻類の異常増殖は、その場を水源とする水道事業体にも影響を与える。浄水工程においてろ過閉塞や凝集阻害などの利水障害を引き起こすことのみならず、細胞内に毒性物質を保持することからも問題となっている。Microcystisなどが産生する毒性物質であるミクロキスティンは、マウスにおけるLD50値として50 μg/kgを示し、青酸カリよりも高い毒性を持つ。ミクロキスティンによる最大の被害は、1996年のブラジルの例であり、人工透析患者の施設にミクロキスティンを含む水道水が供給されたことで、88人の患者が死亡した。

藍藻類が異常増殖する湖沼、貯水池を水源としている水道事業体では、当該湖沼において湖水撹拌によって水質改善を行う対策、硫酸銅の散布による殺藻処理を行う対策を取っている。浄水場での対策、取水段階での対策を取る場合もあるが、それぞれに限界を抱えることから、水源となるダム湖における発生抑制対策が強く求められている。湖水撹拌による水質改善は、一定の深さが必要であることから全ての湖沼に適用できるわけではなく、硫酸銅の散布では、魚が浮いてしまうなど、生態系への影響が懸念される処理方法である。

本研究で検討する紫外線処理は、光を照射するだけの処理方法であり、処理の残留性や副生成物が少なく、生態系への影響も少ない処理であると考えられる。特に浮上性を持つ藍藻類を処理する場合には、藍藻類が優占する湖水表層のみを処理すればよいと考えられ、生態系への影響を最小限に抑えられると考えられる。ダム湖における実際の処理装置としては、紫外線処理装置を小型船に搭載し、そこへ藍藻類を含む湖沼水を通水して処理を行えばよいと考えられる。淡水赤潮に対しては、既に同様の装置が実用化されている。船に搭載することで、ダム湖内を移動して処理できる利点もあると考えられ、移動性の点で湖水撹拌装置よりも優れていると考えられる。

<研究の内容-紫外線照射による藍藻類の増殖抑制と藍藻毒発生抑制->

紫外線処理を藍藻類の増殖抑制に用いるためには、2つの点で検討が必要である。紫外線による増殖抑制効果と細胞内ミクロキスティンの放出の2点である。ミクロキスティンは、通常Microcystis細胞内に保持されており、細胞壁が破壊されて死滅するときに初めて水中へ放出される。紫外線処理に限らず、何らかの増殖抑制処理を行う場合には、藍藻類の異常発生は抑制されるものの、毒性物質の放出による新たな健康被害をもたらす可能性がある。実際に、硫酸銅処理は細胞壁を破壊する処理であるため、処理後一時的にではあるが水中のミクロキスティン濃度が急激に上昇することが報告されている。

<内容(1)-紫外線処理後の細胞内ミクロキスティンの放出特性(第4章)->

増殖抑制及び藍藻毒の動態の2点に関して基礎的な検討を行った。紫外線によってMicrocystis aeruginosa PCC 7806株を処理した。紫外線処理には低圧、中圧ランプを用いて0, 180, 600, 1800 mJ/cm2の4段階の照射量で紫外線を照射した。紫外線処理直後、1, 3, 6, 10, 14日後に試料を採取し、細胞数と細胞内外のミクロキスティン濃度を測定した結果、以下の知見を得た。

(i) Microcystis aeruginosa PCC7806株の増殖は、紫外線処理によって抑制された。

(ii) 細胞数の増加が抑制されたために、水中のミクロキスティン濃度の上昇も抑えられた。14日後の水中のミクロキスティン濃度は、Control試料で65 μg/lであったのに対し、紫外線処理試料では、21 μg/l以下であった。また、紫外線処理をした試料では、一時的に対照試料よりも水中のミクロキスティン濃度が高い場合が見られたが、有意な差ではなかった。

(iii) 紫外線処理によって、細胞内ミクロキスティン量が減少した。600 mJ/cm2の紫外線照射量では、24.6 fg/cell の細胞内ミクロキスティン濃度が、7.06 fg/cell(低圧ランプ)、7.16 fg/cell(中圧ランプ)まで減少した。紫外線による分解が起こったことで細胞1個当たりの放出量が減少したと考えられ、結果的に水中へのミクロキスティン放出総量の減少につながた。

(iv) 本章では、培養系内の増殖細胞の挙動を無視できる、180 mJ/cm2以上の高照射量で検討を行った。より低照射量での検討を行うため、培養系内の増殖細胞を考慮できる手法を確立する必要があることが分かった。

<内容(2)-セファロスポリンを用いた増殖能評価手法の確立と適用(第5章)->

紫外線処理を受けた藍藻類は、その多くが死滅するが、一部が生残する。生残した細胞は、条件が整えば再び増殖を行う。従って、生残した細胞、死滅する細胞の数を的確に算出する必要がある。前章では、培養系中の増殖細胞の数は少ないため結果に影響しないと仮定したが、そのままでは紫外線照射量が低い場合の検討を行うことが難しかった。

生残した細胞は増殖能を持っている。これを判定するために、細胞分裂を行うかどうかを基準とし、細胞壁合成阻害剤を用いた判定法を確立した。紫外線処理後の細胞に細胞壁合成阻害剤を作用させ、増殖能を持つ細胞を消失させ、増殖能を持たない細胞が残存する系を作り出し、増殖能を評価した。セファロスポリンは、代表的な細胞壁合成阻害剤として用いた。

低圧、中圧ランプを用いて紫外線を照射した。紫外線照射量は0, 10, 20, 30, 60, 90, 120, 180, 600, 1800 mJ/cm2の10段階とした。紫外線処理後は光回復が起こりうる白色光、起こらない黄色光で培養を行った。紫外線処理直後、1, 3, 6, 10, 14日後に試料を採取し、細胞数と細胞内外のミクロキスティン濃度を測定した。半数の試料にはセファロスポリンを添加し、増殖抑制効果の評価と細胞1個当たりのミクロキスティン放出量を検討した結果、以下の知見を得た。

(i) 紫外線によるMicrocystis aeruginosa PCC7806株の不活化を検討した結果、120 mJ/cm2の照射量で 2 logの効果があること、この程度の照射量までが効率的であることが分かった。

(ii) 細胞1個当たりのミクロキスティン放出量は、概ね初期含有量と同等であると推定された。一部試料では、増殖細胞からの放出量をさらに考慮する必要があることが分かった。

(iii) 光回復が生じない場合は、30 mJ/cm2の照射量で 2 logの不活化効果があることが分かった。細胞1個当たりのミクロキスティン放出量が多くなる場合があり、細胞分裂と関連している可能性があることが分かった。

<内容(3)-水中のミクロキスティン濃度のモデル化(第6章)->

紫外線処理後の水中のミクロキスティン濃度をモデル化し、実際の処理における情報として提供できることを試みた。紫外線処理後の水中のミクロキスティン濃度をモデル化するために、処理後の細胞数の変化をまずモデル化し、作成した細胞数モデルをミクロキスティン濃度モデルへ拡張した。細胞数モデルでは、紫外線処理後の細胞を、増殖能を持つ細胞と、増殖できずに消失する細胞の2つに分類し、それぞれの数と増殖能を持つ細胞数の増殖速度を、セファロスポリンを用いた培養法の結果から算出した。消失する細胞数の消失速度は、細胞数の経時変化の結果に見合うように、設定した。

作成した細胞数モデルをミクロキスティン濃度モデルへ拡張した。消失する細胞からはミクロキスティンが放出されることとした。増殖する細胞からは、理論上ミクロキスティンは放出されないが、実際には一部死滅する細胞が存在するため、ミクロキスティンは放出される。細胞数モデルで用いた見かけの増殖速度を、正味の増殖速度と死滅速度を含んだ項へと拡張し、増殖する細胞群からのミクロキスティンの放出を記述し、最終的にミクロキスティン濃度を表現できているかを確認した。モデルの結果を用いることで、増殖細胞からの放出を考慮できなかった前章の結果を改善して細胞1個当たりのミクロキスティン放出量を考察し、以下の知見を得た。

(i) 実験結果を記述するための細胞数及びミクロキスティン濃度に関するモデルを構築した。死滅細胞からの放出と増殖細胞からの放出で構成したモデルの枠組みで概ね実験結果を再現できた。

(ii) 細胞1個当たりのミクロキスティン放出量について、増殖細胞からの放出量を考慮して再度検討したところ、白色光培養下では紫外線分解による放出量低下のみが影響することが分かった。

<まとめ>

紫外線処理によるMicrocystis aeruginosaの増殖抑制及びミクロキスティンの放出抑制について検討した。紫外線処理では、120 mJ/cm2程度の紫外線量を照射することで増殖抑制を効率的に行うことができ、かつミクロキスティンの放出による新たな健康被害も生じないと考えられることが分かった。本研究で構築したモデルを実現場へ適用し、モデル変数の値についての知見を蓄積することが今後の課題である。

審査要旨 要旨を表示する

富栄養化した湖沼におけるMicrocystisやAnabaenaなどの藍藻類の異常増殖は、そこを水源とする水道事業体に悪影響を及ぼす。浄水処理工程においてろ過閉塞や凝集阻害などの障害を引き起こすだけでなく、藍藻細胞内に毒性物質ミクロキスティンを産生することがある。本論文は「紫外線照射による藍藻類の増殖抑制と藍藻毒発生抑制に関する研究」と題し、紫外線照射による藍藻類の増殖抑制と藍藻毒の発生抑制について研究した成果である。8章より構成されている。

第1章は序論であり、研究の背景と目的を示している。第2章では、藍藻類及びミクロキスティンに関する既存の知見をまとめている。第3章では実験方法を説明している。

第4章では、紫外線照射後の細胞内ミクロキスティンの放出特性についての成果を示している。低圧、中圧紫外線ランプを用い、Microcystis aeruginosa PCC 7806株を対象としている。得られた知見として、次の諸点を示している。

(1) Microcystis aeruginosa PCC7806株の増殖を、紫外線照射によって抑制することができること。

(2) 水中に放出されるミクロキスティン量は、細胞数の増加が抑制されたことによって、対照試料と比較して減少すること、また、紫外線照射は、細胞壁を破壊せず細胞を不活化できることにより、ミクロキスティンの急激な放出を抑制できること。

(3) 細胞内のミクロキスティン量自体も、紫外線照射によって減少している可能性があること。

第5章では、セファロスポリンを用いた増殖抑制量算出手法の確立と適用について説明している。紫外線照射後のMicrocystis細胞群には、増殖能を持つ細胞群と増殖能を持たない細胞群が混在している。増殖抑制の効果を検討するためには、それぞれの細胞群の数を正確に算出する必要がある。新たに確立した手法は、細胞壁合成阻害剤セファロスポリンを用いるものである。セファロスポリンを添加する系では、細胞が分裂する際に、新規の細胞壁合成が阻害されるため分裂ができず、細胞は死滅する。増殖能を持つ細胞群は、この機構によって死滅するため、増殖能を持たない細胞群を分離して算定することが可能となる。この手法を用いて、紫外線照射による増殖抑制の効果、細胞1個当りのミクロキスティンの放出量を算出している。得られた知見は次の通りである。

(1) 紫外線照射によるMicrocystis aeruginosa PCC7806株の増殖抑制量は、紫外線照射量に比例して増大する。120 mJ/cm2の照射量で 2 logに達し、それ以上の照射量では、効果の増大は緩やかになり、120 mJ/cm2以上の照射量では、光回復の有無に関わらず同程度の増殖抑制量を示す。

(2) 増殖抑制量を基に算出した細胞1個当たりのミクロキスティン放出量は、初期含有量と同程度であり、増殖抑制量が小さい試料では、増殖能を持つ細胞群からの死滅細胞量を考慮して算出する必要がある。

第6章では、水中のミクロキスティン濃度の経時変化のモデルを作成し、そのモデルによる計算結果と実験結果を比較し、以下の知見を示している。

(1) モデルによる計算結果は、概ね実験結果と一致することを示し、モデルの前提がほぼ満足できる。

(2) 600mJ/cm2以上の照射量におけるモデル計算結果と実測値の不一致については、紫外線照射による細胞内ミクロキスティンの分解を仮定することでほぼ説明ができる。

第7章では、第4章から第6章まで用いたMicrocystis aeruginosa PCC7806株とその他の藍藻類(Microcystis NIES-98株、Anabaena NIES-23株の2つの純粋培養株と、Microcystisの野生株2株、Anabaenaの野生株1株)について、紫外線照射に対する感受性の比較を行なっている。MicrocystisとAnabaenaの純粋培養株は、紫外線照射に対して同程度の感受性を示し、Microcystis、Anabaenaの野生株の感受性は、それぞれ純粋培養株と同程度の感受性であるとしている。

第8章は結論であり、本研究の結果を総合し、ミクロキスティンの放出現象は、紫外線によって死滅した細胞と、増殖過程の一部で死滅する細胞の2つの種類の状態の細胞からの放出でほぼ説明できることを明らかにし、Microcystis aeruginosaの増殖抑制と細胞からのミクロキスティンの放出量の抑制との相互の関係についての考察を示している。

以上のように本論文は、藍藻類増殖と産生するミクロキスティンの紫外線照射による抑制を考察した優れた研究成果であり、都市環境工学の学術分野の発展に大きく貢献するものである。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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