学位論文要旨



No 123459
著者(漢字) 岩瀨,文達
著者(英字)
著者(カナ) イワセ,フミタツ
標題(和) DMTTF-QBrnCl4-n 系におけるN-I転移の核四重極共鳴研究
標題(洋) NQR study of N-I transition in DMTTF-QBrnCl4-n complexes
報告番号 123459
報告番号 甲23459
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6775号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 永長,直人
 東京大学 教授 志村,努
 東京大学 教授 岡本,博
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、有機電荷移動錯体で起こる中性-イオン性(NI)転移を、核四重極共鳴法(NQR)を用いて研究した結果についてまとめたものである。NI転移は、格子歪を伴い(反)強誘電転移を起こす特異な相転移である。本研究の中心課題は、電荷移動錯体DMTTF-QBrnCl4-nを用いて極低温で起こるNI量子揺らぎを捉え、その特徴を抽出することである。

論文の構成は、第1章「導入」、第2章「実験方法」、第3章「実験結果と考察」、第4章「まとめ」となっている。最後に、本論で述べなかった点を付録として述べた。

第1章は、導入としてこれまで研究されてきたさまざまな相転移および強誘電転移について考察を行い、本研究で扱った電荷移動錯体DMTTF-QBrnCl4-n のNI転移についてのこれまでの研究概要を述べた。

[第1章]

温度-圧力相図上である2相が接し、その相境界で両者のあいだのゆらぎが支配的になる場合に、極低温ではそのゆらぎが量子力学的な様相を帯びてくる。そのような状況で、超伝導相などの異常相がしばしば観測されており、極低温度の相境界の様子をさまざまな見地から明らかにしていくことが必要となっている。本研究では電荷の自由度と格子の自由度が強く結合した中性-イオン性(NI)転移系DMTTF-QBrnCl4-nにおける極低温度でのふるまいを明らかにする立場から研究を進めてきた。DMTTF-QCl4は、電子供与性分子をDMTTF (4,4'-dimethyltetrathiafulvalen)、電子受容性分子をQCl4 (chloranil)としており、温度を下げることでTc=65K以下で電荷移動のほとんどない中性状態(p=0.3)から電荷が移動したイオン性状態(p=0.4-0.5)へと転移する。この物質群の転移はほぼ連続転移であることが特徴である。電荷移動と同時にスピン-パイエルス的な格子の二量体化歪が起きる。QCl4分子のClをBrに置換することで、負の圧力効果によって転移点を変化させることができる。QBr4錯体は常圧では転移しないが、2,6-QBr2Cl2錯体では転移点がほぼ0 Kに位置する。注目すべき点は、相図上で常誘電相が拡大していることと、2,6-QBr2Cl2錯体において誘電率が低温において巨大応答が観測されていることである。これらのことは、2,6-QBr2Cl2錯体が量子揺らぎによって秩序化が妨げられた量子常誘電状態になっていることを強く示唆している。

本研究の目的は、核四重極共鳴法(NQR)を用いてDMTTF-QBrnCl4-n錯体における中性-イオン性転移と量子臨界現象を詳細に調べることである。NQRで得ることができる~MHz程度の遅いダイナミクスについての情報は他の実験ではほとんど得られていないため、ここに本研究の意義を見出すことができる。

第2章では、はじめに実験手法であるNQRの原理について簡単に述べ、続いて用いた試料、実験のセットアップ、実験手法の詳細を述べた。

[第2章]

NQRは、核スピンIが1以上の場合に磁場をかけなくても核スピン準位の縮退が解け、そのエネルギー差に対応するRFパルスによって共鳴が起こる現象である。NQRでは電場勾配(EFG)というものを直接的に観察するが、それは電荷や格子の状態を反映しておりNI転移と転移近傍のダイナミクスを観測するのに適している。

用いた試料はDMTTF-QBr4、 DMTTF-QCl4、 DMTTF-2、6-QBr2Cl2の3つの有機電荷移動錯体である。また、中性分子QCl4とQBr4を用いてNQR信号の探索を行った。行った実験は

・DMTTF-QBr4、 常圧下Br NQR

・DMTTF-QCl4、 常圧下(35)Cl NQR

・DMTTF-2、6-QBr2Cl2 常圧下(79)Br NQR Br NQR

・DMTTF-QBr4、 ヘリウムガス圧下(79)Br NQR

の4つに分類できる。ヘリウムガスを用いた加圧方法は、良質な静水圧性が得られ、かつ低温で精密に圧力制御ができる点で大変優れた方法である。この手法の詳細を述べた。加圧実験のために新たなNQRプローブを設計した。

信号は比較的高周波(300MHz)にあるが、圧力セルのリード線にある大きな電気容量のために共振周波数が上がらず信号が出ない問題があった。しかし、共振回路を圧力セルの中に入れてトランスカップリングをすることによってこの問題を回避し信号を検出することに成功した。

第3章では実験結果と考察を述べた。

[第3章]

結果(A) DMTTF-QBr4 (79)Br NQR

すべての結果が、常圧下ではこの物質で相転移を起こさないことを示している。NQRスペクトルの共鳴周波数は分子振動による電場勾配の平均化効果で説明ができる。電荷や格子のゆらぎを反映するスピン-格子緩和率1/T1は2-フォノンラマン過程の特徴であるT∝T2 (T>0.5ΘD)、T7 (T<0.02ΘD)が観測された。

結果(B) DMTTF-QCl4 (35)Cl NQR

スペクトルは65 K以下で2本に分裂した。非等価なClサイト数が2倍になったことを意味しており、転移点で二量体化がおきたことと一致している。スペクトルが2本であることは秩序相が反強誘電状態であることと一致する。転移点以下では2本のスペクトルは低周波側へシフトしていく。これは電荷移動によってCl核が閉核構造に近くなり、核における電場勾配が等方的になったためであると考えられる。さらに1/T1は65 K近傍で10倍程度増大して臨界揺らぎを明確に捉えることに成功した。

結果(C) DMTTF-2,6-QBr2Cl2 (79)Br NQR

この物質は低温で量子常誘電状態を示す物質である。2,6-QBr2Cl2分子に配向乱れがあるためにEFGが分布し、ブロードなスペクトルが得られた。1/T1は低温で2-フォノンラマン過程のT7を示さず、DMTTF-QBr4の1/T1にくらべて増大していることが明らかになった(図1)。量子常誘電状態をNQRの緩和率で詳細に測定した例はこれが始めてである。

結果(D) ガス圧下DMTTF-QBr4 (79)Br NQR

まず、2.1 kbarをかけた状態で温度を下げて温度誘起NI転移を観測した。転移点は50 K付近であるが、スペクトルや1/T1の温度依存性はDMTTF-QCl4とよく似たふるまいを示した。

約1.2 kbarをかけた状態では、DMTTF-2,6-QBr2Cl2におけるBr NQRの1/T1と同様のふるまいを示した。したがって、この1/T1のふるまいは2,6-QBr2Cl2分子の配向乱れによらない本質的なものであったことがわかった。

続いて低温における圧力依存性を調べたところ、1/T1は転移点Pcに向かっても増大していくことがわかった(図2)。5 Kでは1/T1の増大が急激になっており、量子NIゆらぎのふるまいをはじめて明確に観測できた。

第4章で結論を述べる。

[第4章]

物理圧力と化学圧力を組み合わせてDMTTF-QBrnCl4-n 系におけるNI転移を詳細に調べた結果、スペクトル共鳴周波数が電荷移動と格子歪を捉えると共に、低温の相境界でNQR周波数程度の電荷・格子量子ゆらぎが急激に増大していることがはじめて明らかになった。

最後に付録として本研究のために設計したNQRプローブの図面やヘリウム固化による影響について述べた。さらに得られた結果から臨界指数を解析した結果を述べた。

[付録]

はじめにNQRシフトの起源と格子の揺らぎによる核スピンの緩和機構について述べた。続いてヘリウムガス圧下NQRのために新たに設計したプローブの設計図を掲載した。このプローブは、圧力セルを固定するためのフランジとプローブの中心にキャピラリーケーブルが通るための穴に特徴がある。常厚手の実験も可能な汎用性の高い設計となっている。また、最高品質のシグナルを得ることを目的として同軸ケーブルとしてセミリジッドケーブルを用いたことが特徴である。

ヘリウムは低温高圧で固化する。その際に圧力が大きく変化するため、測定がやや困難になることがある。この問題と補正方法について述べた。

最後に、NI転移の臨界性をNQRによって解析した結果を述べた。I相における共鳴周波数の分裂幅を相転移の秩序パラメーターである分極に比例していると仮定し、臨界指数βの見積を行った。また緩和率の増大や線幅の増大から臨界性を特徴付ける試みを行った。

図1: DMTTF-QBr4の常圧と1.2 kbarにおける1/T1の温度依存性とDMTTF-2,6-QBr2Cl2における。1/T1の温度依存性。

図2: DMTTF-QBr4の1/T1の圧力依存性。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は有機電荷移動錯体DMTTF-QBrnCl4-n (4,4'-dimethyltetrathiafulvalene-p-benzoquinones)が示す中性-イオン性(NI)転移およびその量子臨界性を核四重極共鳴(NQR)実験により調べた結果を報告している。

第1章では、導入として強誘電体の概要が紹介され、NI転移および量子相転移の研究の現状が述べられている。従来型の強誘電体は格子の自由度が主体であるが、有機電荷移動錯体におけるNI転移系では電荷と格子の両方の自由度が関わるという特徴が紹介されている。続いて量子相転移の概念が説明され、有機電荷移動錯体DMTTF-QBrnCl(4-n)に関する研究の現状が概説されている。本研究の目的は、電荷-格子強結合系における中性―イオン性転移の量子臨界現象を核四重極共鳴(NQR)実験により明らかにすることであると述べられている。

第2章では、NQRの原理、試料及び実験装置について述べられている。低温で精密な圧力制御を行うために圧力媒体としてヘリウムを用いる加圧装置と圧力セル、及び加圧下での高周波NQR信号の検出法が述べられている。

第3章では、実験結果と考察がセクションに分けて述べられている。

3.1節では、NI転移を観測するに当たり、まず、QCl4とQBr4分子を用いてそれぞれCl/Br NQR信号の共鳴周波数を探索した結果が述べられている。

3.2節では、全温度領域で中性であるDMTTF-QBr4のBr NQRの測定結果が述べられている。スペクトル形状は温度に依存せず分裂が観測されないことからNI転移は確かに起きていないと結論されている。NQR縦緩和率の温度依存性はフォノンによる緩和で説明され、緩和率の温度依存性からデバイ温度は80±5Kと見積もられた。

3.3節では、DMTTF-QCl4の有限温度におけるNI転移を35Cl NQRの測定により調べた結果が述べられている。転移温度以下でスペクトルが分裂し、低周波へシフトすることが観測された。これは結晶の対称性が破れたこと(二量体化)と電荷移動が起こったことを示している。縦緩和率は転移温度付近で増大し、電荷-格子の臨界揺らぎを観測することに成功したと報じている。これらスペクトルとNQR縦緩和率の振る舞いからこの物質のN-I転移が連続転移に近いこと、及び低温で観測されたスペクトルの本数から秩序状態が反強誘電相であることが帰結されている。

3.4節では、DMTTF-2,6-QBr2Cl2における量子常誘電状態をBr NQRによって調べた結果が述べられている。スペクトルが低温に向かって幅広になり、NQR縦緩和に低温で大きな不均一が現れることから、本物質が低温における特異点すなわち量子転移点近傍に位置していることが示唆された。緩和率は低温に向かって減少していくもののDMTTF-QBr4の緩和率に比べて大きく、臨界ゆらぎが発達していることが明らかになった。量子常誘電状態の緩和率の詳細な温度依存性がこの研究ではじめて明らかにされた。

3.5節では、DMTTF-QBr4のガス圧下におけるBr NQRの測定結果が述べられている。様々な圧力下でのNQRスペクトルと縦緩和率の温度依存性から、DMTTF-QBr4は圧力に依ってDMTTF-QCl4と同様の有限温度NI転移やDMTTF-2,6-QBr2Cl2と同様の量子常誘電の振る舞いを示すことが明らかにされた。さらに、圧力の精密制御によるNI転移の観測が行われたが、縦緩和率は転移圧力近傍で三桁に及ぶ増大を示し、これが量子臨界揺らぎの証拠であると結論づけられている。緩和率の原子核同位体比の測定から、臨界領域の揺らぎは電荷と格子自由度由来であること、すなわちスピン自由度からの寄与が無いことが示された。

3.6節では、実験から得られたNI転移の臨界指数が議論されている。65Kに転移温度を持つDMTTF-QCl4のスペクトルの分裂幅から秩序変数(電気分極)の成長を表す臨界指数βが求められ、β=0.16と決定されている。DMTTF-QBr4の加圧実験結果を同様に解析することにより、極低温量子臨界領域における臨界指数がおおよそβ=0.5と見積もられた。この値は平均場理論から期待される値であるが、平均場が3次元系における量子強誘電転移の上部臨界次元に相当することで理解できることが指摘されている。

第4章は本論文をまとめている。

付録として、本研究で用いたNQRプローブの構造図が添付され、圧力実験に関する補足説明が加えられている。

以上を要すると、本研究は、有機電荷移動錯体DMTTF-QBrnCl4-nを化学圧力と物理圧力を組み合わせて精密に制御し、中性相、イオン性相、およびNI転移を核四重極共鳴法によって調べることにより、各相の電荷-格子結合動力学とNI転移の臨界性を明らかにした。これは、有機電荷-格子結合系における誘電物性の研究に一石を投じるものであり、物性物理学および物理工学の発展に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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