学位論文要旨



No 123461
著者(漢字) 小菅,淳
著者(英字)
著者(カナ) コスゲ,アツシ
標題(和) 高次高調波を用いたアト秒パルス発生と計測
標題(洋)
報告番号 123461
報告番号 甲23461
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6777号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,俊太郎
 東京大学 教授 辛,埴
 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 教授 志村,努
 東京大学 准教授 酒井,広文
内容要旨 要旨を表示する

1960年にルビーレーザーが発振して以来、レーザーの進歩とともにパルスレーザーの短パルス化が進み、現在、可視から近赤外領域の光で約3 fs (fs:10-15秒)のパルス発生が報告されている。このフェムト秒パルスレーザーを用いることで化学反応とともなう原子の運動を実時間で追うことが可能になった。さらに短い時間スケールであるアト秒(10-18秒)領域になると、化学反応や励起にともなう電子の動きを実時間で追うことが可能になる。しかしながら、可視から近赤外領域では、パルス幅が光の搬送波の一周期に近づきつつあり、これ以上の短パルス化は難しい。そこで、本研究ではアト秒パルスを光の搬送波の一周期が短い短波長の光である高次高調波を用いて発生させ、そのパルスのパルス特性の決定についての研究を行った。

高次高調波とは、原子のクーロン電場と同程度以上の高強度のレーザーを気体原子に集光したときに、レーザー周波数の奇数倍の周波数を持つ光が放出される現象である。レーザー電場が摂動として扱えるような低次の高調波発生では、強度が次数とともに急激に減少する。それに対し、もはやレーザー電場を摂動として扱えないような高次の高調波発生では、次数が増加しても高調波の強度変化が少ないプラトー(plateau)領域が現れる。さらに高い次数になると再び次数とともに急激に強度が減少するカットオフ領域となる。カットオフの光子エネルギーは、非線形媒質である気体原子のイオン化エネルギーと電子が振動電場から受ける平均エネルギーであるポンデロモーティブエネルギー(Ponderomotive energy)の3倍の和になる。現在、このような高次の振る舞いを説明するのにCorkumによる3段階モデルが広く受け入れられている。

高次高調波を用いたアト秒パルス発生の研究はいくつかのグループで行われている。アト秒パルスの発生方法は、大きく分けて2種類ある。まず1つは、アト秒パルス列の発生である。複数の高次高調波の相互の位相を固定し足し合わせると、合成電場は基本波の周波数の半周期ごとに現れるパルス列となる。これは、モード同期とまったく同じ原理である。このアト秒パルス列を時間分解分光の光源として考えたとき、短い時間周期(800 nmで1.33 fs)で照射されるので実用性に欠ける。もう一つは、単一アト秒パルスの発生である。この単一アト秒パルス発生は、世界で本研究を含めて3つのグループでしか報告されておらず、それぞれのグループで発生方法と測定法が異なる。この3つの発生方法は、偏光ゲート法、半サイクル法、そして本研究で用いたイオン化シャッター法である。偏光ゲート法と半サイクル法は、発生原理の制限から強いアト秒パルス発生が難しく、非線形過程を用いたパルス測定ができず、光ストリークの考え方に基づいた測定方法でパルス特性を評価した。この方法では、途中に仮定やシミュレーションを含んでいるため完全測定とは言えない。それに対して、本研究で用いたイオン化シャッター法では、希ガスが十分にイオン化するほどのレーザー強度で高調波を発生させるため、高調波の強度も大きくなる。そのため、可視から近赤外領域で用いられているような非線形過程を用いたパルス特性の決定法を用いることができ、可視から近赤外領域の延長線上でアト秒パルスのパルス特性の完全測定を行った。

フェムト秒、アト秒領域でパルス幅測定を行う場合、フォトダイオードなどの直接法は、時間分解能の制限から用いることができない。そのため、本研究では間接法の一種である強度相関法を用いた。強度相関法とは、2つのパルスの片方に時間遅延をつけ非線形媒質中で重ね、そこで起こる非線形過程により生じた強度信号を測定する。時間遅延に対し強度信号をプロットしたものが相関波形となり、パルス波形を仮定してパルス幅を決定する。一方、光電場は、強度と位相項が決まって初めて完全に決定することができる。そのために、本研究では周波数分解光ゲート法(FROG法)を用いて光電場の完全測定を行った。FROG法は、強度相関法の一種であり測定データから再生アルゴリズムを用いて強度と位相に関する情報を得ることができ、波形の仮定を前提としないことが大きな特徴である。測定データは、FROG traceと呼ばれ、それぞれの軸は周波数軸と遅延軸であらわされる強度分布である。一方、高次高調波の波長領域は、極端紫外から軟X線領域である。この波長領域で透過する非線形結晶は存在しない。そのため本研究では、非線形過程としてHeの2光子イオン化過程を用いた。

測定は、繰り返し周波数1kHzのチャープパルス増幅法(CPA)を用いたTi:sapphireレーザーシステムを使用した。このレーザーのスペックは、中心周波数:800 nm、パルス幅:約20 fs、パルスエネルギー:10 mJである。イオン化シャッター法の原理から、高次高調波でアト秒を得るにはパルス幅が10 fsを切るような励起パルスが必要となる。基本波パルスではそのようなパルス幅は得られないので、Broadband Frequency Doublingという技術を用いた。これは、すべての波長域を効率よく2倍波に変換することで、周波数幅が最大2倍となり基本波の半分のパルス幅が得られる。実際の測定では収差を考え、望遠鏡型の光学系を組み、中心波長:400 nm、パルス幅:最短8.4 fs、パルスエネルギー:約1.5 mJの2倍波を発生させることに成功した。この2倍波をチャンバー内で希ガスに集光することにより高調波を発生させた。

高調波の発生方法としてイオン化シャッター法を用いた。この方法ではイオン化寸前の可能な限り強い励起パルスで高調波を発生させる。励起パルスの立ち上がりとともに急激に高調波が発生し、非線形媒質である中性原子のイオン化により発生が止まる。そのため高調波のパルス幅は励起パルスより短くなり、強度も強くなる。この考えを基にモデル計算をおこなうと、中心波長400 nm、パルス幅8 fs、ピーク強度5.5×1014W/cm2の励起パルスで9次高調波を発生させた場合、パルス幅は1 fs程度になった。

まず初めに、交差相関FROG(XFROG)法を用いてパルス特性の決定を行った。交差相関法を用いることの利点は、高調波と基本波との非線形過程を観測するため、高調波が弱くても強い基本波のおかげで非線形過程を観測し易い点である。しかしながら、測定できる時間分解能が、基本波の搬送波の1周期で制限されてしまう。今回の測定では、基本波として400 nmの光を用いるので測定できるパルス幅は1.33 fsである。測定する高調波は、励起パルス400 nmの9次高調波(44.4 nm、28 eV)の光である。空間的に高調波発生のためのポンプ光(~800 μJ)(同軸外側リング)とプローブ光(~10 μJ)(同軸内側円)にビームを分けプローブ光に時間遅延をつけてパルスガスジェットからでたArガス中に集光し、高次高調波を発生する。ガスを透過後ポンプ光をアパーチャーでカットし、Sc/Si多層膜ミラーで9次高調波とプローブ光を選択してHeに集光する。発生した光電子は、磁気ボトル型光電子分光器で検出される。まず9次高調波とプローブ光の2光子スペクトルを測定し、このスペクトルの遅延時間依存性を測定することでFROGトレースが得られる。その結果、パルス幅約4 fsのパルス特性を決定することに成功した。

この交差相関法の実験の直後に、Heの2光子超域イオン化過程(2光子ATI)の測定に成功した。2光子ATIとは、イオン化に必要な1光子の上にもう1光子を吸収してイオン化する過程で、ヘリウム原子では、通常の2光子イオン化(1光子エネルギーがイオン化ポテンシャル以下)より1桁吸収断面積が小さくなることが理論的に予想される。この測定の成功により、9次高調波の自己相関測定が可能になり、時間分解能の制限もなくなった。

励起パルスのパルス幅をより短くし、9次高調波のアト秒パルスの測定を目指した。測定した2光子ATI信号強度が小さいため、周波数ドメインで十分な分解能が得られず積分強度信号のみを測定し、自己相関測定を行った。測定は、励起パルスを空間的に2つに分け高調波を発生させ、アルミフィルターで励起パルスと低次の高調波をカットし、Sc/Si多層膜ミラーで9次のみを選択しHeに集光した。発生した2光子超域イオン化信号を磁気ボトル型光電子分光器で測定した。その結果、2光子超閾イオン化信号が最も強い条件では、パルス幅1.3 fsのパルス波形が得られ、その相関波形は9次高調波の1光子スペクトルからフーリエ限界を仮定して計算された相関波形とよく一致した。さらに、1光子スペクトルのスペクトル幅をより広くした条件で測定した場合、パルス幅950 asのパルス波形が得られた。測定されたパルスには、主ピークの両脇にサイドピークが現れたが、これはスペクトル構造に起因しているものであり、1光子スペクトルからのフーリエ限界を仮定して計算された相関波形とよく一致している。本測定の結果、1 fsを切るようなほぼフーリエ限界パルスの測定に成功した。なお、高調波パルスの位相は、いくつかの要因のバランスによって決まるが、本研究ではそのバランスがとれ、フーリエ限界パルスが観測されたものと考える。

自己相関測定の結果、1 fsを切るようなパルス幅測定に成功したが、光電場の決定に完全に成功したわけではない。そこで、この自己相関測定を拡張してATI FROG測定を目指すことにした。ATI FROGでの問題点は、時間分解能と信号強度の不足である。これは、高性能のマルチチャンネルスケーラーに交換したことで分解能が向上し、Ti:sapphireレーザーシステムやパルスガスジェットの改良をおこない高調波強度の増大化により解決した。これにより、2光子ATI信号を3桁増大させ、分解能も約200 meVと向上し、ATI FROG測定が可能になった。その結果、パルス幅860 asでほぼフーリエ限界パルスの測定に成功した。これにより、パルス波形と位相が同時に一意的にに決定されアト秒パルスの完全測定が可能になった。さらにアト秒領域でのパルス整形を高調波発生ガスの濃度を変化させることによりおこなった。ガス濃度を変化させると、自己位相変調によりスペクトルが広がった。特に、スペクトルのブルーシフトは、励起パルスの自由電子による自己相変調によりおこったと考えられる。ガス濃度が低い場合は、若干負にチャープするパルスが得られ、ガス濃度を上げると、ほぼフーリエ限界パルスのパルスが得られた。さらに濃度を上げると、フーリエ限界パルスからずれ、正にチャープしたパルスが得られた。高調波の位相は、原子双極子、自由電子、媒質に起因したいくつかの位相のバランスによって決まり、ガス濃度を上げていくと高調波のチャープは正に変化し、位相がバランスしたところでパルス幅860 asのフーリエ限界パルスが得られた。

本研究では、可視から近赤外領域で用いられているパルス特性の決定法である、自己相関法やFROG法を高次高調波波長領域で適用し、アト秒パルスのパルス特性の完全測定に成功した。またこれにより、高調波発生ガス濃度を変化させることで位相をコントロールしパルス整形をおこなうことに成功した。

[1] T.Sekikawa, A. Kosuge, T.Kanai, and S.Watanabe: Nature 432, pp605-608 (2004)[2] A. Kosuge, T. Sekikawa, X. Zhou, T. Kanai, S. Adachi, and S. Watanabe: Phys. Rev. Lett. 97, pp263901 (2006)

図1 イオン化シャッター法のモデル計算

図2 XFROGの結果

図3 パルス幅1.3 fs、950 asの自己相関波形[1]

図4 ATI FROGの結果[2]

審査要旨 要旨を表示する

現在観測されている可視から近赤外領域での最短パルスは2.6 fsである。このパルス幅は、光の搬送波の1周期に近づきつつあり更なる短パルス化は難しい。そこで、更に短いアト秒領域のパルスを発生させるには、搬送波の1周期が短い短波長の光を用いる必要がある。この論文では、高次高調波を用いてアト秒パルスを発生させ、通常可視から近赤外領域のパルス波形の計測に用いられる非線形過程を用いたパルス波形の測定法を高次高調波に適用し、アト秒パルスの波形と位相を完全に決めることを目的としている。この研究は同時に極端紫外、軟X線領域でのコヒーレントな超短パルス光源としての高調波の地位を確立するものでもある。

第1章では、序論として、超短パルスレーザーの歴史、高次高調波の歴史、高次高調波のパルス幅測定の歴史、高次高調波の応用等を記述し、本論文の目的と意義を述べている。

第2章では、高次高調波の発生理論や高次高調波によるアト秒パルス発生について述べている。

第3章では、パルス幅測定法について記述している。始めに、一般的な相関法について説明し、2光子イオン化を用いた高次高調波のパルス幅測定へと展開している。

第4章では、測定に使用した繰り返し1 kHzのレーザーシステムと、非線形光学結晶(BBO)を用いて、2倍波を発生することにより、パルス幅を基本波の半分まで短くする事が可能なBroadband Frequency Doubling (以後BFD) の原理について記述している。このBFDを望遠鏡型の光学系を用いることにより、ビームのパルスフロントの歪みのないパルス幅8.3 fsのパルス(波長400 nm)を得た。

第5章では、BFDで変換されたTi:sapphireレーザーの2倍波を用いて発生させた9次高調波 (波長:44.4 nm) のパルス波形と位相を、交差相関FROG (Frequency-Resolved Optical Gating) 法 (XFROG) を用いて測定した結果について述べている。測定する高調波とプローブ光(2倍波)の2光子イオン化過程を用いて、光電子の運動エネルギースペクトルを高調波とプローブ光に遅延時間をつけて測定し、得られた2次元マップ(FROG トレース)を再構築アルゴリズムで再構築することによりパルス幅3.9 fsのほぼ位相のそろったパルスの観測に成功した。しかしながらこの交差相関法ではプローブ光の光電場の1サイクルすなわち1.3 fsまでしか適用できないため、アト秒パルス測定に用いることはできない。

第6章では、高次高調波のアト秒パルスのパルス幅を測定するため2光子超閾イオン化(Above threshold ionization (ATI))を用いてアト秒パルスの自己相関測定を行った。2光子ATIは、1光子のエネルギーがイオン化エネルギーを超えさらに1光子を吸収する現象で、その発生確率はイオン化エネルギーより低い光子による通常の2光子イオン化よりも低く、観測は難しい。しかしながら、著者はTi:sapphireレーザーの2倍波を用いて発生させた9次高調波の2光子ATI過程をHeにおいて観測することに成功し、自己相関測定を行った。この2光子ATIを用いることで、時間分解能の制限がないためアト秒パルスの測定が可能となった。測定は、BFDで変換された2倍波を均等に二つにわけ、片方に時間遅延を付け、Arガスに集光して高調波を発生し、9次高調波の2光子ATI信号強度を各遅延時間で測定することにより、自己相関波形を得た。その結果、まず9次高調波の1光子スペクトル強度が最も強い条件(2倍波のパルス幅は12 fs)では、パルス幅1.3 fsを得た。高調波スペクトルのフーリエ変換で得られる相関波形と、測定した相関波形がほぼ一致しており、フーリエ限界パルスとなっている。さらに、2倍波のパルス幅が8.3 fsの条件で9次高調波の自己相関測定を行い、950 asecのパルス幅測定に成功した。1.3 fsの時と同様にほぼフーリエ限界パルスであった。

第7章では、前章の自己相関測定をFROG測定まで拡張し、アト秒高次高調波のパルス波形と位相特性の同時測定を行った。まず著者はFROG測定をおこなうため、いくつか改良をおこなった。Ti:sapphireレーザーのクリーンパルス化とパルスガスジェットの改良を行い、信号強度を2-3桁改良し、マルチチャンネルスケーラーのアップグレードを行うことで高分解能化に成功した。これにより9次高調波のFROG測定を行い、パルス幅860 asecで一定位相のパルス波形の測定に成功した。著者はさらに、高調波スペクトルがArガス濃度により変化することを見出し、ガス濃度を変化させることによりアト秒スケールでのパルス整形に成功した。

第8章では、本論文のまとめと展望について述べている。高調波発生ガスをよりcut offエネルギーの高いNeに変え、より高次の高調波により更なる短パルス化が可能であるとしている。

以上要するに、著者は非線形過程を用いて高次高調波のパルス波形の測定を行い1fsを切るアト秒パルスのパルス波形の測定に初めて成功し、さらにアト秒スケールでのパルス整形の実験をおこなった。この研究の結果は極端紫外から軟X線領域における超高時間分解分光や非線形分光を切り拓くものである。この研究は物理工学に大きく寄与するものであり、よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク