学位論文要旨



No 123466
著者(漢字) 西尾,隆宏
著者(英字)
著者(カナ) ニシオ,タカヒロ
標題(和) 極低温走査トンネル顕微鏡を用いたナノアイランド構造における超伝導状態の研究
標題(洋)
報告番号 123466
報告番号 甲23466
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6782号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 長谷川,幸雄
 東京大学 教授 市川,昌和
 東京大学 教授 福谷,克之
 東京大学 准教授 為ヶ井,強
 東京大学 教授 小森,文夫
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

近年、ナノテクノロジーの進歩とともに微小な超伝導体の研究が盛んに行われている。とくにPb超薄膜においてはナノサイズ欠陥による渦糸のピンニングといったナノ構造特有の超伝導現象が報告されている。しかしながら従来の作成・測定評価手法による研究では欠陥や不純物などの影響を除外することができず、また空間的に平均化された情報に基づく議論が主となるために曖昧な点が多く残されてきた。そこで本研究では一貫した超高真空中での試料作成を行い、その超伝導状態を原子分解能での電子状態測定が可能な走査トンネル顕微鏡(STM)による実空間観察によって明らかにすることを目的とした。特に超伝導体のサイズ・膜厚を十分に制御することによりそのサイズ効果について詳細に調べることとした。

2. 極低温走査トンネル顕微鏡の作製

上記の目的を達成するために実験装置として超高真空・極低温下で動作するSTM装置の立ち上げ・改良を行った。この装置は超高真空中で試料の調製が可能であり、超高真空中で試料をSTM部分まで搬送することにより、試料を清浄に保ったままその場観察可能な構成になっている。探針についてはSTM測定前に電界イオン顕微鏡(FIM)により金属的で尖鋭な探針であることの確認を行っている。STM本体は超伝導磁石により試料に垂直方向に対して7Tまで磁場を印加することが可能であり、液体ヘリウム3冷却により最低到達温度0.4 Kまで冷却可能である。立ち上げ当初は試料温度が1K付近で停滞してしまうという問題があったが、信号線を低温で熱伝導の悪いNbTi超伝導線に変更する、室温からの輻射熱を防ぐ熱シールドを2段に変更するなどの低温化対策によって、0.4 Kまで冷却されていることを試料温度の直接測定により確認している。このことは低温STMの標準試料であるNbSe2へき開面の超伝導ギャップ測定からも確認している。超高真空についてもSi(111)-7x7再構成表面の観察を行うことよって原子分解能で清浄な表面が形成されていることを確認している。

3. Pbナノアイランドの作製

超伝導体のサイズ効果について調べるために、Si(111)-7x7清浄表面上に生成されるPbナノアイランド構造に着目した。この系では膜厚・サイズの揃ったアイランド構造が作製されることがこれまでの表面科学研究により知られている。図1(a)にSi清浄表面上にPb蒸着した試料のSTM像を示す。原子オーダーで均一な膜厚を持ち、横方向には直径約100nm程度のナノアイランド構造が形成できていることが分かる。蒸着時の基板温度を180K~250Kの間で制御することによってPbアイランドのサイズが制御可能なことが知られているので、液体窒素による冷却機構とヒーターを備えた温度可変の蒸着ステージの作成を行い、これによりナノPbアイランドのサイズを制御することが可能になった。

また、このアイランドの膜厚は非常に薄くその電子のフェルミ波長程度であることから、基板と表面上の真空領域がエネルギー障壁として働くことにより膜厚方向に閉じ込められ、量子井戸状態(QWS)が形成される。走査トンネル分光(STS)により各膜厚でのQWSを測定したところ、奇数層の薄膜と偶数層のそれとで大きく異なるなど、これまで報告されている研究と一致する結果が得られた。さらに異なる膜厚領域が隣接した部分で微分トンネルコンダクタンス(dI/dV)マッピングを行ったところ、QWSが膜厚に敏感に依存していることが観察された。

4.Pbナノアイランドにおける超伝導状態と渦糸状態の観察

図1(a)のPbアイランドの超伝導状態の観察を行った。このアイランドの厚さは9MLであり、同膜厚のPb薄膜に対して報告されているコヒーレンス長に比べ膜厚はかなり短いが横方向のサイズはやや大きい程度である。このアイランドの中心から40nm離れた点Bでは(b)に示すような超伝導スペクトルが得られ、磁場を大きくするに従い超伝導ギャップの底が徐々に上昇することが分かる。これは磁場によってクーパー対が破壊されフェルミ準位の電子状態が増加するためである。そこでこのギャップの底の高さ、すなわちゼロバイアスコンダクタンス(ZBC)が超伝導状態の指標になっていると考え、さらに詳細に場所と磁場依存性について調べた。(c)では中心点AとBで得られたZBCの磁場依存性を示す。BにおけるZBCは磁場に対して単調増加するのに対し、AにおけるZBCは0.6T付近で飛びを示すことが分かる。このように場所依存が観察されたのでZBCの空間分布について調べた。図1(d)は0.6TにおけるZBC像である。中心付近でZBCが高い値を示しており、超伝導状態が局所的に破壊されていることが分かる。この分布は線形なGinzburg-Landau(LGL)方程式において渦糸が1つ侵入した際のオーダーパラメータの空間分布とほぼ一致していることから渦糸状態であると考えられる。また中心付近のZBCでは磁場掃引方向によるヒステリシスが観察されており、これは渦糸の出入りに際しての表面バリアの存在に起因するものと考えられ、このことも観察されたZBC分布が渦糸状態であることを支持する。

5.渦糸状態のサイズ依存性と膜厚依存性

続いてサイズが異なるPbアイランドの渦糸状態について調べたところ、さらに大きいサイズのPbアイランドではより低い磁場で渦糸が侵入し、さらに大きく縦長で楕円状のアイランドでは二つ目の渦糸が明瞭に観察された。一方でコヒーレンス長と同程度のサイズのアイランドではいずれの磁場においてもアイランド内でのZBC分布は一様で、磁場に対して単調に増加することがわかった。このことはコヒーレンス長程度の大きさを持つ超伝導体に関するGorkovの式を用いた理論計算の結果と一致している。小さいサイズのアイランド内ではZBC分布が一様で空間的に変化がないことから渦糸は観察されないこととなり、渦糸の侵入には臨界サイズが存在することが分かった。

図2には9MLのアイランドで得られた渦糸が侵入する磁場Hc nuc,1,up、超伝導が完全に消失する磁場Hc3、磁場を減少させた際に渦糸が消滅する磁場Hc nuc,1,downとサイズの関係を示す。図から渦糸状態の形成には臨界サイズが存在し、大きなアイランドほど低い磁場で渦糸が侵入する傾向があることが分かる。この傾向はLGL方程式による計算結果と一致しており、臨界サイズから見積もったPbアイランドのコヒーレンス長の大きさは同じ膜厚のPb超薄膜におけるものと同程度であることが分かった。

また、膜厚の違いによる超伝導への影響についても調べた。同じアイランド内で異なる膜厚が隣接した場所のZBCのマッピングを行うことにより、膜厚によって超伝導が完全に消失する磁場が異なることが観察された。これは膜厚の変化によりコヒーレンス長が変化しそれに伴ってHc3が変化しているためであると考えられる。

6.渦糸状態の操作

アイランドの超伝導状態における渦糸状態への転移に際してヒステリシスが存在することがわかったが、このことは転移直前の磁場下での状態が準安定であることを示唆している。そこで転移直前の状態においてバイアス電圧にパルス電圧を印加する実験を行った。その結果、パルス電圧印加によって渦糸状態が励起可能であることが分かった。さらにその励起はパルス時間の長さに依存することや同じパルス電圧条件ならばSTM探針がアイランドの外側にある方が渦糸状態を励起しやすいことが観察された。パルス電圧以外にもSTM探針による欠陥導入によって渦糸状態の操作が可能なことが分かった。

7.結論

最低到達温度0.4Kの超高真空中で動作するSTMの立ち上げ・改良を行い、この装置を用いて膜厚・サイズの揃ったPbナノアイランド構造を作製し、その超伝導状態の観察を行った。磁場印加によりアイランド中に渦糸が形成されることを観察した。さらにアイランドのサイズ依存性の測定から渦糸状態の形成には臨界サイズが存在し、大きなアイランドほど低い磁場で渦糸が侵入することが分かった。この傾向はLGL方程式による計算結果と一致する。また、渦糸状態は電圧パルスやSTM探針による励起で操作可能であることも分かった。

図1(a)PbナノアイランドのSTM像 (b)Bにおける超伝導スペクトルの磁場依存性 (c)ZBCの磁場依存性 (d) 0.6Tにおける(a)中の黒線で囲まれた部分のZBC像

図2 Pbアイランドのサイズと臨界磁場の関係

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「極低温走査トンネル顕微鏡を用いたナノアイランド構造における超伝導状態の研究」と題し、ヘリウム3冷却温度および磁場下で動作する超高真空走査トンネル顕微鏡(STM)によるトンネル分光測定からサイズが数十から数百ナノメートルのPbアイランド構造の超伝導状態に関する実験結果と考察をまとめたものである。本論文は全8章から構成されており、第1章は「序論」、第2章は「超伝導について」、第3章は「実験手法と実験装置」、第4章は「Pbアイランド作製と量子サイズ効果」、第5章は「Pbアイランドの超伝導状態と渦糸状態」、第6章は「渦糸状態のサイズ効果」、第7章は「渦糸状態の操作」、第8章は「総括」について述べている。

第1章は序論であり、研究背景や本研究の特長・内容等について言及している。

第2章には超伝導に関する記述があり、まずは超伝導全般に関する一般的な解説ののち、本研究と関連の深い薄膜での超伝導や微小超伝導体に関して知られている知見やこれまで行われてきた研究結果をまとめている

第3章では、本研究において主に使用した手法であるSTMおよびその分光手法である走査トンネル分光(STS)について説明した後、本研究で用いたヘリウム3冷却の低温STM装置に関する説明、及び、本研究で加えた幾つかの改良点について述べている。さらに、装置の性能評価として、低温STMの標準試料であるNbSe2劈開面の観察から本研究遂行に十分な低温が実現されていることを確認し、Si(111)-7x7表面を用いて研究に必要となる十分な超高真空条件が達成されていることを検証している。

第4章には、Pbナノアイランドの作製方法やその形状や電子状態の評価に関する記述がある。超高真空中の極めて清浄な環境でSi(111)-7x7基板上にPbを低温蒸着しその後室温でしばらく放置することにより、表面が平坦で膜厚が原子層スケールで制御されたPbナノアイランド構造が形成でき、その冷却温度の調整によってアイランドのサイズをある程度制御できることを報告している。またアイランドの膜厚がPbのフェルミ波長の数倍程度であることを反映して量子サイズ効果による量子井戸準位が形成されることがこれまでの研究により知られているが、ここでもトンネル分光スペクトルによるその準位の検出について触れ、さらに二次元でのトンネル分光による量子井戸準位の強度分布測定についても言及している。

第5章では作製したPbナノアイランドの超伝導特性をトンネル分光により評価した結果について述べている。まず、磁場が印加されていない状態ではトンネル分光による超伝導ギャップの形状はアイランド内での場所に依らず均一であることが示された。一方、垂直磁場中では、超伝導ギャップのアイランド内での場所依存性が観察され、そのことを詳細に調べるために、超伝導破壊に起因したフェルミ準位での電子状態密度を表すゼロバイアスコンダクタンス(ZBC)の磁場依存性のアイランド内での中央部や周辺部での測定や、ZBC分布像の観測を試みている。その結果、ある大きさのPbアイランド上ではある磁場以上で中央部のみ超伝導が壊される現象を見出し、線形化したギンツブルグ・ランダウ(GL)方程式の結果との比較や臨界磁場近傍に見られたヒステリシスなどから、これが渦糸状態の形成によるものと結論している。

第6章では、前章で見出した渦糸状態の生成消滅に関するアイランドのサイズ効果に関して言及している。同じ膜厚でサイズの異なる幾つかのPbアイランドに対してZBCの磁場依存性測定やZBC像観察を行い、径が小さいアイランドでは渦糸が侵入せず、また大きいアイランドほど渦糸侵入の磁場やアイランド全体の超伝導が壊れる磁場が低くなる傾向が観察された。こうした傾向はこの膜厚のアイランドのコヒーレンス長の値を仮定した上で計算された線形化されたGL方程式や時間依存の非線形GL方程式から予想される傾向と定性的に一致していることが示され、また仮定したコヒーレンス長も同じ膜厚の薄膜において測定された値と矛盾しないことが示されている。

第7章では、STM探針へのパルス電圧の印加による渦糸状態の励起に関して述べている。磁場を渦糸侵入磁場よりもわずかに小さい値に設定し、探針に適当なパルス電圧を加えることにより渦糸が励起できることを見出し、磁場が十分に臨界磁場に近いことや、パルス幅が十分に長いことなどその励起条件について言及している。加えて、他の条件が等しければアイランドの周辺部にパルスを加えたほうが中心部に比べ渦糸を励起しやすいことを見出し、外部からの渦糸侵入における表面エネルギー障壁がトンネル電流注入により局所的に弱められたことによるとしてこの現象を説明している。

第8章は総括であり、これまで述べてきた研究結果についてまとめている。

以上をまとめると、本論文では。超高真空中の極めて清浄な環境でナノサイズの超伝導体を作製し、アイランドサイズの制御とその渦糸状態のSTMによる実空間観察を通して、渦糸形成の臨界サイズ領域におけるアイランドサイズ依存性を明らかにした。さらにアイランド中の渦糸侵入における表面エネルギー障壁をトンネル電流により低くすることによって、STM 探針による渦糸励起が可能であることを示した。低温STMを用いたナノサイズ超伝導体の評価及び評価法の確立という点で、物理工学への寄与は非常に大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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