学位論文要旨



No 123477
著者(漢字) 姿,祥一
著者(英字)
著者(カナ) スガタ,ショウイチ
標題(和) WO3含有リン酸塩ガラスと水素との反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 123477
報告番号 甲23477
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6793号
研究科 工学系研究科
専攻 マテリアル工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,博之
 東京大学 教授 山口,周
 東京大学 教授 幾原,雄一
 東京大学 教授 宮山,勝
 東京大学 准教授 山本,剛久
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

wo3を含むリン酸塩ガラスは,高屈折高分散の光学特性を持ち,これまで用いられてきた鉛系の光学ガラスの代替材料として用いることができる.また,このガラスは融点が低いために,作製にモールドプレス法を用いることができるために,低コストで非球面レンズが得られる.しかしながら,wo3含有量が多い組成では,溶融の際にW6+がW5+に還元されて,濃い青色を呈する.そのために,これまでは光学ガラスの応用としては難しいとされてきた.近年,wo3含有リン酸塩ガラスの中で,PO5/2-wo3-Nbo5/2-MOx組成(MOx:修飾酸化物)の着色したガラスにおいて,ガラス転移温度以下で大気中にて熱処理を施すと脱色することが見出された.この脱色反応は表面から内部に向かって進行し,その進行速度は1時間当たりに数mmに達するほどの速さであった.さらに,この着色は拡散律速で進行するように観察され,その拡散係数は~10-6cm2/secであると報告された.この着色は,ガラス内のW6+の水素による還元と考えられている.しかしながら,実験的な検証は不十分であり,さらに,なぜこのような速い拡散現象がガラス転移温度以下の固体中で起こるのかについてもわかっていない.

そこで本研究ではPO5/2-wo3Nbo5/2-MOx系ガラス(MOxは修飾酸化物)において,水素の存在状態と還元反応の機構,速い拡散機構を調べることで,wo3含有リン酸塩ガラスと水素との反応機構を解明することを目的とした.

第2章wo3含有リン酸塩ガラスの水素処理による生成反応と拡散現象

第2章ではガラスの水素雰囲気での熱処理による拡散挙動と生成反応について調べた.30PO5/2-10WO3-25Nbo5/2-35NaOl12ガラスを3.5%H2-96.5%N2雰囲気にて熱処理を行った.この熱処理によってW5+着色が生じる反応と,OHが生成する反応が起こることがわかった.1mm厚の薄い試料を水素雰囲気で熱処理することによって生成されたW5+濃度は,1.5×10(19)/cm3であったのに対して,OH基の濃度の変化は4.5×10(18)/cm3であった.水素雰囲気での熱処理による,雰囲気からの水素の導入と遷移金属の還元については,OH基の生成を伴った還元反応も考えられるが,この実験では,水素雰囲気での熱処理による生成種についてW5+とOH基では量的に対応しなかった.

水素雰囲気での熱処理前後における赤外吸収スペクトルを測定したところ,その差スペクトルから,OH基以外の振動に対応する2300,1600cm(-1)にピークが現れることがわかった.重水素雰囲気の熱処理によって2300cm(-1)に観測されたピークが1800cm(-1)にシフトしたことから,2300cm(-1)に観測されるピークはガラス中の元素と水素との結合による振動に対応していることがわかった.さらに,重水素雰囲気で熱処理することによって,残留OH基のピークに対応する3000cm(-1)のピーク強度が小さくなった.このことはガラス内に存在していた残留OH基の水素が,熱処理によって溶解・侵入してきたDあるいはHと置換することが示唆された.

水素雰囲気での熱処理後,深さ方向でW(5+)の着色によるピークとOH基の伸縮振動ピークの吸収係数のプロファイルを拡散係数を算出したところ,W(5+)から求める拡散係数は500℃で2.9×10(-6)cm2/sであったのに対して,OH基から求めた拡散係数は1.2×10(-8)cm2/sであった.W(5+)から求める拡散係数とOH基から求める拡散係数で2桁もの違いがあり,拡散深さや濃度プロファイルも大きな違いがあった.

また,3.5%D2-96.5%N2雰囲気で熱処理することによって,OD基が生成されると同時に,ガラス内部では表面から約0.05-0.1mmの領域ではOH基が増加するが,0.1-0.2mmの領域ではOH基が減少した.また,OD基から求める500℃における拡散係数は1.2×10(-8)cm2/secで,OH基から求めるものは,1.8×10(-8)cm2/secで,ほぼ質量の平方の比1:=2に対応しており,同位体効果による拡散係数の違いが見られた.しかし,W(5+)着色から求める見かけ上の拡散係数に,水素雰囲気での熱処理と,重水素雰囲気での熱処理とで違いが認められなかった.W(5+)着色の濃度プロファイルは測定装置の都合上,表面付近は測定できていないが,測定範囲であるは表面から約lmm以上深い領域では,W(5+)着色の拡散挙動が同じに見える.よって内部まで拡散するW(5+)の電荷補償のカウンターカチオンは水素雰囲気での熱処理と,重水素雰囲気での熱処理とで同じ拡散種が拡散していることが示唆された.

第3章WO3含有リン酸塩ガラス中のOH基とW(5+)から観測される拡散の組成依存

第3章では,ガラス組成の修飾酸化物の種類や量,残留OH基濃度を変化させることによる拡散係数の組成依存性を調べ,ガラス中の拡散挙動に関わる因子を求めた.30PO(5/2)-10WO3-25NbO(5/2)-35NaO(l/2)を基本組成として,NaO(l/2)をほかの修飾酸化物で置換したところ,拡散現象に対する修飾酸化物の組成依存性が強く認められた.OH基から求める500℃における拡散係数はアルカリ成分がLi,Na,Kと変化するに伴って,4.5×10(-8)から1.6×10(-9)cm2/sへと大きく変化した.また,W(5+)から求める拡散係数はアルカリ成分がLi,Na,Kと変化するに伴って,2.0×10(-5)から8.5×10(-7)cm2/sへと大きく変化し,W(5+)から求める拡散係数,OH基から求める拡散係数ともにアルカリイオンの半径が小さいほど拡散係数が高い傾向にあった.また,修飾酸化物としてBaOを含む試料では7.9×10(-9)cm2/sと,アルカリイオンを含むガラス系よりさらに2桁ほど拡散係数が低くなった.

アルカリ成分がLi,Na,Kの試料におけるOH基から求める拡散の活性化エネルギーを求めたところ,それぞれ74,95,100kJ/molであった.同様に,W(5+)から求める活性化エも修飾酸化物の種類に大きく依存していることがわかった.OH基から求める拡散係数,活性化エネルギーとW(5+)から求める活性化エネルギーについて,どちらの拡散挙動についても同じアルカリ成分の組成依存性が見られた.

また,残留OH基濃度を変えた各試料を500℃で水素雰囲気で熱処理したところ,W(5+)から求める拡散係数は残留OH基濃度が低いほど拡散係数が低くなった。残留OH基濃度の低い試料を水素・重水素雰囲気で熱処理したところ,W(5+)の吸収係数のプロファイルから求める拡散係数は,水素雰囲気で熱処理した試料の500℃における拡散係数が2.6×10(-6)cm2/sであったのに対して,重水素雰囲気で熱処理した試料の拡散係数が2.4×10(-6)cm2/sで,小さいながらも拡散係数に違いが見られた.残留OH基濃度が小さい場合にはW(5+)から求める拡散係数に,同位体効果が見られた.このことから,W(5+)の電荷補償のカウンターカチオンとしてプロトンが示唆される.

第4章WO3含有リン酸塩ガラスの熱処理による水素の脱離とW(5+)量の変化

第4章では,W(6+)→W(5+)の還元反応に関わるカウンターカチオンがプロトンであることを特定するために,水素雰囲気の熱処理によって着色した試料を真空中で熱処理することで脱色させ,W(5+)量の変化に対するH2の放出量を測定した.その結果,W(5+)の減少量と放出されたH2の量が一致しており,実際にW(5+)→W(6+)の酸化が水素を失うことで起こっていることがわかった.

また,残留OH基濃度の低い試料を重水素雰囲気で熱処理し,表面を削って昇温ガス脱離測定を行うと,水素雰囲気での熱処理の場合と同様にH2の放出が見られ,さらにD2の放出も見られた.また,残留OH基濃度が低い試料では,残留OH基として存在していた水素よりも多くのH2の放出が見られることから,放出されたH2ガスはW(5+)の電荷補償のカウンターカチオンとして内部まで拡散していったプロトンであることが分かった.そして,重水素雰囲気での熱処理によってガラス内に溶解・侵入した重水素が実際にガラス内部まで拡散できることが分かった.ガス脱離実験は,重水素の放出とW(6+)→W(5+)の酸化を見ていることになるが,実際に確認できた重水素雰囲気の熱処理による重水素の溶解/侵入はこの逆反応であり,このガラスにおける速い拡散現象として見られるW(5+)⇔W(6+)の酸化/還元が水素(重水素)の溶解・放出,および拡散によって起こることが分かった.

第5章では、本研究の総括を示した.

審査要旨 要旨を表示する

近年のCO2ガスの排出量制限などの環境問題やエネルギー資源の問題から、高効率で環境負荷の小さい燃料電池を用いた発電への期待が高まっている。中でも固体高分子型燃料電池や固体酸化物型燃料電池が盛んに研究されているが、多くの問題点がある。そこで、両者の問題を解決できる中間的な温度域で動作する燃料電池に大きな期待が寄せられている。この温度域では、プロトン伝導性を有する電解質が有望と考えられており、高いプロトン伝導性を示す材料が強く求められているが、化学的に安定で高いプロトン伝導性を示す固体電解質や電極材料が見出されていないのが現状である。したがって、ペロブスカイト酸化物を始めとする従来のプロトン伝導性材料の特性改善とともに、新しいプロトン伝導性材料の導入が必要と考えられる。本論文は、酸化タングステン含有リン酸ガラスのガラス転移点以下の300℃から500℃において、酸化雰囲気で生じるW5+イオンの酸化と水素雰囲気で生じるW6+イオンの還元に着目し、このガラス中における水素の存在状態、還元反応、水素の拡散現象を調べ、プロトンが拡散する新しいガラスであることを示したものである。本論文以下の5章から構成される。

第1章では、この酸化タングステン含有リン酸ガラスにおいてガラス転移点以下の温度でW5+イオンの酸化反応が見出された経緯を述べ、これまで報告されてきた固体内における拡散現象、ガラス中のアルカリ金属イオンやプロトンの拡散と伝導、さらにイオンとともに電子が移動する混合伝導ガラスの既往の研究をまとめ、本研究の位置付けと目的を明確化している。

第2章では、本ガラスの作製方法を述べ、水素・重水素雰囲気での熱処理による変化を可視吸収・赤外吸収測定によって調べている。この水素・重水素処理により、Pd膜を形成した面でOH基やOD基が生成するとともに、内部へ向けて拡散すること、可視域に吸収を有するW5+イオンが生成し、OH基などより速く内部へ拡散することを示している。表面からの深さ方向のOH基などの吸収強度変化を測定することにより、OH基やOD基として観測される水素や重水素の拡散係数の値を求めている。さらに、W5+イオンによる吸収強度からOH基と同じように拡散係数が求められることを示している。この結果、W5+イオンの吸収強度から求められた係数の値は、OH基の吸収強度から求められた拡散係数の値より2桁程度高い値であり、ガラス表面から導入された水素を起点とするこの2種類の拡散挙動に大きな違いがあることを明らかにしている。

第3章では、第2章で求められた2種類の拡散係数に対して、本ガラス組成をP2O5-WO3-Nb2O5-MOx (M = Li、 Na、 K、 Ba)とするときのMの種類やその成分量による変化を調べている。さらに、ガラス作製時にガラス内部に残存するOH基(残留OH基)の濃度によっても、この拡散係数が変化することを見出し、その影響を調べている。この結果、W5+イオンの着色から求められる拡散係数、OH基から求められる拡散係数が、アルカリ金属イオンのイオン半径が小さいほどその値が高くなる傾向にあることを見出している。また、拡散の活性化エネルギーは、アルカリ金属イオンのイオン半径が小さいほど小さくなる傾向があることを見出している。さらに、残留OH基濃度の低いガラスを対象とした場合、熱処理の水素および重水素の雰囲気の違いによって、W5+イオンの着色から求められる拡散係数の値に違いがあることを見出している。

第4章では、水素雰囲気で熱処理したガラス試料を真空中で加熱処理することによって脱離する水素分子の放出量を調べている。同時に、W5+イオンの吸収強度からW5+イオンの変化量を求めている。その結果、放出されたH2の量とW5+イオンの減少量がほぼ一致しており、W5+→W6+の酸化と水素の放出が量的に対応していることを示している。さらに、重水素処理によって導入された重水素の拡散を真空中の加熱処理により脱離する重水素分子の放出量として調べている。その結果、残留OH基の濃度が高い場合は、ガラス内部では重水素が検出されず、残留OH基の濃度が低い場合に拡散した重水素による脱離が観測できることを示している。

これらのことから、本ガラスの表面で出入りする水素によって、プロトンと電子がガラス中に導入され、この電子がW6+イオンを還元し、W5+イオンの着色として観測されること、ガラスの内部に向けて拡散する過程において、残留OH基を介してプロトンは拡散することが明らかとなった。ガラス中での局所的な電荷の中性条件を満たすためには、W5+とプロトンが電荷補償対を形成しているものと考えられることを示している。

第5章は、本論文全体の総括である。

以上を要するに、本論文では、酸化タングステン含有リン酸塩ガラスにおいて、水素雰囲気の熱処理におけるW5+イオンの生成とその着色から観測される拡散挙動が水素の導入によるものであり、本ガラス中をプロトンと電子の双方が移動することを明らかにしたものである。これら一連の研究成果から得られた知見は、プロトン伝導性や混合伝導性を示すガラス材料の研究分野の発展に大きく寄与するものであり、中温域におけるプロトン伝導性ガラスにおいて先駆的でかつ極めて基本的な結果を明らかにしたという点で意義は大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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