学位論文要旨



No 123429
著者(漢字) 河原,吉伸
著者(英字)
著者(カナ) カワハラ,ヨシノブ
標題(和) 状態空間モデルを用いた確率的推論と部分空間同定に基づく異常診断法
標題(洋)
報告番号 123429
報告番号 甲23429
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6745号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 町田,和雄
 東京大学 教授 鈴木,真二
 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 教授 中須賀,真一
 東京大学 准教授 矢入,健久
内容要旨 要旨を表示する

宇宙機や産業プラントなどの工学的システムは,大規模かつ複雑なシステムであると同時に,高い安全性や信頼性が要求される.従って,システムの安全な運用を確保するために人間が行う一連のタスクを,計算機により支援するための高度な異常診断技術の実現がますます重要な課題となっている.より具体的には,システムの想定外の挙動変化を迅速に捉える``異常検知",そして捉えた異常の原因となるシステム要因を絞り込む``原因究明"を,汎用的かつ高性能に実現するための情報技術の実現が望まれる.

異常診断を行う際,多くの工学的システムに共通して利用できる情報源は,システムのダイナミクスや機器の物理モデルを中心とした工学的知識(数式),そしてシステムの状態を反映するセンサデータや実績値などの観測データである.前者は,診断の詳細性や説明力を向上させる事が可能である一方,利用するためには高いコストが必要となる.また一方,後者はそのような知識獲得に伴うコストは小さく,システムの状態を適宜反映した診断の枠組みを実現できる可能性があるものの,前者のような詳細な診断を実現する事は本質的に困難である.これら利用できる情報リソースという観点から見たとき,従来の多くの異常診断へのアプローチは,いずれか一方のリソースを重視したものとなっているため,本質的な限界があると言える.そこで本研究では,多くの工学的知識の表現形式となっている状態空間モデルをベースとして,工学的知識と観測データを融合的に用いる事により,高度な診断能力を実現するための方法に関して議論する.特に,複雑な動的プロセスを表現可能な非線形状態空間モデルを観測データから獲得するためのモデル推定法,大域的なシステムの動的特性の変化を捉えるための異常検知法,異常箇所やパラメータを推定するための異常診断法,そして,これらの方法においてより積極的に工学的知識を利用するための部分未知モデルによるアプローチに関して,各々アルゴリズムの導出を行い,検証及び考察を加える.

まず診断モデルの推定法として,本研究では,非線形状態空間モデル学習のためのカーネル部分空間同定法を提案する.部分空間同定法とは,入出力データが張る部分空間上における幾何学的演算により,データを生成する状態空間モデルのパラメータを推定する方法である.本研究では,近年,機械学習の分野で盛んに議論されるカーネル法の枠組みに基づき,正準相関解析による部分空間同定法を非線形の場合へと一般化する方法を提案している.

また異常検知法としては,部分空間法に基づいた変化点検知手法に関して議論する.変化点検知とは,時系列の動的特性が変化する時点(変化点)を,データから検知するための方法をいう.従来,変化点検知は統計的検定の枠組みの中で議論される事が多いが,本研究では,部分空間同定法に基づいた幾何学的な方法論を提案している.更に,データ構造に関する事前知識が存在する際に,これを利用する事が可能な枠組みについても議論している.

そして,検知された事象の原因を推論するための異常診断法として,本研究では,逐次モンテカルロ法に基づいた確率的推論により,状態とパラメータを同時に推定する異常診断法を導出する.一般に,状態とパラメータの同時推定は探索空間が劇的に増大するため,計算が非常に困難である事が知られている.異常に伴うパラメータ推定の際には,異常そのものが非常に低確率で発生するため,更に状況は困難である.本研究では,これらの問題点を解決して,異常に伴うパラメータの変化を推定可能な異常診断アルゴリズムを提案している.

さらに本論文では,より積極的に工学的知識と観測データを利用するための方法として,事前知識をベースに,部分的に未知な構造を持った部分未知モデルを用いたアプローチを提案している.このモデルを用いる事で,事前知識が持つシステムに関する知識を有効に利用しつつ,事前には既知でない要素のみをデータから学習する事が可能となる.以上で述べてきた各種アルゴリズムにおいて本アプローチを適用し,両リソースを融合的に利用したモデル推定,異常検知,および異常診断の方法について議論される.

各々で導出されたアルゴリズムは,種々の人工データ,及び実データに対して適用され,従来手法との比較や検証により,その有用性が確認される.以上の成果は,高度な異常診断システムを実現する設計指針となり,様々な大規模・複雑システムの安全性・信頼性の向上,ひいてはその可能性を広げる推進力の一つとして貢献する事が期待される.また,個々の要素技術に関する研究は,各々の領域において理論的にも重要な貢献であると言える.

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学) 河原吉伸 提出の論文は「状態空間モデルを用いた確率的推論と部分空間同定に基づく異常診断法」と題し、本文7章と補遺からなっている。

宇宙機や産業プラントなどの大規模かつ複雑な工学システムでは、特に高い安全性や信頼性が要求され、その安全な運用を確保するためには、人間が行う一連のタスクを計算機により支援する、高度な異常診断技術の実現が重要な課題となっている。具体的には、システムの想定外の挙動変化を迅速に捉える"異常検知"、および、捉えた異常の要因を絞り込む"原因究明"を、汎用的かつ高性能に実現する情報技術の実現が望まれている。

異常診断を行う際、多くの工学システムに共通して利用できる情報源は、システムのダイナミクスや機器の物理モデルなどの工学的知識(数式)と、システムの状態を反映するセンサデータなどの観測データである。前者は、診断の詳細性や説明力の向上に適するが、利用には高いコストを必要とする。一方、後者は知識獲得に伴うコストは小さく、システムの状態を適宜反映した診断に適するが、前者のような詳細な診断を実現することは困難である。従来の多くの異常診断のアプローチは、いずれか一方の情報源を重視したものとなっているため、本質的な限界がある。これを解決するため著者は、多くの工学的知識の表現形式となっている状態空間モデルをベースとし、工学的知識と観測データを融合して用いることにより、汎用かつ高性能な診断能力を実現する方法を提案している。すなわち、複雑な動的プロセスを表現可能な非線形状態空間モデルを観測データから獲得するためのモデル推定法、大域的なシステムの動的特性の変化を速やかに捉えるための異常検知法、異常箇所やパラメータを推定するための異常診断法、および、これらの方法においてより積極的に工学的知識を利用するための部分未知モデルによる枠組みについて、各々アルゴリズムの導出を行い、検証および考察を加えている。

第1章は序論で、システム異常診断に関する研究開発の現状を概観するとともに、本研究の動機や基本的なアプローチの方針を述べ、研究の目的と意義を明確にしている。

第2章では、システム異常診断の一般的な問題設定や特徴をまとめるとともに、従来研究を概観し、その問題点を明らかにしている。次いで、状態空間モデルをベースとし、帰納的な学習と演繹的な推論を用い、観測データと工学的知識を融合して利用するシステム異常診断の枠組みを提案している。

第3章では、複雑な動的プロセスを表現可能な診断モデルを獲得するため、状態空間モデルに基づく非線形同定法について述べている。従来の線形部分空間同定法を正定値カーネルで定まる再生核ヒルベルト空間上で展開することにより拡張し、非線形状態空間モデルを推定しうるアルゴリズムを導出し、検証実験によりその有用性を示している。

第4章では、観測データを監視しシステムの有意な挙動変化を捉えるため、部分空間法に基づく異常検知法について述べている。部分空間同定により推定されるデータの特徴空間からの距離を評価して異常検知するアルゴリズムを導出し、従来手法との比較実験を行い、その優位性を示している。また、データ構造に関する事前知識が存在する場合に、正準相関解析により、データを生成するモデルの変数間の相関の変化を捉え、異常検知する方法を提案し、鉄鋼プラントに適用し有用性を示している。

第5章では、異常が検知された際に、その原因となる要因やパラメータを推論する異常診断法について述べている。そのため、異常時においても、システムの状態とパラメータを同時に推定することが可能な確率的フィルターを導出している。一般に、パラメータの逐次的な同時推定は、探索空間が増大するため計算が困難な問題であるが、種々の改良を施した逐次モンテカルロ・フィルターを導出し、宇宙機のランデブー・プロセスに適用してその有用性を確かめている。

第6章では、前章までに議論されてきた、モデル推定法、異常検知法、異常診断法において、観測データまたは工学的知識をより積極的に利用することを目的とした、部分未知モデルを提案し、その学習法について述べている。さらに、これらの方法への適用についてまとめ、観測データと工学的知識を融合したシステム異常診断の枠組みを示している。

第7章は結論であり、本論文で議論したシステム異常診断の要素技術に関して得られた知見をまとめ、今後の課題と展望を述べている。

補遺では、カーネル法、および、部分未知モデルにおける推論と学習、などの基本事項についてまとめている。

以上要するに、本論文は、宇宙機をはじめとする大規模かつ複雑な工学システムの異常診断に関し、カーネル部分空間同定法を用いた診断モデルの推定法、部分空間法に基づく幾何学的な方法論を用いた異常検知法、逐次モンテカルロ法に基づいた確率的推論による異常診断法、さらに、これらの方法において工学的知識を積極的に利用する部分未知モデルによる枠組みを提案し、各々の有用性を示したものであり、これらの成果は航空宇宙工学、知能情報学上貢献するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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