学位論文要旨



No 123412
著者(漢字) 岡島,智史
著者(英字)
著者(カナ) オカジマ,サトシ
標題(和) ベイズ推定手法に基づく機器破損率簡易評価手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 123412
報告番号 甲23412
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6728号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 酒井,信介
 東京大学 教授 渡辺,勝彦
 東京大学 教授 加藤,孝久
 東京大学 教授 吉川,暢宏
 電力中央研究所 教授 稲田,文夫
内容要旨 要旨を表示する

近年我が国では,限られた検査リソースの合理的活用が強く求められている.我が国の構造物に対するメンテナンス合理化のため,リスクベースメンテナンス(RBM, Risk Based Maintenance)の導入が求められている.RBMの活用に当たっては機器の破損率を良好な精度で評価する手法開発が必要となる.

現在の我が国における機器の健全性は,主に対象機器の検査記録や類似機器の破損事例情報などを,単独で用いた評価が行われている.破損率推定精度向上のためには,これに加えて比較的類似性の低い機器の破損事例情報や,熟練者の経験に基づく判断をあわせて評価に反映することが有効と考えられる.ベイズ推定手法は,こうした従来用いられていない異種の情報源からの情報を,事前分布という形式で自然に推定に利用可能という特徴を持つ.

こうしたベイズ推定手法活用による健全性評価精度向上に関する研究は,従来から実施されているものの,我が国の実際のメンテナンスへの反映は進んでいない.この原因として,メンテナンス現場では多数の機器について健全性評価を行う必要があるため,計算コストの過大な手法の利用が敬遠されることが考えられる.我が国における,信頼性工学分野でのベイズ推定に関する研究は,計算機の利用により計算コストの増加を容認するものが大多数であり,従って現場での利用に向かない手法となっていたと考えられる.

そこで本研究では,ベイズ推定手法に基づき,手計算で検算可能な程度の簡易さの,機器破損率簡易評価手法の提案を行うことを目的とする.手法の簡易化のため,事前分布と事後分布が同種の分布形となり,結果としてベイズ推定の更新手順を簡易に定式化可能となる,自然共役事前分布を利用する.上記の手法の開発は,我が国のメンテナンス現場において,従来のメンテナンスにおいて利用されていない情報を利用し,従来手法より高精度に破損率の評価を実施可能とする.これにより,我が国のメンテナンスの合理化につながるものと考えられる.

1. 評価モデル・手法提案

メンテナンス合理化のため,少数のデータから高精度の破損率推定を,手計算で検算可能なレベルの計算コストで実施可能な手法の開発を行う.少数のデータからの破損率推定精度向上のため,開発手法はベイズ推定手法に基づき,事前分布として従来用いられていない異種の情報源からのデータを反映させる.また,破損モデルは簡易なものを採用するとともに,事後分布が事前分布と同種分布となる自然共役事前分布を利用し,ベイズ更新の手続きを陽な式で定式化することで,ベイズ推定の計算コスト抑制を行う.

機器に対する破損メカニズムは多様なものが考えられる.本章ではこのうち,流れ加速型腐食による減肉を受ける配管の健全性評価手法として,「線形ベイズ手法」および「拡張ベイズ手法」と名づけた二つの手法を提案する.線形ベイズ手法は,減肉の進行速度を,時刻によらず一定とモデル化している.これに対し拡張ベイズ手法は,使用環境の変化による減肉率変化が,不明瞭ながら発生しうる配管部位に対して適用可能となるように,線形ベイズ手法に評価手順の追加・拡張を行った手法である.線形ベイズ手法および拡張ベイズ手法のいずれも,エルボ・オリフィス下流等の配管部位に対して,破損確率の形式で健全性評価を行う.このため線形ベイズ手法および拡張ベイズ手法は,あらかじめ許容破損確率を設定することで,許容破損確率到達時刻を次回検査時刻として検査間隔合理化に利用可能である.

さらに,複数の産業分野から得られた配管破損データベースを活用し,各産業分野における配管破損率を高精度に推定する手法として,安定階層ベイズ手法を提案する.安定階層ベイズ手法は,階層ベイズモデルを利用して産業分野間の破損率の差異をモデル化することで,複数産業分野の破損情報を利用しながら,各産業分野独自の破損率を高精度に推定する手法である.階層ベイズモデルを利用する破損率推定手順として,「経験的ベイズ手法」と称される一般的手順が知られているが,安定階層ベイズ手法は従来の一般的手順で推定不可能となるデータからであっても安定した推定が可能という特徴を持つ.

EUにおいて開発が進められているRBM規格であるRIMAPは,多様な破損メカニズムを,供用中検査において損傷進行程度および余寿命の評価が可能なTrendable,および余寿命評価が不可能であるNon-trendableの,二つのタイプに分類している.流れ加速型腐食による配管減肉は,Trendableな破損メカニズムの代表例である.この減肉に対する評価手法として定式化した線形ベイズ手法は,母数設定方法という障害こそあるものの,利用する物理量や母数を読み替えることで一般のTrendableな損傷メカニズムに適用可能である.一方で,破損データベースの統計処理による破損率評価は,Non-trendableな破損メカニズムに対する,健全性評価の代表的な手法である.従って提案手法は,構成する三種の手法によってTrendableとNon-trendableの双方の破損メカニズムを想定可能であり,広範囲の破損メカニズムに応用可能と考えられる.

提案手法を構成する三手法による評価が不可能な破損メカニズムとして,供用中検査により余寿命評価が不能であり,かつ破損率に時刻依存性が存在するメカニズムが挙げられる.

2. 提案手法の有効性検討

提案した破損率推定手法の妥当性を示すため,提案手法の推定精度,および従来手法に対する有効性とその範囲の検討を行った.提案手法の推定精度は,シミュレーションにより作成した仮想検査記録を用いた推定を通じて検討した.また,従来手法と比較した有用性を,実機検査記録を用いた推定を通じて検討した.三章で提案した三種の推定手法のいずれも,従来の推定手法では用いられない他の情報源からの情報を活用することで,推定精度の向上が可能であることが確認された.また,線形ベイズ手法および拡張ベイズ手法は,検査回数に応じた安全裕度を与える検査間隔決定手法として活用可能であり,検査回数が多ければ従来規格以上の検査間隔を合理的に許容可能であることが示された.また,安定階層ベイズ手法は,類似性の高い機器グループごとに固有の破損率を,小さい不確定性で推定可能であるという利点が確認された.

3. 簡易モデルの限界と詳細評価手法

続いて,手法の簡易化のためにおいたモデルのうち,特に現実の適用で課題となると考えられる,「線形ベイズ手法における事前分布形状の限定」と,「安定階層ベイズ手法における超母数点推定誤差無視」のそれぞれについて,適用限界を調査した.また,これらのモデル誤差に対して,それぞれ簡易に保守性を与える手法の提案を行った.

結果として,線形ベイズ手法における事前分布形状については,検査回数が多くなればその影響は無視できるほど小さくなり,少検査回数時には提案手法により適度な保守性を与えることが出来る.一方で安定階層ベイズ手法における超母数点推定誤差は,簡易に保守性を与えることは出来るものの,過大でない適度な保守性の設定方法が今後の課題となる.

4. 開発手法の将来の展望

線形ベイズ手法および拡張ベイズ手法の展望として,より一般的に,非破壊の余寿命診断手法が確立している疲労やクリープなどの,他の破損メカニズムへの適用が期待される.ここで解決すべき課題として,定式化において既知とした余寿命診断精度の設定方法,および極値統計との融合による高度化が考えられる.

また,リスクベース工学への適用を考えた場合,検査間隔や各破損メカニズムに対する防護策といった,プラント固有の事情に合わせた破損率の評価が求められる.このような評価を可能とするため,安定階層ベイズ手法に対しては,検査効果導入,階層モデルの多重化,ベイジアンネット化等が考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

構造物に対するメンテナンス合理化のため,リスクベースメンテナンスの導入が求められており,そのためには機器の破損率を良好な精度で評価する手法開発が必要となる.破損率推定精度向上のためには,類似の機器の破損事例情報や,熟練者の経験に基づく判断をあわせて評価に反映することが有効と考えられる.ベイズ推定手法は,異種の情報源からの情報を,事前分布という形式で自然に推定に利用可能という特徴を持つことに着目し,本論文の主要なテーマとしている.

特に,ベイズ推定手法の実用性を高めることに主眼を置き,手計算で検算可能な程度の簡易さの,機器破損率簡易評価手法の提案を行うことを目的としている.この結果,従来のメンテナンスにおいて利用されていない情報を活用し,従来手法より高精度な破損率の評価の実現を目指している.

第1章は序論では,本研究の背景について概説し,本研究の目的を示した.

第2章では,本研究で破損率推定手法として着目したベイズ推定について,理論の基礎と特徴を要約している.

第3 章では,メンテナンス合理化のための破損率推定手法の提案を行っている.少数のデータからの破損率推定精度向上のため,開発手法はベイズ推定手法に基づき,事前分布として従来用いられていない異種の情報源からのデータを反映させている.また,破損モデルは簡易なものを採用するとともに,事後分布が事前分布と同種分布となる自然共役事前分布を利用し,ベイズ更新の手続きを陽な式で定式化することで,ベイズ推定の計算コスト抑制を行っている.

流れ加速型腐食による減肉を受ける配管の健全性評価手法を対象として,二種類の評価手法を提案している.線形ベイズ手法は,減肉の進行速度を,時刻によらず一定とモデル化している.これに対し拡張ベイズ手法は,使用環境の変化による減肉率変化が,不明瞭ながら発生しうる配管部位に対して適用可能となるように,線形ベイズ手法に評価手順の追加・拡張を行った手法である.これらの方法は,あらかじめ許容破損確率を設定することで,許容破損確率到達時刻を次回検査時刻として検査間隔合理化できることを示した.

さらに,複数の産業分野から得られた配管破損データベースを活用し,各産業分野における配管破損率を高精度に推定する手法として,安定階層ベイズ手法を提案している.この方法は,産業分野間の破損率の差異をモデル化することで,複数産業分野の破損情報を利用しながら,各産業分野独自の破損率を高精度に推定する手法である.この結果,従来の一般的手順で推定不可能となるデータからであっても安定した推定が可能となることを示した.

第4 章では,提案した推定手法の妥当性を示すため,推定精度,および従来手法に対する有効性とその範囲の検討を行っている.推定精度は,シミュレーションによる仮想検査記録を用いた推定を通じて検討している.また,従来手法との比較のために,実機検査記録を用いた推定をもちいて検討している.三章で提案した三種の推定手法のいずれも,従来の推定手法では用いられない他の情報源からの情報を活用することで,推定精度の向上が可能であることを確認している.また,線形ベイズ手法および拡張ベイズ手法は,検査回数に応じた安全裕度を与える検査間隔決定手法として活用可能であり,検査回数が多ければ従来規格以上の検査間隔を合理的に許容可能であることが示された.また,安定階層ベイズ手法は,類似性の高い機器グループごとに固有の破損率を,小さい不確定性で推定可能であるということを示している.

第5 章では,第3章の破損モデル化および手法提案にあたり,簡易化のためにおいたいくつかの仮定について,その影響の大きさを調査している.続いて,手法の簡易化のためにおいたモデルのうち,特に現実の適用で課題となると考えられる,「線形ベイズ手法における事前分布形状の限定」と,「安定階層ベイズ手法における超母数点推定誤差無視」のそれぞれについて,適用限界を調査した.また,これらのモデル誤差に対して,それぞれ簡易に保守性を与える手法の提案を行った.

結果として,線形ベイズ手法における事前分布形状については,検査回数が多くなればその影響は無視できるほど小さくなり,少検査回数時には提案手法により適度な保守性を与えることが出来ることを示した.一方で安定階層ベイズ手法における超母数点推定誤差は,簡易に保守性を与えることは出来るものの,過大でない適度な保守性の設定方法が今後の課題となることを示した.

第6 章では,本研究を通して得られた結論および将来展望を総括している.

以上のように、本研究では、ベイズ手法の実用性を高め,リスクベースメンテナンスなどの機器の保全分野に大きな貢献が期待される.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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