学位論文要旨



No 123468
著者(漢字) 與儀,剛史
著者(英字)
著者(カナ) ヨギ,タケシ
標題(和) 光ビート分光ブリュアン散乱による気体の超高分解能フォノンスペクトロスコピー
標題(洋)
報告番号 123468
報告番号 甲23468
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6784号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 酒井,啓司
 東京大学 教授 土井,正男
 東京大学 教授 田中,肇
 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 特任講師 奥薗,透
内容要旨 要旨を表示する

本研究では,高感度,超高分解能の動的光散乱装置を開発し,従来捉えることが非常に困難であった気体における熱フォノンの観察を行った.それにより,気体中の熱フォノンの速度分散から緩和現象を捉えた.さらに、熱フォノンが分子自由度と結合したモードが気体の光散乱スペクトルに現れることを実験的に確認し,新たな気体の緩和測定手法として,熱フォノンスペクトロスコピーを完成させた.

「背景」

熱フォノンとは熱揺らぎの音波モードであり,物質中にあらゆる方向に,広い周波数帯にわたって伝搬している.その伝搬の様子を動的光散乱で観察することで,物質の静的,動的な構造を知ることができるため,古くから物性観察のプローブとして用いられてきた.工業的には、動的光散乱手法は、温度計、超音波素子を直接使うことの出来ない、超高温、超高圧といった極限環境下においても用いることができるというメリットがある.さらに熱フォノンと分子自由度が結合することで,熱フォノンスペクトルとは異なるスペクトル(カップリングモード)が現れることが,液体において確認されている.このカップリングモードは緩和周波数,緩和強度という情報を含むために,新たな分子緩和測定手法として注目されている.

熱フォノンは音波と同様に物質の静的かつ動的な構造を反映して伝わるが,一方でコヒーレントに印加できる電場や音場と異なり,コヒーレンシーが小さく,強度も極めて弱い.そのため,超音波などの外場によって生じる散乱光と比べると,ブリュアン散乱光と呼ばれる熱フォノンによる散乱光はきわめて弱く、スペクトル解析することは容易ではない.さらに,物質中を通過する光の散乱強度は、温度や散乱体積が一定の場合、圧縮率,密度の自乗にほぼ比例するため,液体の光散乱能と比べ、固体や常圧の気体の光散乱能は約1/100,1/1000と小さい.そのため,気体における動的光散乱測定は,高感度の分光が可能な1GHz以上の高周波数域に限られていた.

「高感度,超高分解能・動的光散乱手法の構築」

「高感度化」

本研究では,ヘテロダイン原理を用いた光ビート分光手法を用いて,高感度,超高分解能の動的光散乱装置を開発した.受光素子回路におけるノイズを減少させるためのフィルタリング,迷光を減らすための光学系,高い周波数安定度をもつ高出力レーザーの使用などにより,従来の光ビート分光手法と比べ,約2桁感度を向上させることに成功した.それにより,10MHz以下の気体の熱フォノンスペクトルを捉えることに初めて成功し,固体を含む,光の透過性のあるほぼすべての試料において,相を選ばず熱フォノンを測定することが可能になった。

「高精度化」

低周波数域の熱フォノンスペクトルを得るためには,低角前方散乱測定を行う必要がある.低角散乱測定では,レーザーを集光することで,光散乱スペクトルの強度が向上するものの測定散乱角度の曖昧さが生じてしまい,光散乱スペクトル測定精度が低下するという問題がある.そこで,シリンドリカルレンズを用いて散乱面に対して垂直方向のみを集光し,かつビームエキスパンダーを用いて散乱面方向のレーザー径を拡大し平行度を向上させることにより,装置幅を約1/1000へと減少させた.この方法により,感度を失うことなく熱フォノンスペクトルの測定誤差を減らし,前方散乱においてピーク測定精度の向上,幅の定量的議論が可能となった.

「熱フォノンスペクトロスコピーによる分子緩和測定」

気体における緩和モードの多くは1GHz以下の周波数域にある.これは従来の分光手法では観察が困難な領域であったため,気体の熱フォノンの緩和分散を光散乱測定では詳細に観察することができなかった.

開発した図2の動的光散乱装置を用いて,CHClF2(freon22),CHF3(froen23)ガスにおいて、熱フォノンスペクトルのピークシフトから熱フォノンの速度分散を求め、振動緩和により分散を示す(図2)ことを確認した.また,超音波測定による緩和定数と熱フォノンスペクトルによる緩和定数が一致することを確認した.これにより、気体の熱フォノンの伝搬が、外場として印可される超音波と同様に分子緩和によって変調を受けることが確認された.

「気体における熱フォノン―振動自由度間のカップリングモード測定」

熱フォノンは熱揺らぎを起源としているため,熱フォノンから分子自由度にエネルギーが流れるだけではなく,逆に分子自由度から熱フォノンに同じレベルのエネルギーが流れてくる.そのため,熱平衡状態において,熱フォノンは分子自由度と常にエネルギー的に結合している.一方,外場によって励起した音波は,熱フォノンよりはるかにエネルギーが大きいため,分子自由度から音波にエネルギーが流れてくることはない.

ここで,液体において、分子自由度と熱フォノンとのカップリングによるモードが光散乱スペクトルに現れることが、実験的にも理論的にも確認されている.しかし,気体において、液体と同様に熱フォノンと分子自由度がカップリングした光散乱スペクトルを実験で明確に捉えた例はない.しかし,このカップリングモードは分子緩和そのものであるため,熱フォノンと分子自由度間のエネルギー結合という興味以外にも,従来の緩和測定に替わる新たな緩和測定としての可能性を秘めている.

そこで,本研究では、上記で開発した動的光散乱手法をより改良することで、freon23ガスにおける並進―振動緩和によって熱フォノンピーク(ブリュアンピーク)の一部が、ゼロ周波数にピークをもつローレンツ型のモード(カップリングモード)として現れることを確認した(図3).

また,スペクトルを動的構造因子でフィッティングすることで緩和周波数,緩和強度を求め,それらが熱フォノン分散から得られる値と一致することを確認した.

ここで,熱フォノン測定または音波測定では,圧力又は測定周波数を変化させることではじめて緩和情報を得ることができるが,一方,カップリングモードスペクトルひとつからは,緩和情報を完全に得ることができる.そこで,各圧力下における緩和周波数,緩和強度をカップリングモードスペクトルから測定したところ,理想気体状態から明確なずれが現れる高圧下においても,緩和定数は低圧下における値と一致することを確かめた.音波測定や熱フォノン測定では緩和定数の圧力変化を測定することができないため,このカップリングモード測定は,気体の緩和を詳細に知るための有力な手法と考えられる.

以上のように,高感度,超高分解能の動的光散乱手法を構築し,それにより気体における熱フォノンを明確に捉えた.そして,熱フォノンが緩和により分散することを確認した.また,熱フォノンが分子自由度とカップリングし,それによって液体におけるカップリングモードと同様の緩和スペクトルが,気体においても現れることを実験的に示した.

図1 光ビート分光動的光散乱測定装置

図2 froen22ガス(T=300K)の熱フォノン分散

図3 freon23ガスにおけるBrillouinピークとCouplingピーク.実線は動的構造因子によるフィッティング曲線.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「光ビート分光ブリュアン散乱による気体の超高分解能フォノンスペクトロスコピー」と題し,高感度・高分解能の動的光散乱装置を開発し,気体における熱フォノンスペクトロスコピーを確立することを目的として行われたものである.

熱フォノンスペクトロスコピーはレーザーの出現とともに着実に進展を遂げ,物性研究における動的構造測定の重要な手法の一つとなっている.しかし測定可能な周波数帯や相が限られ,特に気体の緩和現象を測定することが非常に困難であるのが現状であった.本論文はこの状況を打開すべく,フォノン測定の標準技術として用いられるべき動的光散乱手法を確立することが目的とされている.

本論文の特色は,気体の熱フォノンスペクトルが約1GHz以下の低周波数域で測定困難であった原因を明らかにし,それらの問題を独自の手法を用いて解決したことにある.まず,ヘテロダイン原理を用いた光ビート分光手法を高感度化している.これにより従来、他の手法を含めても測定が不可能であった固体や気体における1GHz以下の熱フォノンスペクトル(ブリュアンスペクトル)を捉えることが可能になった.さらに一般的な前方散乱における集光方式を見直し,低周波数帯におけるスペクトル測定において影響の大きくなる装置幅を大きく減少させた.これにより気体の振動緩和を熱フォノンの位相速度分散を精密に捉えることに初めて成功した.さらに気体の熱フォノンスペクトルを詳細に解析することにより,緩和による光散乱スペクトルの変化を測定した.これにより,緩和現象を反映した緩和モードスペクトルが現れることを確認し,実験的に緩和パラメータを計測した.そこから,圧力による緩和パラメータの変化がないことを直接観察した.

本論文は7章から構成されている。

第1章は「序論」であり、本研究の背景と目的、および本論文の構成について述べられている。

第2章は「フォノンスペクトロスコピーの背景」であり,熱フォノン測定における背景について述べられている.

第3章は「光ビート分光動的光散乱測定の高感度化」と題し、ヘテロダイン原理を用いた光ビート分光手法における感度の向上を行い,光学素子であるBK7ガラスや常圧下における気体における熱フォノンスペクトルに成功した手法とその結果が詳細に記述されている.その結果,従来のスポット集光では前方散乱において測定波数幅がひろがり,非常に大きなスペクトル測定誤差を生じて測定精度が低下することが明らかになった.

第4章では「前方散乱における集光方式の開発」と題し,前方光散乱において感度と測定精度を同時に成り立たせるために開発した集光方式とその結果,および波数空間における考察が詳細に記述されている.

第5章では「Brillouin光散乱による緩和測定」と題し,本研究で開発した高感度・超高分解能動的光散乱装置を用いて,CHClF2(freon22)ガス,CHF3(froen23)ガスの熱フォノンスペクトル測定を行い,そのピークシフトから熱フォノンの速度分散を求め、振動緩和により生じる分散を捉えている.また,超音波測定による緩和定数と熱フォノンスペクトルによる緩和定数が一致することを確認している.

第6章では「気体における緩和モードスペクトル」と題し,上記で開発した動的光散乱手法をより改良することで、freon23ガスにおける並進-振動緩和によって熱フォノンスペクトル(ブリュアンスペクトル)の一部が、ゼロ周波数にピークをもつモードとして現れることを実験的に確認している.また,スペクトルを動的構造因子でフィッティングすることで緩和周波数,緩和強度を求め,それらが熱フォノン分散から得られる値と一致することを示している.ここで,熱フォノン測定または音波測定では,圧力又は測定周波数を変化させることではじめて緩和情報を得ることができるが,一方,緩和モードスペクトルひとつからは,緩和情報を完全に得ることができる.そこで,各圧力下における緩和周波数,緩和強度を緩和モードスペクトルから測定し,理想気体状態から明確なずれが現れる高圧下においても,緩和定数は低圧下における値と一致することを明らかにしている.

第7章は「結語」と題し、本論文の内容を簡潔にまとめている。

以上のように、本研究では汎用性の高い高分解能動的光散乱手法を開発し,従来測定ができなかった前方光散乱による熱フォノンスペクトルスコピーを確立している。本研究の成果は、動的光散乱測定の今後の発展のために不可欠であると同時に、ソフトマターの物性研究全般への寄与が大きく、したがって物理工学への貢献も大きい。 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク