学位論文要旨



No 123428
著者(漢字) 江野口,章人
著者(英字)
著者(カナ) エノクチ,アキト
標題(和) 収差にロバストな画像ブレ推定法とこれを用いた柔軟構造光学系の振動補償法
標題(洋)
報告番号 123428
報告番号 甲23428
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6744号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中須賀,真一
 東京大学 教授 町田,和雄
 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 准教授 岩崎,晃
 東京大学 准教授 矢入,健久
内容要旨 要旨を表示する

近年、柔軟な伸展構造を鏡筒に持つ宇宙望遠鏡(以下、柔軟構造光学系)が提案されている。これは、打上げ時に折りたたんでおき、軌道上で伸展することにより、高空間分解能に必要な長い光路長と、ロケット搭載時の飛躍的な小型化を同時に達成できるものとして、特に超小型衛星の分野で活躍が期待され、いよいよ宇宙実証が始まる。このような光学系を搭載した衛星が大きな角速度で姿勢変更制御を行なう場合、制御中に振動が生じ、ブレ(露光時間中の視線の運動)がなくなるまで減衰を待たなければならない可能性がある。すなわち、撮影時間に長い空白ができるという問題が生じうる。

本研究の動機は、画像品質に与える悪影響の特に深刻な、低次曲げ振動を積極的に抑制する制御を、その光学系自身が撮影した画像のみを観測量として達成することである。ミッション光学系のみを利用した振動推定は、バス機器に対して過度の精度やダイナミックレンジを要求しない利点があるため、衛星システム全体の小型化、高信頼性化が期待できる。さて、この制振制御においては、状態量(モード座標)の推定が必要である。このモード推定問題に対し本研究では、画像間のシフト(連写時間間隔での視線の運動)に加えて、1枚の画像から推定できるブレを観測量として利用した状態量推定系を大きな枠組みとして提案する。シフトのみを利用した運動推定手法は多数提案されてきたが、ブレを利用した運動推定は、より激しい振動状態においても状態量が推定できるという利点がある。この利点はブレがシフトに比べてはるかに短い時定数で視線運動を記録しているという性質に基づいている。シフト推定のみで激しい振動状態に対応するには、光学系視野角を広げるか、連写時間間隔を短くする必要があった。本手法は、ミッション機器に対するこのような要求を緩和できる。激しい振動状態を推定できるブレ観測量と、穏やかな振動状態を高精度に推定できるシフト観測量を併用した、制振制御対応範囲のきわめて広い振動補償法を提案する。

本研究の内容は、以上の振動補償法を構築するのに必要な技術的課題を解決することである。以下、これを列挙する。

(1) 収差にロバストな画像ブレ推定法の提案

変形した光学系で撮影した画像からであっても、ブレ情報(ブレの角度と長さ)が推定できる手法を提案する。光学系の結像性能の劣化は「収差」と呼ばれる。収差は計測用カメラにおいては忌み嫌われ、通常これが除去された光学・構造設計が行われる。しかし、本研究で制振対象とする柔軟構造光学系においては、制振が完了した理想的な状態を除き、構造の曲げによって生じる収差は避けられない。これまで、「方向性の強い収差」および「周波数領域において縞模様を伴う収差」の双方に対応できるブレ推定法は存在しなかったが、柔軟構造光学系の振動推定においては、このような収差があっても画像ブレを推定する必要がある。

ブレ推定は、ブレによって観測画像に畳み込まれた情報が、フーリエスペクトルに縞模様として現れることを利用して行なわれる。提案手法はまず、画像のフーリエスペクトル振幅の方向性を調べ、空間周波数情報が多く残っている方向をブレの方向とみなす(角度の推定)。続いて、検出したブレ角度方向について、縞模様を検出することでブレ長さを推定する(長さの推定)。提案手法は、「周波数領域において縞模様を伴う収差」がある場合のブレ情報推定性能を改善する。

続いて、フーリエスペクトルの角度依存性を調べるテンプレート設計法を提案する。フーリエスペクトルの角度依存性を手軽に調べる手法として、テンプレートとの相関値を計算する方法が従来から提案されてきた。しかし、テンプレートの設計問題は未解決となっていた。この問題に対して本論文では、方向性のあるノイズに対するロバスト指標を定義し、これを評価関数としてテンプレートを選択する、という手法を提案する。一方で、単純な1本帯テンプレート(ローパスフィルタ)より、2本帯テンプレート(バンドパスフィルタ)の方が、高い正答率でブレが推定できる場合があることを指摘する。前述した評価関数で2本帯テンプレートの性能を評価するのは適切でない理由を述べ、結果として、2種類のテンプレートを併用するブレ推定手法を提案する。また、併用すべき2本帯テンプレートの設計手法をあわせて提案する。以上により、「方向性の強いテクスチャや収差」がある場合の推定性能も改善でき、提案手法がさまざまな収差に対してロバストに画像ブレを推定できることを示す。

(2) ブレおよびシフト画像処理による推定値の信頼度指標出力方法の提案

ブレおよびシフト推定画像処理において、推定値の信頼度指標を出力する手法を提案する。ここで、信頼度指標は、「推定が正常に行なわれたか、異常であったか」「正常である場合には、その推定誤差分散情報」である。この情報を、画像処理過程あるいは処理結果を元に出力する。

ブレ推定の信頼度指標についての従来手法は、画像復元作業を伴う膨大な計算コストを必要とするものであり、制御分野では実用的とは言えなかった。本研究ではブレ角度推定過程における評価値の停留点の個数に基づいて、推定が正常に行なわれたか否かを出力する手法を提案する。

シフト推定の信頼度指標は数多く提案されているものの、時系列画像がお互いに充分な重なり面積を有することを暗黙に仮定している、という問題点があった。本研究では、複数のテンプレートによるテンプレートマッチング結果の分散分析を行ない、誤差分散を推定する。

(3) ブレおよびシフト推定画像処理の選択手法の提案

推定対象が振動系である場合、適切な観測更新頻度を高めることが重要である。すなわち、正しい画像処理結果が出力できる頻度を増やす必要がある。従来から広く利用されているアルゴリズム選択手法に「情報量基準」があるが、これは必ずしも観測頻度を増やすとは限らない。そこで本研究では、正常推定が行なえると予想される確率、および異常推定が状態量推定フィルタに入力される確率(リスク)を基準として画像処理の有用度を定義し、この有用度を基準として、画像処理を選択する手法を提案する。また、この有用度の計算に必要となる、ブレ推定およびシフト推定画像処理の要素確率を見積もる手法についても提案する。

以上の手法を統合することで、柔軟構造光学系による取得画像のみを利用した、その光学系自身の振動補償系が構築できる。すなわち、ブレおよびシフト推定画像処理を逐次選択し、推定値とその信頼度指標出力をカルマンフィルタの入力として、モード座標すなわち状態量を推定できる。この振動補償系は、各ブロック、フェーズを通じて、パラメータやゲインのスケジューリングが自動的に行なわれ、不連続な切り替えを伴わない。

本論文で提案されたブレ推定アルゴリズムは、数値計算によってその有効性や妥当性が確認された。軌道上の柔軟構造光学系が経験しうる撮影環境として、さまざまな物体のテクスチャ、光学系の収差、デフォーカス、振動状態(ブレの激しさ)を模擬した。得られた成果は以下のとおりである。

提案したテンプレート評価値が、1本帯テンプレートによる推定正答率と強い正の相関を持つことを確認し、評価値と、それに基づく設計手法の有効性を確認した。また、併用すべき2本帯テンプレートの設計手法について、妥当性を確認した。以上から、提案したブレ推定手法が収差や方向性の強い被写体などの影響に対して高い推定性能を持つことを結論付けた。なお、従来手法との推定性能の比較を行ない、縞模様を伴う収差の強い環境下においては大きく性能が改善することを確認した。提案されたアルゴリズムは、柔軟構造光学系に限らず、工学的に広く応用が可能であり、意義のあるものと期待する。

本論文で提案された振動補償法は、数値計算によってその有効性や妥当性が確認された。まず準備として、東京大学で製作が進められている超小型衛星PRISMのモード解析(非拘束モード法)を行なった。得られた成果は以下のとおりである。

ブレ推定値を観測量として用いることにより、状態量推定が可能な振動状態範囲が確かに拡大することを示した。また、ブレ推定値だけでなくシフト推定値をともに観測量として用いることにより、非常に激しい振動から、ほとんど無振動の状態まで、広範な振動状態に対して状態量が正常に推定できることを示した。提案した画像処理の信頼度指標出力手法が適切に動作し、正常な状態量推定に寄与していることを確認した。提案した画像処理の選択手法が適切に動作し、正常な推定が期待でき、かつリスクの低い画像処理を選択できることを確認した。

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)江野口章人提出の論文は、「収差にロバストな画像ブレ推定法とこれを用いた柔軟構造光学系の振動補償法」と題し、8章と付録からなっている。

近年、鏡筒が伸展式であり、柔軟構造からなる望遠鏡型の撮像機器が、人工衛星に搭載するものとして提案されている。このような柔軟構造光学系は、打上げ時に折りたたんでおき、軌道上で伸展することにより、高い空間分解能の画像取得に必要とされる長い光路長と、ロケット搭載時の収納の小型化を同時に達成できるという特徴があり、特に小型衛星の将来の光学系として有望視されている。しかし、このような光学系は柔軟構造であるため、外乱や姿勢制御により発生する曲げ振動でレンズと撮像素子の位置関係がぶれて、きれいな静止画像が撮れないという問題点を有する。これに対処するために、衛星本体に搭載したジャイロや柔軟構造物に設置した加速度センサーにより振動モードを推定し制御に利用する方法が考えられるが、推定精度の問題や、追加機器による複雑化・重量増等の問題により、小型衛星上での実現は一般に困難である。

本論文の主目的は、このような光学系の曲げ振動による画像劣化への補償を行うため、その光学系により撮影した画像からブレ情報とシフト情報を推定し、それのみを観測量として制振制御を実施する方法論を提案することにある。特に、ブレ情報をシフト情報と併用して振動を推定することは振動補償帯域を大幅に拡大できるという利点がある。本論文ではブレおよびシフト情報の有用度の概念を導入して、それらを比較することによる効果的な併用方法を導出している。また、ブレ情報を用いた運動推定では、収差、すなわち光学系の性能劣化がある場合には、従来手法では収差とブレを区別できず推定精度が著しく劣化するという問題点があったのに対し、本論文では、収差にロバストなブレ推定方法を提案している。さらに、これらの方法論を統合することで、柔軟構造光学系に対する効果的な振動補償系が構築できることを示し、その性能をシミュレーションで検証している。

第1章は序論であり、柔軟構造光学系が提案される背景と特徴を述べ、撮影ミッション要求を達成するのに必要な技術事項を整理し、ブレ情報とシフト情報にもとづいた振動補償の利点を述べている。また、画像からブレ情報を推定する従来手法とその問題点を概観し、本研究の位置づけを明確化している。

第2章では、収差にロバストな画像ブレ推定法の理論を展開している。まず、従来手法の理論を紹介し、収差やデフォーカスによって劣化した画像に対しては、ブレ推定精度が極めて悪くなりうる理由を指摘している。これを受けて、収差へのロバスト性を高める枠組みとして、まずブレの角度を推定して解の探索範囲を限定するという方針と、ブレ角度を推定する目的で用いるテンプレートの最適設計を行なう方針を提案している。さらに、提案した手法の性能を更に高める方法として、推定結果の信頼度を評価する方針と、帯域の異なる2種類のテンプレートを併用して推定を行なう方針を提案している。

第3章では、柔軟構造光学系の振動補償に採用すべき、シフト推定のための画像処理方法が述べられ、推定された情報の信頼度を評価する方法がまとめられている。

第4章では、計算コストの節約を目的とした、ブレおよびシフトの情報選択法が提案されている。評価基準となる情報の有用度として、観測更新頻度を最大化するという指標が提案され、ブレ推定とシフト推定各々に対してその計算法が示されている。

第5章では、ブレ情報とシフト情報を切り替えて観測量とする状態量推定フィルタが設計され、これに基づく制振制御系が提案されている。これに加え、前章で提案された画像処理アルゴリズムおよび情報選択法が統合され、ロバストで効果的な振動補償系の設計論が展開されている。

第6章では、第2章で提案したブレ推定手法の性能が、数値シミュレーションによって検証され、従来の手法に比べ、収差へのロバスト性が大幅に改善されていることが示されている。

第7章では、統合された振動補償系の性能が数値シミュレーションによって検証され、その特徴が考察されている。

第8章は、結論であり、本研究で得られた成果をまとめ、今後の課題と展望を述べている。

付録では、柔軟構造光学系を搭載した宇宙機の基礎方程式を記している。また、提案されたブレ推定法において行われたパラメータ設定の妥当性、および第4章で情報の有用度を設計する際に前提とした事項の妥当性が数値計算結果により確認されている。

以上要するに、本論文は、人工衛星の柔軟構造光学系の曲げ振動による画像劣化問題に対し、その光学系自身で撮影した画像から推定したブレとシフト情報のみを観測量とした、収差にロバストで帯域の広い振動補償法を提案したものであり、宇宙工学、機械工学上貢献するところが大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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