学位論文要旨



No 123460
著者(漢字) 小串,典子
著者(英字)
著者(カナ) オグシ,フミコ
標題(和) 多相共存系における輸送現象の統計力学的研究
標題(洋) Statistical Mechanical Study of Transport Phenomena in Multiphase System
報告番号 123460
報告番号 甲23460
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6776号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 伊藤,伸泰
 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 教授 清水,明
 東京大学 教授 佐野,雅己
 東京大学 准教授 高木,周
内容要旨 要旨を表示する

1. はじめに

微視的には可逆な力学に従う粒子の集団としての振る舞いは、巨視的には多くの不可逆な現象をみせる。その一例に、熱伝導現象がある。近代の歴史では、熱に関する研究は19世紀フーリエの時代にまでさかのぼる。熱機関の発明やその後の産業革命と共に熱力学が生まれた。更なる理解のため、巨視的には不可逆な現象を、個々の分子運動の集団としての振る舞いとして理解する必要から統計力学が生まれた。そして近年における計算機の進歩は、これまで困難であった、微視的ダイナミクスに基づいた熱輸送現象についての直接的な研究を可能にした。これ迄の研究から、平衡状態から線形非平衡状態については一定の理解が得られている。しかしながら、依然として微視的分子運動と巨視的不可逆現象がどう結びつけられるのかという問いが残されているおり、各論的理解を超えた一般的な非平衡状態についての理論は得られていない。

一方で、線形非平衡を超えた非線形非平衡現象を理解する対象として相界面が挙げられる。相界面はメソスケールの複雑な構造を持つことに加え、例えば気液界面では常に蒸発・凝縮が生じている。しかしながら、このような相転移を伴うような系におけるエネルギー輸送を扱うには、一般には解析的手法では困難である。そこで我々は非平衡分子動力学法を用いて3次元レナード・ジョーンズ粒子系において相界面における熱輸送について研究を行った。分子動力学法において最も単純な粒子模型は排除体積効果のみを持つ剛体粒子系であるが、より現実的な熱輸送を実現する為の最も単純な粒子模型はレナード・ジョーンズ粒子系であろう。引力相互作用を持つレナード・ジョーンズ粒子系は気相・液相・固相・超臨界流状態、及びそれぞれの共存状態を記述することが可能である。

以下に、具体的な研究結果を示す。

先ず、単相における熱輸送について熱伝導率のサイズ依存性について述べ、次に非平衡熱輸送の特徴を抽出する為の指標として我々が提案した微視的熱流と分布について述べる。次に、界面構造と熱輸送について述べ、最後にまとめと今後の展望について述べる。

2. 微視的系における熱輸送

巨視的には、熱伝導はフーリエの法則により良く記述されることが知られている。

系に流れる熱流は温度勾配に比例し、熱伝導率は物質固有の値をとる。しかしながら、このような拡散型の熱輸送に関してもその微視的起源は明らかでない。また、剛体粒子系や非線形格子系を用いた研究から、熱伝導率が系のサイズ及び次元に対して依存性を持つことが知られている。一般に、このようなサイズ依存性は久保公式と熱流の自己相関関数の遅いベキ緩和を用いて説明される。しかしながらこのような振る舞いは系の微視的性質によるものであり、剛体粒子系等と比べより長い相互作用・より複雑な局所構造をもつ系において、熱伝導率のサイズ依存性がどのような振る舞いを見せるかは自明でない。

2.1熱伝導率のサイズ依存性

非平衡定常状態における気相・液相・固相・超臨界流状態での熱伝導率のシステムサイズ依存性について調べた。3次元立方体にレナード・ジョーンズ粒子を詰め、系の両端に異なる温度の能勢-フーバー熱浴をつける。定常状態では、線形の温度勾配が得られ、フーリエ型の熱伝導が実現する。この時、いずれの相においても熱伝導率は系のサイズLに対しL-1/2のサイズ依存性を示した。これは、久保公式によって予想される結果と一致し、剛体粒子系及び非線形格子模型によるものとも一致する結果である。また、サイズ依存性の強さは各相により異なる。

2.2 微視的熱流と分布

巨視的にはフーリエ則に従うような拡散型の熱輸送についても、未だその微視的起源は明らかでない。ここで"そもそも熱とは何か?"という問いがある。

この問いに答えるため、系の非平衡性・非線形生を特徴付ける指標として一粒子の担う微視的熱流とその分布について考察する。

熱平衡状態において、運動量の分布がマクスウェル分布に従うものとする。理想気体の場合、微視的熱流は運動量pの3乗項となるため、熱流の分布は拡張された指数型 となる。

実在気体の場合は、運動エネルギーによる移流項とポテンシャル及び力による移流項を足したものが熱流となる。座標と位置の相関が無視出来るとすれば、ポテンシャルと力に関する熱流については運動量pの一乗項となり、従ってマクスウェル型の分布となる。つまり、実在気体において一粒子の担う微視的エネルギー流分布はマクスウェル分布から拡張された指数型へと交差した形を持つ。この結果は実際、3次元レナード・ジョーンズ粒子系を用いた分子動力学シミュレーションの結果とも良く一致する。

3. 相界面

3.1 相界面構造

気液共存系の先行研究はその多くが平衡シミュレーションによるものである。しかし、平衡シミュレーションでは定常界面を実現することは出来ない為界面そのものの構造を議論することが難しい。そこで我々は、非平衡分子動力学法を用いることで定常界面を含む気液共存状態を実現し、界面構造及びそこでの熱輸送について調べた。

平均密度と熱浴温度を調整することで、熱平衡状態にある初期状態から系は自発的に相分離し、最終的には定常状態に至る。

定常状態では、気液各相では熱伝導率の違いから異なる線形の温度勾配が得られる。また、界面では非対称な密度分布が得られた。非対称界面モデルとして、非対称な二重井戸型の自由エネルギー密度を考えたところ、シミュレーションと非常に良く一致した。このモデルは界面の厚みを唯一のパラメータとして含み、3次元イジング系と同じユニバーサリティーを持つ。

3.2 相界面における熱輸送

定常状態において、各相では熱伝導率の違いから異なる線形の温度勾配が得られフーリエ型の熱伝導が実現する。定常状態への緩和過程における結果から、界面において温度分布が非常に急峻な傾きをみせることが分かった。図5に、温度(+)及び密度分布(x)を示す。気液各相側では線形な温度勾配が得られているが、界面において温度分布に飛びが生じている。この界面での温度分布のギャップの値は、定常状態に近づくにつれ一定に収束する。このことから、ナノスケールの気液界面においても界面熱抵抗が存在することが示唆されている。

また、界面熱抵抗については理論的研究のみでなく、近年ではその応用が提案されている。界面を含む系において温度勾配の向きにより熱流の絶対比が非対称性を持ち、ダイオード効果を持つというものである。我々は固液界面における界面熱抵抗の温度依存性及びダイオード効果について調べた。定常状態において、固液界面では温度分布に飛びが生じ界面熱抵抗が存在する。この時、固相から液相へ熱を流した場合と、液相から固相へ流した場合では、界面熱抵抗は異なる温度依存性を示した。この界面熱抵抗の非対称な温度依存性が系にダイオード効果を与える。これは、系を固相・液相・界面の3つの抵抗からなる直列回路として考える事で理解され、実際に,シミュレーションから得られたダイオード効果を良く記述する。

4: まとめ

単相における熱輸送・相界面構造及び界面 での熱輸送について、非平衡分子動力学法を用いて研究を行った。3次元レナード・ジョーンズ粒子系において、熱伝導率は久保公式から予想されるようなシステムサイズ依存性が相に関わらず確認出来た。このことは、このようなサイズ依存性が特別な系においてのみ見られる性質ではなく、ナノスケールの熱伝導現象では一般に見られる性質であろうことを示唆している。この時、依存性の強さは相により異なる。

また、我々は非平衡熱輸送の微視的起源を明らかにするために一粒子の担う微視的熱流とその分布に着目することを提案した。計算機シミュレーションでは観測が容易であり、且つ、特徴的な形状を持つこの分布は、系の非平衡性・非線形生を抽出する指標として有用である。

多相共存系においては各相で正常な熱伝導が実現し、ナノスケールの気液相界面においても界面熱抵抗が存在することを示した。界面構造についても場の理論的モデルを持ってモデル化することが出来たが、ここで、"熱とは何か?"という問題とともに、他方で、"界面とは何か?"という問題が残っている。現在の相界面は連続体記述からも気体分子運動論的記述からも扱うことの困難な領域であり、この問いに答える為には系の静的な特徴だけでは不十分であり熱輸送現象のような系のダイナミカルな性質を通した理解が不可欠である。相界面における輸送現象は、現在の連続体記述の限界を超える為の最も基礎的な課題の一つでもある。

図 1 : 熱伝導率のサイズ依存性

図 2 : 微視的熱流と分布

図 3 : 微視的熱流各成分の熱平衡分布

図 4 : 温度-密度相図

図 5 : 温度及び密度分布

審査要旨 要旨を表示する

巨視的な系における熱伝導はフーリエの法則により良く記述されることが知られているが、拡散型熱輸送においてもその微視的起源は明らかでない。微視的には可逆な力学法則に従う分子が、巨視的には個々の分子の個性を越え集団として不可逆な現象を示す。これは統計力学の基礎的課題であり、熱伝導は不可逆現象の典型例である。しかし、微視的ダイナミクスに基づき直接"熱"を扱うことは解析的には困難である。計算機の進歩は初めて個々の分子運動に基づいた熱輸送の直接的研究を可能にした。その成果、熱伝導現象では系の次元・システムサイズが重要であることが明らかとなって来ている。具体的には熱伝導率が次元・サイズ依存性を持つ。ナノからメソスケールではこのようなサイズ依存性が顕著であり、従って、系が巨視的であっても統計力学的にはメソスケール以下の構造を持つ相界面を含むような場合には、界面の挙動が重要となる。一方、相界面は本質的に非平衡/非線形性が重要となる領域である。

本論文では非平衡分子動力学法を用いて多相共存系における熱輸送現象について研究を行った。分子動力学法では分子運動に基づいてエネルギー・熱輸送を扱うことが可能である。これまでの研究では剛体粒子という簡単な分子模型を用いたものであったが、本研究ではLennard-Jones粒子を用いており気液相転移を記述することが可能なった。

第二部は単相での熱伝導率を非平衡シミュレーションを用いて解析した結果をまとめている。固相や気相においても3次元でL-1/2のサイズ依存性を持つ結果を得た。相関関数のべき緩和および線形応答理論から予測されるこのサイズ依存性が有限系における一般的な性質であることを確認するとともに、ナノスケールからマクロスケールに至る道のりを明らかとした。さらに非平衡熱流を特徴付ける指標として微視的熱流とその分布に着目することを提案し、熱平衡及び非平衡定常熱流下での分布を解明した。

第三部では気液共存系を実現し界面の構造及び熱輸送を解析した結果をまとめている。定常状態では気液各相でフーリエ型の熱輸送が実現し、熱伝導率の違いから異なる二つの温度勾配が確認されている。非対称構造を持つ界面が得られ、非対称性を扱う場の理論的モデルも提唱している。界面の構造は気泡や液滴の核生成率を解明するために基本的であるが、本界面モデルを用いることで特に非平衡下での核生成についてより良い予測を得ることが期待される。さらに非平衡非定常状態における解析から、界面での界面熱抵抗およびその非対称性(いわゆる熱流ダイオード効果)を確認した。

本論文の研究は、原子・分子の物理理論および熱統計物理学を、計算科学の手法により生物学、熱・機械工学、気候・環境学はじめ広く非線形非平衡現象を扱う問題へと結びつけるものとして高く評価できる。本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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